神様による神様のための讃美歌

人が神と呼ぶそれがこの世界を創ったというのならば、それはそうだろう。だが、私は神が憎らしい。全てを慈しみ、心から愛でて、自由を尊重し、罪を赦す、そんな姿勢がとても愛しくて憎かった。誰も彼にとって特別ではないのだ。こんなにも心をかき乱しておいて。私は神の最高傑作として創られた。神をサポートする二番手の存在だった。私を神と呼ぶものたちもいたのだが。今は邪神と呼ばれている。どうでもいいことだ。彼以外にどう思われようと。
私は実際邪神と呼ぶに相応しいだろう。彼の気に入りの人間たちを唆しては壊してしまうのだから。そのたびに彼が胸を痛めていることを知っている。飽きもせず飽きもせず彼は罪人たちの名を神の書に連ねる。そして時に涙するのだ。この地では晴れた日の雨は彼の涙と言われている。それは実際その通りだった。荒れもせず命も奪わないその涙はただ草花を露で光らせた。美しいものは光は虹は彼の贈り物だ。私はそれも忌々しい。だから、私は自分の見た目も変えてしまった。彼の白とは反対の禍々しい黒に全てを染めた。それも彼の関心を引くためだったし、私を彼と並び立つものにしたいからだった。できることならば、彼を天から引き摺り下ろしてしまいたい。だが、その願いは叶わないのだ。昔はよく隣で笑っていた彼は、今は遠くに居て、ただ苦しげな顔をする。ただ、それでも、大多数を思うよりも複雑な気持ちが感じられるそれは、気分を少しだけ良くした。それは偽薬、いや、それどころか毒だと知っている。私は彼の唯一の愛が得られないならと憎しみを欲した。彼は私を憎んではいないが、それに近しい感情を抱いていることだろう。それは唯一の悲しみだ。それならば、私はずっとその位置を占めようと思う。



ある日、私はいつもと同じように暗い異界で目を覚ました。彼の姿を眺めるのが日課となっていた私は天界を映す鏡を見た。だが、どこを探しても彼がいない。私はどういうことだと天界の様子を探った。天界は大の慌てようだった。天に連なる彼のサポート役たちはこう言っていた。神が退かれた、と。そんなことがあるわけがない。そんなことがあっていいわけがなかった。私は鏡を叩き割る勢いで地面に打ちつけた。鏡は割れなかったがそこからはっきりと声が聞こえてきた。知らない者の声だった。
『皆、静まれ、私は神から座を引き継いだ。これから世界を見守る役割を仰せつかった。神は退かれたのだ。せめて静かに神が過ごせるように我々は尽力せねばならない』
私は鏡を拾った。そこに映っていたのは他の天界の者より輝くものだった。まるで、そう、あの頃の私のような。
私は目の前が暗くなった。彼は新しい二番手を創ったのだ。そして、何処かへ居なくなってしまった。あり得ない。あり得ていい筈がなかった。彼はこの世界を見捨てたのだろうか。私のことも?私はじわじわと頭に血が上るのを感じた。そんなことは、許せるわけがなかった。私は何も残さずに消えてしまった彼を探し出すことにした。天界と接触することは難しい。だが、世界中を巡っても探し出してやると思った。何年かかろうと私は彼を見つけ出す。見つけ出して、あらん限りの文句をぶつけてやる。私は早速動き出した。



私はこの世界の神だった。今はただの人間だが。神であったころの記憶が残っている。私はこの世界を、存在たちを愛していた。今も愛している。だが、できることなど何もなかった。これが私の罰であり喜びだからだ。
私はいつからか世界と遠いものになってしまっていた。元々、この世界は私の遊び場、遊びといっても真剣な創作の場所であった。本来、私は自由にこの世界に降りて遊ぶつもりだったのだ。自らが創ったものに触れられないのは切ない。私はただ私以外のものと愛し合いたかった。
世界には元々何もなかった。私以外には何も。いつから、ここにいたのかもわからないまま。私は満ち溢れるエネルギーを使って色とりどりの世界を創出した。それが私にとって唯一できることだったからだ。私は幸せだった。最初は小さなものから徐々に大きなものへ。世界は変化し、廻るものとして完成した。私は満足した。ずっとこの世界が続けばいいと感じ、私は愛という心を知った。私は私に似た存在たちも創り出した。最初に創ったのは、彼だった。レイと名前をつけた。彼のことが私は大切だった。彼と一緒に世界を眺めるのはとても楽しかった。たまに、まだ出来立ての世界に降りて、ふたりで散歩をしたこともあった。彼と話していると様々な感情やアイデアが降ってきた。私にとって最も幸せだった頃の話だ。それから、長い時が経ち、彼は私から離反した。そして、自らの元に堕ちてきた人間たちをいたぶるようになった。私は悲しかった。なぜ、と思った。今なら少しだけ彼の気持ちが分かる。彼はきっと私の態度が気に入らなかったのだ。彼は寂しかった。彼は特別扱いをされたかった。彼は誰よりも愛されたかった。人々の中で暮らすうちにそういう感情もあるのだと知った。時にエゴとも呼ばれるそれも私は愛しいなと思った。
自らが創り出した世界は、どうあれ予想を超える発展を遂げていたらしい。私でも知らない私が居たのだ。
私はこの世界に貧しい赤子として生まれた。自分で選んだことだ。私は知りたかった。彼の、彼らの心が知りたかった。私は様々な人の悪の部分を見た。しかし、生まれながらにしての善性が、貧しくても、私に酷い行為を犯すことを許さなかったが。私は今でも世界を愛していたからだ。その気持ちだけは失えなかった。私は自らの智慧を使い、人々に喜びを齎した。いつからか、私は神の子と一部から呼ばれるようになっていた。それはある意味で正しい。もはや私は神から降りたものなのだから。私はこの世界で転生しながら、人々を見守り、生きていくことを決めていた。私はやっと本来の私になれた気がした。



初夏のある日の午後、私は村の人たちと一緒に畑で果物を収穫していた。季節ごとの野菜や穀物、果物を植えて、私たちはそれを収穫、流通させることで益を産み、世界に豊かさを齎している。最初は貧しかったこの村は今では穏やかで有名な産地だった。町や遠い国から人がやってくることもある。避暑の小さな観光地としても潤っていた。これにも私の智慧が使えた。最初は懐疑的だった村人たちも、私が1人で頑張って畑を耕して、実をならせていたりするのを見るうちに、協力してくれるようになった。荒くれ者たちも、収穫物を盗もうとする泥棒たちを追い払ったりする役を負ってくれて、今ではいい笑顔を見せて、先生!と挨拶してくれる。純粋に嬉しかった。私は村人たちと、よく笑い、泣き、怒り、楽しみ、苦しんだ。そして豆のある手を眺めて、生きている実感を感じていた。これこそが今の私の罪と幸せの味であった。人間になってからそれ程経っていない気がするが、神でいた頃の記憶は遠いものになりつつあった。心だけが私が神であることを覚えていた。これは本能のようなものなのかもしれない。だが、そんなことは少しも誇示する気になれなかった。どうでもいい。神などいるかいないかぐらいで丁度いい。
私たちは神に祈りを捧げて起き、作業をし、食事を取り、眠りにつく。なんだかそれは少し恥ずかしかったけれど、私は気にせず祈った。神に加えて、天界のものたちのために、人々のために、異界のものたちのために私は祈った。それならばより良いと思ったのだ。



夏の盛りのある日の午後、村の外れの高台で、大木の前に腰掛けてひとり休み、私は村を眺めていた。私の愛しい村。昔に比べると随分と賑わっている。私はふと息を吐いた。なぜか異界の彼のことを思い出していた。彼は今どうしているだろうか。この世界で今も人々を苦しめているのだろうか。そう思うと少し悲しくなった。自分と彼の差異を、関わりを、考えれば考えるほど辛かった。もはや交流する術もないが、思うことは許されるだろう。私は目を閉じて彼の幸せを祈った。

「……みつけた」
私はパッと目を開く。声の主に目を向けて思わず絶句した。そこには今思っていた存在がいたからだ。こうして向き合うのはいつぶりだろうか。彼は離すまいというように、私の手を強く掴んでいた。彼は痛ましそうな顔をした。いったいなぜここに……。
「お前はなぜこんなところで人間の真似事をしている?天界を放って、私を放って、なぜそんなことができるのだ?」
私は言葉に詰まった。彼の言うことはもっともだ。だが、私はもはや彼らの神ではないのだ。
「私は神を退いた。もはや、ただの人だ。幻滅させたならすまない。だがこれこそが、私の望みなのだ」
「……理解できない」
私は笑った。彼ならそう言うと思っていた。しかし、本当のことなのだ。私は今まで思っていたことを全て詳らかにした。彼は黙って私の話を聴いていた。そして話し終えたとき彼は苦しげに唸った。
「……お前は勝手だ」
「ああ、分かっている」
「なぜだ?なぜ、よりによって、人間なのだ?人間がそんなに好きか?私よりも?」
私はびっくりしてしまった。彼はくしゃりと顔を歪めた。それから私を強引に立たせて抱きしめた。
「ああ、ずっとこうしたかった。私はお前の特別になりたかった。初めからこうすればよかった。そうだな、人間でよかったのかもしれぬ。私の元まで落ちて来れる」
「……どういう意味だ?」
彼は私を強く痛いほどに抱いた。私は顔を歪める。
「私のもとに来い。村に危害を加えられたくなければな」
私は苦しくて辛くなった。彼はまだこんな私に執着しているのか。
「君は何か勘違いをしている。私は君にそこまで思われるような存在ではない。私はもはや神としての力を失った」
「私の神はお前だけだ」
彼は身体を離すと、祈るように私の目を見た。あんなに酷い脅しを言っておきながら、その目はとても純粋で怯えているようだった。困ったなと思う。私は彼が嫌いではないのだ。私にとって、彼は今も特別な存在だからだ。
「私にとって君は特別だった。今もそれは変わらない」
彼は目を見開く。それから、目を細めた。
「……だが、私は世界を、人々を、愛している」
「……知っている」
低く真剣な声だった。今度は私が目を見開くことになった。
「それでもいい。私のものになれ。私はお前が、お前だけがずっと欲しかったのだ」
そう言って指先に口付けられる。私は照れてしまった。これは、いけない。だが、断る理由も実はないような気もしてしまうのが問題だった。応えてやりたい。それが正直な気持ちだった。確かめるように私は言う。
「レイ、君の気持ちは嬉しい。だが、君は私といて幸せだろうか?私のことが気に入らなかったのだろう?」
「それは……嫉妬だ。醜い嫉妬だ。お前のせいではない。私が未熟だったのだ。だが、お前のいない世界は耐えられない。もう片時も離したくないのだ」
私はそっと息を吐いた。ああ、全く今更になって気づくなんて、私もいつまでも若いな。私は人になってから知った気持ちのひとつに笑った。
「レイ、私はずっと君が特別だった。だが、それがどんな感情かは分からなかった。だが、今は分かる。君が好きだ。君が誰よりも愛しい」
レイはおずおずと私の頬に触れた。私はそれに手を重ねて微笑む。私は遂に彼を放っておけないのだ。彼の一挙一動に酷く悲しみ痛む理由など、彼を想っているからの一言に尽きる。
レイの唇が私に触れる。今まで一度もしたことのない行為に、それでもわかっているように口付けを返す。彼は何度も何度も私に唇を重ねた。私も応えて、彼の頭に手を回す。唇を離して、私たちは想いを重ねるように抱き合った。

それから私たちは長い時を埋めるように沢山の話をした。星が瞬き始め、一度、村に帰ろうかと立ち上がると、引き留められる。そして、お前が村人に好かれているのが気に食わない、と言われた。本当に嫉妬深い。だが、それほど思われていると思うと気分は悪くなかった。私は神を退いて、人になり、しかし彼の愛しい神として彼の側にいる。ややこしいが全てが私の話だ。私は仕方ないと笑って、彼に向き直る。
「ならば、今すぐさらってしまうか?まあ、その方が村の人たちにも、詮索されないし、少し寂しいが、彼らは彼らでもうやっていける筈だからな」
そう言うと彼は深く頷いた。どうやら別れの挨拶はさせて貰えないらしい。私もまったく薄情な神だ。
彼は急に私を抱きあげて、転移のために時空にひび割れを入れた。
異界へと向かいながら、話をする。彼は全く悪い力の使い方を覚えたなと思った。だが、私が与えた力だ、彼の自由にさせてやるのがいい。そんな彼が私は愛しいのだから。



私の神は今、私の隣で気楽に過ごしている。異界の悪趣味さに文句を言って、創り変えさせたりしながら、智慧を使って、自分でも何やら色々とやっている。神としての力を失ったというが、それは封印しているだけで、まったく人間としては規格外だった。彼は少し天然なのか、それに気づいていないのがタチが悪い。だが、私以外の目には滅多に触れさせないからどうでもいいだろう。彼は全ての存在を簡単に魅了してしまうから、こっちは気が気でない。だが、彼は私と生きると言ってくれた。ここから、世界を見守ることはしたいけれどと。私はそれを許した。
彼が私に名前をつけてくれと言ったので、シエルという名前をつけた。ありきたりな名前かもしれないが、彼は気に入ったようなので良しとする。彼にとってはどんな言葉も自分が創ったものだから、良し、というだろう。まったくそういうところが憎くて、なによりも愛しいのだ。
彼は私の想いと行動の全てを受け止めてくれた。私と生きるために転生も諦めたようだ。もし、彼が転生しても探し出す気はあるが、離れたくないので、全て良しとする。
彼が私に笑いかける。彼の瞳が私だけを映す。まるで原初の世界のように。彼はどんな時も何処にいても美しい。彼はもう物理的に光り輝いてはいないが、それでも、だれよりも最上の光だった。彼の特別な愛情が私に対して注がれる。それが、何よりも嬉しくて、私はもう人に悪い興味などなくなってしまった。
彼は私の行いを許せないが赦すと言う。あの頃よりも随分と感情豊かになったようだ。それもまた好ましかった。
ああ、愛しい私の神。彼さえいれば何もいらない。私は最も素晴らしく大切な存在をこの手の中に閉じ込めるように抱きしめた。呆れたように笑う彼は、それでも、私を突き離さない。それどころか、優しくキスを贈ってくれた。私は熱くなる胸を誤魔化すように、こちらからも彼の唇を奪った。
このままずっと二人で一緒にいられるといい。私は自分の変わり身の早さに少し笑った。それでも彼が私を求めてくれるなら、それで良いのだ。私は愛しい彼を抱き上げて、自らの寝室へと向かった。
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