恋の魔法にかかったら

ああ、全部なくなってしまえばいいのに。
暇つぶしに図書館で借りてきた黒魔術の本とやらを眺めながら、見よう見まねでノートの端に魔法陣を描いてみた、何が起きるわけもなく、俺はくだらないと魔法陣を描いたノートのページを破り捨てた。そのまま、ゴミ箱に放り投げる、まったく人生ってやつは下らないことばかりだ。憂鬱だった、何があったわけでもない、昔はいじめもあったが今はないし、それでも死にたい日もある、こんな日々が続くならいっそ壊してしまいたかった。何を?世界を?自分自身を?分からない、この日々はあまりに憂鬱だった。俺は目を閉じて布団もかけずにベッドに寝転がるとそのまま眠りについた。



「おい、おい、起きろ」
低い男の声。誰かに呼びかけられて目を覚ます。そうすると目の前には角の生えた細身の悪魔みたいな、全身黒色の服を着た顔色の悪い男がいた。
「……は?」
不法侵入者か?と思ったけれど、なんだか透けていてどうやら実体がないらしいそいつをまじまじと見る。
「幽霊?」
「違うわ!俺様は大いなるデーモンの一柱であるサティー様だ!」
「へえ……」
なんだか現実味が全くない。まだ夢見てんのかなと頬を軽く叩くけれど、どうやら現実のようだった。マジで何?
「お前が俺様を呼び出したんだろう?願いは何だ?魂と引き換えに叶えてやるぞ」
「いや、そういうの間に合ってるんで」
俺はまたごろりとベッドに寝転がった。いやー、リアルな夢だな。現実逃避だ。まさかあの魔法陣がマジもんだったとか、はは、ありえない、ありえない。
「おい、クソガキ!放置するな!なんのために呼んだんだ!クソッタレ!」
口の悪い悪魔だなと思う、まあいいけど。このまま放っといたらどっか行くだろ。俺は背を向けた。けれど、悪魔、サティー?とやらはまだ騒いでいる。
「願いを聞くまでは帰れない!ああ、もう!……分かった、願いを言うまで付き纏ってやる!」
ええー、それはやだなと俺は起き上がる。
「お、願いが決まったか?」
「今すぐどっか行ってくれる?」
「は?」
悪魔は恐ろしい形相になった。おー、悪魔っぽいなんて、俺は淡々と思う。
「そんなことは願いのうちに入らねえんだよ!クソガキ!」
「あ、そうなの?いいよ、それで魂あげても」
「かーッ、これだから今どきのガキは!そんなのは、俺様のプライドが許さねえ!」
めんどくさいなと思う。俺は悪魔を見つめてため息を吐いた。
「ため息吐きてえのはこっちだよ!ほんとなんでこんな奴が俺様を呼び出せたんだ?」
「別にあの本に書かれてたの書き写しただけなんだけど」
「はあ、なるほどなるほど、じゃねーよ!普通それだけで呼び出せるわけねえんだよ!」
「そんなこと言われても……あ、俺、模写得意なんだよね、だからか?」
「はー、まじかこいつ……」
俺はなんだか少し愉快になってきた、だってこいつなんか面白いし。笑う俺に悪魔はうんざりしていた。
「仕方ないだろ、なんとなく描いただけなんだから」
「何か願いがあったわけじゃないのか?」
「願い、願い、ねえ……あるといえばあるけど、叶えたいとも思わないかな、今は」
「は?」
悪魔は間抜けな声をあげた。
「なんとなく憂鬱だったんだよ、だから、だからだ、それだけ」
「お前、本当にクソッタレだな……」
「よく言われる」
俺は笑った。悪魔は顔を押さえて黙り込む。
「……」
「まあ、なんか考えるからさ、それまで待っててよ、悪魔様」
「俺様はサティーだ!」
「はいはい、サティー」
「様をつけろ、様を!」
俺はまた寝転がって天井を眺めた。サティーはぶつくさ言いながら、その姿を消した。多分、いなくなった訳ではない、息を潜めているだけだ、なんとなく気配は感じるから。



俺は今日も怠い気持ちを抱えながらダラダラと着替えて家を出た。歩く足取りは重い、学校はぶっちゃけ好きじゃない。
「お前、いつもこんなか?」
「そうだけど?」
こそりと話しかけてきたサティーに返す。辺りに人はいないから大丈夫だろう。
「つまらない顔しやがって、宝くじでも当ててやろうか?」
「いらない、いらない、面倒くさいし」
サティーはため息を吐いた。
「なるべく早く願いを決めて欲しいもんだがな」
そう言われても世界滅亡なんて望むわけにいかないし、何かを壊してなんて言うわけにもいかない、それは自分でもよく分からない感覚なのだから。
学校について上履きに履き替える。廊下を歩いて教室へ。気配を消して窓際の自分の席に座った。授業は退屈だ。聞き流して、ノートは落書きだらけだった。
「……お前、絵上手いな」
サティーがいきなり話しかけてきて少しびっくりしたけれど顔には出さない。
「絵を仕事にするのか?」
俺は静かに首を振った、これはあくまで暇つぶしだ。
「もったいないな、お前、色々と。顔立ちだって悪くねえのに、前髪で隠してやがるし」
余計なお世話だと俺は内心で悪態をつく。サティーはそれから放課後まで話しかけてこなかった。今日もなんとなく憂鬱だ、だけど、少しだけ晴れやかなのはこいつがいるからだろうか。どうやら、サティーの姿は俺にしか見えないらしい。人にぶつかってもすり抜けるし、何処となく浮いているような気もする。これが幻覚だったら病院行かないとかなとか考える。
「今、失礼なこと考えただろ」
「いや、別に」
どうやらお見通しらしい。病院行っても消えそうにないな、現代にエクソシストとかいんのかな?サティーはじとりと俺を見た。考えていることがバレるのは気持ちいいものじゃないけど、悪魔なら仕方ないのかもしれないと思う。
「……俺の願い、本当は分かってるんじゃないの?」
「分からねえな、お前みたいなクソガキの考えてることなんてちっとも分からん」
嘘つきと俺は内心で呟いた。こいつ、結構、いいやつなのかも。俺は帰宅部だから学校と家を往復するだけだ。また、家に入ってベッドに寝転んだ。気だるい、何かした方がいいけれど何もする気が起きない。本当に生きることは資源の無駄遣いだ。
「お前……」
「なに?」
「死にたいのか?」
「いや、別に、まあ、いつか死ぬしな」
「そんな態度で虚しくねえか、一発パーっとしたいとかないのかよ」
「無理だろ、それは」
俺はため息を吐いて呟いた。
「俺様なら叶えられるかもしれないぞ」
「……無理だよ、そもそもそれって俺なわけ?」
自信満々だったサティーは黙り込んだ。
「本当、可愛くないクソガキだな、俺様まで滅入りそうだ」
そう言いながらもサティーは俺の側にいる。部屋を観察したりしながら、時折、俺の方を見た。もう消えろとは思わなくなっていた。なんとなくこいつとの距離は居心地が良い。



それから数日経って、俺は熱を出した。久々の風邪だ。部屋で布団に包まって耐える。サティーは俺以上になんだかオロオロとしていて、たまに辛そうな顔をした。こいつやっぱりいい奴だな、悪魔のくせに。時折、咳き込む俺の背にサティーの手が触れる。そうすると少し楽になった気がした。学校を休めるのはいいことだけれど、この痛みは好きじゃない。でも、いつもの憂鬱な日々よりマシだった。余計なことを考えずに震えていられるから。
サティーは夜通し俺の様子を見ていた。俺の母親かよと笑うと神妙な顔をする。本当の母親は金だけ置いて滅多に帰ってこないのをもうこいつも知っている。金払ってくれるだけありがたい。俺は無理に笑ってみせた。サティーの手が前髪を避けるように優しく動かされる。それは、何の意味もなかったけれど、なんだか心地よかった。
「なに、俺の、顔、見たいの?」
「ああ」
サティーに言われるまま、前髪を上げる。サティーは俺の顔を見て、やっぱりイケメンじゃねえかと言った。俺はおかしくなって笑った。ああ、こいつ、ずっと居てくれたらいいのにな、俺のそばに。
「それが願いか?」
俺は少し驚いて咳き込んだ。サティーが背中を撫でる。俺は少し怖くなった。サティーがじゃない、こんなこと思う自分がだ。
「ごめん、寝るわ」
「ああ、寝ろ」



翌朝には熱は下がっていて、咳もマシになった。俺はリビングに降りて、冷蔵庫から取り出した水を飲む。喉がカラカラだった。サティーは俺の後ろをついてくる。そして少しホッとしたような顔をした。過保護悪魔と言ってやると、サティーは少し照れたような顔をした。怒ると思ったから珍しくてまじまじと見てしまう。サティーはため息を吐いてすぐに真顔に戻った、残念。残念?何が?自分の思考が少しずつおかしくなっているのを感じつつ日々は過ぎた。



季節は夏を過ぎて秋になった。秋はなんだか寂しいから嫌いだ。今日もサティーとオセロなんかをして遊ぶ。もうこの悪魔は生活の一部になっていた。
「はい、お前の負けー」
「ああ、クソっ、またかよ!」
悔しがるサティーに俺は笑う。そして、ふと思ったことを告げた。
「お前、最近、願いごとがどうとか言わなくなったよな」
「そうか?今でも受け付けてるぞ」
俺はずるいから何も言わない。今のこの状況こそが願ったことであるからだ。
「……だが、まあ、そろそろ潮時かもな」
「は?」
サティーは立ち上がって伸びをした。そして、遠くを見る。
「魔界から帰ってこいとお達しがあった」
淡々と告げられたその言葉に心臓が嫌な音を立てる。
「は、なにそれ」
サティーはじっと俺を見た。それからふと息を吐いて、溢す。
「俺様は元々忙しいんだよ、遊びに付き合ってる暇なんか本当は……ない、はずだったんだけどなあ」
サティーは俺の頬に触れた。俺はそこで初めて自分が泣いていることに気がついた。
「クソガキ、いや、悠、お前は願ったんだろ、日常を壊して欲しいって、それもう叶ったんじゃないのか。魂はいらねえよ、これは俺様のお節介だ、だが、いつまでもこのままってわけにはいかない」
サティーの言葉は別れの予感を伴っていた。俺はサティーに手を伸ばす。触れられないって分かってるのに。
「泣くな泣くな、男前が台無しだろ」
「サティー、俺、お前のこと好きみたい」
サティーは驚かなかった。俺の頭を撫でて仕方ないなって感じで笑う。ああ、この優しさがたまらなく……。
「俺が願ったら一緒にいてくれる?」
「やだね、俺様はお前の魂なんて欲しくねえし」
酷いやつだと思った。与えておいて奪うんだから。
「俺、寂しいと死んじゃうよ?化けて出るよ?」
「ふはっ、お前、可愛くなったな」
「茶化すなよ、本気なんだか、ら……!」
サティーの唇が俺の唇に触れた。感じなくても確かに触れたと分かった。
「なんで、こんなことすんの?置いていくくせに!」
俺は叫んだ。悔しくて悲しくて嬉しくて愛しかったから。サティーが笑う。
「そりゃまあ、俺様もお前のこと憎からず思ってるからだけど……」
サティーが段々と薄くなっていく。ああ、今日なのかと思った。こんなこんな寂しい季節に。俺は目を押さえた。見ていられない。サティーが俺の側で言う。
「辛いなら記憶を消してやる」
「いらない、そんなの望んでない!」
「だよなあ……楽しかったぜ、悠、久しぶりにな」
サティーはそう言って俺の目の前から綺麗さっぱり消えてしまった。気配も感じない。俺は蹲って涙を落とした。恋だった。初めての恋だった。多分。



俺は相変わらず怠惰に過ごしている。ただ違うのはサティーの絵をよく描くようになったことだ。思い出して、思い出しては、輪郭をなぞる。忘れることのないように。きっと一生忘れられない。季節がまた巡った。サティーと出会って一回りした夏が来た。俺は相変わらず、一人でいる。サティーの絵にたまに口付けて、自分を落ち着かせる。ぶっちゃけ気持ち悪い気もするけれど仕方ない。だって、いないんだから。あいつが悪い。今日から夏休みだ。でも、やることなんか何もない。魔法陣を何度か試してみたこともあるけど、サティーはやってこなかった。薄情なやつだ。
サティーのバカ、クソッタレ、初恋泥棒、アホ、出来損ないデーモン……そこまで呟いてベッドに横たわり、目を閉じた。
「散々な言われようだな、それが好きな相手に言う言葉かよ」
俺は思わず飛び起きた。目の前に忘れるはずも無い男がいた。ひょうきんな顔で全くなんてことのないようにそこにいる。俺は目をぱちぱちさせた。夢、じゃない……!
「サティー!」
俺はサティーに抱きついた。触れられないと思ったのに感触があってびっくりした。よく見ると透けていない。実体がある?俺はびっくりしながらもサティーに抱きつく手を強めた。
「いてえ、いてえって!ちょっと落ち着け、バカ!」
サティーだ、確かにサティーだった。
「なんで?なんでいんの?」
「お前があんまりうるせえから戻ってきちまったぜ。実体手に入れんの大変だったんだから、な、っておわっ!」
「サティー、キスして」
「待て待て落ち着け!お前そんな奴だったか?」
「お前が俺を放っておいたのが悪い……初恋は拗らせると怖いんだからな」
「初恋、マジ?俺様がお前の?」
俺は頷いた。サティーは顔を押さえて、参ったなと頬を染めた。俺はそれに愛しくて堪らなくなってしまう。
「サティーも俺のこと好きだろ」
「ああ、好きだよ、ほんとマセガキが……」
そう言いながらも、サティーは俺にそっとキスをしてくれた。少し低い体温が心地良い。俺はもっと、とサティーに言った。サティーは頭を掻いて、あーもう!と言いつつ、キスを沢山してくれた。俺は満たされた気分になって、サティーに抱きついた。
サティーに頭を撫でられながら、ぽつぽつと今までのことを話し合った。これからはどうやらずっとそばに居てくれるらしい。嘘じゃないよなと確かめると、優しく笑う。サティーはずるいと思った。でも、いい、そばに居てくれるなら。
「なあ、実体あるってことは、せ……むぐ」
「お前、今何言おうとした!?」
「だからセックス……」
「あー、あー、まじで少しは慎みを持てよ!?」「だって、人間の寿命なんて短いんだから、こういうのは早い方がいいだろ」
俺はサティーに迫る。サティーは慌てて俺を阻んだ。
「よくねえよ!お前未成年だろうが!」
「キスまでしておいて今更……」
「大人のはしてないからな!」
「じゃあ、今してよ」
「しねーよ、マセガキ」
「なんで、俺魅力ない?」
「そう言う問題じゃねえだろ、はー、本当お前ちょっと見ない間に積極的になったな?」
「サティーのせいだろ……」
サティーはきゅっと顔を歪めた。それ、どんな感情?俺は阻む手を退けて、サティーに迫る。
「サティー、俺の顔好きだろ。知ってるんだからな」
「だから、そう言う問題じゃあ……」
「好き合ってんのに問題ないだろ!」
「大有りだよ!」
「お前人間じゃないんだから尻込みするなよ!」
「あー、あー、もう少しお前が大人になったらな!考えてやるよ!」
「意地悪……」
サティーは、うっと息を詰めた。もうひと押しか?俺はサティーを押し倒す。サティーにキスをしようとして、また手に阻まれた。俺は舌打ちをひとつする。サティーは勘弁してくれと呟いた。
「俺のこと抱きたくないの?」
「だ……お前ほんといい加減にしなさい!」
サティーは俺の両頬を軽く叩いた。雰囲気が台無しだ。俺は拗ねてみせた。サティーは俺の下から抜け出して距離を取る。俺は体育座りをしてつーんと顔を背けた。サティーはそっと俺に近づいてきて頭を撫でる。
「大切にしたいんだよ、分かれ、悠」
名前を呼ぶのは卑怯だと思った。拗ねてみせても、心の尻尾が揺れてしまう。俺はサティーに抱きついた。サティーは抱きしめ返してくれる。
「大人になったら、ちゃんとお前のものにしてくれる?」
「ああ、約束する」
俺はその言葉を仕方なく飲み込んだ。
「でも、キスはするから」
「あー、あー、分かったよ」
そう言うとサティーは身体を離して、俺の手を取って、まるで王子様みたいに手の甲にキスをした。真剣な顔にどきどきする。
「お前は俺のもので、俺はお前のものだ」
その言葉に俺はやられてしまった。やっぱり、大人ってずるい。
「伊達に長年生きてないからな」
そう言うとサティーは笑ってみせた。



日々は続く。サティーがいるだけで曇りも楽しい。まるで、白黒の世界に色がついたみたいだ。俺は最近、色のついた絵を描くようになった。題材は色々だけど、一番はサティーだ。俺はもうなんとなく消えたいとか消えろなんて思わなくなった。サティーがいるならこんな日々も世界も悪くないからだ。俺の願いごとは全て叶ってしまったのかもしれなかった。

「サティー」
「なんだ?」
「好きだよ」
「あー、俺様も……」
「はい、俺の勝ち」
「あ、お前、卑怯だろ、今のは!」
俺は一瞬の隙をついてサティーの操作していたゲームのキャラクターを倒した。サティーは相変わらず勝負事に弱い。俺は楽しく笑う。サティーも呆れたように笑っていた。こんな日々が続いていけばいい。俺は幸せってこういう感情なのかもしれないと思い始めていた。
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