変なホテル

「あああああどうしよう……!仕事が進まない……!」
社会人時代と違って、完全にフリーランスになってしまった今、始業時間も就業時間も自由に決められる小説家という仕事は、想像以上に自分自身を自堕落にさせてしまう。気分転換に外で書いてみようとカフェに行ったり、カラオケに引きこもったりもしてみたが、結局行動に移せないままなのだ。
このままでは締め切りに間に合わない。
頭で話の構成は出来ている。あとはそれを紙なりパソコンになり、文字として出力すれば終わりなのだ。

やらなきゃ。書き始めたら終わるということは知っている。
だが、そんな思いとは反対に、勝手にペンではなくスマホを持ち、特に興味のない動画をボーッとスワイプしてしまう。

そんな時だった。
日本中の面白いホテルを紹介しているインフルエンサーの動画が目に止まる。
「小説家を缶詰めにして、締め切りを急かしてくるホテル」
これだ!!動画内での紹介を見る限り、かなり本格的でまず入り口でスマホやパソコンなど、外部にアクセス出来るものは一切合切没収されてしまう。
一応、小説を打ち込むワードだけが入ったパソコンが各部屋に置かれているらしい。
これだ。もうこれくらい自分を追い詰めないとやっていけない。

早速ホームページから予約をしようとしたが、気になる点があった。
金額がどこにも書かれていないのだ。
さっきのインフルエンサーの動画をもう一度見ようと思ったが、不思議なことに閲覧履歴からも消えてしまっていた。
仕方がない。意を決して電話をしてみると、
「無事に原稿を書き終えた際は、お代は一切かかりません」
とのこと。
ホテルとして身の回りの世話をしてくれ、締め切りを急かしてくれて、おまけに脱稿したら無料……!
そんな至れり尽くせりなホテルがあって良いのか。
もしこのまま脱稿出来なければ、私は小説家としておしまいだ。そのまま2つ返事で宿泊を決めた。

今思えば、どうやってホテルとして採算を取っているのか、もっとよく考え、怪しむべきだったと後悔することになる。

「お待ちしておりました。琴平文音様ですね。ホテルアイアイエーにようこそ」
「……本当に宿泊料、無料になるんですか?」
「はい。お電話でお話した通りでございます。
ただし、原稿を無事に書き終えれば、のことですが」
どこか含みを持たせた声色が気になりつつも、紹介通りスマホとパソコンを没収され、ほとんど身1つで部屋に案内された。

「何かお調べものがございましたら、受付カウンター、または地下に図書館がございますので、何なりとお申し付け下さい」
きっちり45度のお辞儀をして、従業員は部屋を後にした。

「……けっこう広いなぁ」
てっきりビジネスホテルくらいの部屋の広さだと想定していたが、案外広々とした部屋だった。
ふかふかのベッドに大きめの机。
部屋に向かう道中の説明では、ご飯は24時間対応で、電話での注文が可能。
種類豊富な飲み物、お酒までもが頼み放題だという。
こんな素敵なところ、本当に無料で泊まって良いのだろうか。
不思議に思いながらもまずは腹ごしらえだよね、と電話横にあったメニューを取ろうとしたところだった。

パサリ

ホテルによくある備え付けのメモ帳が落ちてしまった。
拾い上げると、たまたま開いていた場所に、走り書きの文字があった。

早く逃げろ ブタになる

確かに。ホテルから出られないんじゃあ、運動不足で太るかも。
長旅で疲れているところだから、ガッツリしたものを食べたかったが、カロリーが低そうなものにした方が良いかな。
改めてメニュー表を広げ、一番に目に入ったハムカツやとんかつ定食を避けてサラダとサンドイッチを頼むことにした。
「これを食べたら頑張るかー!」
程なくして、食事が届いた。
パンから手作りしているらしい。バターがしっかり塗られており、ハムとマヨネーズというシンプルな味付けながら、とても美味しい。
「美味しい……!サンドイッチでこれなら、他のメニューも気になるなぁ」
再びパラパラとメニュー表を捲っていたが、ふと我に返った。
「危ない危ない。原稿ヤバイんだってば」
慌ててお皿を下げてもらい、パソコンの電源を入れる。
たしかにワードしか入っていない。Wi-Fiも繋がっていない。ただの文字を入力するだけの四角い箱だった。

「えーっと」
連載中のおいくらですかの原稿は、私が落としてしまえば作画担当の先生にも迷惑をかけてしまう。
何としても、書ききらねばならない。
だがしかし、私の思い描いているこの話は、果たして本当に面白いのだろうか。
ワードを開き、文字を打とうとした指がピタリと止まる。
「……図書館に行ってみよう」
そうだ。ネタ探しのためにも、このホテルを散策してみよう。
庭には綺麗なお花、池には魚が泳いでいる。
美しい風景に癒されながら歩いていたが、
どこからか豚の鳴き声が聞こえてくる。
「……近くに牧場でもあるのかな?」
案内された時にはそんな説明はなかったから、恐らくホテルの施設とは関係ないのだろう。
牛の乳搾り体験とかも、いつかしてみたいなぁと思ってたんだよね。
今度行ってみよう、と考えつつ図書館に向かったが。
「……ここ、本当にホテル内の施設なの?」
大阪府立中央図書館に匹敵するのでは、と思うほどの広さと蔵書の数。
そして隣接されたカフェ。
完全に別世界が広がっていた。
「ちょっとテンション上がるなぁ……!」
吹き抜けの天井には、青空が広がっていた。
「……?今何時なんだろ」
確かホテルのチェックインは15時。
そこから小腹が空いて、サンドイッチを食べた。
しかし、太陽は真上でさんさんと照らしている。
見渡してみても、ホテルの部屋にも、時計はなかった。
(……このホテル、何かがおかしい……!)
思えば、この図書館にも道中にも、1人も利用客を見かけていないのだ。
血の気がサーッとひいていくのが自分でも分かる。

とんでもないところに来てしまった。
すぐに荷物をまとめ、受付に向かった。
「ごめんなさい急用を思い出したので、チェックアウトします」
「原稿は終わりましたか?」
受付の女性がにこやかに尋ねる。
「……あ、えと、その、そういう事言ってる場合では」
「完成するまで、ここから出すわけにはいきません」
「あ!お金!お金払いますから!!」
「いいえ。お客様、完成させなければ、ここからは出られません」
「えっいや、ちょっと!離して!離して下さい!!」
ホテルマンに強引に手をひかれ、自室まで戻されてしまった。
「……どうしよう」
ケータイもPCも、外部への連絡手段はない。
そうだ。
ホテルの備え付けの電話。ここから電話すればーそう考えた瞬間、プルルルルルと電話が鳴った。
「……はい」
「お客様。説明し忘れていたことがございました。
部屋の電話ですが、こちらはホテル内の内線専用となっておりますので、外部に繋げることは出来かねます。ご了承下さいませ」
「……そうですか」
「ご不便おかけしますが、これもお客様の原稿のためですので。失礼致します」
ガチャ

なんという完璧なタイミングでの電話。
ふと、先ほど目にしたメモ帳の言葉が頭をよぎる。

早く逃げろ ブタになる

先ほど見たメニュー表をもう一度見てみる。
角煮、豚肉のコロッケ、しょうが焼きetc……
「豚肉料理しかない!!」
あれは、比喩表現でも何でもなかった。
じゃあ、私が最初に食べたサンドイッチの……。
いやいやいやいや。考えすぎだ。
事実は小説より奇なりとはいうが、人間が豚になるなんてそんな、どこぞの映画の話じゃあるまいし。
小説家の悪い癖だ。職業病だ。
書き上げちゃえば、お代はいらないホテル。
そして私は締め切りに追われている小説家。
小説さえ書き上げてしまえば、ここから出られる。
意を決してパソコンを開いた。
もう逃げない。ちゃんと書き上げよう。
私の作品は、いつだって面白いのだから。
雑念を払うように頬を叩いて自分を鼓舞した。

数時間後、無事に原稿を書き上げ、ホテルアイアイエーを後にした。
何となくこわくなってしまって、せっかくの食事も楽しめる気になれず、ほとんど寝ずに書き上げた。
人間、本気でやれば出来るもんなんだな……。
本当にお代はいらないと言われてしまい、無事にスマホもパソコンも返ってきた。

私はスマホの電源を着け、日付を確認し、静かにスマホを落としてしまった。
「そんな……あのホテルに泊まってから、1週間も経ってる……!」
私の体感では1泊のはず。何かの見間違いだ。
深呼吸をして、スマホを拾い上げる。
けっこうな勢いで落としてしまったが、幸い画面は割れていなかった。

もう一度、薄目を開けて確認する。
編集担当者と作画担当の先生からの鬼電と心配のメール。
家族からのLINE通知。
私は急いで、各方面に謝罪のメールと電話を入れた。

「いやー。変なホテルに泊まってしまって。大変だったんですよ」
1週間の行方不明で世間を騒がせた彼女の心労は計り知れない。
「まぁ、おかげでその時の体験談を本にしたら、重版も決まって良かったんですけどね」
「君、意外と商売根性あるんだね」
「まぁ、曲がりなりにも大阪出身ですし。そういうところはあるかもしれません」
「そのホテル、もう一度泊まりたいかい?」
彼女は少し考えて言った。
「いいえ。もう一回はごめんですよ。今度からはちゃんと、いつも通り毎日コツコツ書くことにします」

彼女は編集部の中でも真面目で筆が早く、心配性な性格から、本来の締め切りよりも、自分で更に短縮した日程の締め切りを設けていることで有名だという。そのおかげもあってか、1週間の失踪事件があっても原稿は落とさずにすんだようだ。
原稿を書き上げないと出られないホテル。
そのホテルから無事に人間として出られたのは、彼女の責任感の強さと性格が幸いした結果だろう。
後日、話を聞いた編集部も僕も、日本中のホテルを調べたがそんな名前のホテルも、プランも存在しなかった。

アイアイエーといえば、ギリシャ神話のキルケーという魔女が住んでいる島の名前だ。
そして、彼女の献身的な態度に絆され、堕落した結果、彼女によって豚にされる。
まさか。僕も漫画家として、考えすぎかもしれないが。そのホテルに行く機会があれば、ぜひとも行ってみたいね。
電話越しだったので、彼女を読むことが出来なかったのが残念だ。代わりに、彼女から届いた新作の小説を開くことにした。
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