第二部(現代)
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剣道部の練習を見に行ってから数日。
勉強だけでは思ったよりも時間が経過しないことに気付いてしまった。
授業の進捗は把握した。
翌日の予習まで完璧だ。
それでも、時間が余ってしまう。
家に帰ってだらだらと時間が経つのを待つだけの生活は、豊かな人生を築く上ではあまり良くない、と思う。
しかし、これといった趣味はないし、入りたい部活も特にない。
「今日の分も終わってしまったわ……」
放課後、1人教室に残って明日の予習を終わらせてしまう。
最終下校時刻まであと2時間もある。
現状、早く家に帰って悪いことは何もないのだけれど、どうしてもギリギリまで学校に居残るクセが抜けない。
「……うーん……」
1人で唸りながら体を伸ばす。
すると、不意に教室のドアが開いた。
「?」
「あれ、出雲ちゃんまだ残ってたの?」
「ええと、同じクラスの……」
名前は何だったか。
「竹内だよ、竹内。忘れ物してさあ〜」
竹内はヘラヘラと笑いながら、自分の席の引き出しを漁る。
「あったあった。出雲ちゃんは何してんの?勉強?」
「ええ。明日の予習をしていたの」
「へえ〜。出雲ちゃん頭良さそうだもんね。俺も結構いい方なんだけど」
「そうなのね」
そう言いながら、竹内は私の隣の席、斎藤の席に座る。
「……?帰らないの?」
「そんな釣れないこと言わないでよ。俺だって出雲ちゃんと話したいのに」
妙に言い方が引っかかる。
「出雲ちゃん、斎藤にベッタリなんだもんなあ」
「そうかしら?永倉先生から私のことを任されているから、私も頼りやすいのよね」
「そっかそっか。じゃあ、今度からは俺のことも頼ってよ」
「え?」
「俺からこう言えば、俺のことも頼りやすいでしょ?」
「……まあ、他の人に比べればそうだけれど」
「でしょ?仲良くしようね」
竹内は友好的な笑みを浮かべて、手を差し出してくる。
「……ええ」
握手をする。
手を離そうとした時、竹内がガシッと私の手を掴んできた。
「っ?」
「でさ、俺ずっと聞きたかったんだけど、出雲ちゃんって斎藤と付き合ってんの?」
「いえ、付き合っていないわ。付き合っているわけないじゃない。会ったばかりなのに」
「だよね〜」
掴む力が強い。
「じゃあ俺と付き合ってほしいな」
「……はい?」
「斎藤とは付き合ってないんだよね?彼氏は?いる?」
「いないけれど……」
「じゃあ問題ないじゃん!俺と付き合わない?」
「わけがわからないわ。私、あなたのことよく知らないし」
「付き合ってから知っていけばいいでしょ?出雲ちゃんが編入してきた時から、ずっと気になってたんだよね」
この目。竹内が私を見るこの目を、私は知っている。
「美人で、頭が良くて、愛想もいい。おまけに、あの土方先生も認めるくらい強いんだって?最高じゃん」
私を、自分のステータスとして隣に置いておきたい。
そういう価値を見出している目だ。
「俺さあ、完璧な彼女がほしいんだよね」
「……愛がないわ」
「愛は後からついてくるでしょ。ねえ、ダメ?」
竹内は席から立ち上がり、徐々に距離を詰めてくる。
「困る。離して」
「え〜?どうして困るの?俺、彼女には優しいよ?」
「ちょ、」
手を離したかと思った次の瞬間、肩を掴まれる。
「ひっ!」
反射的に体が強張る。
前世だったら絶対こんなことないのに、幼少期からの刷り込みか、体を突然触られたり、大きな声を出されると体が強張って動けなくなってしまう。
「ひって。傷つくなあ。……ねえ、土方先生が認めるくらい強いのに突き飛ばさないってことは、脈はあるって思っていいの?」
竹内がニヤリと笑う。
「ちがう……」
自分の口から出た声は、驚くほど小さかった。
「なあに?聞こえないよ〜」
竹内はどんどん体を寄せてくる。
「っ!」
完全に体が緊張しきっている。
動けない……!
「ていうかさあ、ずっと気になってたんだけど、出雲ちゃんって何でずっと冬服なの?」
「えっ」
「もしかして、何か秘密があったりして〜?」
竹内が、ボタンに手をかける。
「やだ……」
言うことを聞かない体で、この状況。もう私は目を瞑ることしかできなかった。
「!」
ガラガラという音がして、ハッと目を開けると、教室のドアのところに、斎藤が立っていた。
斎藤は私と竹内の様子を見て、一瞬目を見開き、そこから一気に鋭い目つきになった。
「何をしている、竹内」
「何って、見てわかるでしょ。わかんないか。斎藤はこういうの疎そうだもんね」
竹内は、私の表情が斎藤に見えないように、前に立ち塞がる。
「今いいところなんだよね。邪魔しないでくれる?」
「……風紀委員として見過ごすわけにはいかない。直ちに彼女から離れろ」
「……」
竹内は肩を竦める。
「堅いなあ。じゃあ、また明日ね出雲ちゃん」
竹内は私の頭をポンポンと撫で、荷物を持って去っていく。
竹内の姿が完全に見えなくなってから、体の力が一気に抜け、それと同時にガタガタと震え出す。
「あ、あれ?ごめんね、斎藤……。風紀、乱したかなぁ……はは……」
「大丈夫か、出雲」
斎藤が近寄ってきても、体の震えは止まらず。
斎藤にすら恐怖心を抱く始末。
「っ、すまない。怖がらせるつもりはなかったのだが……」
斎藤はスッと膝をつき、私より下に目線を下げる。
「ううん……」
「竹内は……校外で女癖が悪いという評判があってな。何かされなかったか?」
「なっ、何も」
握手をしただけ。肩を掴まれただけ。実害が出る前に斎藤が来たし、何かされたというほどされたわけではない。
「……体が強張っている」
「!」
「手を握られたのか」
「あ、握手を、しただけ……」
「俺が入ってきた時、肩を掴まれていたな」
「つ、掴まれただけ、だし」
「それでも、出雲は嫌だったのだろう?それは"何かされた"ということだ」
「……」
斎藤は無理に距離を詰めてこないし、触れてこない。
話をする時も、私と目線を合わせて、私の目を見て、私の話をちゃんと聞いてくれる。
前世からの想いを引きずっているのかもしれないけれど、私は今世の斎藤も、好きだ。
「怖かった、のだろうな」
斎藤の優しい言葉に、涙腺が緩む。
「!?」
私の目が潤み出したことに気づき、斎藤が慌て始める。
「ど、どうしたら……。俺に何かできることがあれば、何でも言ってほしい」
「……先生に、言われたからって、そんなに気にかけてくれなくてもいいのよ。今は、話を聞いてくれるだけで十分」
斎藤に前世の記憶がない以上、恋情からではなく先生に言われたからであることを履き違えてはいけない。
これ以上、斎藤に甘えすぎるのは良くないから。
「……」
斎藤は少し沈黙し、目を少し逸らしながら言葉を紡いだ。
「いや……」
「?」
「実のところ、今日ここへ来たのも、もしやあんたがまだ残っているのではと思ったから、なのだ」
「え?」
「いつもノートを広げていたから、勉強をしてから帰っているのだろうと……」
斎藤、そんなに気にかけてくれていたのか。
「それで、その、気分転換にまた剣道部を見にこないかと誘いに来たのだ」
「そう、なの。ありがとう……」
「だがこれは、永倉先生からの指示で動いたわけではない。そのような指示を受けずとも、俺は、その、あんたのことを気にかけている」
「……?」
「だから、ああ、何が言いたいのだ俺は。つまりだな、永倉先生に言われたからあんたのことを気にかけているのではなく、俺の意志で、あんたのことを気にかけているということだ」
「!」
「だから、あんたが泣いてしまうほど辛い今、俺にできることがあれば何でも言ってほしい。……竹内からあのような好意を向けられた後で、こういう言い方は良くないかもしれないが」
斎藤は、顔を上げて私の目を見た。
「俺は、あんたのことを少なからず好意的に思っている」
竹内のアレは、好意というより支配欲だ。
でも斎藤のそれは、本当に好意。
前世の記憶がなくても、斎藤は私に好意を抱いてくれたのか。
「ありがとう……」
なんだかそれだけでも救われた気がして、一気に肩の力が抜けた気がした。
斎藤は、私から頼られるのを待ってくれている。
「……手を握っていてほしいわ。落ち着くまででいいから、少しだけ……」
「ああ」
斎藤は私の手を優しく包むように握ってくれた。
緊張で冷え切っていた私の手から、斎藤の体温が伝わってくる。
なんて、心地のいい。
「……うん。もう大丈夫」
斎藤から少し熱を分けてもらって、私はすっかり落ち着きを取り戻した。
「ごめんね、心配かけて」
「謝ることはない。あんたは何も悪くない」
さて、と立ち上がろうとすると、斎藤がギョッとする。
「あんた、」
「えっ」
そういえば、胸元のボタンを外されていたのだった。
慌てて元に戻そうとすると、ボタンが開いた微かな隙間に、傷痕が見えてしまっていることに気づく。
「……見えた?」
「……」
ボタンを直しながら問うと、斎藤は気まずそうに目を逸らした。
「まあ、斎藤には迷惑かけちゃったし、いいか。私が冬服を着てる理由はこういうことなの」
袖口を捲って見せる。
「見て気持ちの良いものでもないけれど」
腕にも、痣や傷痕が残っている。
「こういうの、見えたらみんな気を遣っちゃうじゃない?だから、私夏服は着れないの」
私服のときも、薄手のカーディガンとか、日焼け防止のアームカバーとか、そういったものでどうにか誤魔化している。
肩が出た流行の服も着れない。
「……痛かっただろう」
斎藤は、深くは追求してこなかった。
ただ、その一言だけ。
同情しているというよりは、斎藤自身が苦しそうだった。
「そんな顔しないで。もう過ぎたことだし、今は芹沢さんが良くしてくださっているから」
「そうか……」
斎藤の難しい顔は、校門で別れるまで、結局直ることはなかった。