第一部
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「……」
私は今、籠の中にいる。
こうして本格的に外へ出されたのは初めてのことだった。
というか私は、これから外部へ追い出される手筈となっている。
世話役の美津が、そう言っていた。
「千代、これからあなたはこの城を離れることになりました」
「?」
「幕府はもう、あなたのことを囲っている場合ではなくなったのです」
「……」
「わたくしも、あなたの世話役の任を解かれました」
「そう……良かったわね」
「……当初は、鬼の世話役など誰がするものかと思っておりましたが、わたくしは千代に仕えられたこと、幸せに思います」
「美津……、今までありがとう。長生きするのよ」
おそらくあれが、美津との今生の別れだろう。
癇癪を起こしていた幼い私を、よく世話してくれた美津。
成長してからは、彼女を自分に縛り付けているのが嫌だった。
でも私には彼女に暇を出す権利はなかったから、これで彼女が自由になって健やかに生きてくれたらいいなと思う。
「おひいさん、気分は悪くないですか?」
「ええ、大丈夫。……あなたからのその呼び方も、今日で終わりね左近」
そんな呼び方をするのは左近だけだ。
こんなに醜い足の姫がいてなるものか。
異国ではこの足が美しいと評されていたようだけれど、それも随分前のことのようだし。
「はは……」
左近はいつもより元気がない。
「なあに?空気が暗いわね」
「……いいえ、今日はおひいさんの喜ばしい門出の日ですからね!」
喜ばしい門出。本当にそうだろうか?
私はこれからの行き先を知らない。左近がそう言うということは、今よりも酷い環境に連れて行かれることはないだろうが。
「そうなの?あなたがそういうのなら、そうなのでしょうね」
「そうですよ!……あ、着きました」
籠の戸が開く。もう日は暮れていた。
「お体、失礼しますね」
「ええ」
いつものように、左近が私を腕に抱える。
つくづく、この醜い足は不便だ。
「ここは……?」
そこは、寺のようだった。
ここへ来る前に松平という男と会ったけれど、主に話をしたのは幕府の使いだったから、話の内容はわからない。
その松平と関係のあるところだろうか。
「”新撰組”です。おひいさんがこれから過ごすところですよ」
「……聞いたことはあるわ。松平様の、お預かりというのだったかしら」
「そうです!おひいさんは博識ですね」
「左近と美津が私にたくさん聞かせてくれたからよ。おかげで仕置きの回数も最後は随分と減ったわ」
「……」
幕府にとって使える駒であり研究材料であった私は、教養も必要とされていた。
どれだけ虐げられていても、やはり死にたくなかった私は、左近と美津に話を聞いたり本を読んだりして精一杯勉強したものだ。
「お初にお目にかかります。松平公より姫様の護衛の任を賜りました、新撰組局長、近藤勇と申します」
出迎えのように門で待ち構えていた男が、スッと、私に頭を下げる。
こんな出迎え、今までなかったし、それに護衛……?
「おひいさんはこれからこの新撰組で守られながら暮らすんですよ」
「……は?」
「中へどうぞ。皆、姫様のお越しをお待ちしております」
事情はわからないが、ひとまず私が状況を把握するまで左近はいてくれるようなので、言われるままに中へ入る。
広間へ通されると、そこにいた数人の男たちが私に向かって頭を下げた。
「面を上げて。そうかしこまらなくていいから」
私はそのような身分ではないし。
幕府によって囲われて良い駒として扱われていただけで、姫なんて綺麗なものじゃない。
周囲の目や鬼からの復讐を恐れて世話役をつけられたり、着物を何枚も着せられたりしていただけ。
「お初にお目にかかります。新撰組副局長、土方歳三です」
それから一人一人の挨拶を聞いた。
最後に、左近が私の挨拶を促す。
「足が不自由ゆえ、このような体勢ですみません。私は出雲千代。恥ずかしながら何も聞かされていないので、まず状況を整理させてもらうわね」
左近、近藤、土方、この場にいる人間を1人ずつ見る。
「お話を聞く限り、つまり私はこの新撰組でしばらくの間過ごす、ということよね、左近?」
「左様です、おひいさん」
「そして皆さんは松平様からの命で、私の護衛兼世話役となったと」
「その通りでございます」
「見たところ、男性の方しかいないようだけれど、湯浴みも皆さんが?」
「いえ、それは……」
近藤がチラリと左近を見る。
何かお上に隠していることがあるのか。
「この者は信用していいわ。余計なことは、聞かれないと上に報告しないから」
こくり、と左近が頷く。
「実は、少し前からうちで匿っている少女がおりまして、その者が担当することになっております」
「そう……面倒をかけるわね」
状況はだいたい読めた。
私はつまり、戦場に送り込まれたわけだ。
鳥羽伏見の戦いに負けてから幕府の調子が良くないことは知っている。
その上でついに上手く処理されてしまうということ。
散々外でいいように扱い、実験のために傷つけ、挙句の果てに斬り殺したとなっては幕府の評価はさらに急降下するだろうし、聞きつけた鬼の一族を敵に回しかねない。
敗戦した今、新たな敵を増やすのは得策ではない。
だから、実験も何もしない遠方へ飛ばす代わりに、戦の最前線となるこの新撰組と行動を共にさせ戦死させようという魂胆だろう。
「おおよその状況は把握したわ。幕府から新政府軍の甲府進軍を阻止する命もあるのに大変ね」
左近はおそらくこの裏事情に気付いていない。
松平はわかっていたかもしれないが。
「それでは、ここで生活するにあたっていくつかお願いをしてもいいかしら」
「はっ」
「まず一つ、その恭しい態度を止めること」
「えっ、しかし」
「私、皆さんが思っているような良いところの姫ではないので。そもそも姫ですらないので。おひいさん、というのは左近が勝手に読んでいるだけで深い意味はないし、松平様からどのような話を聞いているか知らないけれど、頭を下げられるような良い暮らしはしていないわ」
皆、目をぱちくりさせながら聞いている。
「それからもう一つ、私は足が不自由で歩くことができないの。だから通りかかった誰かに運搬を頼むかもしれないから、それだけはお願いね。緊急時には自分で移動をするけれど、品のない移動方法だから、見て見ぬふりをして」
「お、おひいさん……」
「そして最後、私は残念ながら人間ではないわ」
「!?」
「え、おひいさ───」
「いいのよ左近。どうせいつか知られてしまうのだろうし。それなら初めから言っておいた方がいいわ」
「お、恐れながら、」
「恐れなくていいわ。普通に話して」
「は、わ、承知した。その、人間ではない、というのはどういうことで、だね?」
「近藤は一度決めた態度を変えるのに時間がかかる性質なのね。まあいいわ。その言葉の通り、人間ではないの」
「……じゃあ、あんたは一体なんなんだ?」
土方はすぐ対応できる性格か。
「鬼よ」
「「「!」」」
と言ってもわからないでしょうけれど、と付け加えるよりも前に皆の顔に緊張が走る。
「鬼を、知ってるの?」
山奥で暮らしている者がほとんどで、町に出てきても正体を明かすことはないから、知っているはずがないのに。
「皆さんが研究してる”羅刹”とは別物ですよ」
左近が横から情報を付け加える。
羅刹、という言葉は知識としてはわかる。
でも、その研究を彼らがしていることは初耳だ。
「そうね。あれもまた鬼の一種ではあるけれど、私とは全くの別物だわ」
「ええ……、わかってい、るよ」
「ではどういうことなの?普通に生活していれば、鬼と出会ってその正体を知ることなんてあるはずがないのだけれど」
皆が目配せをし、1人が失礼、と言って席をたった。
少しして1人の少女を連れて戻ってきたが、襖を開けて入ってきた瞬間に、わかってしまった。
「なるほどね……」
「え?え、おひいさんどういうことですか?」
「あの子、鬼だわ」
「!」
鬼同士、特に純血が相手であれば近づけば鬼であることがわかるとは聞いていたけれど、こんなにもはっきり感じ取るなんて、彼女は純血なのだろう。
「は、初めまして。雪村千鶴と申します」
少女は恭しく頭を下げる。
「雪村……?」
鬼で、雪村。しかも名前に”千”が入っている。
「待って……雪村、千鶴ですって?」
「は、はい」
頭がひどく痛む。
「おひいさん!?」
左近が傍に寄り、私の肩を支える。
「大丈夫よ。……あなた、雪村千鶴、そう言ったわね」
「はい……」
「あなたこそ本物のお姫様じゃないの……」
「えっ?」
「まああなたの歳では覚えていないでしょうけど、私は分家の出雲で、あなたは本家の雪村でしょう?しかも千鶴で女ってことは、本家で重宝されてた女鬼ってことじゃない……」
彼女は雪村家一帯が襲撃された際にはもう生まれていたはず。
そして経緯はわからないが、どうにか生き延びたところを誰かに拾われでもしたのだろう。それこそこの新撰組とかに。
「よく生きていたわね。あなたは何のことかわからないかもしれないけれど」
彼女はやはりキョトンとした顔をしていたが、それでもそう言わずにはいられなかった。きっと彼女も苦労したはずだから。
「差し支えなければ、あなたがここで暮らすことになった経緯が聞きたいわ」
そう言うと、彼女は気にする様子もなく全てを語ってくれた。
鬼だということを最近知った、という話には少し驚いたけれど、保護者が何も言ってくれなかったのでは、まあそうなるだろう。
「雪村鋼道ねえ……聞き馴染みはないけれど」
私も幼かったし、覚えていないだけでそんな人間もいたのだろう。
「まあ、あなたが私の世話役だなんて何だか申し訳ないけれど、これからよろしくね」
「!はい!」
彼女は年上には敬語が普通のようだから、もうそこは訂正しなくていいだろう。
「さて、左近。随分と長くあなたを留まらせてしまったわね」
「いえ!少しでも長くおひいさんといられて嬉しかったです」
「そう。私もあなたが残ってくれて少し心が落ち着いたわ」
「おひいさんはいつでも落ち着いてるじゃないですか」
「最後に見送りがしたいわ。門まで連れて行って」
「!はい!」
左近に抱えられる、最後だ。
「中へ戻るまで運んでくれる人はいますか?」
皆が互いを見合う。
「それならあんたと体格も近い俺が行こう」
名乗りをあげたのは原田だった。
「助かるわ、ありがとう」
門を出る手前で、左近は私を原田に渡す。
「おひいさんのこと、よろしくお願いしますね」
「ああ」
「左近、こちらへ」
「?なんですか?」
顔を近づけてきた左近を、私は上体で抱きしめる。
「!」
「今までありがとう。あなたのおかげで、私はこんな足でも色んなところへ行けたわ」
「こちらこそです、おひいさん」
何年もの間、私を抱え上げてくれた左近の手が、私から離れていく。
「おひいさん、今度こそ、お幸せに」
本来の幸せは、きっと手に入らないけれど、左近と、美津と、出会えたことは私にとっての数少ない幸せだった。
「左近もね。私より長生きするのよ」
左近とはこれで今生の別れだ。
運命のような何かが働かない限り、美津とも左近とももう会うことはない。
「戻りましょう、原田」
「……おう」
それからは部屋や屯所内の案内をしてもらった。
私の部屋は、隊士の部屋から遠く、幹部の部屋から近い位置にあり、何かあった時に必ず誰かが駆け付けられるようになっていた。
そして案内の最後に鈴を渡され、用事があればそれを鳴らすように言われた。
基本的には1人で部屋の中やその周辺で過ごし、何かあれば人を呼ぶ、ということだ。
美津や左近のように常にどこかしら近くに誰かがいるというわけではない。
「わかったわ。説明ありがとう」
「他に何か聞きたいこととかあるか?」
藤堂は当初の恭しい態度とは一転して、とても距離感の近い雰囲気になった。今もおんぶされているし。
「今羅刹になっているのは誰なの?」
「!」
羅刹計画には新撰組の幹部は含まれていなかったはずだけれど、藤堂からは人間とは少し違う気配がする。
「……俺と、山南さんだ」
「そう……それじゃあ甲府へは皆さんと一緒に行けないのね」
「結構言うなあ。けど、ここでただボーッと留守番してるわけじゃねえからな。千鶴も守んなきゃいけねえし、お前のこともあるしな!」
「頼りにしてるわ。護衛対象が私と千鶴なら、私たちを同じ部屋にした方が効率がいいわね。後で千鶴に相談しにいきましょう」
「まあ確かにそうだな……俺も後で土方さんに言っとくよ」
私を部屋の布団の上に下ろし、藤堂は足早に去っていく。
私は早速呼び鈴を鳴らして、千鶴を呼びつけ、藤堂と話していたことを伝えた。
「用事があるときはもちろんあなたも一緒に出かけたらいいけれど、この屯所内にいる時は私を一緒に固まって居たほうが守りやすいと思うの」
「そうですね……そうします!」
千鶴が部屋の片付けに行ってから、幹部が忙しい合間を縫って1人ずつ私に会いにきた。挨拶と、鬼やこの足についての質問がほとんどだったけれど。
「あなたで最後ね、斎藤」
「……そうか」
斎藤はあまり口数が多い方ではなく、他の者たちと違って自分からあまり話をしなかった。
「改めて、三番組組長、斎藤一だ。以後よろしく頼む」
「ええ、こちらこそ」
「……」
「……」
沈黙が流れる。
ようやく口を開けたと思った斎藤の言葉は、意外なものだった。
「あんたは、どうして笑っているんだ?」
「え?」
「その……屯所へ来てから、ほとんど表情が変わっていないだろう」
鬼であることや足の変形について聞かれることがほとんどだったから、少し意外だった。
それも、無口であまり表情の変わらない斎藤に、表情が変わらないことを指摘されるなんて。
「あなたもじゃない」
「……俺のことはいい。俺はそういうのがあまり得意ではないんだ」
「そう。まあいいけれど。私のこれは、笑っていないと鞭で打たれるからよ」
「!?誰だ。誰があんたにそんな仕打ちをする?」
斎藤の眼光が一気に鋭くなる。
「ああ、ここではなくて。城に囲われていた頃にね。笑うこともできんのか!ってよく怒られていたのよ」
「……幕府の傘下に属する新撰組では信用できないかもしれないが、ここにあんたを鞭で打つような人間はいない」
「!……ええ、そうね。でももう、張り付いてしまって……。もう戻し方がわからないのよ」
「……不躾なことを言った。すまない」
「気にしないで。そういうところも気にかけてくれたみたいで、嬉しかったわ」
それから何か話が続くわけもなく、斎藤は去っていった。
あの男が一番不思議だったな。
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