適切な距離感
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「は?海?」
目の前にいる男は、私が今付き合っている恋人。
珍しく長続きして、数日前に付き合って2ヶ月を迎えた。のだが。
「……うん。海、行かない?」
「……あのさ。私が日焼けしたくないの知ってるよね?」
「うん……。でもリン、別に海は嫌いじゃないでしょ?」
「そりゃあそうだけど……」
思わず手で顔を覆う。
2ヶ月。結構順調にいってたと思ったのに。
日焼けが嫌だから、日差しが強いところや日焼け止めが落ちるところは行かないから、そう言って付き合い始めた相手だった。
「じゃあ行こうよ、海。ほら、最近の日焼け止めはウォータープルーフとかあるじゃない」
「ウォータープルーフ信じすぎでしょ……。いい?知らなかったかもしれないけど、日焼け止めにも限界があるのよ。いくらウォータープルーフだって言っても、あんな日差しに晒された場所で完全に紫外線を防げるわけないでしょう」
普段からサプリメントを飲んで、日焼け止めを塗った上でアームカバーをして日傘をさしている私が、海など行きたいと思えるはずがない。
「……じゃあ、泳がなくていいから。パラソルの下でくつろぐのでもいいからさ、海行かない?」
「……え、なんかそんなに海に行きたい理由でもあるの?」
「せっかく夏だし……」
まさか、夏っぽいことがしたい、とか、その程度の理由か?
「夏感じるの、かき氷とか冷やし中華とか食べるのじゃダメなの?」
「食べ物ばっかりじゃん……」
「何が不満なのよ。ただ海ではしゃぎたいだけなら、私じゃなくてお友達と行ったら?一緒に行ったところでパラソルの下にいるだけなら、私は海に行く理由あんまりないし」
「……」
彼が黙り込んだところで、ああ、もうダメかなあと予感する。
「私、付き合う前に言ったよね?日焼けしやすい場所や日焼け止めが落ちやすいところには行きたくないって。だから今までデートは映画館とかショッピングだったじゃない」
今まで、気を使ってくれていたのに、どうして急に使えなくなったのか。
「どうして急に海とか言い出したのよ」
「……そろそろ、いいかなあって……」
つまり彼は、私が彼と親しくなっていけば日焼けなんて気にせず外で遊ぶようになると思っていたようだ。
目の前で引くほど日焼け対策を行ってきたと思うのだが、彼には見えていなかったのだろうか。
「ごめんね。悪いけど、私が「もういいや」って思えるようになるまではこれはやめられない。あんたといくら親しくなったところで、私は変わらないわよ」
2ヶ月と少し。
私なりに彼と楽しくやってきたつもりだったが、もう無理だな。
海やら山やら川やらが原因で別れるの、これで何回目かなあ。
「……別れましょうか」
「!」
海の話題一つ出しただけで、別れ話。
相手も、付き合ってられないと思ったのだろう。
特に反論もなく、小さな声で「そうだね」と言った。
「2ヶ月間、結構楽しかったわ。それじゃあ、元気でね」
「うん。リンもね」
別れはいつも、あっさりしている。
本当に好きだったのかと、自分自身にも、相手にも、問い質したくなるくらい。
彼と別れて、そのまま日傘をさしながら彼の大学の中を歩く。
もうここに来ることはないだろうと思いながら、少し木陰のベンチに座って休憩していた。
また別れてしまった、と落ち込みながら俯いていると、ふと頭上から声がした。
「あの、大丈夫ですか?」
声とともに、私に向けて水が差し出される。
「よければこれ飲んでください」
熱中症になったとでも思われたのだろうか。
「……えっと、」
「あっ。すみません、なんか辛そうだったので、つい」
「……いいえ、ありがとう」
かなりの好青年。
精神的に調子が悪い時に優しくしてくれた人には、縋りたくなるものだ。
「では、俺はこれで───」
立ち去ろうとした青年を慌てて呼び止める。
「待って」
「?」
「もし君に時間があるのなら、私の話を聞いてくれない?」
青年はキョトンとした顔をして、少し携帯をいじってから、意外にも「いいですよ」と笑顔を返してくれた。
「君は優しいね」
「なんか、ワケありな感じだったので、俺でよければ」
「ありがとう」
それから私は今日の彼のことだけじゃなく、過去の恋人たちのこともその青年に話した。
付き合って早々に山に連れて行こうとした奴、サプライズとか言って川に連行した奴、やたらとプールに誘ってくる奴、私が断ったことに拗ねて浮気した奴。それから今日の彼。
「なんでみんなあんなに海やら山やらが好きなのかしら。デートの行き先なんて屋内でたくさんあるじゃない!……って、いつも思うのよね。でも付き合う相手は大体アウトドア派だし……」
「日焼けするのが嫌ってなると、アウトドア系は全部地獄ですよね」
「そう!そうなの……。嫌いなわけじゃないんだけどね。日差しが嫌なだけで……。あ、タメ口でいいわよ。私もタメ口で話しちゃってるし」
「いや、そういうわけには……。多分そちらの方が年上ですよね?」
「え、そう?君何年なの?」
「2年です」
「あ、本当だね。私4年なの。んー、でも年関係なくタメ口でいいのに」
「俺が気にしますから」
「そう。なら仕方ないわね」
見ず知らずの青年に話したことで、少し気持ちの整理がついた気がした。
「話を聞いてくれてありがとう。お水も」
「いえ。お役に立てたなら良かったです」
「私ここの学生じゃないから、もう会うこともないだろうけど。元気でね」
「はい。素敵な恋人が見つかることを祈ってます」
「あはは、ありがとう」
そういって私は青年と別れた。
恋人と別れた帰り道、いつも足取りは重かった。
恋人ができる度に自分のことのように喜んでくれる母に、別れる度に悲しむ母に、また別れたことを報告することになるのかと、苦しい気持ちになるから。
でも今日は、別れて終わりの話じゃない。
別れた後、好青年に会ったと、楽しい話で終わらせられる。
あの青年には、感謝してもしきれない。
名前も知らない彼に、私は心の底から感謝した。