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第3章 町の花はフクジュソウ
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「first nameさ~ん、スミマセン、俺たち財布忘れちゃって・・・・・・あれ?」
は~い、といういつもの明るい笑顔を無意識のうちに期待してドアを開けた俺は、シンと静まり返った店の様子にふと入口で立ち止まった。
照明が消されて薄暗くなった店内には誰もおらず、ひんやりと湿り気をおびた空気中には、ただ花の香りだけが漂っていた。
「ん?first nameさんいねーのか?」あとからついてきた億泰が言った。
「ここにはいねーな。奥か?」
閑散とした売り場の床に並ぶ、空っぽのバケツとバケツの間を縫うように横切り、バックヤードにつながるドアをノックすると、もともときちんと閉まっていなかったのか、ドアは俺の拳に押されてひとりでに開いた。
「first nameさん?」
室内を覗き込んでみると、いた・・・・・・部屋のすみにごたごたと置かれた木箱のひとつに、first nameさんがぐったりした様子で座りこんでいるのが見えた。ふわりと長いスカートの裾からのぞく両足を床の上にそろえて投げ出し、上半身は別の木箱にもたれかかっている。まるで夕暮れ時の朝顔のようにひっそり閉ざされたふたつのまぶた。規則正しく静かに上下する胸元。すっかり眠り込んでしまっているようだった。
「いたか?」
「ああ。けど、寝ちまってる」
小声で答えた俺の言葉に億泰はちょっと目を見開き、俺についてそっとバックヤードに入ると、first nameさんを見てひそひそ声で、本当だ、寝てる、とつぶやいた。
「具合でも悪いのかと一瞬あせったが、ただ単にぐっすり寝てるだけのよーだな。どうする?起こすか?」
「そうだな。康一たち待たせてるしよ・・・」遠慮がちに提案された億泰の言葉にうなずくと、俺はつと木箱の横にしゃがみこんで、眠っているfirst nameさんの顔を見上げた。すりガラスの窓から差し込む西日が室内にななめに差しこみ、first nameさんの伏せられたまつ毛が濃い影をその頬に落としていた。
「first nameさん、おーい。聞こえっかよお~。そろそろ、トニオの店に行く時間っスよ。起きられますか~?おーい!」
木箱の横にしゃがんだまま、俺はこわごわfirst nameさんに向かって呼びかけてみた。はじめは控えめな声量で、それから思い切ってちょっと大きな声で。しまいには「first nameさ~ん!」と耳元で言いながら、両肩をつかんでゆすってもみた。
が、
「だめだ。全然起きねえ」
肝心のfirst nameさんはというと、返事の代わりにかすかに眉をひそめたきり、俺たちを拒絶するように木箱の上で身をかたくして、ますますしっかり目を閉じてしまった。
「なにがなんでも起きたくないって感じだな」
「うーむ、本当だぜ」
俺の後ろでfirst nameさんの様子を見ていた億泰が、また、ひそひそ声でつぶやいた。
「なんだか、スゲー疲れてそーだよな。まるでホセ・メンドーサとの試合のあとで、真っ白な灰になって燃え尽きちまった『あしたのジョー』の矢吹丈のようによお~~っ」
「お前って、こういう時の語彙力だけは本当に大したもんだよな・・・・・・しかし、まあ、確かに。疲れ果ててるって感じがするぜ」
この4日間ずっと何度も庭先と売り場を往復し、店内での接客と販売をこなすかたわらで、その合間も猛スピードで手を動かして補充用の花束を作り続けていたfirst nameさんの姿を思い出しながら俺は答えた。
バイト2日目、14日の夕方あたりからだっただろうか?first nameさんの目元の、涙袋のくぼみのあたりに、次第に青黒いくまが出始めたのは。(この人はいったい、いつ休憩していたのだろう?4日間とも、俺たちが朝9時に出勤して来るたび、店は即売用の花束でぎっしりだった。夜も寝ないで作業をしていたのだろうか?)
「盆のあいだ、ひたすら動き続けてる印象だったしよ、燃え尽きちまうのも無理はねーよ」
「それは確かにそーだな・・・しかし、どうする?トニオの店には予約入れちまってるんだろ」と億泰が言った。「かといって、叩き起こして無理にあっちまで歩かせるのも可哀想だよなあ~っ」
なら、キャンセルすりゃいいんじゃねーか・・・と俺が言いかけた時、「ム!そうだ!ひらめいたぜ!」と言いながら、億泰が勢いよくこちらを振り向いた。
「今からトニオに頼んでよお、あの水をもらってくるのはどーだ!?ほら、例の睡眠不足がなおるキリマンジャロのスゲーうまい水だよ!あれをfirst nameさんに飲ませてしゃっきりしてもらえば、心おきなくみんなでメシ食いに行けるじゃね~~かよ~~っ。あっ、こりゃあナイスアイデアッッ!!」
俺って天才っ!と言わんばかりの満面の笑みを浮かべて億泰は言ったが、
「いや・・・・・・俺は、first nameさんは、寝かせておいてやったほうがいいと思う」こんこんと眠り続けるfirst nameさんの姿をじっと見ながら、俺は言った。
「へ?」
「こんだけひたすら寝てるってことは、寝る必要があるから寝てるんじゃねーか?それをわざわざもっとキツく叩き起こして、この水飲んでくださいって無理強いすんのもやっぱり、可哀想だぜ。いくら寝不足がなおるっつっても、それまでの過程が過程だしよ・・・・・・今はこのまま寝かせておいてやったほうが、first nameさんはしっかり休憩できると、俺は思う」
「ウームムム・・・・・確かに、そーかもな~~~っ」胸の前で両腕を組んで、じっと俺の話を聞いていた億泰は言った。「俺もたまった家事やら買い出しやらでヘトヘトに疲れた時は、メシより何より睡眠が最優先になることがあるからなあ~っ。オメーの言ってることもわかるぜ」そして天井ちかくのエアコンの通風孔を見上げると、「しかしよ、トニオはまた後日でいいとしても、first nameさんは実際どーする?こんな涼しいっつうか寒い部屋に、そのまま置き去りにしていくのも・・・・・・って、仗助お前何やってんだよ!?」と言いながら、【クレイジー・ダイヤモンド】でfirst nameさんを抱き上げようとしている俺に気づいて大声をあげた。
(おい!うるせーよ!)俺は小声で言い返した。「first nameさん起きちまうじゃねーかよ~~っ」
(そっ・・・!!それはわかったけどよ、だから、何やってんだよ!?)
「決まってんだろ。上に運ぶんだよ・・・おい、そこの冷蔵庫の横のドア開けてくれ」目を白黒させて立ちすくんでいる億泰に俺は低い声で言った。「そんで開けたままおさえといてくれよ・・・・・・もしfirst nameさんが目を覚ましそうになったら、すぐに部屋に放り込んで逃げてくっからよ~~っ」
「えっ、だってお前そんな、少女漫画みてーな体勢〇×▼□÷§☆Φ◆ЖΘ!!?」
ジョセフのじじいが初めて杜王町にやってきた日に、水の中から『透明な赤ちゃん』を抱え上げた時のように、俺は【クレイジー・ダイヤモンド】でfirst nameさんの体をそっと抱き上げ、億泰がわけのわからないことを口走りながら開けて押さえているドアを抜けて、奥の階段をのぼって行った。