短編
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名前英語圏のジャンルは片仮名推奨。
日本語圏は漢字又は和名推奨。
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私たちは二人で一つ。生まれた時からずっと一緒。髪の色が少し違っていたって、性別が異なっていたって、私たちはお互いがお互いに半身で、片割れで、無くてはならない存在だった。
『ねぇ、炭治郎』
『ん?どうした?』
『辛い事とか苦しい事とか、一人で溜め込まないでね』
私の言葉にきょとん、と目を瞬かせる炭治郎。首を傾げて小さく微笑む表情は、私の大好きな優しい笑顔。
『溜め込まないさ。急にどうしたんだ?』
『私たちは双子だけど、別々の人間でしょう?だから、だからこそ、辛い事を二人で分け合えば辛さは半減するわ。炭治郎は長男だから、って頑張りすぎるんだもの』
私も一緒に頑張らせて、薪を割るため斧を握る炭治郎の豆の出来た掌を包み込みながら伝える。背丈は殆ど変わらないのに、力仕事は炭治郎に任せっきりになってしまう。私と同じ大きさの手で、私の気持ちに応えるように握り返される。
『じゃあ俺にも、辛い事も苦しい事もちゃんと言ってくれ』
『うん、勿論』
そうやって、両親や妹弟達に言えない気持ちをぶつけ合って乗り越えてきた。大好きな貴方が大切だった。これからも家族を貴方と守っていくのだと思っていた。
体調を崩した炭治郎の代わりに炭を売りに街に降りて、次の日の早朝に家に帰った。
幸せの壊れる時には、いつも、血の匂いがする。
雪上に倒れ込む可愛い妹と弟。家の中は冷え切り、赤黒く汚れた室内は恐ろしくて息が詰まった。
お母さん、花子、竹雄、茂、禰豆子、六太。生気を感じない虚ろな目も、人形のようにピクリとも動かない身体はもう家族が生きていない事を私に知らしめた。
炭治郎、炭治郎がいない。
私は慌てて室内に上がり、一人別の部屋で寝ていた炭治郎を探す。障子は破れて倒れていた。荒らされた我が家の惨状に恐ろしくなりながらも部屋に駆け込む。
『っ、炭治郎!』
無人の部屋は血で汚れ、ぐちゃぐちゃに乱されている布団は多量の血液が染み込んでいる。頭が一瞬真っ白になって、それからガツンと思いっきり殴られた強い衝撃があった。
カラン、と両耳から垂れる不慣れな重みに意識を取り戻した私はまだ息のある禰豆子の元へと駆け出した。
知っている。私は知っている。炭を売りに行った炭治郎が家に帰ると、禰豆子以外の家族は皆死んでいた。すん、と凍てつく空気を吸い込むと鼻腔を刺激する酷い匂いがした。竈門家を襲った犯人、鬼舞辻無惨の匂いだと、私は理解した。炭治郎は禰豆子を背負い、山の麓へ降りていく。そう、炭治郎がだ。
何故私は禰豆子を背負ってるの?何故私がここに居るの?何故私が居て、炭治郎が居ない?どうして私がこの世界に存在しているの?
どうして私が、炭治郎の立場に成っているの?
*
「いつまで寝てんだ!さっさと起きねぇか!!」
薄ぼんやりと膜がかかったように遠くて聞こえていた声が、この瞬間はっきりと耳に届いた。意識が覚醒した私は己の置かれている現状をサッと確認する。目の前に立ち、己を見下すのは見たことのある風貌の人達だった。柱の前だぞ、隠の男の言葉にこれから起こるであろう出来事に私は顔を蒼くした。
「ここは鬼殺隊の本部です。あなたは今から裁判を受けるのですよ。竈門炭治郎君」
嫋やかに言葉を紡ぐのは蟲柱・胡蝶しのぶ。それを筆頭に各々口を開く柱だったが、私の耳は彼らの言葉を拾わなかった。視線だけで愛しい妹の入った師範の鱗滝さんから貰った箱の位置を探る。
禰豆子、そう名前を呼んで確かめたいのに、それは音にならず私の咳き込む音しか出てこなかった。
「水を飲んだほうがいいですね」
蟲柱は私の様子を見かねて、膝をつき、小さな瓢箪から水を飲ませる。喉を潤した私は意を決して禰豆子について語り出す。自分たちのことを信じてもらおうなどとは思っていない。ただ、禰豆子は人を襲わないのだと、他の鬼とは違うということだけは理解して欲しかった。
「……俺の妹は鬼になりました。だけど人を喰ったことはないんです。今までも、これからも、人を傷つけることは絶対にしません」
「くだらない妄言を吐き散らすな。そもそも身内なら庇って当たり前。いうこと全て信用できない。俺は信用しない」
「あああ…鬼に取り憑かれているのだ。早くこの哀れな子供を殺して解き放ってあげよう」
当然のように否定される言葉に私は息が苦しくなった。
「聞いてください!!俺は禰豆子を治すため剣士になったんです!禰豆子が鬼になったのは二年以上前のことでその間禰豆子は人を喰ったりしてない!」
「話が地味にぐるぐる回ってるぞアホが。人を喰ってないこと、これからも喰わないこと、口先だけでなくド派手に証明してみせろ」
己が鬼殺隊士として可笑しいな存在であることは十分理解できる。柱達が何らおかしいことを言っていないことも分かっている。だが、ここで折れてはいけない、炭治郎ならば、決して折れない、そう自分に言い聞かせ声を張り上げる。
「妹は俺と一緒に戦えます!鬼殺隊として人を守るために戦えるんです!だから…っ!」
耳飾りが今日は一段と重く感じた。頭を垂れてしまいそうになった。負けるな、負けるな、心の中で己を叱責して吐き出した言葉を遮る人影が一人。
「オイオイ、何だか面白いことになってるなァ」
遅れてやって来た風柱・不死川実弥の片手には、私が探していたものが収まっていた。
「鬼を連れてた馬鹿隊員はそいつかィ。一体全体どういうつもりだァ?」
「不死川さん、勝手なことをしないでください」
傷だらけの男の姿に一瞬怯えてしまう私。眼光もまた鋭く、禰豆子の入った箱を取り返さなければならないと思いつつも、私は声が出なかった。
「鬼がなんだって?坊主ゥ、鬼殺隊として人を守るために戦えるゥ?そんなことはなァ、ありえねぇんだよ馬鹿がァ!!」
ドス、なんの戸惑いもなく鋭い刃が箱ごと禰豆子を貫いた。箱から滴り落ちている赤い雫は、確かに妹の血だった。血の匂いに混じって禰豆子の苦しむ匂いがする。
私はその瞬間、怒りよりも恐怖が勝った。妹を喪う恐怖。殺されてしまう恐怖。
たった一人残った、私の家族。
「あっ…」
隠の男の声を背後に私は痛む身体を無視して駆け出した。
「返してっ………!!」
「アァ?」
「やめろ!!もうすぐお館様がいらっしゃるぞ!」
「!!」
冨岡さんの一声で傷だらけの柱は気をそらした。私は勢いをそのまま目の前の男に突進した。刀を振るわれたが、間一髪で飛ぶことで躱し、母譲りの硬い頭を思いっきり相手の顔にぶつけた。ガッと鈍い音が庭に響いた。私たち2人は砂利の上に倒れ込んだが、私は体制を立て直すと男の掴んでいた禰豆子の入った箱を取り返した。
「っ禰豆子……、ごめんね…!」
血が染み込む箱に縋るように私は声を上げる。私の命よりも大切な妹が、血を流して苦しんだ。その事実だけで私は胸が張り裂けそうだった。溢れそうになる涙を堪えるため、眉間に皺を寄せ険しい顔を精一杯作る。
背後から地を這うような低い声が聞こえた。
「てめェェ…」
これ以上禰豆子を傷つけさせない、情け無くも涙目のまま睨みつける。胸に抱いた箱を、もう2度と手放さないようにぎゅっとかばうように抱きしめて。
男は私のそんな姿に何を思ったか息を飲んで目を僅かに見開く。
そんなとき、幼い少女の声が響いた。
「お館様のお成りです」
パッと声の方へ視線を向けると、顔半分が痣で覆われた盲目の男性、産屋敷輝哉様がご息女たちに手を引かれ私たちの前へと現れた。呆気にとられるものの、先程頭突きをした男に頭を掴まれ、砂利へと体を押し倒され私は痛みで顔を歪める。
その後、傷の男の丁寧な挨拶に始まり、禰豆子の措置についてお館様からお話があった。勿論柱たちが承諾するはずもなく。私は何処か冷静な思考で柱合会議を静観していた。もやが少しずつかかっている記憶の中で、この会議で何が起こるか知っている。ご息女が読む手紙の中に、鱗滝さんと冨岡さんが私たち姉妹に命を掛けてくれていることを"炭治郎"は初めて知る。眉を寄せ込み上げる涙を堪える。
嗚呼、ここへ来てから涙をこらえてばかりだ、と思う。私は"炭治郎"に成ってから泣くことをやめた。弱音を吐くことをやめた。炭治郎ならば、と己を鼓舞して保ってきた。もう居ない片割れの鎧を纏い、決して"私"がボロを出さないように振る舞う。痛くても、苦しくても、辛くても、泣くのだけはどうしても私は許せなかった。泣くことは甘えだ、と言い聞かせ、全てを成し遂げるまでは涙を流すまいと心に決めたのだ。
だのに、弱い"私"はまた大切な人を守れず瞳を濡らす。禰豆子の入った箱を再び奪われ、終いには三度も刀で刺された。情けない私は別の柱に背中を抑えられ、呼吸すらままならない。
やめて、お願いします、やめてください。禰豆子は本当に誰も傷つけない、誰も食べないの。本当なの。今までも食べなかった。二年間も人を食べず、私と一緒に戦うこともできるんです。私の妹、私に残った唯一の家族。本当だったら、こんな、こんな酷い仕打ちなんて受けないのに。これ以上、妹に酷いことをしないでください。
背中が軽くなった。後ろを振り返る余裕などなかったが、私を押さえつけていた柱の人の腕を冨岡さんが掴み、助けてくれたらしかった。
私は無理に呼吸を使おうとしたせいで咳き込みながらも室内へと向かう。草履を脱ぎ、四つん這いのまま禰豆子のもとへよろよろと駆け寄る。
「禰豆子!!」
傷だらけの男の腕から流れる血から目をそらし、此方へ駆けてくる禰豆子は私の頭を包むように抱き締めてきた。よしよしと、私の頭を撫でる禰豆子の手は優しく、まるで下の弟妹をあやすような手つきだった。
私は禰豆子の胸元に飛び込むような形でなされるがままだったが、禰豆子の着物を汚す赤色に冷水を浴びせられたような気分になった。
禰豆子が、怪我をしている。刀で何度も刺されて、痛くないわけがない。傷がとっくに塞がっていることは知っている。禰豆子は人ではなくなり、鬼になってしまったことを私は知っている。だけど、あんなに優しくて愛おしい人間だった頃の禰豆子を知っている姉の私からしたらいつになっても慣れないことだった。
「禰豆子、痛いねぇ、ごめんね……っまた守れなかったね、痛かったね、ごめんね……」
傷を癒すためか身体が徐々に小さくなっていく禰豆子を掻き抱きながら私は小さく呟く。涙は耐えられなかった。譫言のように私は言葉を繰り返し、気が付いたら蝶屋敷というところに運び込まれ、ベッドに横になっていた。鬼殺隊で最も偉いお館様の前で泣き疲れ眠ったか気絶したかしたらしい私はなんと無礼な人間か。兄弟子にあたる恩人の冨岡さんにさえ感謝すら伝えられず、本当に情けない。
*
『炭治郎、行ってくるね』
『……っごめんな、』
『もう、謝らないでよ。今日はゆっくり体を休めて安静にしてて。竹雄と禰豆子に言っておくからね』
『わかってるよ』
炭治郎が熱を出した。珍しいが、父が亡くなってから気を張っていた長兄の炭治郎。年を越す前に身体の方に限界がきたのだと思う。
いつもは炭を売りに行くのは炭治郎だったが、今日は私が炭を背負って山を降りる。
力はやはり炭治郎に劣るが、私も少し力仕事を手伝うこともあるため何の苦も無い。
布団に寝転んでいる炭治郎に声をかけるといつもより弱々しい声。1日でも早く元気になってほしい。
炭治郎は布団に横になりながら身動ぎをすると、徐に両耳についている耳飾りを外し、私に差し出してきた。
『今日だけ、交換しよう』
炭治郎は父から受け継いだ花札のような耳飾りをいつも耳につけている。
昔、父の耳で揺れる飾りに憧れ、同じようなものを強請った覚えがある。父が亡くなった後、遺品整理の際、私宛にと父が朱の硝子玉が綺麗な耳飾りを遺品として残してくれた。それが今私の耳で揺れている。
炭治郎は自身の耳飾りと私のものを交換しようという。
『いや、いやいや、でもそれ…』
『御守り代わりだよ。今日は雪が深いし、道中何があるかわからないだろ。きっと父さんが守ってくれる』
『………うん、わかった』
カラン、と私の耳元で揺れる慣れない重み。出来るだけ沢山売って、お正月は美味しいものを食べようね、そう笑いかけると炭治郎も穏やかに笑った。
耳飾りはまだ、君に返せないでいる。
*
大切なものを必死に守る姿に、大切だった人の姿が重なった。
鬼になった妹を連れているという隊士は、俺の愛する弟と同じ年頃に見えた。そいつは、鬼の妹は共に戦える、などと喚いめいた。馬鹿な餓鬼だ、と呆れたものだった。鬼は人を喰う。家族だろうが恋人だろうが親友だろうが、関係ない。見境なく人間ならば喰う。例外などない。あり得ないのだ。鬼が人を守るなど。だから刺した。傷を負い、飢餓状態にしてしまえば悪鬼は本性を現す。
その後、冨岡のせいで餓鬼から頭突きを食らったのには心底腹が立った。己の立場をわかっていないのかこの馬鹿は。身を起こし、己の口からは地を這うような低い声が出た。
「てめェェ…」
そんな俺の目に移ったのは、箱に入った鬼を必死に庇うように涙を堪える隊士の顔。それは、嘗て母の腕の中で見上げた表情だった。ろくでなしの父親から、まだ何もできない餓鬼の俺を庇う母親の必死な表情。涙を堪え、眉間にしわを寄せ、強気な態度を装うための眼光。重なった記憶に、動揺して言葉に詰まったのは確かだった。
しかし、それはほんの一瞬で、お館様の手を引いて現れたご息女様の声に我に帰り、馬鹿隊士についてお館様から詳細を聞いた。お館様の話を聞いても納得はひとつもできない。鬼は殺す。全員残らず殺す。例外など存在しない。だから再び刺し、己の稀血を使って醜い本性を引き摺り出そうとしたのだ。そうすれば殺せる。俺に噛み付いた瞬間、首を切って殺す。そのつもりだったのだ。
「禰豆子!!」
いつの間に拘束を解いたのか、兄の方が室内に駆け込んできた。鬼の妹はその声が耳に届くと、俺の血から意識を逸らし、兄の方へ駆け寄る。ひし、と抱き合う兄妹。
何故だ。何故食わなかった。俺の稀血で、何故酔わない。愕然とした。そして、絶望してた。ありえない、あり得るわけがない。鬼は人を喰う。どんなに愛した人間だろうが関係ない。人間を喰うのだ。
だのに、何故なのか。そこにあるのは確かに鬼の妹と人間の兄。食べるそぶりなどない。抱き合う姿は家族の愛を感じさせる。身体が徐々に縮まり、兄に抱えられる妹。兄の口から溢れる小さな声は酷く後悔の滲む懺悔。
「禰豆子、痛いねぇ、ごめんね……っまた守れなかったね、痛かったね、ごめんね……」
脳をぐちゃぐちゃにかき回されている気分だった。重なるな。俺の記憶と重なるな。何故泣く。謝るな。謝らないでくれ。傷なんてすぐ治る。大したことなんてないんだ。
痛いね、ごめんね、懐かしい母の声が記憶の中で蘇る。涙をこぼし、赤く腫れた俺の頰を撫でる母。息が出来なくなるほど苦しそうな表情と声を、俺は今でも思い出せる。
痛くない、俺は痛くないんだ。本当に痛いのは俺じゃなくて、
「それから実弥」
名前を呼ばれて視界が鮮明になる。目の前にいたはずの兄妹は、隠に連れられて行ったのかいつのまにか居なくなっていた。
「あまり下の子に意地悪をしないこと」
お館様の言葉に返事をしながら、込み上げてくる訳の分からない吐き気に耐え忍んだ。
*
上弦の鬼が次々と倒され、鬼の出没情報がパタリと止んだ。痣についての会合も終わり、此れ幸いと柱稽古が始まって暫く。俺を含む柱数名は再び産屋敷邸に集められた。冨岡、悲鳴嶼さん、俺の3人はあまね様の案内でその時が来るのを待つ。
お館様からの文には紹介したい人物がいる、と綴られていた。そして、その人物が鬼であるとも。
「お待たせ致しました」
あまね様が入室されると同時に、彼女の背後から現れた人物は、
「失礼します」
全員の身体にぐっと力が入ったのがわかった。縦に伸びた瞳孔、開いた口から覗く牙、指先には鋭い爪。間違いなく鬼である。
「あまね様……」
「まず、お話を聞いていただきたいのです」
「聞かせてください」
珍しく口を開いた冨岡は、渋る悲鳴嶼さんをよそに鬼に対して何か思うところがあるようだった。そして俺も。何故この鬼が産屋敷邸にいるのかはこの際後でも構わない。何故容姿が、あの鬼連れの鬼、竈門炭治郎とそっくりなのかを聞きたい。
「この方は鬼舞辻無惨の呪いから外れた鬼です。禰豆子さん同様、鬼になってから1度も人を食べたことがない、と。ですので、是非この方のお話を聞いてください」
あまね様が頭を下げるのに習って、同じく頭を深く下げる鬼。その姿は理性的で、瞳も凪いている。気配で何かを感じ取ったのか、悲鳴嶼さんは名は、と尋ねた。ゆっくりと顔を上げる鬼の赫い瞳が印象的だった。
「竈門炭治郎と申します」
室内は水を打ったように静まり返った。今起きている訳の分からない展開に青筋が浮かんだ。
鬼連れ隊士と同じ名前、同じ顔、終いにはそいつ自身が鬼。俺は刀の柄を強く握り込んだ。
「……お前が炭治郎か」
「はい、俺が炭治郎です。2年前のあの日、鬼になりました」
あの兄妹を鬼殺隊に引き入れた冨岡が尋ねる。こいつ、やはり何かを知っているらしい。
しかし、この鬼が"竈門炭治郎"ならば、隊士の方は一体誰になる。一体何がどうなっているというのか。
竈門炭治郎と名乗る鬼は語る。2年前の深い雪の日、体調を崩した炭治郎は双子の妹に炭売りを任せ、家でゆっくり休んでいたと。その日の夜、家族に風邪が感染ると良くないと別室で眠っていると、家族の悲鳴が聞こえ、ドタバタと激しい物音がしたという。何があったのか、と慌てて身を起こすもいつのまにか引かれた襖から知らない男が室内に侵入していた。鋭く尖った爪に血を滴らせ、赤い瞳が怪しく光ったと思ったら、額を指で貫かれた。激しい痛みに襲われ、目を覚ますと鬼になっていたという。身に覚えのない洞窟で気付き、その時には2年程の月日が流れ、鬼になってからどこかぼんやりする意識の中生家に戻ると荒れ果てた我が家と家族の家族が眠る墓だけが残されていた。
その後行く宛もなくあちこちフラフラと彷徨っていると浅草の街で家を襲った者と同じ匂いをさせる鬼に出会った。激情にかられこの場でその鬼を殺そうとするも、その鬼は人間に紛れ所帯を持っており、逃げる為に人通りの多いその場で通りすがりの男を鬼に変えた。鬼にされ、理性をなくして暴れる男を押さえつけているうちにその鬼を取り逃がしたが、炭治郎と同じく理性のある鬼に出会ったという。医者を名乗るその鬼から己の家族を襲った鬼が鬼舞辻無惨だと知り、無惨を殺す為に珠世という医者の鬼に協力して鬼を狩って過ごしていた、と。
「つい先日、産屋敷さんが遣わせた鴉に協力を求められ、俺は今この場にいます」
「協力だァ?まさか鬼のお前と共闘して鬼舞辻を殺せっていうのかァ」
「俺は何でも構いません。貴方方に協力してもしなくても、無惨を殺せたらそれでいい」
「炭治郎さんは鬼ですが、呼吸…それも、始まりの呼吸とされる『日の呼吸』を会得されています。お館様も、炭治郎さんの力をお借りしたい、と」
「俺は人を食べたことも、食べたいと思ったこともありません」
真っ直ぐに気持ちを伝えてくる輝く眼はどこか勘に触る。無性に腹立たしいこの鬼との協力を、お館様は求めているらしい。
「炭治郎、お前がその他の鬼とは違うことはわかった…。鬼殺隊にも、人を食わず太陽を克服した鬼が存在する…。だが、まだお前を信頼するわけにはいかない」
「はい」
悲鳴嶼さんの言う通り、竈門禰豆子という前例がいる限り、この鬼の言っていることが『ありえないわけではない』ということはわかる。決して認めたくはないが。心の底から認めたい訳ではないのだが。
だが竈門禰豆子と同じ姓を名乗り、隊士の竈門炭治郎と同じ顔、同じ名前。容姿は血鬼術の線が消えた訳ではないが。
そしてこの鬼には何か裏がある。悲鳴嶼さんの言うように、その裏が分からなければ信頼どころか信用すらできない。なんなら今すぐこの場で首を刎ねたって構わないだろう。
「……俺も信頼までは求めていません。ただ、協力するにあたり、産屋敷さんには一つ条件を出させてもらいました」
「それはなんだ」
「…俺の妹たちを、鬼殺隊から除隊させてください」
畳に額を擦り付けるように頭を下げる鬼。その声色から、深い懇願を感じた。
「失礼します。竈門様がご到着されました」
一瞬の静寂、後、その場にいた全員が襖の向こうから聞こえた声に意識を向けた。頭を下げていた鬼もまた、身を起こし、襖を凝視している。隊士の方の竈門までこの場に呼ばれていたらしい。ちら、と冨岡を見遣ると、いつも通りの無表情のように見えて表情に驚愕が混じっている。この男も知らなかったようだった。
あまね様が落ち着いた声で入室の許可を出す。
スッと引かれた襖の向こう、ご息女の背後に立つ隊士の竈門炭治郎は、驚愕に顔色を染めていた。
「たんじろう………?」
「アキラ…」
アキラ、とそう呼ばれた隊士は前のめりになり、鬼の顔を凝視すると口を何度か開閉させるが、そこからは何の音も出なかった。くしゃり、いつか見た涙を堪える表情ではなく、子供のような泣き顔だった。あの時重なった母の面影は何処にも感じない。
よたよたと室内に足を踏み入れた隊士の姿を柱の俺たちはじっと見守る。
これから先、目の前で起きる感動の再会とやらを見る気にはならず、視線を下へと落としてしまいたいのに、俺はじっと2人の様子を見つめてしまった。
「……………っ会いたかった…!!!」
絞り出された悲痛な声に、虚無を感じる。鬼になって家族を襲った母。その母に襲われた幼い弟妹。生き残った唯一の弟、玄弥。
焦がれて仕方の無い光景が、尊くもあったが、憎たらしくもあった。
隊士のアキラはおそらく、話に聞いた炭を代わりに売りに行った妹。兄にあたる炭治郎に縋るように抱きついている。気がつかなかったが、よく見ると双子には性差を感じられる違いがあった。赤の混じった髪色と瞳を持つ炭治郎に対して、アキラの髪と瞳は少し茶色がかった程度。顔立ちもアキラの方が女性らしく、体も少し小さい。
兄は一瞬、手を伸ばすことに躊躇したようだったが、爪で傷つけないよう、そっと妹の背中に手を這わせた。
「アキラ」
「炭、治郎…」
「…鬼殺隊を今すぐ辞めてくれ」
諦観を含んだ表情で兄は言う。その言葉に妹は密着させた身体をパッと離す。一瞬驚いた表情をしたと思うと、瞳を濡らしたまま眉を寄せ、低い声で問うた。
「どうして…」
「禰豆子とともに、鬼殺隊を辞めるんだ。俺がお世話になっている人が、鬼を人に戻す薬を作っている。それを禰豆子に飲ませて、2人で鬼なんて忘れて幸せに暮らして欲しい。麓の町のみんなならきっと暖かく迎え入れてくれる。大丈夫、俺がアキラたちの所に鬼なんて行かせやしないから、」
「私達の幸せって何?」
兄の切実な願いに俺は心の内で密かに共感しながら話を聞いていた。玄弥に鬼殺隊をやめて欲しい。俺が鬼を全て殺すから、お前はどうか幸せに暮らしてくれ。俺のことなんて忘れて、どうか、どうか。
そう思っていたのに、妹の低い声が脳に直接響いた気がした。
「ねぇ、私達の幸せって、誰かのお嫁さんになること?それから子供を産んで天寿を全うすること?私はそうやって幸せになりたいなんて、炭治郎に言ったことあった?」
カラン、と花札のような形をした大振りの耳飾りが揺れる。
「私達の幸せを、炭治郎が勝手に決めないでよ」
「ちがう、そうじゃなくて、俺は、」
「違わないよ。それは私の幸せじゃなくて、炭治郎の幸せでしょ。どうして離れていこうとするの。やっと会えたのに、離れないでよ、側にいてよ。私、頑張ったのよ。厳しい修行も乗り越えて、禰豆子を元に戻さなきゃって、必死に頑張ったのよ。もう会えないと思ってた炭治郎に会えて、身が震える程嬉しいのに、炭治郎は違うの…?」
力が篭り、震える声は俺が出させたのかと錯覚してしまった。兄ちゃん、と震える弟の声が耳元で聞こえた気がした。
「炭治郎は、一人で鬼殺隊に残って、一人で満足して死ぬつもりでしょう。私達の幸せを願って、私を置いていくのよ。それって、炭治郎の自己満足じゃない」
「ちがう……っ!どうしてわからないんだ、俺はアキラたちに生きてて欲しいんだ!」
「それが自己満足なんでしょう!?私は今度こそ、炭治郎が死んでしまったら、生きていたいなんて思えないよ……!」
再び丸い瞳から雫が溢れる。
まるで俺の心を見透かすようなやりとりに、目も耳も、全て塞いでしまいたくなった。
「私も一緒に頑張らせてよ…!私達は双子なんだから、1人で頑張ろうとしないで…、苦しい事も、辛い事も、分け合えばへっちゃらなんだから…!」
違う、そんなことは望んでない。俺は一緒に苦しむ道より、俺だけが苦しむ道を選びたい。傷ついて欲しくないんだ。笑って、幸せに暮らして欲しいだけなんだ。どうしてわからないんだ、お前らはどうして兄の言うことが聞けないんだ。
「嫌なんだよ…!アキラにも、禰豆子にも傷ついて欲しくないんだ!あの頃みたいに、刀なんて握らず、血なんて流さず、穏やかに過ごして欲しいんだ!!人並みの幸せを得て笑っていて欲しいんだ…!!」
「そんなの…っ!!」
兄の言葉に、妹は酷く衝撃を受けたようだった。言葉を詰まらせると、変に力のこもった女性らしさが失われた剣士の手で自分の耳飾りを掴み、
「待てッ!!」
「やめろ!」
「アキラッ…!!」
俺と冨岡、炭治郎の声が重なった。兄が伸ばした手を後退することで避け、耳飾りを無理矢理耳から引きちぎった。ブチっと何かの切れる音がして、畳に紅い滲みが出来る。
誰の制止も聞かずに、燈美子は血を流した。
「…今更、何も知らなかった頃になんて、戻れないよ……」
消え入るような声に、胸を打たれた。
項垂れるように力無く座り込む少女の姿に、鬼に対する憎しみが強まり、己に対して行き場のない怒りを抱いた。
剣など握らず、好いた男に手を引かれ、幸せそうに微笑む未来など、この先どうやっても叶わないのだと遠回しに伝えられた。哀れな娘の姿に、この世を恨んでしまいたかった。炭治郎は鬼だ、鬼なのに、同じ兄として心底同情した。この少年の心の声を聞いた気がした。
俺に弟などいない、玄弥にこの言葉を、もう二度と言えそうにない。
竈門アキラ、デフォ名:燈美子(すみこ)
竈門炭治郎の双子の妹。鬼滅の刃を前世で知っているが、記憶は曖昧。自我は殆どアキラ。竈門家の人間らしく、心優しい少女。
竈門家が襲われてから記憶が戻り、己が炭治郎の立場に成り代わっていることに絶望する。その後、炭治郎として鬼殺隊を目指し、炭治郎のように常に振る舞う。炭治郎が姿を消してから記憶が戻ったため、少しだけ炭治郎を神聖視している。(男に成りきっているのではなく、炭治郎に成りきっている)
原作とは展開が異なっており、浅草に行かず、無惨どころか珠世らにも会っていない。
価値観は現代人ベースなので禰豆子が傷つけられたことには酷く怯えた。
柱稽古に参加する直前に産屋敷邸に招かねている。冨岡を説得済み。
不死川実弥
アキラに母を重ね、玄弥を重ねる。女子どもには優しいので燈美子の正体を知ってからは優しいと思う(思いたい)。玄弥くんと仲直りフラグを建てたい。
炭治郎の気持ちにリンクしたので兄妹喧嘩は心臓に悪すぎる。俺の心を見透かされている…?
不死川さんは長男なので長女で妹のアキラちゃんと相性が良さそう。