短編
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アキラは、今にも死にそうな顔色をしながらも、太陽が眩しく照りつける中、じっと棒立ちでその時が来るのを待っていた。
暑い、暑くてたまらない、汗は何度拭っても噴き出て、巻いた前髪は既に額に張り付いて、努力が意味をなさなくなっている。少しでも見て呉れを良くしたく、気持ち化粧を顔に乗せてきたのだが、残念ながらこちらも水の泡となっている。
彼此40分近くじっとしていたが、流石に肌に張り付くジャージに嫌気がさしてきた。勿論、部活後は下着一式着替え、制汗シートで匂い対策をし、身だしなみを整えて今に至るが、家に帰って冷房が効き冷え切った部屋でごろごろ寝転がりながらアイスを食べたいのも事実。
そう思った時、待ち侘びたその人の声が聞こえた。
「吉澤か?君、何してるんだ、こんな所で暑くないのか」
「れ、煉獄先生!慣れてるので暑くないです!大丈夫っ!」
ささっと張り付いた前髪を横に流し、勝手に待っていた人、煉獄杏寿郎に向き合う。
杏寿郎は黒いジャージに白のポロシャツを着て愛用の自転車に跨り、今にも帰宅しようとしている装いだった。
「そうか!水分補給はしっかりとするように!」
「はい、ありがとうございます!」
「では、気をつけて帰りなさい!」
「あああ、あの、煉獄先生に聞きたいことがっ」
気を遣ってくれる優しい先生も好き…とふやけていると、杏寿郎は爽やかにその場を立ち去ろうとする。折角暑い中待ったのだから、この機会を逃してなるものか、とアキラは慌てて引き止める。
「どうした?」
「明後日の、花火大会には…その、行かれますか?」
「うむ!一応見回りの為に行くぞ!」
「見回り…そうですよね、お忙しいんですよね」
まさか杏寿郎と二人で花火大会に行けたら…などと億が一にも無いとはわかっていたが、案の定ワンチャンもないと知ると途端に元気の無くなったアキラ。そんなアキラの様子に杏寿郎は瞬きを一つ。自身のショルダーバッグから何かを取り出すと、アキラに差し出した。
「君にあげよう!」
「えっ、え?あ、りがとうございます」
差し出されたのは280mlのペットボトル。中身はお茶だった。少し汗をかいているそれは、まだ封を切られていない。
「暑さに慣れていても、脱水症状は油断ならないからな!」
優しい〜!でもこれ飲めない!勿体無くて絶対飲めない!LINEのアイコンにはする!一瞬で骨抜きにされるちょろいアキラだったが、杏寿郎の全く脈なしの問い掛けに酷く慌てることになる。
「吉澤は、彼氏とでも行くのか」
「いやっ部活のみんなと!私彼氏いないし!」
「そうなのか」
「そうそう!そうです!」
はっ、とアキラは何かに気がつく。この流れで彼女の有無も聞けるのではないか、と閃いたアキラだった。
煉獄先生は、と言葉を続けようとしたが、タイミング悪く鳴り出した着信音。エナメルバックからスマートフォンを取り出すと、画面には『お母さん』の文字。
「?出ないのか」
「あ、えっと、母からで…」
「そうか!では俺もそろそろ帰るとしよう!気をつけて!」
爽やかな笑顔で立ち去ろうとする杏寿郎は引き止める間もなく、自転車を漕ぎ出した。
既にこちらに背を向けている杏寿郎に対し、咄嗟に大声を上げた。
「っ、煉獄先生!さよなら!」
杏寿郎は僅かにこちらに振り向くと片手を上げて応えてくれた。あの、可愛らしい笑顔を添えて。
アキラはぽーっと杏寿郎の後ろ姿を眺めていたが、喧しい着信音により現実に戻され渋々画面に指でスライドさせる。
「……はい」
『アキラちゃん、ごめんなんだけどカマドベーカリーに寄って明日の朝ご飯買ってきてくれる?食パンあると思ったのになかったのよね』
「うん、わかった」
『あ、お金ある?』
「あるある、好きなの買うからね、じゃあね」
ゆったりとした母の声を聞いて毒気を抜かれたアキラはスマートフォンの通話を切り、エナメルバックに仕舞うと手元に残った杏寿郎からのプレゼントーーー少し語弊があるがーーーを眺める。
いや、これやばくない?煉獄先生からお茶貰っちゃったけど、やばくない、やばいよね、ニマニマと緩くなる口元を抑える事なく余韻に浸る。
先程エナメルバックに仕舞ったスマートフォンを再び取り出すと、ペットボトルを青空に掲げ、何枚か角度を変えて写真を撮る。
少し緩くなってしまったそれを片手に、母のお使いを済ませるべく、後輩の実家であるベーカリーへと向かう。
暑い中、待った甲斐があった。くふふ、と抑えきれなかった笑みが零れると、部活のメンバーに伝えるべく、グループLINEをタップする。さてさて、皆はどんな反応するかな、とウキウキしながら写真をアップロードする。
しかし、その日の夜残念ながらアキラの期待とは裏腹に部員は辛辣なもので、「ただお茶貰っただけだろ」「祭りワンチャンかと思ったらなんやねん」「解散」等々好き勝手言われ、「お前らと違って純愛なんだよ!」と送ったが既読無視を食らった。
*
「あ」
「なに、どした」
「あれ煉獄先生じゃね?」
「うそ!?どこ!?」
人混みの中、花火がよく見える海辺へ向かおうとしていると、友人の一人がアキラの想い人を見つけた。食いかからんとする勢いで何処だ、と捲し立てるアキラにドン引きしながらも、杏寿郎のいる方向へを教える。
杏寿郎は授業で見る姿と同じ格好で、半袖のワイシャツにネクタイを締め、スラックスを履いていた。アキラ以外にはいつも通りの杏寿郎に見えるが、恋は盲目、花火大会というイベントも相俟っていつもの5億倍は格好良く見えた。
杏寿郎は1人らしく、周りをゆったりと見渡しながら歩いていた。アキラがうっとりと遠目で杏寿郎を眺めている間に、友人達は杏寿郎へ声を掛ける。
「煉獄先生ー!」
「こんばんはー!」
「おお!こんばんは!」
何人かが手を振って存在を主張すると此方に気がついた杏寿郎は手を振り返しながら歩み寄って来る。
アキラも我に帰ると、慌てて挨拶をする。
「先生、こんばんは」
「はい、こんばんは!」
ぺかーっと後光が射したような杏寿郎の笑みに撃ち抜かれたアキラはウッと息が詰まった。そんなアキラの乙女な反応など気にも留めない友人達は杏寿郎を囲むようにわらわらと集まり、好き勝手に話しかける。
「せんせー、ボッチで花火大会寂しくない?」
「仕事だからな、寂しいとかはないぞ!」
「あ、なんならウチらと見ればよくない?」
「それいい!先生私たちと見ませんか?」
エッ、コイツら何勝手に言ってんだ、と思ったアキラだったが隣に立つ友人を肘で突くしかできない。
お前のために言ってんだよ、とじろりと睨まれ有り難がれば良いのか、余計なお世話だと思えばいいのかわからなかったアキラだったが、大人しく杏寿郎の判断に任せることにした。確かにワンチャン花火見られたら最高だけど…と少しの期待を含ませ杏寿郎を見上げる。
「誘ってもらえるのは有難いが、君たちだけで楽しみなさい」
「あー、そうなんだ。キョウシって大変だよね」
ですよね!と内心涙を流しながらも、表情には出さないアキラ。
「じゃあ何か奢ってよ、先生!」
「奢りかぁ…」
「いいじゃん!ね?ウチら食べ盛りだし!」
「先生、私たこ焼き食べたいでーす!」
オイコラ煉獄先生に集るな!?失礼だろうが!そう思っても口には出せないアキラ。オロオロとしながらも視線は困り顔の杏寿郎へしっかり向いている。困ってる、かわいい…やはり恋する乙女なので思考の切り替えが早い。
「仕方ない、たこ焼きでいいんだな?」
「やったー!」
「えっ!?いいんですか…?」
「他の生徒には内緒だぞ、それに折角の花火大会だ!君たちの思い出に残ればいいが、」
「の、残ります!私、一生忘れません!」
了承した杏寿郎に思わず驚きの声を上げるアキラ。続いた杏寿郎の言葉に対して勢いのまま答えると、ハッと己の失態に気がついた。がっつき過ぎた、アホっぽいし、なにより引かれる!頭で猛省しているアキラだが、杏寿郎はそんなアキラの言葉に少し驚いた様子を見せ、直ぐに笑った。
「ならば、一番美味い店で買わなければな!吉澤の一生の思い出になるんだから!」
きゅん、どころではない、ギュンッ!だ、とアキラは思う。息が苦しいくらい胸が痛くなって、同時に死ぬ程嬉しくなった。たかがたこ焼きくらいで…と思われるかもしれないが、されどたこ焼き。好きな人が己の一生の思い出を容認し、己の為だけに一等美味い店で奢ってやるなど、喜ばないはずがない。
アキラに意味深長に視線をやる友人たちのお陰だ、とアキラは珍しく感謝した。
杏寿郎は、あそこが美味いな!と言うと1人で屋台へ向かい、12個入りのたこ焼きを2パック買ってきてくれた。
「ありがとうございます!」
「先生ありがと!」
「1人6つも食べれるじゃん」
「ごちそうさまです」
杏寿郎の差し出すたこ焼きに群がり、24個のたこ焼きを2つで分ける。程よい温度になっているたこ焼きは、一口で食べても口内を火傷することはない。
「うまー!」
「おいしいね」
「うん」
「先生ホントにありがと!」
ニコニコとアキラらがたこ焼きを食べる様子を見ている杏寿郎。
アキラはいつも食べるたこ焼きの5億、いや6億倍は美味しい、と感じていた。大袈裟である。
「美味いか?」
「、っ美味しいです!」
「そうかそうか!」
アキラ一人に尋ねた杏寿郎に驚きながらも、反射的に返事をした。先生すごいニコニコ笑ってる、嬉しそう…私も嬉しい、ぽぽぽ、と頰を染めながらたこ焼きを頬張るアキラ。
「そろそろ時間だな、君たちは海岸で見るのか?」
「その方が見えるって聞いたので、一応そのつもりです」
「そうだな、確かにいい場所だ!呉々も、知らない人間には着いていかないように!」
「わかってっし!小学生かよ!」
小さな子どもに言い聞かせるように話す杏寿郎にアキラ達は笑って返す。流石にこの歳になってそれはない、アキラも一緒になって少し笑う。
「ははは、なら大丈夫だな!あまり遅くならないようにな」
ぽん、とアキラの頭に軽い衝撃あった。それは直ぐに離れていき、一緒になって杏寿郎もまた離れて行った。
え、なに、いま、え、え?
微かに残る感触に、思わず頭に手を遣るアキラ。
「えっ、今先生、手…」
「うわぁ…!やばいじゃんアキラ!」
「え、え?」
「煉獄先生、今アキラの頭撫でてってたよ!」
煉獄先生が、頭を撫でてった、脳内で友人の言葉を反芻した。
先程頭に乗ったのは、煉獄先生の手、いつも授業中に遠くから眺めてるあの大きくて、ゴツゴツしてて、少し熱かった手、胸がきゅう、と痛くなったアキラはいつもの様に騒ぐことができず、口に残ったたこ焼きの咀嚼すら出来なくなった。
「うわ、アキラ泣いてる!」
「ないてない」
「泣いてるじゃん〜!たこ焼きまだ口から無くなってないし!」
「………やばい」
「なになに、どした」
「あたま、あらえない」
ゆっくりとたこ焼きの咀嚼を再開したアキラの言葉に部員たちは笑い声をあげる。それは洗えよ!勿体無いのもわかるけど!そう言いながら瞳の潤んだアキラと共に恋の発展(?)を喜んだ。
*
「アキラ!君、ゴミは捨てろとあれほど言っただろう!」
「えぇ?昨日ゴミの日だから私ちゃんと捨てたよ」
「じゃあこれはなんだ!」
「なに?……あぁー!!」
アキラの目に映ったのは懐かしのペットボトル、のラベルだった。有名なそれは近所のコンビニでも買えるお茶のラベル。何処と無く色褪せて草臥れているそれをアキラは慌てて取り上げる。
「これゴミじゃないし!私の宝物!」
「…それが宝物?」
「何その顔!言っとくけど、これ杏寿郎さんから貰ったものだから!」
「俺から?…いやいや、プレゼントならもっとマシなものあげてきてる筈だが…」
「もぉー、された側はいつでも覚えてるっていうのに、罪深いなぁ」
懐かしそうにラベルをを撫でるアキラ。
「これはね、高校生の時、"煉獄先生"から貰ったお茶のラベルなの!」
「…やっぱりゴミじゃないか!」
「わかってなぁい!これは、初めて貰ったプレゼントなの!」
あの頃は顔を見るだけで嬉しくて、話が出来るだけでドキドキして、毎日それだけで楽しかった。
「私は高校の時からずーっと好きだから、これは掛け替えのない宝物なの!……なによ」
「いや、…健気だと思って、」
「えっ!キュンときた?きた?」
「……きた」
珍しく照れている様子の杏寿郎に嬉しくなり、アキラは下から上目遣いになるように見上げる。目元を覆った杏寿郎は顔を見せまいと天を仰いでおり、その表情はアキラからは伺えない。
「やっぱりあの頃から私の事好きだった?そうだよね!」
「いや、違うな!」
「えー、じゃあいつから」
目元を覆った手の指の隙間からアキラと目を合わせる杏寿郎。少し間を置き、答える。
「………前世だな!」
「またそれじゃん!誤魔化さないでよー!」
「ははは!」
可愛らしくぶすくれるアキラの頭にぽんと手を乗せ緩く撫でると、大人しくなるのだからちょろいものだ。黙り込み、杏寿郎の手の感触を感じるアキラに、頰を緩める。
君が高校生の時、こうなるなんて思わなかったのになぁ、目を細めながらほんの数年前の出来事を懐かしむ。
嘗て想いを寄せた女性を置いて、先に逝ってしまった。それがまさか、現代になって生徒と教師という関係で再会するとは思わなかったが。記憶がないらしい彼女は、いじらしくも己を一途に慕って、想いを伝えてきた。勿論、人間としても教師としても、そして男としても誠実である杏寿郎は想いを隠しながら断ってきた。卒業後すぐに恋人になるなど、在学中から生徒に邪な想いを抱いていたことになってしまう。そして、彼女が大学4年の夏、高校卒業以来の再会で『諦められません!』と泣きながら告げられて付き合う運びとなった。
「…婚約かぁ」
「なに急に?実感湧いてきた?」
「あぁ、感慨深いなぁと思ってな」
「お父さんみたいな事いわないでよ」
心底おかしそうにころころと笑うアキラ。愛おしい、愛おしいなぁ、杏寿郎はアキラを抱き寄せると口付けを落とす。角度を変え、何度か唇の形を確かめるように触れ合う。時折抑えられず、「アキラ、すきだ」「あいしてる」と言葉をぽろり、と溢れこぼしてしまう杏寿郎。満足したのか、唇を離しゆっくりと距離を取る。
「…顔が赤いな」
「だって…」
「キュンときたか?」
「きた……キュンというよりギュンッ、て感じ、だけど」
杏寿郎さんが、かっこいいから、顔を隠すように杏寿郎の胸元へ顔を寄せるアキラ。
「私も、杏寿郎さんのことすき。愛してる」
照れを隠すために顔も見せずに想いを言葉にするアキラ。
幸せというのは、この掴み所のない、ふわふわとして、堪らなくなるこの気持ちをいうんだな、杏寿郎はアキラの体を抱き込む。2人分の体温が溶け込み、心地良い。
「…………寝室に行こう」
「…煉獄先生のえっち」
「もう、吉澤の先生ではないよ」
「じゃあ、杏寿郎さんは誰の何?」
「アキラの旦那だ!」
「わっ」
突然横抱きで持ち上げられたアキラは慌てて杏寿郎の首元に抱き着く。
まだ婚約者でしょ、アキラの言葉は杏寿郎の唇に塞がれ、音になる事なく飲み込まれた。