夏油が何をしている人間なのか知らない審神者
御空を捨てた子ども【完結】
名前
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
無事、夏油と片桐が再会し、心を通わせることができて暫く。念の為、時の政府でカウンセリングを受けたり、片桐との関係を知り五条が壮大に拗ねたり、灰原と七海が就いた任務に葦家が一枚噛んでいたことが発覚した等、様々な出来事があった訳だが。
夏油は非術師に対する気持ちに折り合いをつけ、呪術師という仕事を割り切る事にした。やつれて、食欲不振だった体調も回復を見せ、片桐と約束だった制服デートに出かけていた。
この日の為に片桐が態々制服を買ったことを、夏油は知らない。
「何と迷ってるんです?」
「苺か、バナナか…」
「じゃあ、どっちも買いましょうか」
「え、食べられませんよそんなに」
「だから、半分こしましょう」
クレープの味で悩む姿を見兼ねたその提案に、片桐は申し訳なさそうに首を横に振った。
「それじゃあ、夏油さんの食べたい味が食べられないんじゃ…」
「正直、気になるものが多過ぎて決められなかったので、片桐さんが2つに絞ってて助かりましたよ」
ね、と片桐を納得させるべく尤もらしい理由を述べた夏油。その言葉が嘘か本当かはわからないが、彼の優しさに片桐は甘えることにした。
男性経験が無い片桐だったが、男所帯で育った為か、今更異性との間接キスに取り乱すことは無かった。夏油はこっそり残念に思う。
いつも片桐に付き従う護衛は姿を見せず、物陰に隠れているらしい。
政府から外出の許可を分捕った片桐は、護衛三振りを必ず付ける事を条件に夏油とデートに出かけている。審神者のことや、刀剣男士のことについてもう夏油に知られているが、護衛は御馴染みの堀川国広、篭手切江、物吉貞宗の三振りにいつも通り頼んでいた。
苺のクレープを頬張る片桐を見て、夏油は頰を緩める。生クリームが多くて食べにくそうではあったが、目を輝かせてスイーツを頬張る姿は可愛らしかった。
一年前までは定期的にこうやって逢瀬を重ねていたのだが、何分久し振りの穏やかな時間は夏油な心をゆったりと充した。
「なんだか、夢みたいです…」
「え?」
見慣れない制服姿の片桐が、夢見心地で呟く。普段着物で見えない彼女の生足が、夏油にはとても眩しく映った。しゃんと伸ばされたままの背筋と、足を揃えて座る姿が、俗物的なクレープとは対照的で、都会の喧騒では浮いて見えた。
「夏油さんと、こうして一緒に居られるだけでも嬉しいのに、制服着て、クレープ食べて、」
まるでお付き合いしてるみたいで。
そう言って柔らかく微笑んだ片桐をだったが、数秒足らずで己の発した言葉を理解する。
ポッとわかりやすく赤面した片桐に、夏油は堪らなくなった。
「あ、えっと、すみません」
恥ずかしそうに背中を丸める片桐。その小さな身体を腕の中に閉じ込めて、ぎゅうと今の気持ちのまま強く抱き締めてしまいたい。
夏油は人の往来がある場だ、と己に言い聞かせ、膝の上で握られた拳に手を重ねることに止める。
小さく肩が揺れ、そろりと持ち上げられた視線が夏油へと向く。目が合った瞬間、やはりこの人が好きだとしみじみ思った。
「片桐さん」
「は、はい」
「ご存知だとは思いますが、私は貴女が好きです」
「はい、」
「だから、貴女と、はっきりとした名前のある関係になりたい」
消え入るような小さな声で、片桐が返事をする。何かを期待するような眼差しで、夏油の言葉を待つ。
柄にも無く、緊張で手が震えそうになるのを悟られないように、小さな手を強く握り込む。
「私と、結婚を前提にお付き合いしてください」
片桐の唇がわななき、下唇が無防備に突き出される。涙を堪える為、口角を下げる仕草だった。子供の泣き顔のようなそれが、愛おしくて仕方がない。
「っはい、よろしく、おねがいします」
涙は溢れなかった。ただ、濡れた睫毛がキラキラ光って、どんな宝石より綺麗に違いなかった。
すぅと息を吸い込めば、清々しい空気が肺を充たす。雲1つない晴れ渡った青空に、庭に咲き誇る桜。ここが桃源郷かと見間違うくらい、何もかもが美しい。
宮内庁に設置されている、門 を潜った先に、片桐の仕事場であり住居でもある本丸があった。
「お気をつけて」と頭を下げた政府職員を背に、1人で本丸へやって来た夏油。壮観な日本家屋が目の前に現れ、石畳に沿ってその玄関へと向かう。
入り口に届く数歩前で、ガラガラと戸が引かれた。現れたのは全体的に白くて、柔らかな雰囲気の少年。夏油が何度か見たことがある物吉貞宗だった。
「こんにちは」
「こんにちは、夏油さん。ようこそ、本丸へ」
和かに微笑まれ、無意識に強張っていた体が解れた。
「主様はまだ執務中でして、僕が案内させていただきます」
「そうですか、よろしくお願いします」
「お任せを」
ニコ、と声色も話し方も表情も、雰囲気までも柔らかい物吉に、夏油は密かに安堵した。知っている刀剣男士ということもあったが、気質が穏やかな刃選で安心したのだ。本丸は謂わば片桐の実家。刀剣男士といえど育ての親と言っても過言ではない存在だと聞く。
親と会うのに、緊張しない人間はいない。それに、高専に訪れていた片桐の刀剣男士数振りに会ったが、中々アクも癖もあった。
彼等みたいな刀剣男士が何振りも居るのかと思うとビビった、と言わざるを得ない。
フワフワと揺れる物吉の髪を視界に入れながら、立派な日本家屋の中を歩く。時折、見たことのない刀剣男士とすれ違ったが、皆夏油の姿を見ると嬉しそうに歓迎してくれた。
「あ!夏油さん?」
中性的な容姿の刀剣男士が、庭から箒を片手に駆けてくる。赤い内番服姿の加州清光であった。
「俺、加州清光」
「夏油傑と申します」
「あ、そんなに固くならなくていいよ。皆アンタのこと歓迎してるし。俺も会えて嬉しい」
本心なのだろう、加州の弾んだ声に夏油の頰を緩んだ。
「急ぎ?合わせたい奴居るんだけど…」
「まだ主様も執務中なので大丈夫ですよ」
「そっか、じゃあちょっと待ってて」
そういうと、箒を持ったまま蔵の方へ向かった。
『皆アンタのこと歓迎してる』とは本当の、事なのだろう。それを聞いて安堵した。
「僕達、本当に嬉しいんです。夏油さんにお会いするの」
「恐縮です」
「加州さんも仰ってましたけど、本当に、そんなに畏まらないでください。貴方は政府の方ではないし、主様の婚約者なんですから。フランクに行きましょう!」
ね?と物吉に言われ、確かにこんなに畏まっていたら、相手方にも気を使わせてしまうな。夏油は少し息を吐き出し、わかりました、と眉を下げて言った。
蔵の死角から出てきた加州は、大和守安定を連れて戻ってきた。
夏油はこれまた中性的な大和守の様子に少し驚いたが、顔には出さなかった。
「貴方が夏油さん?」
外と室内では段差があり、また夏油の上背では見上げることになる大和守。加州の様に笑みを浮かべるでもなく、その顔に表情はない。
先ずは名乗れよ、と加州が彼を小突いた。
「あぁ、ごめん。僕は大和守安定。はじめまして」
「はじめまして、夏油傑です」
言葉少し崩したが、腰からしっかりと曲げ頭を下げた。
大和守はその様子を見て、片桐が好きになるのもわかる気がする、と思った。物吉も加州も、きっと既に彼の在り方を好ましく思っているとアタリもつけた。
根っからの真面目で、優しいだろう夏油は呪術師として酷く生きにくいだろうとも。
「…主のこと、よろしくね。とってもいい子で、優しくて、僕達の大好きな主だから。貴方も、あの子を大切にしてあげて」
大和守の真っ直ぐな言葉に、夏油は拳を握った。そして、一度手放してしまった事を、彼等は知っていても尚、夏油を信じていてくれるらしい。それが嬉しかった。
「勿論です。きっと、死ぬまで、いや死んでも手を離してあげられないです」
夏油がそう言うと、その場にいた三振りが各々頰に手を当てたり、口元を押さえたりしだす。
「わー!主愛されてる!」
「とってもとっても素敵です…!僕、なんだか嬉しくて堪らない!」
「僕もすごい嬉しいや!主の人見る目すごいなぁ」
きゃっきゃっと中性的な容姿も相まって、三振りが喜んでいる姿が女子高生にしか見えない。夏油は居たたまれなさと恥ずかしさ、喜んでもらえた嬉しさで顔を背けてしまった。
それがまた彼等には可愛らしく見え、きゃあと歓声が上がった。
加州と大和守と別れ、応接間に案内された夏油。物吉は「お茶をご用意するので、体も楽にしていてください」と廊下で別れた。
手触りのいい座布団の上に座り、落ち着きなく視線を彷徨わせる夏油。初めて会う日も、行ったことのない高級旅館に尻の座りが悪いと思った事を思い出した。
物思いに耽っていた夏油だったが、襖の向こうから声が掛けられたことで現実へと戻ってくる。
「夏油殿、失礼致します」
「はい」
膝をついて襖を開けたのは、赤味がかった髪を持つ体格の良い男、蜻蛉切であった。
「蜻蛉切と申します。貴殿に合わせたい子がおりまして…、青江殿」
ガタイは大きいが、穏やかな蜻蛉切の話し方に夏油は流れで頷いた。
蜻蛉切が名を呼べば、襖の向こうからひょこ、と青っぽい長髪を持つ美丈夫、にっかり青江が顔を出した。
夏油は神隠しから帰還した折、片桐の部隊の一員である青江と顔を合わせていた。特に何か話したわけではないが、審神者と刀剣男士について説明された時、その場にいた為覚えていた。
「やぁ、にっかり青江だよ。この間会ったね」
「はい、夏油傑です」
「フフ、カチカチに固くなっているようだねぇ」
「え」
「青江殿」
「勿論、緊張した君の体のことさ」
妖しげに微笑む青江に困惑する夏油。蜻蛉切が諌めるが、青江は意味深長な笑顔を深めるだけだった、
「さぁ、美々子、菜々子、夏油くんだよ」
青江は夏油から視線を外すと、声を幾分か柔らかくし、誰か居るのか目線を下に落として話しかけた。が、誰かいるのはわかるが、夏油からは姿が見えない。
視線をあげた青江が「恥ずかしがってるみたいだ」と襖をパッと開いた。
青江の足元に、しがみつく様に隠れていたのはまだほんの小さな少女が2人。
「あの村で保護された見える子たちなんだ」
「え……保護、ですか」
「うん」
「2人とも、この人は君たちと同じお化けが見えて、それを倒すお仕事をしているんだよ」
青江に背中を押された2人は、前には出たが、その裾から手は離されなかった。
「知らない人が、まだ怖いみたいでね」
「美々子、菜々子、夏油殿に挨拶できるかな」
蜻蛉切もまた、青江と同じように夏油との交流を促す。顔を見合わせた2人は、青江の脚から離れ、今度は蜻蛉切の背中にしがみつく。
夏油は2人を刺激しないよう、その場から動かずなるだけ優しい声で話しかける。
「こんにちは、夏油です」
そろ、と広い肩から顔を出した2人は、小さな声で名前を名乗った。
「美々子」
「菜々子」
「美々子ちゃんと菜々子ちゃんか。よろしくね」
こくん、と頷くと夏油に興味を持ったのか蜻蛉切にしがみつきながらも目線はずっと本丸の客人に向いていた。
「夏油くんは、主の大切な人だよ」
「…… 片桐様の?」
「そうだよ。だから今日は、ここに遊びにきたんだ」
「片桐様の、大切な人…」
張り付いていた背中から離れ、手を繋いで室内に足を踏み入れた2人。後ろからその様子を見守る片桐の刀剣男士ふた振り。
「夏油様も、お化けが見える?」
「あぁ、見えるよ」
夏油が頷くと、2人の大きな瞳に涙が滲んだ。その様子に目を見開いた夏油は、見守るふた振りに視線を向ける。蜻蛉切が後ろから2人の頭をゆったりと撫でた。ぽたぽたと大粒の涙を声を耐えて流す幼い2人の姿は痛々しい。
保護された、とはあの村で一体どのような扱いを受けていたというのか。夏油の頭に良くない考えが浮かんだ。
「言っただろう、見えるのは君たちだけじゃないよ」
青江の言葉に、2人は大きく何度も頷いた。
呪霊が見えたことで、苦しい思いをしてきたのだろうか。
「そんなに泣いては目が溶けてしまうぞ、2人とも」
「なら、目が溶けないようにお昼寝するしかないかな」
そういうと、蜻蛉切が後ろから2人を抱え上げる。両腕に乗せ、驚いた2人は太い首にしがみつく様に腕を回した。
ぐんと視界が高くなった2人は目を合わせ、蜻蛉切を見つめ、ふふ、と楽しげに笑い出した。
「蜻蛉様!たかい!」
「たかいたかーい!」
「蜻蛉切のは大きいからね。身長のことだよ?」
ふた振りと2人の様子に息を吐く夏油。
青江が会ってくれてありがとう、というと蜻蛉切に挨拶を促された2人が、「夏油様またあとで」と小さな手を振って部屋から出て行く。それに振り返し、姿が見えなくなったところで、2人のことを考える。
少女2人を、本丸で保護している状態に、違和感を覚える。
「考え事か?」
突然聞こえてきた声に、パッと襖の方を向く。緑の髪をした青年、鶯丸が盆を片手に立っていた。
「驚かせたかな。何度か声を掛けたんだが」
「あっ、すみません」
「いやいや、気にするな。ところで、茶は好きか。良い玉露を使ったんだが…紅茶の方が好きか」
「とんでもないです。緑茶が好きです」
「それは良かった」
鶯丸は夏油の向かいに置かれた座布団に座ると、盆に乗せて運んできたお茶も差し出した。
「俺は茶を淹れるのが中々得意でな。旨いぞ」
「ありがとうございます」
マイペースなのだろうか。湯呑みを三つ持ってきた鶯丸は、その場で淹れてきた茶を自らも飲んでいる。
戸惑いながら、湯呑みの中身を冷ましていると、茶菓子を持った物吉が現れた。
「お待たせしました。夏油さんは、餡子食べられます?」
「はい」
「良かった。金澤のきんつばは食べたことありますかね。美味しいですよ」
呪霊を経口摂取している夏油からすれば、この世で食べられない物は無い。粒餡派か、漉餡派か、という問題も些細なことだった。
下座に座った物吉は懐紙の上に乗せられたきんつばを夏油と鶯丸の前に置いた。
「鶯丸さんも良かったですか」
「あぁ、ありがとう」
夏油はここで初めて鶯丸の名前を知った。
銀色の紙を剥がしていく鶯丸に倣い、出された和菓子を食べようと夏油も手にかける。実は金澤のきんつば、いつだったか五条が美味いと言っていた為気になってはいたのだ。
正直、持ち帰ってから味わいたいが、今手をつけなければ気を遣っていると気にさせてしまうと思ったのであった。
「美々子ちゃんと菜々子ちゃんには会いました?」
「はい」
「ん?遊ばずに部屋に戻ったのか」
「丁度お昼寝の時間だから、主様のお仕事が終わる前にお顔を見せにきたんですよ」
「まぁ、話が長くなるだろうしな」
要領を得ないふた振りの会話に夏油は黙って茶を飲んだ。というか、ここで食べるのかふた振りとも。多少の気まずさを感じながら、五条絶賛の菓子を食べる。
「美々子と菜々子は、あの村で迫害されていたんだ」
鶯丸の言葉に、手を止める夏油。物吉は悲しそうに瞳を伏せている。
唐突な話出しにやはりマイペースな刀なのだと受け入れ、夏油は聞く体制に入った。
「人間は、己とは違う少数派を迫害したがる。あの子らは村人が見えない呪霊が見えたということで、虐待されていたんだ。呪霊が起こした怪奇についても冤罪を掛けられ、2人して座敷牢に閉じ込められていた。あの子らの両親は残念ながら、村人によって殺されている」
夏油の目が見開かれ、膝の上でギリと拳が握られた。あの子達は恥ずかしがっていたのではなく、警戒し怖がっていたのだ。声無き涙は虐待によってできた癖だった。呪霊が見えるのが自分たちだけじゃ無いと知ったあの涙に、どれだけの苦しさが含まれていたのだろうか。
「青江が保護し、君の送迎をしてくれていた補助監督とやらに預けようとしたんだが、怯えが尋常じゃなくてな、葦家の助けもあって、今はこの本丸で療養中だ」
気持ちを落ち着かせるために深い呼吸を意識する。自問自答は終わらせたはずだったのに、夏油の頭を駆け巡るのは非術師に対しての思い。
「君の怒りは最もだ。真面な人間ならば、村人達を到底許せない。葦家も主も、酷く怒っている。だから、本丸で預かっている」
「我々は、正直呪術界を信用していません」
物吉の硬い声に、夏油はのろのろと顔を上げた。
「僕らが言うのもアレですが、前時代的な風潮が強すぎます。あの子達を、呪術界に預けて幸せになるとは思えませんでした。かと言って、この本丸も100%安全とも言えませんが」
「まぁ、呪術師の素質がある様だから、いつか決断する日は来る。あの子達が何を選ぶかわからんが、どんな未来を選んでも良いように、色々教えてやってほしい」
「僕らはあくまで霊力についてしか特化してませんから。呪霊を視認することはできますが、本職は夏油さん達なので」
夏油は険しい顔で、しっかりと頷いて見せた。
「私に出来ることは、精一杯やらせていただきます」
「頼もしいな」
夏油の返事に片眉をあげると、自身で入れてきた茶を飲むため、湯呑みを傾ける鶯丸。感情が読めないその刀の様子に、未だに怒りが沸々と湧き続けている夏油は尋ねた。
「お二人は、村人を祟らなかったんですか」
その言葉に顔を見合わせたふた振りは、何でもないように返答した。
「祟らないさ。というより、祟れない」
「…縛りですか」
「いや、そもそも俺たちは刀の付喪神だが、どちらかというと妖のそれに近い。厳密に言えば神であるが、神ではない」
「つまり、僕らにそんな力はないんですよ」
妖とは、呪霊に近いと鶯丸はいう。近いだけで存在としては全く異なる物だが、精霊に近い呪霊がいるように、神に近い妖と思ってくれて良いとのこと。
「俺たちは善悪で動いていない。元は人殺しの道具だったのが、主の力でこうして人の身を得ているに過ぎない」
「主様からお話があると思います。審神者とはなんたるか、正史を守るとは何か。主様自身についても、お話があると思います」
「君の怒りは間違いではない。だが、人を殺すことを君たちの世界では良しとしない。今の日本は法治国家だろう。守るべき秩序は守るべきだ。……綺麗事を並べすぎたか?」
「僕たちに綺麗事も何もありませんよ」
「そうだな。俺たちは刀でしかない」
お互いに納得したように頷き合うと、物吉が空になった湯呑みと銘々皿を片付ける。
「主様のお仕事が終わったようです。時期に参りますので、もう暫くおまちください」
「なら、俺も内番に戻るかな」
「待ってください、今日内番だったんですか」
「あの」
内番をサボって来ていた鶯丸に、流石に困った表情を浮かべる物吉。立ち上がり、部屋を出て行こうとするふた振りは夏油によって呼び止められた。
「色々、教えてくださりありがとうございました。あと、お茶菓子とお茶も」
「気にするな」
「主様からもお話があると思いますし、重複したらすみません」
「いえ、ありがとうございます」
頭を下げた夏油に、また後で、と声を掛けてふた振りは襖を閉めた。
ふた振りが去ってからそう間も無く片桐が顔を出した。着物姿ではなく、普通の洋服に身を包んでおり、なんだか物珍しく映った。
「お待たせしてすみません」
「いえ。お仕事お疲れ様です」
「ありがとうございます」
パンツスタイルにカーディガンを羽織っただけの姿で、シンプルなその格好を意外に思った。
「洋服姿、初めて見ました」
「あ。そうですよね。出掛ける時や任務の時は基本、舐められないように着物なんですけど…。そういえば初めてかも」
「お似合いです」
「えっ!?えと、ありがとうございます」
普通の私服なんですけど、もう少し可愛い格好すればよかった。恥ずかしそうに頰に手を当てる片桐。
先程まで鶯丸が座っていた座布団に腰を落ち着かせると、目を細めて誰か来ていたか尋ねた。
「えっと、…蜻蛉、さんと青い…すみません。まだ名前が」
「お気になさらないで。ゆっくり覚えてください。わからなかったらその都度聞いてください。名前がコロコロ変わってきた刀も多いので、名前を聞かれることも気にしませんから」
「ありがたいです…。あと、鶯丸さんと物吉さんがお茶菓子をくださって」
「鶯丸の淹れるお茶、美味しいでしょう。今日のお菓子は確か、きんつばでしたか?」
「そうです。いつか食べたいと思っていたので、お茶も勿論美味しかったです」
「よかった」
馴染み深い洋服を着ているからだろうか、いつもよりフランクに感じる片桐が新鮮だった。こうして見ると、本当に同世代の一般人の女の子に見える。
「美々子ちゃんと菜々子ちゃんにも会いました」
「挨拶できましたか?」
「してくれました」
「夏油さんは優しいから、きっと2人ともすぐに懐きそうだわ」
美々子と菜々子の話になって、少し声のトーンが落ちた夏油。それに気付いた片桐は、居住まいを正すと、彼を真摯に見つめた。
「夏油さんに、しなければならないお話があります」
「はい、」
「婚約してからする話ではなく、前にするべき話でした。それについては、まずお詫びさせてください」
「……今更、何を聞いても婚約を破棄するつもりはありません。私はもう貴女を手放さない」
夏油の言葉に、想いの強さを感じて、片桐は力無く表情を緩めた。愛されている事実に、酷く安堵したのだ。
「私の生まれについてです。…私は、所謂戦争孤児でした」
なんとなく、もう彼女に両親はいないだろうと思っていた夏油はそれほど驚かなかった。淡々と過去を語る彼女の話をじっと聞き及ぶ。
「歴史が変われば、その時生きていた人間が死に、死んでいた人間が生きている可能性があります。正史では存在していなかった筈の人間がいたり、没落したはずの家が繁栄していたり、そういった歪みが発生するんです。私は、そんな歴史の歪みによって生まれた子供でした」
片桐が生まれた歴史は存在しないものだった。歴史修正主義者によって歪められた出自は、正史に戻された際、片桐という存在のみを残した。
歴史の歪みで生まれる人間は、正史に戻されたことにより消滅するのが常だ。だが、片桐には霊力があった。審神者になれる程度には潤沢な霊力が。
「私という存在のみを残して、歴史は正されました。両親は勿論、私という存在を証明するものはありません。私は、本来なら居ないんです、どこにも」
物心がつく前、世界に取り残された片桐を見つけた時の政府はすぐさま貴重な審神者候補として保護した。
「両親が居らずとも、刀剣男士達は優しくて、親切で、私を慈しみ、愛してくれました。でも、やっぱり彼等は刀で、道具で、人間ですらない」
片桐は悲観しているわけではない。ただ、寂しいとは思う。普通を知らず、普通に憧れながら戦火に身を落とし続ける毎日は、じわじわと彼女の首を絞めた。
「それに、やはり本来私は居ない筈なんだ、と思えば思うほど虚しくなって…。正しくない歴史の中で生まれた私という存在そのものも、正しくないのかも、って。でも、私は審神者として生きる他無くて」
消える筈だった己が、ただ霊力を持っているだけで今を生きている。
「こんな出自だからこそ、あの子達を今預かっています。正しい歴史の元に生まれたのなら、正しく愛を与え、生きて欲しい」
夏油の頭に、つい先日まで己を追い込んでいた考えがよぎる。正しいとは、なんなのか、わからずに一人で苦しんでいたあの時。
「…… 片桐さんにとって、正しい歴史とは、なんですか」
片桐は夏油の問いに、ふい、と視線を上に持ち上げ少し考えると、また前を見据えた。
「そこにあるべく事実です。正史に個人の感情も、善悪も何もありはしません。…我々は過去に遡り、その事実を守ります。歴史を守ることは、今を、そして未来を守っているんです」
規模が大きくて、少しわかりにくいですが、表情を崩した片桐に、夏油も肩の力を抜いた。
「と、いっても、私のはこれは中立的で模範的な考えです。他の審神者だと、『修正された過去を正して消えた家族を取り戻す為』とか、『戦績をあげて家を見返す為』だとか歴史を守るを二の次にしてる方は多いですよ。呪術師にも、いろんな方がいらっしゃいませんか」
同期や後輩、教諭など様々な呪術師の顔が浮かび、そして消えていく。
「軽蔑しましたか、冷たい人間だと」
「っそんなことはないです」
「でも、私は目の前で散ろうとしている命に手を差し伸べることはしません。それでも、ですか」
「それでもです。貴女がそういう立場であることはもう理解しましたし、それに胸を痛めてない訳ではないでしょう」
純粋で、優しい彼女がそこまで非情になりきれているとは思えなかったのだ。己の出自に悩み、美々子と菜々子に手を差し伸べたような彼女が、命を切り捨てる事に辛く思わないはずがない。
「高専でも言いましたが、貴女が何者でも構わないんです。片桐さん、貴女だから、好きなんです」
「ありがとう、ございます」
気が抜けたようにふにゃりと笑った片桐。安堵がにじみ出ているその表情に、夏油もまた笑顔を見せた。
「よく言ったあ!夏油の若旦那!」
「えっ!?」
「うわぁ!?」
スパン、と音を立てた襖が開けられ、2人の和やかな空間は終わりを迎えた。
応接間に突撃したのは次郎太刀。その背後からニヤニヤと楽しげな表情の日本号が立っている。
襖の横から顔を出している平野藤四郎は申し訳なさそうに眉を下げていた。本日の近侍である平野は、応接間の前で待機していたのだ。
「呪術師なのに主が見込んだだけある!」
「いやはや、熱烈な告白だったなぁ」
ふた振りの言葉に2人はカァと初々しく頬を染める。なんだかんだ気持ちを伝え合っている2人だが、第三者に言われると照れるものがあっ。
「ぬっ、盗み聞きしたの!?」
「偶々前を通っただけだよ」
「嘘!この部屋の先にふた振りとも用なんてないでしょ!」
「決めつけは良くないなぁ、嬢ちゃんよぉ」
ぐぅ、と黙り込む片桐。
「小難しい話はもう終わったろ?なら次は、楽しいことをしよう」
「酒盛り…、いや、宴だよ!」
「夏油の坊は飲める口かい?」
「夏油さんはまだ未成年!」
親戚のおじさんに振り回されているような片桐に、夏油は小さく笑った。知らない彼女が、本丸では沢山見られる。これからは、それが当たり前になるのだと思うと嬉しかった。
*
「あ、誰だろ。あの人」
任務から帰ってきたばかりの虎杖、伏黒、釘崎の3人は、見慣れない人物が高専内を歩いている姿を目に止めた。
華やかな着物を身に纏い、きょろきょろと辺りを見渡している。
「来賓とか?」
「呪術関係者にしてはなんか、雰囲気が俺らとは違うな」
1人で歩いていたその女性の元に、1人の男性が駆け寄る。真っ白な装いに日光が反射して眩しい。
その白い男が、こちらに気がついたように手を振っている。
「え、何」
「呼んでる、のか…?」
「なんか困ってんのかな。俺、様子見てくるわ!」
持ち前の俊足であっという間に来賓と思われる男女の側まで駆け出した虎杖。呼び止める間も無く走り出した彼に、伏黒と釘崎は仕方が無さそうに追い掛ける。
着物の女性は片桐と名乗り、白い男性は鶴丸国永と名乗った。
「ごめんなさいね。何度か高専に足を運んだことがあるのだけど、なんだかつくりが変わったように見えて」
「あー…、何度か改装してるらしいので、俺たちで良ければ案内しますよ」
困ったような片桐の言葉に、伏黒はバツが悪そうに表情を顰めた。嘘は言っていない。ただ、誰かさん達によって何度もぶっ壊される高専の施設を修復していたら数年単位で設計が変わった、という話であった。
「助かります。学長室に行きたいの」
「それなら東棟の建物だな。ご案内しまーす!」
「ありがとう」
片桐と虎杖、釘崎が横に並び、その背後に伏黒、さらにその斜め後ろ後ろから鶴丸が歩いた。
「片桐さんと鶴丸さんって呪術師なの?」
「いいえ。でも、呪術師の方とは随分前から交流があるの」
「へぇー。何のお仕事してるんですか?」
「軍人よ」
へ、と虎杖と釘崎が片桐を見つめた。
着物を着ているせいで体のラインは見えないが、どう見ても普通の女性に見えた。
「見えない?」
「えっ、あっ!えっと」
「ふふ、そうよね。私は皆が想像するような屈強な軍人じゃないもの」
じゃあ一体どういう軍人なの、首を傾げる虎杖。
「私は肉体労働はしないの。使うのは頭。指揮官とか、参謀役だと思って頂戴。それ以外だと見た目通り、何も出来ない女よ」
朗らかに笑った片桐に、虎杖と釘崎は頷いた。言われてみれば、背筋をしゃんと伸ばして歩いているだけなのに雰囲気がある。優しそうに見えるが、防衛大の教官のように実際はめちゃくちゃ怖かったりするのだろうか。好奇心でむにむにと唇が動いた。
「連帯責任とか言って筋トレ命じたりするんスか!」
「どんなものを想像したの。私はしないわよ」
ふふ、と口元に手を当てて肩を揺らした姿に、上品な人だと伏黒は思った。やはり、とても軍人には見えない、3人の意見は合致していた。
「簡単にいうと、部隊にどこに進軍しなさい、だとか撤退してくださいっていう指示を出すのよ。私の部隊は全員が完成されているから、訓練も自主性に任せているの」
「指揮官っぽいッスね!」
「へぇー!でもどこに進軍するんですか。今別に戦争してないでしょ。災害の時とかの出動?」
「いいえ」
首を振っただけの否定。片桐は何も言わずに、釘崎の質問ははぐらかされてしまった。
学長室までの道すがら、ニコニコと常に穏やかだった片桐の纏う空気が変わった。
つい、と視線を会議室へ向けると、鶴丸が伏黒を追い越して片桐の側まで寄る。
「片桐さん?」
「どったの?」
「…ん、ちょっと、」
目を細めた片桐が軽く手を振ると、背後に立っていた鶴丸の姿が消えた。それを見ていた伏黒だけがぎょっと目を剥く。
「は!?」
一体何が起こったんだ、と声を上げようとしたが、先に会議室が開き何者かが外へ出てきた。
高専生3人も知らない男だった。男は4人が外にいたことに一瞬驚いたようだったが、片桐の姿を見ると眉間にしわを寄せる。
「何故貴様がいる」
「貴様?いつの時代の方かしら、貴方」
厳しい声色の片桐の様子に戸惑う3人。確かに失礼な物言いだと思うが、知り合いなのだろうか。
「両面宿儺の器……。流石審神者様だな、其奴のいる高専に足を踏み入れるなんて、余程奇特な様子。俺は1秒だってここの空気を吸っていたくないのに」
「はぁ?なんだテメェ!」
「よせ、釘崎」
虎杖を貶されたことに怒る釘崎。それを止めようとする伏黒もまた、ひたいに青筋が浮かんでいる。
片桐は男の言葉に片眉をあげると、釘崎と伏黒を制して一歩前に出た。
「ふふ、態々来たくもない高専に足を運ぶだなんて、余程お暇なのね。羨ましいわ、私は忙しくて、無理矢理有給休暇を取ってきたくらいなのに。上層部の皆さんは見栄っ張りなのね、人手不足なんて嘘をついて。…あ、ごめんなさい。もしかしたら貴方1人が無能なだけで、呪術界自体は目が回るほど忙しいわよね」
片桐の愛らしい唇から紡がれる言葉は男を煽るものばかり。ゆったりと煽り続ける片桐に、釘崎と伏黒は怒りを萎めて口を開けてしまう。
男は自身を侮辱する言葉を延々と並べられ怒り心頭だった。
「このっ………」
「嗚呼、気をつけて。私の刀の間合いだわ」
困ったように頰に手を当てた片桐。男の視界に、白くて眩い刀の鞘が映り込む。ぐっと反った太刀が、男の喉仏にコツンと当たる。
全く気配なく背後を取った鶴丸。呪術界最強の1人、五条悟を思わせるような真っ白な髪に人間離れした金色に輝く瞳。耳触りのいい、ゾッとするような声が耳を撫でる。
「驚いたかい」
怒りで赤く染まった顔色は、一瞬で青褪めていく。
「心の篭っていない謝罪はいりません。今すぐ目の前から消えてくださる?」
全く怖くもない睨みを片桐らにきかせた男は舌打ちを1つすると足早に立ち去っていった。
「本当に失礼な人ね。嫌なら来なきゃいいのに。何のための電話?オンライン?アナログ人間が多過ぎるのよ、呪術界は」
「全くだな」
ふん、と可愛らしく腰に手を当てる片桐にうんうんと同意する鶴丸。コミカルなその様子にハッと我に帰ったのは虎杖だった。
「ごめん片桐さん!俺のせいで嫌味言われて…」
「嫌味を言われたのは貴方のせいじゃないわ。あの男が矮小なだけ」
「そうよ虎杖、あんなちっさい男の言う事気にすんじゃないわよ」
女性2人にフォローされ、ほっと頰を緩めた。伏黒もまた、気にするなと肩を叩いた。
「そーそ!あんなどこの誰だか知らない呪術師の言う事なんて気にしてちゃキリないからね!」
「うわぁ!?」
「五条先生!」
生徒3人の頭上から聞き慣れた担任教師の声が。首を真上に向ければ、いつも通り怪しげな風貌の五条がお疲れサマンサ、と陽気に声を掛けてきた。
「今のは加茂家の分家じゃなかったかい?いや、分家の分家かな…」
「それもう加茂の血もうっすいでしょ」
「夏油先生まで!」
五条の隣に立つもう1人の男は同じく高専教師の夏油傑。顎に手を当てて考えるそぶりを見せるが、曖昧なものだった。
胡散臭い笑みを携えながら、や、と片手をあげる夏油。
「どうして彼女と?」
切れ長の目を更に細めた夏油は3人を見下ろしながら片桐に意識を向けた。
「あっ、そうだ俺たち片桐さんのこと学長室に案内してて…」
「おや、そうだったのか。3人とも、ありがとう」
そういうと、夏油は片桐の側に立ち、彼女の手から荷物を奪った。
「迷ったの」
「えぇ、なんだか高専の作り変わった?」
「あー、そうだったかな」
「片桐サンが最後に高専来たのいつだっけ」
「2年程前だった覚えが」
「あらら、なるほどね」
親しげな様子の夏油と片桐。五条もまた、知っている仲なのか話しかけている。
「じゃあ、片桐さんは私が学長室に連れていくから」
「3人とも、ここまでありがとう」
「全然!此方こそありがとうございました!」
手を振って夏油と鶴丸と共に立ち去る片桐を見つめながら、伏黒が首を傾げた。
「何者なんですか、あの人」
「軍人って聞いたけど、自衛隊ってこと?」
「自衛隊は軍人じゃないでしょ〜。でも、軍人は正解だね」
「指揮官だって聞いたよ」
「あ〜そうだね。あってるあってる」
「で、結局の所なんなんですか。呪術師じゃないでしょ、あの人」
「なんだっけ、ハニワ…様?とか言われてたけど」
虎杖の言葉に思わず吹き出した五条。釘崎はその様子に二歩ほど引いた。
アハアハ笑った五条は、「ハニワじゃなくて審神者ね」と訂正した。
「審神者については、また追々授業をするつもりだよ。それまで自主学習しといてね!」
「えー!あっ、じゃあ夏油先生とはどういう関係なの?」
「それ思った!いい感じだったわよね!」
「片桐サンは傑のお嫁さんだよ」
3人の空気が止まる。頭巡るのは、「あの夏油傑の嫁?」という信じ難い事実に対する驚愕。
「結婚してたんですかあの人!?」
「うん。してたよ」
「うっそ!?あの男と片桐さんが!?」
「野薔薇って傑のこと嫌いだったの?」
学生時代から婚約者だったよ、あの2人。
五条の爆弾に釘崎は信じられないと頭を抱えた。最初は着物と上品な女性が物珍しく話しかけていたが、会議室から出てきた男とのやり取りで好感度は一気に立ち昇っていたのだ。虎杖を馬鹿にした男を蹴散らし、穏やかに煽る姿が気持ち良くて、最高に格好良く映った。
「鶴丸さんはなんなの?」
「ああ、お爺ちゃんね」
「じい…?」
全然爺さんではないけど。変なあだ名でもつけたのか、と伏黒は五条を胡乱げに見上げた。
「あれは片桐サンの護衛。彼女が指揮する部隊の1人だよ」
人ではないけど。心の中で否定するも、3人には伝えなかった。
五条は片桐という審神者について思い出す。親友の夏油が心底惚れた女は、戦争の最前線に立つ血生臭い軍人だった。力を持たない一般女性の皮を被ったその軍人は、夏油を救った恩人でもある。
一時期、呪詛師になってもおかしくなかった親友を、繋ぎ止め続けてくれた彼女の愛 には、感謝しても仕切れない。
先程消えた男に対する対応を見ても、心強い女性だと思う。
きっと、五条の目指す呪術界には、親友の愛した女性も、力になってくれるに違いない。
目の前で夏油への酷評を述べながら、片桐について話す未来達を横目に、五条は口角を上げた。
夏油は非術師に対する気持ちに折り合いをつけ、呪術師という仕事を割り切る事にした。やつれて、食欲不振だった体調も回復を見せ、片桐と約束だった制服デートに出かけていた。
この日の為に片桐が態々制服を買ったことを、夏油は知らない。
「何と迷ってるんです?」
「苺か、バナナか…」
「じゃあ、どっちも買いましょうか」
「え、食べられませんよそんなに」
「だから、半分こしましょう」
クレープの味で悩む姿を見兼ねたその提案に、片桐は申し訳なさそうに首を横に振った。
「それじゃあ、夏油さんの食べたい味が食べられないんじゃ…」
「正直、気になるものが多過ぎて決められなかったので、片桐さんが2つに絞ってて助かりましたよ」
ね、と片桐を納得させるべく尤もらしい理由を述べた夏油。その言葉が嘘か本当かはわからないが、彼の優しさに片桐は甘えることにした。
男性経験が無い片桐だったが、男所帯で育った為か、今更異性との間接キスに取り乱すことは無かった。夏油はこっそり残念に思う。
いつも片桐に付き従う護衛は姿を見せず、物陰に隠れているらしい。
政府から外出の許可を分捕った片桐は、護衛三振りを必ず付ける事を条件に夏油とデートに出かけている。審神者のことや、刀剣男士のことについてもう夏油に知られているが、護衛は御馴染みの堀川国広、篭手切江、物吉貞宗の三振りにいつも通り頼んでいた。
苺のクレープを頬張る片桐を見て、夏油は頰を緩める。生クリームが多くて食べにくそうではあったが、目を輝かせてスイーツを頬張る姿は可愛らしかった。
一年前までは定期的にこうやって逢瀬を重ねていたのだが、何分久し振りの穏やかな時間は夏油な心をゆったりと充した。
「なんだか、夢みたいです…」
「え?」
見慣れない制服姿の片桐が、夢見心地で呟く。普段着物で見えない彼女の生足が、夏油にはとても眩しく映った。しゃんと伸ばされたままの背筋と、足を揃えて座る姿が、俗物的なクレープとは対照的で、都会の喧騒では浮いて見えた。
「夏油さんと、こうして一緒に居られるだけでも嬉しいのに、制服着て、クレープ食べて、」
まるでお付き合いしてるみたいで。
そう言って柔らかく微笑んだ片桐をだったが、数秒足らずで己の発した言葉を理解する。
ポッとわかりやすく赤面した片桐に、夏油は堪らなくなった。
「あ、えっと、すみません」
恥ずかしそうに背中を丸める片桐。その小さな身体を腕の中に閉じ込めて、ぎゅうと今の気持ちのまま強く抱き締めてしまいたい。
夏油は人の往来がある場だ、と己に言い聞かせ、膝の上で握られた拳に手を重ねることに止める。
小さく肩が揺れ、そろりと持ち上げられた視線が夏油へと向く。目が合った瞬間、やはりこの人が好きだとしみじみ思った。
「片桐さん」
「は、はい」
「ご存知だとは思いますが、私は貴女が好きです」
「はい、」
「だから、貴女と、はっきりとした名前のある関係になりたい」
消え入るような小さな声で、片桐が返事をする。何かを期待するような眼差しで、夏油の言葉を待つ。
柄にも無く、緊張で手が震えそうになるのを悟られないように、小さな手を強く握り込む。
「私と、結婚を前提にお付き合いしてください」
片桐の唇がわななき、下唇が無防備に突き出される。涙を堪える為、口角を下げる仕草だった。子供の泣き顔のようなそれが、愛おしくて仕方がない。
「っはい、よろしく、おねがいします」
涙は溢れなかった。ただ、濡れた睫毛がキラキラ光って、どんな宝石より綺麗に違いなかった。
すぅと息を吸い込めば、清々しい空気が肺を充たす。雲1つない晴れ渡った青空に、庭に咲き誇る桜。ここが桃源郷かと見間違うくらい、何もかもが美しい。
宮内庁に設置されている、
「お気をつけて」と頭を下げた政府職員を背に、1人で本丸へやって来た夏油。壮観な日本家屋が目の前に現れ、石畳に沿ってその玄関へと向かう。
入り口に届く数歩前で、ガラガラと戸が引かれた。現れたのは全体的に白くて、柔らかな雰囲気の少年。夏油が何度か見たことがある物吉貞宗だった。
「こんにちは」
「こんにちは、夏油さん。ようこそ、本丸へ」
和かに微笑まれ、無意識に強張っていた体が解れた。
「主様はまだ執務中でして、僕が案内させていただきます」
「そうですか、よろしくお願いします」
「お任せを」
ニコ、と声色も話し方も表情も、雰囲気までも柔らかい物吉に、夏油は密かに安堵した。知っている刀剣男士ということもあったが、気質が穏やかな刃選で安心したのだ。本丸は謂わば片桐の実家。刀剣男士といえど育ての親と言っても過言ではない存在だと聞く。
親と会うのに、緊張しない人間はいない。それに、高専に訪れていた片桐の刀剣男士数振りに会ったが、中々アクも癖もあった。
彼等みたいな刀剣男士が何振りも居るのかと思うとビビった、と言わざるを得ない。
フワフワと揺れる物吉の髪を視界に入れながら、立派な日本家屋の中を歩く。時折、見たことのない刀剣男士とすれ違ったが、皆夏油の姿を見ると嬉しそうに歓迎してくれた。
「あ!夏油さん?」
中性的な容姿の刀剣男士が、庭から箒を片手に駆けてくる。赤い内番服姿の加州清光であった。
「俺、加州清光」
「夏油傑と申します」
「あ、そんなに固くならなくていいよ。皆アンタのこと歓迎してるし。俺も会えて嬉しい」
本心なのだろう、加州の弾んだ声に夏油の頰を緩んだ。
「急ぎ?合わせたい奴居るんだけど…」
「まだ主様も執務中なので大丈夫ですよ」
「そっか、じゃあちょっと待ってて」
そういうと、箒を持ったまま蔵の方へ向かった。
『皆アンタのこと歓迎してる』とは本当の、事なのだろう。それを聞いて安堵した。
「僕達、本当に嬉しいんです。夏油さんにお会いするの」
「恐縮です」
「加州さんも仰ってましたけど、本当に、そんなに畏まらないでください。貴方は政府の方ではないし、主様の婚約者なんですから。フランクに行きましょう!」
ね?と物吉に言われ、確かにこんなに畏まっていたら、相手方にも気を使わせてしまうな。夏油は少し息を吐き出し、わかりました、と眉を下げて言った。
蔵の死角から出てきた加州は、大和守安定を連れて戻ってきた。
夏油はこれまた中性的な大和守の様子に少し驚いたが、顔には出さなかった。
「貴方が夏油さん?」
外と室内では段差があり、また夏油の上背では見上げることになる大和守。加州の様に笑みを浮かべるでもなく、その顔に表情はない。
先ずは名乗れよ、と加州が彼を小突いた。
「あぁ、ごめん。僕は大和守安定。はじめまして」
「はじめまして、夏油傑です」
言葉少し崩したが、腰からしっかりと曲げ頭を下げた。
大和守はその様子を見て、片桐が好きになるのもわかる気がする、と思った。物吉も加州も、きっと既に彼の在り方を好ましく思っているとアタリもつけた。
根っからの真面目で、優しいだろう夏油は呪術師として酷く生きにくいだろうとも。
「…主のこと、よろしくね。とってもいい子で、優しくて、僕達の大好きな主だから。貴方も、あの子を大切にしてあげて」
大和守の真っ直ぐな言葉に、夏油は拳を握った。そして、一度手放してしまった事を、彼等は知っていても尚、夏油を信じていてくれるらしい。それが嬉しかった。
「勿論です。きっと、死ぬまで、いや死んでも手を離してあげられないです」
夏油がそう言うと、その場にいた三振りが各々頰に手を当てたり、口元を押さえたりしだす。
「わー!主愛されてる!」
「とってもとっても素敵です…!僕、なんだか嬉しくて堪らない!」
「僕もすごい嬉しいや!主の人見る目すごいなぁ」
きゃっきゃっと中性的な容姿も相まって、三振りが喜んでいる姿が女子高生にしか見えない。夏油は居たたまれなさと恥ずかしさ、喜んでもらえた嬉しさで顔を背けてしまった。
それがまた彼等には可愛らしく見え、きゃあと歓声が上がった。
加州と大和守と別れ、応接間に案内された夏油。物吉は「お茶をご用意するので、体も楽にしていてください」と廊下で別れた。
手触りのいい座布団の上に座り、落ち着きなく視線を彷徨わせる夏油。初めて会う日も、行ったことのない高級旅館に尻の座りが悪いと思った事を思い出した。
物思いに耽っていた夏油だったが、襖の向こうから声が掛けられたことで現実へと戻ってくる。
「夏油殿、失礼致します」
「はい」
膝をついて襖を開けたのは、赤味がかった髪を持つ体格の良い男、蜻蛉切であった。
「蜻蛉切と申します。貴殿に合わせたい子がおりまして…、青江殿」
ガタイは大きいが、穏やかな蜻蛉切の話し方に夏油は流れで頷いた。
蜻蛉切が名を呼べば、襖の向こうからひょこ、と青っぽい長髪を持つ美丈夫、にっかり青江が顔を出した。
夏油は神隠しから帰還した折、片桐の部隊の一員である青江と顔を合わせていた。特に何か話したわけではないが、審神者と刀剣男士について説明された時、その場にいた為覚えていた。
「やぁ、にっかり青江だよ。この間会ったね」
「はい、夏油傑です」
「フフ、カチカチに固くなっているようだねぇ」
「え」
「青江殿」
「勿論、緊張した君の体のことさ」
妖しげに微笑む青江に困惑する夏油。蜻蛉切が諌めるが、青江は意味深長な笑顔を深めるだけだった、
「さぁ、美々子、菜々子、夏油くんだよ」
青江は夏油から視線を外すと、声を幾分か柔らかくし、誰か居るのか目線を下に落として話しかけた。が、誰かいるのはわかるが、夏油からは姿が見えない。
視線をあげた青江が「恥ずかしがってるみたいだ」と襖をパッと開いた。
青江の足元に、しがみつく様に隠れていたのはまだほんの小さな少女が2人。
「あの村で保護された見える子たちなんだ」
「え……保護、ですか」
「うん」
「2人とも、この人は君たちと同じお化けが見えて、それを倒すお仕事をしているんだよ」
青江に背中を押された2人は、前には出たが、その裾から手は離されなかった。
「知らない人が、まだ怖いみたいでね」
「美々子、菜々子、夏油殿に挨拶できるかな」
蜻蛉切もまた、青江と同じように夏油との交流を促す。顔を見合わせた2人は、青江の脚から離れ、今度は蜻蛉切の背中にしがみつく。
夏油は2人を刺激しないよう、その場から動かずなるだけ優しい声で話しかける。
「こんにちは、夏油です」
そろ、と広い肩から顔を出した2人は、小さな声で名前を名乗った。
「美々子」
「菜々子」
「美々子ちゃんと菜々子ちゃんか。よろしくね」
こくん、と頷くと夏油に興味を持ったのか蜻蛉切にしがみつきながらも目線はずっと本丸の客人に向いていた。
「夏油くんは、主の大切な人だよ」
「…… 片桐様の?」
「そうだよ。だから今日は、ここに遊びにきたんだ」
「片桐様の、大切な人…」
張り付いていた背中から離れ、手を繋いで室内に足を踏み入れた2人。後ろからその様子を見守る片桐の刀剣男士ふた振り。
「夏油様も、お化けが見える?」
「あぁ、見えるよ」
夏油が頷くと、2人の大きな瞳に涙が滲んだ。その様子に目を見開いた夏油は、見守るふた振りに視線を向ける。蜻蛉切が後ろから2人の頭をゆったりと撫でた。ぽたぽたと大粒の涙を声を耐えて流す幼い2人の姿は痛々しい。
保護された、とはあの村で一体どのような扱いを受けていたというのか。夏油の頭に良くない考えが浮かんだ。
「言っただろう、見えるのは君たちだけじゃないよ」
青江の言葉に、2人は大きく何度も頷いた。
呪霊が見えたことで、苦しい思いをしてきたのだろうか。
「そんなに泣いては目が溶けてしまうぞ、2人とも」
「なら、目が溶けないようにお昼寝するしかないかな」
そういうと、蜻蛉切が後ろから2人を抱え上げる。両腕に乗せ、驚いた2人は太い首にしがみつく様に腕を回した。
ぐんと視界が高くなった2人は目を合わせ、蜻蛉切を見つめ、ふふ、と楽しげに笑い出した。
「蜻蛉様!たかい!」
「たかいたかーい!」
「蜻蛉切のは大きいからね。身長のことだよ?」
ふた振りと2人の様子に息を吐く夏油。
青江が会ってくれてありがとう、というと蜻蛉切に挨拶を促された2人が、「夏油様またあとで」と小さな手を振って部屋から出て行く。それに振り返し、姿が見えなくなったところで、2人のことを考える。
少女2人を、本丸で保護している状態に、違和感を覚える。
「考え事か?」
突然聞こえてきた声に、パッと襖の方を向く。緑の髪をした青年、鶯丸が盆を片手に立っていた。
「驚かせたかな。何度か声を掛けたんだが」
「あっ、すみません」
「いやいや、気にするな。ところで、茶は好きか。良い玉露を使ったんだが…紅茶の方が好きか」
「とんでもないです。緑茶が好きです」
「それは良かった」
鶯丸は夏油の向かいに置かれた座布団に座ると、盆に乗せて運んできたお茶も差し出した。
「俺は茶を淹れるのが中々得意でな。旨いぞ」
「ありがとうございます」
マイペースなのだろうか。湯呑みを三つ持ってきた鶯丸は、その場で淹れてきた茶を自らも飲んでいる。
戸惑いながら、湯呑みの中身を冷ましていると、茶菓子を持った物吉が現れた。
「お待たせしました。夏油さんは、餡子食べられます?」
「はい」
「良かった。金澤のきんつばは食べたことありますかね。美味しいですよ」
呪霊を経口摂取している夏油からすれば、この世で食べられない物は無い。粒餡派か、漉餡派か、という問題も些細なことだった。
下座に座った物吉は懐紙の上に乗せられたきんつばを夏油と鶯丸の前に置いた。
「鶯丸さんも良かったですか」
「あぁ、ありがとう」
夏油はここで初めて鶯丸の名前を知った。
銀色の紙を剥がしていく鶯丸に倣い、出された和菓子を食べようと夏油も手にかける。実は金澤のきんつば、いつだったか五条が美味いと言っていた為気になってはいたのだ。
正直、持ち帰ってから味わいたいが、今手をつけなければ気を遣っていると気にさせてしまうと思ったのであった。
「美々子ちゃんと菜々子ちゃんには会いました?」
「はい」
「ん?遊ばずに部屋に戻ったのか」
「丁度お昼寝の時間だから、主様のお仕事が終わる前にお顔を見せにきたんですよ」
「まぁ、話が長くなるだろうしな」
要領を得ないふた振りの会話に夏油は黙って茶を飲んだ。というか、ここで食べるのかふた振りとも。多少の気まずさを感じながら、五条絶賛の菓子を食べる。
「美々子と菜々子は、あの村で迫害されていたんだ」
鶯丸の言葉に、手を止める夏油。物吉は悲しそうに瞳を伏せている。
唐突な話出しにやはりマイペースな刀なのだと受け入れ、夏油は聞く体制に入った。
「人間は、己とは違う少数派を迫害したがる。あの子らは村人が見えない呪霊が見えたということで、虐待されていたんだ。呪霊が起こした怪奇についても冤罪を掛けられ、2人して座敷牢に閉じ込められていた。あの子らの両親は残念ながら、村人によって殺されている」
夏油の目が見開かれ、膝の上でギリと拳が握られた。あの子達は恥ずかしがっていたのではなく、警戒し怖がっていたのだ。声無き涙は虐待によってできた癖だった。呪霊が見えるのが自分たちだけじゃ無いと知ったあの涙に、どれだけの苦しさが含まれていたのだろうか。
「青江が保護し、君の送迎をしてくれていた補助監督とやらに預けようとしたんだが、怯えが尋常じゃなくてな、葦家の助けもあって、今はこの本丸で療養中だ」
気持ちを落ち着かせるために深い呼吸を意識する。自問自答は終わらせたはずだったのに、夏油の頭を駆け巡るのは非術師に対しての思い。
「君の怒りは最もだ。真面な人間ならば、村人達を到底許せない。葦家も主も、酷く怒っている。だから、本丸で預かっている」
「我々は、正直呪術界を信用していません」
物吉の硬い声に、夏油はのろのろと顔を上げた。
「僕らが言うのもアレですが、前時代的な風潮が強すぎます。あの子達を、呪術界に預けて幸せになるとは思えませんでした。かと言って、この本丸も100%安全とも言えませんが」
「まぁ、呪術師の素質がある様だから、いつか決断する日は来る。あの子達が何を選ぶかわからんが、どんな未来を選んでも良いように、色々教えてやってほしい」
「僕らはあくまで霊力についてしか特化してませんから。呪霊を視認することはできますが、本職は夏油さん達なので」
夏油は険しい顔で、しっかりと頷いて見せた。
「私に出来ることは、精一杯やらせていただきます」
「頼もしいな」
夏油の返事に片眉をあげると、自身で入れてきた茶を飲むため、湯呑みを傾ける鶯丸。感情が読めないその刀の様子に、未だに怒りが沸々と湧き続けている夏油は尋ねた。
「お二人は、村人を祟らなかったんですか」
その言葉に顔を見合わせたふた振りは、何でもないように返答した。
「祟らないさ。というより、祟れない」
「…縛りですか」
「いや、そもそも俺たちは刀の付喪神だが、どちらかというと妖のそれに近い。厳密に言えば神であるが、神ではない」
「つまり、僕らにそんな力はないんですよ」
妖とは、呪霊に近いと鶯丸はいう。近いだけで存在としては全く異なる物だが、精霊に近い呪霊がいるように、神に近い妖と思ってくれて良いとのこと。
「俺たちは善悪で動いていない。元は人殺しの道具だったのが、主の力でこうして人の身を得ているに過ぎない」
「主様からお話があると思います。審神者とはなんたるか、正史を守るとは何か。主様自身についても、お話があると思います」
「君の怒りは間違いではない。だが、人を殺すことを君たちの世界では良しとしない。今の日本は法治国家だろう。守るべき秩序は守るべきだ。……綺麗事を並べすぎたか?」
「僕たちに綺麗事も何もありませんよ」
「そうだな。俺たちは刀でしかない」
お互いに納得したように頷き合うと、物吉が空になった湯呑みと銘々皿を片付ける。
「主様のお仕事が終わったようです。時期に参りますので、もう暫くおまちください」
「なら、俺も内番に戻るかな」
「待ってください、今日内番だったんですか」
「あの」
内番をサボって来ていた鶯丸に、流石に困った表情を浮かべる物吉。立ち上がり、部屋を出て行こうとするふた振りは夏油によって呼び止められた。
「色々、教えてくださりありがとうございました。あと、お茶菓子とお茶も」
「気にするな」
「主様からもお話があると思いますし、重複したらすみません」
「いえ、ありがとうございます」
頭を下げた夏油に、また後で、と声を掛けてふた振りは襖を閉めた。
ふた振りが去ってからそう間も無く片桐が顔を出した。着物姿ではなく、普通の洋服に身を包んでおり、なんだか物珍しく映った。
「お待たせしてすみません」
「いえ。お仕事お疲れ様です」
「ありがとうございます」
パンツスタイルにカーディガンを羽織っただけの姿で、シンプルなその格好を意外に思った。
「洋服姿、初めて見ました」
「あ。そうですよね。出掛ける時や任務の時は基本、舐められないように着物なんですけど…。そういえば初めてかも」
「お似合いです」
「えっ!?えと、ありがとうございます」
普通の私服なんですけど、もう少し可愛い格好すればよかった。恥ずかしそうに頰に手を当てる片桐。
先程まで鶯丸が座っていた座布団に腰を落ち着かせると、目を細めて誰か来ていたか尋ねた。
「えっと、…蜻蛉、さんと青い…すみません。まだ名前が」
「お気になさらないで。ゆっくり覚えてください。わからなかったらその都度聞いてください。名前がコロコロ変わってきた刀も多いので、名前を聞かれることも気にしませんから」
「ありがたいです…。あと、鶯丸さんと物吉さんがお茶菓子をくださって」
「鶯丸の淹れるお茶、美味しいでしょう。今日のお菓子は確か、きんつばでしたか?」
「そうです。いつか食べたいと思っていたので、お茶も勿論美味しかったです」
「よかった」
馴染み深い洋服を着ているからだろうか、いつもよりフランクに感じる片桐が新鮮だった。こうして見ると、本当に同世代の一般人の女の子に見える。
「美々子ちゃんと菜々子ちゃんにも会いました」
「挨拶できましたか?」
「してくれました」
「夏油さんは優しいから、きっと2人ともすぐに懐きそうだわ」
美々子と菜々子の話になって、少し声のトーンが落ちた夏油。それに気付いた片桐は、居住まいを正すと、彼を真摯に見つめた。
「夏油さんに、しなければならないお話があります」
「はい、」
「婚約してからする話ではなく、前にするべき話でした。それについては、まずお詫びさせてください」
「……今更、何を聞いても婚約を破棄するつもりはありません。私はもう貴女を手放さない」
夏油の言葉に、想いの強さを感じて、片桐は力無く表情を緩めた。愛されている事実に、酷く安堵したのだ。
「私の生まれについてです。…私は、所謂戦争孤児でした」
なんとなく、もう彼女に両親はいないだろうと思っていた夏油はそれほど驚かなかった。淡々と過去を語る彼女の話をじっと聞き及ぶ。
「歴史が変われば、その時生きていた人間が死に、死んでいた人間が生きている可能性があります。正史では存在していなかった筈の人間がいたり、没落したはずの家が繁栄していたり、そういった歪みが発生するんです。私は、そんな歴史の歪みによって生まれた子供でした」
片桐が生まれた歴史は存在しないものだった。歴史修正主義者によって歪められた出自は、正史に戻された際、片桐という存在のみを残した。
歴史の歪みで生まれる人間は、正史に戻されたことにより消滅するのが常だ。だが、片桐には霊力があった。審神者になれる程度には潤沢な霊力が。
「私という存在のみを残して、歴史は正されました。両親は勿論、私という存在を証明するものはありません。私は、本来なら居ないんです、どこにも」
物心がつく前、世界に取り残された片桐を見つけた時の政府はすぐさま貴重な審神者候補として保護した。
「両親が居らずとも、刀剣男士達は優しくて、親切で、私を慈しみ、愛してくれました。でも、やっぱり彼等は刀で、道具で、人間ですらない」
片桐は悲観しているわけではない。ただ、寂しいとは思う。普通を知らず、普通に憧れながら戦火に身を落とし続ける毎日は、じわじわと彼女の首を絞めた。
「それに、やはり本来私は居ない筈なんだ、と思えば思うほど虚しくなって…。正しくない歴史の中で生まれた私という存在そのものも、正しくないのかも、って。でも、私は審神者として生きる他無くて」
消える筈だった己が、ただ霊力を持っているだけで今を生きている。
「こんな出自だからこそ、あの子達を今預かっています。正しい歴史の元に生まれたのなら、正しく愛を与え、生きて欲しい」
夏油の頭に、つい先日まで己を追い込んでいた考えがよぎる。正しいとは、なんなのか、わからずに一人で苦しんでいたあの時。
「…… 片桐さんにとって、正しい歴史とは、なんですか」
片桐は夏油の問いに、ふい、と視線を上に持ち上げ少し考えると、また前を見据えた。
「そこにあるべく事実です。正史に個人の感情も、善悪も何もありはしません。…我々は過去に遡り、その事実を守ります。歴史を守ることは、今を、そして未来を守っているんです」
規模が大きくて、少しわかりにくいですが、表情を崩した片桐に、夏油も肩の力を抜いた。
「と、いっても、私のはこれは中立的で模範的な考えです。他の審神者だと、『修正された過去を正して消えた家族を取り戻す為』とか、『戦績をあげて家を見返す為』だとか歴史を守るを二の次にしてる方は多いですよ。呪術師にも、いろんな方がいらっしゃいませんか」
同期や後輩、教諭など様々な呪術師の顔が浮かび、そして消えていく。
「軽蔑しましたか、冷たい人間だと」
「っそんなことはないです」
「でも、私は目の前で散ろうとしている命に手を差し伸べることはしません。それでも、ですか」
「それでもです。貴女がそういう立場であることはもう理解しましたし、それに胸を痛めてない訳ではないでしょう」
純粋で、優しい彼女がそこまで非情になりきれているとは思えなかったのだ。己の出自に悩み、美々子と菜々子に手を差し伸べたような彼女が、命を切り捨てる事に辛く思わないはずがない。
「高専でも言いましたが、貴女が何者でも構わないんです。片桐さん、貴女だから、好きなんです」
「ありがとう、ございます」
気が抜けたようにふにゃりと笑った片桐。安堵がにじみ出ているその表情に、夏油もまた笑顔を見せた。
「よく言ったあ!夏油の若旦那!」
「えっ!?」
「うわぁ!?」
スパン、と音を立てた襖が開けられ、2人の和やかな空間は終わりを迎えた。
応接間に突撃したのは次郎太刀。その背後からニヤニヤと楽しげな表情の日本号が立っている。
襖の横から顔を出している平野藤四郎は申し訳なさそうに眉を下げていた。本日の近侍である平野は、応接間の前で待機していたのだ。
「呪術師なのに主が見込んだだけある!」
「いやはや、熱烈な告白だったなぁ」
ふた振りの言葉に2人はカァと初々しく頬を染める。なんだかんだ気持ちを伝え合っている2人だが、第三者に言われると照れるものがあっ。
「ぬっ、盗み聞きしたの!?」
「偶々前を通っただけだよ」
「嘘!この部屋の先にふた振りとも用なんてないでしょ!」
「決めつけは良くないなぁ、嬢ちゃんよぉ」
ぐぅ、と黙り込む片桐。
「小難しい話はもう終わったろ?なら次は、楽しいことをしよう」
「酒盛り…、いや、宴だよ!」
「夏油の坊は飲める口かい?」
「夏油さんはまだ未成年!」
親戚のおじさんに振り回されているような片桐に、夏油は小さく笑った。知らない彼女が、本丸では沢山見られる。これからは、それが当たり前になるのだと思うと嬉しかった。
*
「あ、誰だろ。あの人」
任務から帰ってきたばかりの虎杖、伏黒、釘崎の3人は、見慣れない人物が高専内を歩いている姿を目に止めた。
華やかな着物を身に纏い、きょろきょろと辺りを見渡している。
「来賓とか?」
「呪術関係者にしてはなんか、雰囲気が俺らとは違うな」
1人で歩いていたその女性の元に、1人の男性が駆け寄る。真っ白な装いに日光が反射して眩しい。
その白い男が、こちらに気がついたように手を振っている。
「え、何」
「呼んでる、のか…?」
「なんか困ってんのかな。俺、様子見てくるわ!」
持ち前の俊足であっという間に来賓と思われる男女の側まで駆け出した虎杖。呼び止める間も無く走り出した彼に、伏黒と釘崎は仕方が無さそうに追い掛ける。
着物の女性は片桐と名乗り、白い男性は鶴丸国永と名乗った。
「ごめんなさいね。何度か高専に足を運んだことがあるのだけど、なんだかつくりが変わったように見えて」
「あー…、何度か改装してるらしいので、俺たちで良ければ案内しますよ」
困ったような片桐の言葉に、伏黒はバツが悪そうに表情を顰めた。嘘は言っていない。ただ、誰かさん達によって何度もぶっ壊される高専の施設を修復していたら数年単位で設計が変わった、という話であった。
「助かります。学長室に行きたいの」
「それなら東棟の建物だな。ご案内しまーす!」
「ありがとう」
片桐と虎杖、釘崎が横に並び、その背後に伏黒、さらにその斜め後ろ後ろから鶴丸が歩いた。
「片桐さんと鶴丸さんって呪術師なの?」
「いいえ。でも、呪術師の方とは随分前から交流があるの」
「へぇー。何のお仕事してるんですか?」
「軍人よ」
へ、と虎杖と釘崎が片桐を見つめた。
着物を着ているせいで体のラインは見えないが、どう見ても普通の女性に見えた。
「見えない?」
「えっ、あっ!えっと」
「ふふ、そうよね。私は皆が想像するような屈強な軍人じゃないもの」
じゃあ一体どういう軍人なの、首を傾げる虎杖。
「私は肉体労働はしないの。使うのは頭。指揮官とか、参謀役だと思って頂戴。それ以外だと見た目通り、何も出来ない女よ」
朗らかに笑った片桐に、虎杖と釘崎は頷いた。言われてみれば、背筋をしゃんと伸ばして歩いているだけなのに雰囲気がある。優しそうに見えるが、防衛大の教官のように実際はめちゃくちゃ怖かったりするのだろうか。好奇心でむにむにと唇が動いた。
「連帯責任とか言って筋トレ命じたりするんスか!」
「どんなものを想像したの。私はしないわよ」
ふふ、と口元に手を当てて肩を揺らした姿に、上品な人だと伏黒は思った。やはり、とても軍人には見えない、3人の意見は合致していた。
「簡単にいうと、部隊にどこに進軍しなさい、だとか撤退してくださいっていう指示を出すのよ。私の部隊は全員が完成されているから、訓練も自主性に任せているの」
「指揮官っぽいッスね!」
「へぇー!でもどこに進軍するんですか。今別に戦争してないでしょ。災害の時とかの出動?」
「いいえ」
首を振っただけの否定。片桐は何も言わずに、釘崎の質問ははぐらかされてしまった。
学長室までの道すがら、ニコニコと常に穏やかだった片桐の纏う空気が変わった。
つい、と視線を会議室へ向けると、鶴丸が伏黒を追い越して片桐の側まで寄る。
「片桐さん?」
「どったの?」
「…ん、ちょっと、」
目を細めた片桐が軽く手を振ると、背後に立っていた鶴丸の姿が消えた。それを見ていた伏黒だけがぎょっと目を剥く。
「は!?」
一体何が起こったんだ、と声を上げようとしたが、先に会議室が開き何者かが外へ出てきた。
高専生3人も知らない男だった。男は4人が外にいたことに一瞬驚いたようだったが、片桐の姿を見ると眉間にしわを寄せる。
「何故貴様がいる」
「貴様?いつの時代の方かしら、貴方」
厳しい声色の片桐の様子に戸惑う3人。確かに失礼な物言いだと思うが、知り合いなのだろうか。
「両面宿儺の器……。流石審神者様だな、其奴のいる高専に足を踏み入れるなんて、余程奇特な様子。俺は1秒だってここの空気を吸っていたくないのに」
「はぁ?なんだテメェ!」
「よせ、釘崎」
虎杖を貶されたことに怒る釘崎。それを止めようとする伏黒もまた、ひたいに青筋が浮かんでいる。
片桐は男の言葉に片眉をあげると、釘崎と伏黒を制して一歩前に出た。
「ふふ、態々来たくもない高専に足を運ぶだなんて、余程お暇なのね。羨ましいわ、私は忙しくて、無理矢理有給休暇を取ってきたくらいなのに。上層部の皆さんは見栄っ張りなのね、人手不足なんて嘘をついて。…あ、ごめんなさい。もしかしたら貴方1人が無能なだけで、呪術界自体は目が回るほど忙しいわよね」
片桐の愛らしい唇から紡がれる言葉は男を煽るものばかり。ゆったりと煽り続ける片桐に、釘崎と伏黒は怒りを萎めて口を開けてしまう。
男は自身を侮辱する言葉を延々と並べられ怒り心頭だった。
「このっ………」
「嗚呼、気をつけて。私の刀の間合いだわ」
困ったように頰に手を当てた片桐。男の視界に、白くて眩い刀の鞘が映り込む。ぐっと反った太刀が、男の喉仏にコツンと当たる。
全く気配なく背後を取った鶴丸。呪術界最強の1人、五条悟を思わせるような真っ白な髪に人間離れした金色に輝く瞳。耳触りのいい、ゾッとするような声が耳を撫でる。
「驚いたかい」
怒りで赤く染まった顔色は、一瞬で青褪めていく。
「心の篭っていない謝罪はいりません。今すぐ目の前から消えてくださる?」
全く怖くもない睨みを片桐らにきかせた男は舌打ちを1つすると足早に立ち去っていった。
「本当に失礼な人ね。嫌なら来なきゃいいのに。何のための電話?オンライン?アナログ人間が多過ぎるのよ、呪術界は」
「全くだな」
ふん、と可愛らしく腰に手を当てる片桐にうんうんと同意する鶴丸。コミカルなその様子にハッと我に帰ったのは虎杖だった。
「ごめん片桐さん!俺のせいで嫌味言われて…」
「嫌味を言われたのは貴方のせいじゃないわ。あの男が矮小なだけ」
「そうよ虎杖、あんなちっさい男の言う事気にすんじゃないわよ」
女性2人にフォローされ、ほっと頰を緩めた。伏黒もまた、気にするなと肩を叩いた。
「そーそ!あんなどこの誰だか知らない呪術師の言う事なんて気にしてちゃキリないからね!」
「うわぁ!?」
「五条先生!」
生徒3人の頭上から聞き慣れた担任教師の声が。首を真上に向ければ、いつも通り怪しげな風貌の五条がお疲れサマンサ、と陽気に声を掛けてきた。
「今のは加茂家の分家じゃなかったかい?いや、分家の分家かな…」
「それもう加茂の血もうっすいでしょ」
「夏油先生まで!」
五条の隣に立つもう1人の男は同じく高専教師の夏油傑。顎に手を当てて考えるそぶりを見せるが、曖昧なものだった。
胡散臭い笑みを携えながら、や、と片手をあげる夏油。
「どうして彼女と?」
切れ長の目を更に細めた夏油は3人を見下ろしながら片桐に意識を向けた。
「あっ、そうだ俺たち片桐さんのこと学長室に案内してて…」
「おや、そうだったのか。3人とも、ありがとう」
そういうと、夏油は片桐の側に立ち、彼女の手から荷物を奪った。
「迷ったの」
「えぇ、なんだか高専の作り変わった?」
「あー、そうだったかな」
「片桐サンが最後に高専来たのいつだっけ」
「2年程前だった覚えが」
「あらら、なるほどね」
親しげな様子の夏油と片桐。五条もまた、知っている仲なのか話しかけている。
「じゃあ、片桐さんは私が学長室に連れていくから」
「3人とも、ここまでありがとう」
「全然!此方こそありがとうございました!」
手を振って夏油と鶴丸と共に立ち去る片桐を見つめながら、伏黒が首を傾げた。
「何者なんですか、あの人」
「軍人って聞いたけど、自衛隊ってこと?」
「自衛隊は軍人じゃないでしょ〜。でも、軍人は正解だね」
「指揮官だって聞いたよ」
「あ〜そうだね。あってるあってる」
「で、結局の所なんなんですか。呪術師じゃないでしょ、あの人」
「なんだっけ、ハニワ…様?とか言われてたけど」
虎杖の言葉に思わず吹き出した五条。釘崎はその様子に二歩ほど引いた。
アハアハ笑った五条は、「ハニワじゃなくて審神者ね」と訂正した。
「審神者については、また追々授業をするつもりだよ。それまで自主学習しといてね!」
「えー!あっ、じゃあ夏油先生とはどういう関係なの?」
「それ思った!いい感じだったわよね!」
「片桐サンは傑のお嫁さんだよ」
3人の空気が止まる。頭巡るのは、「あの夏油傑の嫁?」という信じ難い事実に対する驚愕。
「結婚してたんですかあの人!?」
「うん。してたよ」
「うっそ!?あの男と片桐さんが!?」
「野薔薇って傑のこと嫌いだったの?」
学生時代から婚約者だったよ、あの2人。
五条の爆弾に釘崎は信じられないと頭を抱えた。最初は着物と上品な女性が物珍しく話しかけていたが、会議室から出てきた男とのやり取りで好感度は一気に立ち昇っていたのだ。虎杖を馬鹿にした男を蹴散らし、穏やかに煽る姿が気持ち良くて、最高に格好良く映った。
「鶴丸さんはなんなの?」
「ああ、お爺ちゃんね」
「じい…?」
全然爺さんではないけど。変なあだ名でもつけたのか、と伏黒は五条を胡乱げに見上げた。
「あれは片桐サンの護衛。彼女が指揮する部隊の1人だよ」
人ではないけど。心の中で否定するも、3人には伝えなかった。
五条は片桐という審神者について思い出す。親友の夏油が心底惚れた女は、戦争の最前線に立つ血生臭い軍人だった。力を持たない一般女性の皮を被ったその軍人は、夏油を救った恩人でもある。
一時期、呪詛師になってもおかしくなかった親友を、繋ぎ止め続けてくれた彼女の
先程消えた男に対する対応を見ても、心強い女性だと思う。
きっと、五条の目指す呪術界には、親友の愛した女性も、力になってくれるに違いない。
目の前で夏油への酷評を述べながら、片桐について話す未来達を横目に、五条は口角を上げた。