夏油が何をしている人間なのか知らない審神者
御空を捨てた子ども【完結】
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まだ14年ぽっちしか生きていない少女が死んだ。抱えられた四肢は力無く、人形のようにブラブラと揺れている。
色の無い唇は、つい先程まで心からの願いを紡いでいた筈なのに。
パチパチパチ、乾いた音が耳を打つ。音が広がる度に、腹の底から熱い何かが湧き上がり、同時に頭は冷えていく。
顔を上げれば、笑みを浮かべた何者かが事切れた彼女を見つめている。
気味が悪い、奇妙な光景だった。
「コイツら、殺すか?」
抑揚の無い五条の声が、聞こえる。
研ぎ澄まされたような親友の雰囲気には気がついていた。静かな瞳は、本当に何も感じていないかのように凪いている。
「今の俺なら、多分何も感じない」
「いい。意味がない」
目の前で天内の死を喜ぶ盤星教の信徒達には何の力もない。呪霊は見えず、また呪霊に抗う力なぞ持っていない。己の命を守る術を持たない弱者で間違いなく、夏油が守るべきだと考え続けていた非術師である。
非術師は守るべき存在だ。
本当に、そうだろうか。
そんな時、夏油の脳裏に浮かんだのは暖かい記憶。片桐の裏表の無い心からの笑顔だった。
『夏油さん』と穏やかに呼ばれる己の名前が色を持って胸に広がる。ぎゅう、と直接心臓が握られたように苦しくなった。
こんな時にまで、彼女の顔が思い浮かぶなんて。
恋とは呪いだ。
夏油の心に寄生した恋 は、彼の心を蝕み続ける。
どんなに苦しく辛い局面でも、結局思い浮かぶのは片桐との思い出。
迷う夏油を繋ぎ止めるように、記憶の中の片桐が笑う。傷一つ無い、綺麗な手が差し出され、何も知らない無垢な表情が華やぐ。
パチパチパチ、乾いた音が彼女の声を掻き消して、天内を貫いた赤色が目の前を染めて。
胃の底から迫り上がる吐き気が喉を焼いた。
非術師は守るべき存在だ。
本当に、そうだろうか。
*
片桐本丸は、今日も出陣、遠征、内番がフル稼働していた。勿論手入れ部屋も常に誰かが入っている。
非番の刀剣男士達は厨番を買って出たり、審神者の業務を手伝ったりしている。
日課の業務だけではなく、政府からの唐突な出陣任務、遠征任務等で休みを返上し片桐も審神者としても指揮を取っていた。
仕事の合間で高校からの課題を済ませ、また仕事へと戻る。が、多忙を極めている片桐は机の横に手が付けられていない課題を束ね、戦況を確認しながら提出間際の報告書を仕上げにかかる。
活発になりだした歴史修正主義者の足跡を掴もうと躍起になっている時の政府は審神者達に無理難題を押し付け、更には汚職が発覚した高官や政府関係者などの処罰に追われていた。何故今、人事的な問題が発生しているかというと保守派と革新派が真っ向にぶつかり合い互いに足の引っ張り合いをしているからである。この頃、派閥の均衡が崩れて来ており、審神者達にも影響が出ている。仕事について余裕が持てる時期と忙殺される時期が繰り返され、フラストレーションが溜まり一癖も二癖もある彼らが、いつ政府に殴り込みに行くかわかったもんじゃ無かった。
心を殺して働き続ける片桐は、己の刀達の心配をよそにいつも通り振舞っている。が、幼少期から片桐の姿を見ている刀達にとって、取り繕っていることなど明白だった。
髪と服装を乱し、涙で流れてしまった化粧跡を手直しすることなく、片桐は篭手切江に手を引かれて帰ってきた。
片桐達を迎えた燭台切光忠は、呆然と己を見上げる我が主に酷く動揺した。
夏油に会う日は前倒しで日課の任務を進め、政府からの無茶振りを上手に捌いている。その日もまた同じように業務をこなし、前日から決めていた着物と髪型、化粧で飾り付け、明るい笑顔で「いってきます」と本丸を出て行った筈。
それが一体全体、何がどうしてこんな悲壮な姿に。
片桐の帰りに気がついた刀達が続々と玄関へ顔を出し、絶句していく。
護衛を担当していた篭手切が、困り果てていると、懐に収まっていた信濃藤四郎が顕現した。片桐と同様に泣き腫らした目元をそのままに、「相手方とはもう会わないことになった」と集まっていた刀達に伝えた。
誰もが言葉を失う中、片桐が力無く笑った。「これからは、イレギュラーなく、以前までの業務日程で動きます。…迷惑かけてごめんね」
そう言うと、篭手切と信濃に手を引かれて離へと向かった。
『片桐〜!!!誰もいないじゃない!?』
「では、其方は陽動部隊ですね。本陣は此方で叩きます。安定、遡行軍を撃退後、ホシは無力化して拘束」
『わかったよ』
『ちょっと!?いいとこ取りしようっていうの!?』
「合同任務なのでいいとこ取りもクソもないですよ」
片桐は政府から合同任務を割り振られ、全体の総指揮を取っていた。相方となる審神者、葦家と共に遡行軍を殲滅、歴史修正主義者と思われる男を拘束が任務内容である。
葦家含め、葦家本丸の出陣部隊は陽動だと思われる遡行軍を殲滅し、片桐本丸からの出陣部隊で本陣に切り込む。
部隊長の大和守安定の物騒な声が片桐鼓膜を揺らす。
『ホシを拘束』
「了解。こんのすけ、政府に連絡入れて」
「了解致しました!」
「葦家さんはうちの部隊と合流して、政府からの実働隊の到着を待ってください」
『わかってるわよ!』
葦家の不機嫌丸出しの声に片桐は眉一つ動かさず、指示を出していく。
審神者は基本、内勤が多く、任務に直接足を運ぶことは無い。だが、数は少ないが葦家のように直接任務地に赴く審神者も存在する。
この場合、審神者は自衛手段を持ち、また遡行軍を殲滅することができる武力も持っている。
葦家は女の身でありながら、武力行使が可能な珍しい審神者だった。
『片桐、ホシは政府に引き渡したわ』
「ありがとうございます。では、任務遂行、お疲れ様でした。報告書は私から提出しておきます」
『待ちなさい』
「はい?」
『今あんたの部隊を帰還させたから、部隊長を伴って政府に来て』
葦家は一方的に要件を伝え、通信を切った。
片桐が戸惑っている間に部隊が帰還し、同時にこんのすけも戻ってきた。
「政府からの要請です!」
「本部に来いって?」
「おや?伝達が来てましたか?」
「ううん。葦家さんから聞いた」
政府からの要請についての内容は葦家から聞いているのだろう、と思ったこんのすけは己の役目は終わったと姿を消した。
こんのすけから要請内容を聞こうと思った片桐はあっ、と声を上げる間も無くこんのすけが消え、頭を掻いた。
どうも報連相を忘れがちなこんのすけと要件人間の葦家ならば仕方がない、と報告書の仕上げは後回しにする。
主ー、と声を上げながら己を呼ぶ大和守の声を聞き、背後で事務作業をしていた松井江と、近侍の太郎太刀へ声を掛ける。
「本部に行ってくる。不測の事態が起きた場合、総指揮は太郎太刀に委ねます」
「承知しました」
「気をつけて」
頭を下げた太郎太刀と、手を振って見送る松井に頷くと、片桐は執務室の外で待機していた薬研藤四郎を伴い玄関へ向かう。
途中、此方へ向かっていた大和守も合流し、一人と二振りはゲートを潜り、時の政府本部を目指した。
ゲート前で待っていた葦家は顎で着いてくるように示すと、彼女の部隊の隊長である加州清光を連れて先を歩いた。
「お待たせしてすみません」
「本当よ」
実際は全く待たせていないし、待っていないのだが、葦家はフンと鼻を鳴らして前を歩く。
「ご用件は」
「聞いてないわけ?」
「主が要件言わずに通信切ったんでしょー?」
加州からの呆れたような声に葦家はウッと唸ると、「呪具の確認よ」と何事もなかったかのように話し始めた。
「修正主義者の男が持っていた物ですか」
「そう。今政府にいる"見える"連中が全員出払ってるらしくて、あんたを呼べってさ」
「なるほど」
片桐は"見える"審神者であり、呪具に宿った呪いやその効果がどんなものか把握することができる。しかし、専門家ではない為そこまで詳細な情報は出せない。片桐がこういった『呪具の確認』に呼ばれる場合、大抵が「慣れてる連中が来るまでこの呪具どうやって保管しとけばいいかな〜」の相談である。
因みに、政府所属の刀剣男士達も"見える"のだが、呪具の効果に当てられてしまう可能性がある為、必ず政府の人間か審神者が確認する決まりになっている。
件の呪具があるらしい一室に着けば、机の上に並べられ、小さな結界に囲われている押収品が。刀達を外で待たせ、中で待っていた職員から案内を受ける。
片桐がパッと見た限り、消耗品らしいそれらにはもう何も宿っていない。
「これとこれ、あとこの札にも何の効果もありません。全部使っちゃったんでしょうね」
「じゃあただのゴミってこと?」
「ゴミ、というか…。このそれっぽいお札が貼られてる銃なんて、BB弾ですよ。多分」
「えっ!……あ、本当だ。見えない所為で慎重になってました」
「良い危機感です」
白い手袋を着けた職員はほっと胸をなでおろす。"見えない"人間は、相当禍々しい呪具でなければそれが呪具であると認識できない。
「でも、これは何だか変ですね」
「変?」
「えっ、どれですか」
「これです。この寸鉄」
片桐が指すのは黒い長い棒。所謂暗器に分類される寸鉄は、歴史修正主義者が上着の袖口に隠し持っていたそう。
それをじっと見つめながら、見覚えのある気配だなと首を傾げた。
「変って、どう変なのよ」
「霊力じゃない、何か別の…穢れとも違うんですが、そういう変な力が込められています」
時の政府管轄の呪具は、霊力を込めて作られている。製作の際に術を施し、呪具が完成する。相当強力なもので無い限り、呪具は消耗品であるため効力は薄れていく。
札を貼って擬似呪具として使われる物もあるが、押収品の中には存在しない。
片桐の言葉を聞いた葦家は結界を勝手に解くと、寸鉄を直接手に取った。
「えっ!?ちょっと葦家様!?」
「これ、呪具だけど、呪具じゃないわね」
「え?」
「"うち"の管轄じゃないってことよ」
「ま、まさか…」
「残念ながら、そのまさかよ」
青ざめる職員と、嫌そうに舌を出す葦家。
1人だけ話が読めない片桐は、気まずそうに挙手をして発言許可を伺う。
「あの、そのまさかって、何のことなんでしょうか…」
「はぁ?」
葦家は心底不可解です、という表情で片桐を睨みつけた。
察しの悪い奴だな、と口にしそうになったが、片桐について思い至り、仕方無さそうにため息をついた。
「あんた、確か徴兵組だったわね」
大和守安定、薬研藤四郎、加州清光は自分たちの主人が扉の外へ出てくるのを手持ち無沙汰に待っていた。
葦家本丸所属の加州が、己の髪をいじりながら腐れ縁の大和守へ声を掛ける。
「片桐さん、大丈夫なわけ?」
「…大丈夫って?」
「見合い相手との事だよ」
「何で知ってるの」
薬研は口出しする事なく、二振りのやり取りを見守った。
大和守は、何故他所の本丸の加州がその事について知っているのか怪訝な様子である。
「有名な話だけど。主が心配してたんだよね」
「有名な話?」
黙ったままだった薬研が横から顔を覗かせ、加州を見上げる。
片桐の縁談が破談したことが有名な話とは、それはつまり片桐の失恋が意図せず広まっているということではないか。
対して、加州の言う『有名な話』とは、"あの"呪術師との縁談として有名であるということだった。
実は片桐に対してだけ、上手いこと情報操作がなされ、呪術師について一切説明がされなかった。だから片桐含め、刀剣男士達は呪術師について一切知らされていないのが現状であった。
「だって、"あの"呪術師が相手だったんでしょ?破談が寧ろ英断だろ。主だって、『片桐の目が覚めてよかった』って言ってたし」
「呪術師…!?」
「待て待て待て、一から説明してくれ」
困惑気味の大和守と薬研の様子に、加州もまた困惑してしまう。
一から説明もクソもないのだが。
「えぇ?だから、あの碌でもないクソの権化だって有名な呪術師と見合いして、どういう訳か初回じゃ破談しなくて、でも一年経ったくらいでやっと婚約もせずに破談になってくれてよかったー!って話でしょ」
世間知らずの片桐さんがクズ野郎に騙されなくてよかったって、主本当に心配してたんだから。
薬研は相変わらず葦家の大将は難儀なお人だ、と思った。
大和守は腕を組んで壁に寄りかかる加州の肩を鬼気迫る様子で摑みかかる。
「クソ!?クズって何!?主が好きになった人が!?ていうか呪術師ってどういう事だよ!」
「痛っ!?極てんだから力強いんだよお前…!」
「主が失恋して何が良かっただ!あの日、泣いて帰ってきたんだぞ!?そんなあの子を迎えた僕らの気持ちわかるかっ!」
「知るかよっ!!っだから痛いって!」
「主に人を見る目が無いっていうのか!?」
「オイオイ、落ち着けよ」
終いには加州の胸倉まで掴みかかった大和守を慌てて止める薬研。
流石に時の政府本部で他所の本丸の刀剣男士同士が喧嘩とは頂けない。大事になれば、1番迷惑を掛けてしまうのは己の大将なのだから。
三振りが縺れ合う中、怒れる大和守と同じくらいの勢いで、呪具が押収されている扉が開いた。
部屋から出てきたのは片桐。片桐は目の前で掴み合う三振りに目もくれず、スタスタと来た道を戻っていく。
後を追って葦家が飛び出し、片桐を引き止めるように肩を掴んだ。
更に後から出てきた顔色の真っ白な政府職員は片桐が飛び出してきたことにより時を止めたまま掴み合う刀剣男士三振りにぎょっと目を剥く。
「片桐っ!落ち着きなさい」
「落ち着いてます」
「嘘つくんじゃないわよ。自分の刀置いて帰ろうとすんな」
片桐は感情を乗せない顔で、葦家を振り返った。
その顔を見て、大和守と薬研はすっと身を引く。あの片桐が久し振りにガチでキレている。
「私は自分が恥ずかしいです。何にも知らずに能天気に笑って過ごして、本当に情けない」
「片桐…」
「だから舐められるんですね。政府の方々には、私が葦家さんみたいに自衛手段も持たず、責任能力も果たせない無知の子供だと思われ続けて。だからずっと良いように使われて、情報統制に気付かず、恋に恋するこどもの私は随分滑稽だったでしょうね」
「あの、片桐…?」
「マジでムカつく…!!」
ワッ、と天を仰ぎ、頭をぐしゃぐしゃとかき混ぜる片桐。怒りでキャパを超えると、子供の癇癪のように地団駄を踏み出すのが片桐の癖であった。
「徴兵組の私に呪術の知識がない事を良いことに好き放題利用しやがってー!!何がクソ呪術界だ!時の政府も似たり寄ったりだろ!自分たちのこと棚に上げて…!こンの陰湿政府!アホバカボケ!!」
「ちょっと、落ち着いて、」
「実際私のお陰で審神者が何人見つかった!?知ってんだぞ演練で知らない審神者が増えてんの!なのに私の働きに対して全くの報酬無し!休みも無し!任務はいつも通り来る!無茶振りもいつも通り振られ続ける!」
「ハ?何それマジで?」
「マジですよっ!ムカつくムカつくムカつくっ!!」
ダンダン!と床を踏みしめる片桐は確かに子供で間違いないと後ろでドン引いていた政府職員は思った。
葦家は片桐の癇癪に呆気に取られたが、彼女の言い分を聞いて、顔をしかめる。
政府のセコい遣り口に常日頃ムカついていた葦家。
考えるように顎に手を当てると、未だに喚いている片桐に声を掛ける。
「片桐、あんたに私の任務譲ってあげるわ」
今散々任務について文句言ってたんですけど、話聞いてましたか、片桐は理解不能だとでも言うように葦家の言葉に口を曲げた。
政府役人の柴田は、パソコンを持って無人の会議室へと向かう。これから定例の審神者面談の時間なのだ。
柴田が担当している審神者は全員で9人。未成年が3人と、成人が6人。その中には最近審神者になった者もいる。
柴田は名簿を見ながら面談相手の戦績を眺める。
「10時半から片桐様、飛んで、13時から瀬上様」
9人の審神者の内、片桐は殊更優秀な審神者だった。
刀剣男士達との仲は良好。出陣、遠征、演練、どれをとっても戦績は素晴らしい。歴史修正主義者を拘束するような対人任務においても的確な指揮を執る。我も癖も強い他の審神者と組ませても問題なくコミュニケーションが取れ、完全勝利Sを収めてくれる。
更に、あの呪術界とのパイプを繋ぐ際、上手いこと働いてくれた影の功労者。
本丸で愛され、真面に育ったお陰で酷い我儘を言わない可愛らしい子ども。
柴田は腕時計で時間を確認し、先に面談ルームに入る事にした。カーソルを合わせ、クリックすれば、『本丸ID000001864
片桐様 の入室をお待ちください』と出るはずが、画面に映ったのは既に待機していたらしい片桐。
「わっ!お、お早いですね」
「柴田さんも」
「いえ、お疲れ様です。では、早いですが始めてしまいますか」
「そうですね」
いつものように、何か困っていることはないか。本丸の運営は順調か。あの任務はどうだったか。柴田から質問し、それに対して片桐が答えていく。
「先日の葦家様との任務はどうでしたか」
「滞りなく終わりました」
「呪具の確認のため、要請に応じてくださり、ありがとうございました」
「いえ、するべき事をしただけなので」
担当役人の仕事は、担当する審神者の生活環境を整えたり、メンタルケアをする、といった面が多い。任務の割り振りはまた別の部署が行なっており、血生臭いことに柴田は全く関与していないのだ。
「そういえば、あの寸鉄どうなりましたか」
「すんてつ…?あっ、あーっとですね、はい、此方で保管しておりますよ」
「そうなんですか?葦家さん、呪術界に返さなきゃならないって言ってましたけど」
えっ、と柴田の表情が固まる。
今、目の前の少女の口から『呪術界』と聞こえなかったか。
「『呪術師はクソゴミカス野郎ばかりだから、時の政府が向こうの呪具持ちっぱなしでいたら難癖つけてくるに決まってる』ですって」
「えっ」
「面白いですよね、呪術界隈。なんでしたっけ、『呪力を持ってなければゴミ。術式を持ってなくてもゴミ。霊力持ってたってクソの役にも立たない』非人道的な人間の集まりなんですよね、呪術師の方々って」
「えっ、あの、」
「あと、女性の扱いが酷いって聞きました。確か、『男を立てられない、三歩後ろを歩けない女は、背中を刺されて死んだらいい』でしたっけ。ウケますね」
「そ、そんな言葉、どこで、」
「どこだっていいでしょう。ねぇ、柴田さんはそんなこと言いませんよね。審神者は実力主義ですし、何より、貴方は2205年を生きてる人ですもんね?2000年初頭の、化石レベルの女性軽視、しませんよね?」
「しませんしませんしません」
「ですよね。女をただの胎盤だとは思ってないですよね。審神者を政府の駒として良いように使ってるわけじゃないですよね。私を呪術師と見合いさせて、パイプを繋いでこっそり審神者候補生を見つけて、私に何の報告もなく、報酬もなく、今まで通り任務をあてがって、破談しても今まで通りの生活を続けさせたりしないですよね」
柴田は全身が冷え、更に指先から徐々に震えが広がっていく。
全部バレている。
「ねぇ、柴田さん」
死刑宣告を受けている気持ちになった。
目の前の幼少期から知っている少女は、審神者を務めてもう随分経つ。数々の任務に出て、様々な審神者と交流して、多くの敵を討ち取って。片桐という少女は、柴田の知らないところで、酸いも甘いもとっくに経験している。
所詮事務職員でしかない柴田とは異なり、武官の括りに数えられる審神者。画面の向こうにいる片桐は、確かに年端もいかない少女だが、何十もの刀剣男士を従える将なのだ。
「私、怒ってますよ」
表情からも、声色からも、何の感情も伺えなかった。
ゾッと背筋が震えた柴田は、ドッドッ、と早まる心臓を自覚しながら逃げるように頭を下げた。
「ぉ、ぅっ、おうっ、かがい、いたします…!今すぐ…!」
「はい。お待ちしております」
*
「第一部隊、部隊長山鳥毛。以下、日光一文字、南泉一文字、鶴丸国永、堀川国広、前田藤四郎」
「分かった。率いるのには慣れている」
「大将、一応聞くが、どういう刃選だ?」
「圧力部隊よ」
「圧力?」
「まだ相当怒ってる、にゃ」
片桐は尋ねてきた近侍の厚藤四郎に、可愛らしく笑いかけた。
片桐は、葦家に与えられていた任務を一つ譲り受けた。
それは、『宍倉幸昭』という男の拘束だった。宍倉は歴史修正主義者の顔と言われている男だ。長年追っていた男の尻尾を掴み、必ずや捕まえると躍起になっている政府は、その宍倉拘束を葦家に言いつけた。
葦家は、何度か現世に赴き宍倉の追跡を行なっていた。そこで、一つわかったことがあった。
宍倉は呪術師、引いては呪術高専生周辺に出没している、と。
一度目は、盤星教「時の器の会」に紛れ込んでいた。何を目的にしていたのかは不明だが、偽名を使い入信していた。
二度目は、堕ちた土地神が住まう長野県の山奥。高専2年生の2人の呪術師が担当していた任務先に姿を現したという。
『呪術界から引ったくった報告書と、宍倉の動向を照らし合わせてみると、奴はある1人の高専生の任務地付近にもよく姿を現してる』
『まさか、』
『そう、あんたの縁談相手だった夏油傑よ』
宍倉の狙いは夏油だと葦家は告げた。
『奴から殺気は感じたことはない。暗殺目的とは違うと思うわ。多分、勧誘かしら』
『は』
『「時の器の会」の連中は、呪詛師を雇って、星漿体の少女の暗殺を依頼してた。そしてその護衛任務に就いていた2人の内1人が夏油傑』
片桐はその少女が死に、その任務に夏油が当たっていた時期を聞き絶句した。夏油との都合がつかずに会えなかった3ヶ月の間の出来事だった。
夏油は、片桐の知らないところで己よりも幼い護衛対象の少女の死を経験していた。優しく真面目な彼が、そのことで心を痛めていないわけがない。
『そして、厄介な事に、宍倉は獏と夢魔を使役してる』
『は?』
『直接夏油と接触していなくても、奴は使役してる妖怪を使ってコンタクトを取れる、ってこと』
『はぁ〜!?夢魔!?』
片桐の大声に、葦家は溜息をついた。
そこに食いつくと思ったわ。
夢魔とは、サキュバスやインキュバスが有名だが、つまり、夢の中に現れて性交をし、その精気を吸い取る淫魔である。
片桐は今までの話の前後など捨て去り、必ず宍倉幸昭と名乗るクソカス犯罪者を豚箱にぶち込んでやると心に決めた。
片桐は、呼び上げた第一部隊の刀達から、その隣に立つ第二部隊へ目を向ける。
「次、第二部隊。部隊長、にっかり青江。以下、数珠丸恒次、髭切、膝丸、大典太光世、山姥切長義」
「経験豊富なところ、君に見せないとね」
「こっちはわかりやすいな」
「でしょ」
「ガッチガチだねえ。部隊のことだよ?」
片桐は斜め後ろに厚を従え、目の前に並ぶ十二振りの刀達を見上げた。
左に並ぶ圧力がある第一部隊。その隣に並ぶ『ガッチガチ』な第二部隊。
絶景だな、と一つ頷くと、刀達に作戦を伝える。
「まず、第一部隊と私で呪術界の上層部に喧嘩を売る。山鳥毛の自然な圧で耄碌爺達をビビらすよ。夏油さん含め、その他の呪術師を馬車馬のように働かせてるらしいし、多分私の事も舐めてかかってくる筈」
「大将、喧嘩を売る必要があるのか。政府からしたら穏便に、争い事なんて起こしたくないんじゃ…」
「だってムカつくもの。私まだ怒ってる。それに、もう政府には許可とったしね。好きにしていいってさ」
山鳥毛は穏やかな顔で自然な圧とは、と首を傾げている。南泉の顔色が少し悪いが、期待通りの『自然な圧』だ、と片桐はにこりと笑った。
「第二部隊には、宍倉拘束に乗り出してもらう。葦家さんのところの小夜左文字と日向正宗がずっと尾けてるから、その二振りと合流して。奴の使役してる妖怪やら悪魔やら式神やら呪霊は全て叩っ斬ってよし。やり甲斐しかないわね」
まだ任務開始前なのに既に満足気な片桐。そんな彼女の様子に、堀川が気遣わし気に声を掛ける。
「主さん、もし夏油さんとお会いしたら、どうするんですか?」
「……」
堀川の言葉に、刀達からの視線が集まるのを感じた。
好きだからこそ、会うのが苦しいと言われた。たから、好きだから、もう会わないと決めた。
あの最後の日から既に一年近く経っていた。それでも、片桐は未だに夏油に惹かれ続けている。
片桐にとって、あれ程魅力的な人は居ない。真面目で優しくて、普段は大人っぽいのに、笑うと幼くなる。あの大きな手に、また触れる事を夢にまで見る。
片桐の背に、厚の手が添えられた。己と背丈があまり変わらないのに、背中にこの刀が居るだけで頼もしく感じた。
前を見据える。美しく、頼もしい己の刀達の姿は、やはり壮観だ。
「会ったら、会った、だよ。皆は、私が泣かないように見守ってて」
彼に会ったら、泣くだろうか、片桐は少し考えたが、わからない。会ってみなければわからない。会えなければ会えないで、それで構わない。
政府に腹を立て、呪術界に対して苛立っているのは確かだった。片桐は己の怒りのままに、好きなようにに動く事にしただけ。
「任務は明後日。ゲート前に朝の8時に集合」
向かう戦場は2007年9月、東京。
色の無い唇は、つい先程まで心からの願いを紡いでいた筈なのに。
パチパチパチ、乾いた音が耳を打つ。音が広がる度に、腹の底から熱い何かが湧き上がり、同時に頭は冷えていく。
顔を上げれば、笑みを浮かべた何者かが事切れた彼女を見つめている。
気味が悪い、奇妙な光景だった。
「コイツら、殺すか?」
抑揚の無い五条の声が、聞こえる。
研ぎ澄まされたような親友の雰囲気には気がついていた。静かな瞳は、本当に何も感じていないかのように凪いている。
「今の俺なら、多分何も感じない」
「いい。意味がない」
目の前で天内の死を喜ぶ盤星教の信徒達には何の力もない。呪霊は見えず、また呪霊に抗う力なぞ持っていない。己の命を守る術を持たない弱者で間違いなく、夏油が守るべきだと考え続けていた非術師である。
非術師は守るべき存在だ。
本当に、そうだろうか。
そんな時、夏油の脳裏に浮かんだのは暖かい記憶。片桐の裏表の無い心からの笑顔だった。
『夏油さん』と穏やかに呼ばれる己の名前が色を持って胸に広がる。ぎゅう、と直接心臓が握られたように苦しくなった。
こんな時にまで、彼女の顔が思い浮かぶなんて。
恋とは呪いだ。
夏油の心に寄生した
どんなに苦しく辛い局面でも、結局思い浮かぶのは片桐との思い出。
迷う夏油を繋ぎ止めるように、記憶の中の片桐が笑う。傷一つ無い、綺麗な手が差し出され、何も知らない無垢な表情が華やぐ。
パチパチパチ、乾いた音が彼女の声を掻き消して、天内を貫いた赤色が目の前を染めて。
胃の底から迫り上がる吐き気が喉を焼いた。
非術師は守るべき存在だ。
本当に、そうだろうか。
*
片桐本丸は、今日も出陣、遠征、内番がフル稼働していた。勿論手入れ部屋も常に誰かが入っている。
非番の刀剣男士達は厨番を買って出たり、審神者の業務を手伝ったりしている。
日課の業務だけではなく、政府からの唐突な出陣任務、遠征任務等で休みを返上し片桐も審神者としても指揮を取っていた。
仕事の合間で高校からの課題を済ませ、また仕事へと戻る。が、多忙を極めている片桐は机の横に手が付けられていない課題を束ね、戦況を確認しながら提出間際の報告書を仕上げにかかる。
活発になりだした歴史修正主義者の足跡を掴もうと躍起になっている時の政府は審神者達に無理難題を押し付け、更には汚職が発覚した高官や政府関係者などの処罰に追われていた。何故今、人事的な問題が発生しているかというと保守派と革新派が真っ向にぶつかり合い互いに足の引っ張り合いをしているからである。この頃、派閥の均衡が崩れて来ており、審神者達にも影響が出ている。仕事について余裕が持てる時期と忙殺される時期が繰り返され、フラストレーションが溜まり一癖も二癖もある彼らが、いつ政府に殴り込みに行くかわかったもんじゃ無かった。
心を殺して働き続ける片桐は、己の刀達の心配をよそにいつも通り振舞っている。が、幼少期から片桐の姿を見ている刀達にとって、取り繕っていることなど明白だった。
髪と服装を乱し、涙で流れてしまった化粧跡を手直しすることなく、片桐は篭手切江に手を引かれて帰ってきた。
片桐達を迎えた燭台切光忠は、呆然と己を見上げる我が主に酷く動揺した。
夏油に会う日は前倒しで日課の任務を進め、政府からの無茶振りを上手に捌いている。その日もまた同じように業務をこなし、前日から決めていた着物と髪型、化粧で飾り付け、明るい笑顔で「いってきます」と本丸を出て行った筈。
それが一体全体、何がどうしてこんな悲壮な姿に。
片桐の帰りに気がついた刀達が続々と玄関へ顔を出し、絶句していく。
護衛を担当していた篭手切が、困り果てていると、懐に収まっていた信濃藤四郎が顕現した。片桐と同様に泣き腫らした目元をそのままに、「相手方とはもう会わないことになった」と集まっていた刀達に伝えた。
誰もが言葉を失う中、片桐が力無く笑った。「これからは、イレギュラーなく、以前までの業務日程で動きます。…迷惑かけてごめんね」
そう言うと、篭手切と信濃に手を引かれて離へと向かった。
『片桐〜!!!誰もいないじゃない!?』
「では、其方は陽動部隊ですね。本陣は此方で叩きます。安定、遡行軍を撃退後、ホシは無力化して拘束」
『わかったよ』
『ちょっと!?いいとこ取りしようっていうの!?』
「合同任務なのでいいとこ取りもクソもないですよ」
片桐は政府から合同任務を割り振られ、全体の総指揮を取っていた。相方となる審神者、葦家と共に遡行軍を殲滅、歴史修正主義者と思われる男を拘束が任務内容である。
葦家含め、葦家本丸の出陣部隊は陽動だと思われる遡行軍を殲滅し、片桐本丸からの出陣部隊で本陣に切り込む。
部隊長の大和守安定の物騒な声が片桐鼓膜を揺らす。
『ホシを拘束』
「了解。こんのすけ、政府に連絡入れて」
「了解致しました!」
「葦家さんはうちの部隊と合流して、政府からの実働隊の到着を待ってください」
『わかってるわよ!』
葦家の不機嫌丸出しの声に片桐は眉一つ動かさず、指示を出していく。
審神者は基本、内勤が多く、任務に直接足を運ぶことは無い。だが、数は少ないが葦家のように直接任務地に赴く審神者も存在する。
この場合、審神者は自衛手段を持ち、また遡行軍を殲滅することができる武力も持っている。
葦家は女の身でありながら、武力行使が可能な珍しい審神者だった。
『片桐、ホシは政府に引き渡したわ』
「ありがとうございます。では、任務遂行、お疲れ様でした。報告書は私から提出しておきます」
『待ちなさい』
「はい?」
『今あんたの部隊を帰還させたから、部隊長を伴って政府に来て』
葦家は一方的に要件を伝え、通信を切った。
片桐が戸惑っている間に部隊が帰還し、同時にこんのすけも戻ってきた。
「政府からの要請です!」
「本部に来いって?」
「おや?伝達が来てましたか?」
「ううん。葦家さんから聞いた」
政府からの要請についての内容は葦家から聞いているのだろう、と思ったこんのすけは己の役目は終わったと姿を消した。
こんのすけから要請内容を聞こうと思った片桐はあっ、と声を上げる間も無くこんのすけが消え、頭を掻いた。
どうも報連相を忘れがちなこんのすけと要件人間の葦家ならば仕方がない、と報告書の仕上げは後回しにする。
主ー、と声を上げながら己を呼ぶ大和守の声を聞き、背後で事務作業をしていた松井江と、近侍の太郎太刀へ声を掛ける。
「本部に行ってくる。不測の事態が起きた場合、総指揮は太郎太刀に委ねます」
「承知しました」
「気をつけて」
頭を下げた太郎太刀と、手を振って見送る松井に頷くと、片桐は執務室の外で待機していた薬研藤四郎を伴い玄関へ向かう。
途中、此方へ向かっていた大和守も合流し、一人と二振りはゲートを潜り、時の政府本部を目指した。
ゲート前で待っていた葦家は顎で着いてくるように示すと、彼女の部隊の隊長である加州清光を連れて先を歩いた。
「お待たせしてすみません」
「本当よ」
実際は全く待たせていないし、待っていないのだが、葦家はフンと鼻を鳴らして前を歩く。
「ご用件は」
「聞いてないわけ?」
「主が要件言わずに通信切ったんでしょー?」
加州からの呆れたような声に葦家はウッと唸ると、「呪具の確認よ」と何事もなかったかのように話し始めた。
「修正主義者の男が持っていた物ですか」
「そう。今政府にいる"見える"連中が全員出払ってるらしくて、あんたを呼べってさ」
「なるほど」
片桐は"見える"審神者であり、呪具に宿った呪いやその効果がどんなものか把握することができる。しかし、専門家ではない為そこまで詳細な情報は出せない。片桐がこういった『呪具の確認』に呼ばれる場合、大抵が「慣れてる連中が来るまでこの呪具どうやって保管しとけばいいかな〜」の相談である。
因みに、政府所属の刀剣男士達も"見える"のだが、呪具の効果に当てられてしまう可能性がある為、必ず政府の人間か審神者が確認する決まりになっている。
件の呪具があるらしい一室に着けば、机の上に並べられ、小さな結界に囲われている押収品が。刀達を外で待たせ、中で待っていた職員から案内を受ける。
片桐がパッと見た限り、消耗品らしいそれらにはもう何も宿っていない。
「これとこれ、あとこの札にも何の効果もありません。全部使っちゃったんでしょうね」
「じゃあただのゴミってこと?」
「ゴミ、というか…。このそれっぽいお札が貼られてる銃なんて、BB弾ですよ。多分」
「えっ!……あ、本当だ。見えない所為で慎重になってました」
「良い危機感です」
白い手袋を着けた職員はほっと胸をなでおろす。"見えない"人間は、相当禍々しい呪具でなければそれが呪具であると認識できない。
「でも、これは何だか変ですね」
「変?」
「えっ、どれですか」
「これです。この寸鉄」
片桐が指すのは黒い長い棒。所謂暗器に分類される寸鉄は、歴史修正主義者が上着の袖口に隠し持っていたそう。
それをじっと見つめながら、見覚えのある気配だなと首を傾げた。
「変って、どう変なのよ」
「霊力じゃない、何か別の…穢れとも違うんですが、そういう変な力が込められています」
時の政府管轄の呪具は、霊力を込めて作られている。製作の際に術を施し、呪具が完成する。相当強力なもので無い限り、呪具は消耗品であるため効力は薄れていく。
札を貼って擬似呪具として使われる物もあるが、押収品の中には存在しない。
片桐の言葉を聞いた葦家は結界を勝手に解くと、寸鉄を直接手に取った。
「えっ!?ちょっと葦家様!?」
「これ、呪具だけど、呪具じゃないわね」
「え?」
「"うち"の管轄じゃないってことよ」
「ま、まさか…」
「残念ながら、そのまさかよ」
青ざめる職員と、嫌そうに舌を出す葦家。
1人だけ話が読めない片桐は、気まずそうに挙手をして発言許可を伺う。
「あの、そのまさかって、何のことなんでしょうか…」
「はぁ?」
葦家は心底不可解です、という表情で片桐を睨みつけた。
察しの悪い奴だな、と口にしそうになったが、片桐について思い至り、仕方無さそうにため息をついた。
「あんた、確か徴兵組だったわね」
大和守安定、薬研藤四郎、加州清光は自分たちの主人が扉の外へ出てくるのを手持ち無沙汰に待っていた。
葦家本丸所属の加州が、己の髪をいじりながら腐れ縁の大和守へ声を掛ける。
「片桐さん、大丈夫なわけ?」
「…大丈夫って?」
「見合い相手との事だよ」
「何で知ってるの」
薬研は口出しする事なく、二振りのやり取りを見守った。
大和守は、何故他所の本丸の加州がその事について知っているのか怪訝な様子である。
「有名な話だけど。主が心配してたんだよね」
「有名な話?」
黙ったままだった薬研が横から顔を覗かせ、加州を見上げる。
片桐の縁談が破談したことが有名な話とは、それはつまり片桐の失恋が意図せず広まっているということではないか。
対して、加州の言う『有名な話』とは、"あの"呪術師との縁談として有名であるということだった。
実は片桐に対してだけ、上手いこと情報操作がなされ、呪術師について一切説明がされなかった。だから片桐含め、刀剣男士達は呪術師について一切知らされていないのが現状であった。
「だって、"あの"呪術師が相手だったんでしょ?破談が寧ろ英断だろ。主だって、『片桐の目が覚めてよかった』って言ってたし」
「呪術師…!?」
「待て待て待て、一から説明してくれ」
困惑気味の大和守と薬研の様子に、加州もまた困惑してしまう。
一から説明もクソもないのだが。
「えぇ?だから、あの碌でもないクソの権化だって有名な呪術師と見合いして、どういう訳か初回じゃ破談しなくて、でも一年経ったくらいでやっと婚約もせずに破談になってくれてよかったー!って話でしょ」
世間知らずの片桐さんがクズ野郎に騙されなくてよかったって、主本当に心配してたんだから。
薬研は相変わらず葦家の大将は難儀なお人だ、と思った。
大和守は腕を組んで壁に寄りかかる加州の肩を鬼気迫る様子で摑みかかる。
「クソ!?クズって何!?主が好きになった人が!?ていうか呪術師ってどういう事だよ!」
「痛っ!?極てんだから力強いんだよお前…!」
「主が失恋して何が良かっただ!あの日、泣いて帰ってきたんだぞ!?そんなあの子を迎えた僕らの気持ちわかるかっ!」
「知るかよっ!!っだから痛いって!」
「主に人を見る目が無いっていうのか!?」
「オイオイ、落ち着けよ」
終いには加州の胸倉まで掴みかかった大和守を慌てて止める薬研。
流石に時の政府本部で他所の本丸の刀剣男士同士が喧嘩とは頂けない。大事になれば、1番迷惑を掛けてしまうのは己の大将なのだから。
三振りが縺れ合う中、怒れる大和守と同じくらいの勢いで、呪具が押収されている扉が開いた。
部屋から出てきたのは片桐。片桐は目の前で掴み合う三振りに目もくれず、スタスタと来た道を戻っていく。
後を追って葦家が飛び出し、片桐を引き止めるように肩を掴んだ。
更に後から出てきた顔色の真っ白な政府職員は片桐が飛び出してきたことにより時を止めたまま掴み合う刀剣男士三振りにぎょっと目を剥く。
「片桐っ!落ち着きなさい」
「落ち着いてます」
「嘘つくんじゃないわよ。自分の刀置いて帰ろうとすんな」
片桐は感情を乗せない顔で、葦家を振り返った。
その顔を見て、大和守と薬研はすっと身を引く。あの片桐が久し振りにガチでキレている。
「私は自分が恥ずかしいです。何にも知らずに能天気に笑って過ごして、本当に情けない」
「片桐…」
「だから舐められるんですね。政府の方々には、私が葦家さんみたいに自衛手段も持たず、責任能力も果たせない無知の子供だと思われ続けて。だからずっと良いように使われて、情報統制に気付かず、恋に恋するこどもの私は随分滑稽だったでしょうね」
「あの、片桐…?」
「マジでムカつく…!!」
ワッ、と天を仰ぎ、頭をぐしゃぐしゃとかき混ぜる片桐。怒りでキャパを超えると、子供の癇癪のように地団駄を踏み出すのが片桐の癖であった。
「徴兵組の私に呪術の知識がない事を良いことに好き放題利用しやがってー!!何がクソ呪術界だ!時の政府も似たり寄ったりだろ!自分たちのこと棚に上げて…!こンの陰湿政府!アホバカボケ!!」
「ちょっと、落ち着いて、」
「実際私のお陰で審神者が何人見つかった!?知ってんだぞ演練で知らない審神者が増えてんの!なのに私の働きに対して全くの報酬無し!休みも無し!任務はいつも通り来る!無茶振りもいつも通り振られ続ける!」
「ハ?何それマジで?」
「マジですよっ!ムカつくムカつくムカつくっ!!」
ダンダン!と床を踏みしめる片桐は確かに子供で間違いないと後ろでドン引いていた政府職員は思った。
葦家は片桐の癇癪に呆気に取られたが、彼女の言い分を聞いて、顔をしかめる。
政府のセコい遣り口に常日頃ムカついていた葦家。
考えるように顎に手を当てると、未だに喚いている片桐に声を掛ける。
「片桐、あんたに私の任務譲ってあげるわ」
今散々任務について文句言ってたんですけど、話聞いてましたか、片桐は理解不能だとでも言うように葦家の言葉に口を曲げた。
政府役人の柴田は、パソコンを持って無人の会議室へと向かう。これから定例の審神者面談の時間なのだ。
柴田が担当している審神者は全員で9人。未成年が3人と、成人が6人。その中には最近審神者になった者もいる。
柴田は名簿を見ながら面談相手の戦績を眺める。
「10時半から片桐様、飛んで、13時から瀬上様」
9人の審神者の内、片桐は殊更優秀な審神者だった。
刀剣男士達との仲は良好。出陣、遠征、演練、どれをとっても戦績は素晴らしい。歴史修正主義者を拘束するような対人任務においても的確な指揮を執る。我も癖も強い他の審神者と組ませても問題なくコミュニケーションが取れ、完全勝利Sを収めてくれる。
更に、あの呪術界とのパイプを繋ぐ際、上手いこと働いてくれた影の功労者。
本丸で愛され、真面に育ったお陰で酷い我儘を言わない可愛らしい子ども。
柴田は腕時計で時間を確認し、先に面談ルームに入る事にした。カーソルを合わせ、クリックすれば、『本丸ID000001864
片桐様 の入室をお待ちください』と出るはずが、画面に映ったのは既に待機していたらしい片桐。
「わっ!お、お早いですね」
「柴田さんも」
「いえ、お疲れ様です。では、早いですが始めてしまいますか」
「そうですね」
いつものように、何か困っていることはないか。本丸の運営は順調か。あの任務はどうだったか。柴田から質問し、それに対して片桐が答えていく。
「先日の葦家様との任務はどうでしたか」
「滞りなく終わりました」
「呪具の確認のため、要請に応じてくださり、ありがとうございました」
「いえ、するべき事をしただけなので」
担当役人の仕事は、担当する審神者の生活環境を整えたり、メンタルケアをする、といった面が多い。任務の割り振りはまた別の部署が行なっており、血生臭いことに柴田は全く関与していないのだ。
「そういえば、あの寸鉄どうなりましたか」
「すんてつ…?あっ、あーっとですね、はい、此方で保管しておりますよ」
「そうなんですか?葦家さん、呪術界に返さなきゃならないって言ってましたけど」
えっ、と柴田の表情が固まる。
今、目の前の少女の口から『呪術界』と聞こえなかったか。
「『呪術師はクソゴミカス野郎ばかりだから、時の政府が向こうの呪具持ちっぱなしでいたら難癖つけてくるに決まってる』ですって」
「えっ」
「面白いですよね、呪術界隈。なんでしたっけ、『呪力を持ってなければゴミ。術式を持ってなくてもゴミ。霊力持ってたってクソの役にも立たない』非人道的な人間の集まりなんですよね、呪術師の方々って」
「えっ、あの、」
「あと、女性の扱いが酷いって聞きました。確か、『男を立てられない、三歩後ろを歩けない女は、背中を刺されて死んだらいい』でしたっけ。ウケますね」
「そ、そんな言葉、どこで、」
「どこだっていいでしょう。ねぇ、柴田さんはそんなこと言いませんよね。審神者は実力主義ですし、何より、貴方は2205年を生きてる人ですもんね?2000年初頭の、化石レベルの女性軽視、しませんよね?」
「しませんしませんしません」
「ですよね。女をただの胎盤だとは思ってないですよね。審神者を政府の駒として良いように使ってるわけじゃないですよね。私を呪術師と見合いさせて、パイプを繋いでこっそり審神者候補生を見つけて、私に何の報告もなく、報酬もなく、今まで通り任務をあてがって、破談しても今まで通りの生活を続けさせたりしないですよね」
柴田は全身が冷え、更に指先から徐々に震えが広がっていく。
全部バレている。
「ねぇ、柴田さん」
死刑宣告を受けている気持ちになった。
目の前の幼少期から知っている少女は、審神者を務めてもう随分経つ。数々の任務に出て、様々な審神者と交流して、多くの敵を討ち取って。片桐という少女は、柴田の知らないところで、酸いも甘いもとっくに経験している。
所詮事務職員でしかない柴田とは異なり、武官の括りに数えられる審神者。画面の向こうにいる片桐は、確かに年端もいかない少女だが、何十もの刀剣男士を従える将なのだ。
「私、怒ってますよ」
表情からも、声色からも、何の感情も伺えなかった。
ゾッと背筋が震えた柴田は、ドッドッ、と早まる心臓を自覚しながら逃げるように頭を下げた。
「ぉ、ぅっ、おうっ、かがい、いたします…!今すぐ…!」
「はい。お待ちしております」
*
「第一部隊、部隊長山鳥毛。以下、日光一文字、南泉一文字、鶴丸国永、堀川国広、前田藤四郎」
「分かった。率いるのには慣れている」
「大将、一応聞くが、どういう刃選だ?」
「圧力部隊よ」
「圧力?」
「まだ相当怒ってる、にゃ」
片桐は尋ねてきた近侍の厚藤四郎に、可愛らしく笑いかけた。
片桐は、葦家に与えられていた任務を一つ譲り受けた。
それは、『宍倉幸昭』という男の拘束だった。宍倉は歴史修正主義者の顔と言われている男だ。長年追っていた男の尻尾を掴み、必ずや捕まえると躍起になっている政府は、その宍倉拘束を葦家に言いつけた。
葦家は、何度か現世に赴き宍倉の追跡を行なっていた。そこで、一つわかったことがあった。
宍倉は呪術師、引いては呪術高専生周辺に出没している、と。
一度目は、盤星教「時の器の会」に紛れ込んでいた。何を目的にしていたのかは不明だが、偽名を使い入信していた。
二度目は、堕ちた土地神が住まう長野県の山奥。高専2年生の2人の呪術師が担当していた任務先に姿を現したという。
『呪術界から引ったくった報告書と、宍倉の動向を照らし合わせてみると、奴はある1人の高専生の任務地付近にもよく姿を現してる』
『まさか、』
『そう、あんたの縁談相手だった夏油傑よ』
宍倉の狙いは夏油だと葦家は告げた。
『奴から殺気は感じたことはない。暗殺目的とは違うと思うわ。多分、勧誘かしら』
『は』
『「時の器の会」の連中は、呪詛師を雇って、星漿体の少女の暗殺を依頼してた。そしてその護衛任務に就いていた2人の内1人が夏油傑』
片桐はその少女が死に、その任務に夏油が当たっていた時期を聞き絶句した。夏油との都合がつかずに会えなかった3ヶ月の間の出来事だった。
夏油は、片桐の知らないところで己よりも幼い護衛対象の少女の死を経験していた。優しく真面目な彼が、そのことで心を痛めていないわけがない。
『そして、厄介な事に、宍倉は獏と夢魔を使役してる』
『は?』
『直接夏油と接触していなくても、奴は使役してる妖怪を使ってコンタクトを取れる、ってこと』
『はぁ〜!?夢魔!?』
片桐の大声に、葦家は溜息をついた。
そこに食いつくと思ったわ。
夢魔とは、サキュバスやインキュバスが有名だが、つまり、夢の中に現れて性交をし、その精気を吸い取る淫魔である。
片桐は今までの話の前後など捨て去り、必ず宍倉幸昭と名乗るクソカス犯罪者を豚箱にぶち込んでやると心に決めた。
片桐は、呼び上げた第一部隊の刀達から、その隣に立つ第二部隊へ目を向ける。
「次、第二部隊。部隊長、にっかり青江。以下、数珠丸恒次、髭切、膝丸、大典太光世、山姥切長義」
「経験豊富なところ、君に見せないとね」
「こっちはわかりやすいな」
「でしょ」
「ガッチガチだねえ。部隊のことだよ?」
片桐は斜め後ろに厚を従え、目の前に並ぶ十二振りの刀達を見上げた。
左に並ぶ圧力がある第一部隊。その隣に並ぶ『ガッチガチ』な第二部隊。
絶景だな、と一つ頷くと、刀達に作戦を伝える。
「まず、第一部隊と私で呪術界の上層部に喧嘩を売る。山鳥毛の自然な圧で耄碌爺達をビビらすよ。夏油さん含め、その他の呪術師を馬車馬のように働かせてるらしいし、多分私の事も舐めてかかってくる筈」
「大将、喧嘩を売る必要があるのか。政府からしたら穏便に、争い事なんて起こしたくないんじゃ…」
「だってムカつくもの。私まだ怒ってる。それに、もう政府には許可とったしね。好きにしていいってさ」
山鳥毛は穏やかな顔で自然な圧とは、と首を傾げている。南泉の顔色が少し悪いが、期待通りの『自然な圧』だ、と片桐はにこりと笑った。
「第二部隊には、宍倉拘束に乗り出してもらう。葦家さんのところの小夜左文字と日向正宗がずっと尾けてるから、その二振りと合流して。奴の使役してる妖怪やら悪魔やら式神やら呪霊は全て叩っ斬ってよし。やり甲斐しかないわね」
まだ任務開始前なのに既に満足気な片桐。そんな彼女の様子に、堀川が気遣わし気に声を掛ける。
「主さん、もし夏油さんとお会いしたら、どうするんですか?」
「……」
堀川の言葉に、刀達からの視線が集まるのを感じた。
好きだからこそ、会うのが苦しいと言われた。たから、好きだから、もう会わないと決めた。
あの最後の日から既に一年近く経っていた。それでも、片桐は未だに夏油に惹かれ続けている。
片桐にとって、あれ程魅力的な人は居ない。真面目で優しくて、普段は大人っぽいのに、笑うと幼くなる。あの大きな手に、また触れる事を夢にまで見る。
片桐の背に、厚の手が添えられた。己と背丈があまり変わらないのに、背中にこの刀が居るだけで頼もしく感じた。
前を見据える。美しく、頼もしい己の刀達の姿は、やはり壮観だ。
「会ったら、会った、だよ。皆は、私が泣かないように見守ってて」
彼に会ったら、泣くだろうか、片桐は少し考えたが、わからない。会ってみなければわからない。会えなければ会えないで、それで構わない。
政府に腹を立て、呪術界に対して苛立っているのは確かだった。片桐は己の怒りのままに、好きなようにに動く事にしただけ。
「任務は明後日。ゲート前に朝の8時に集合」
向かう戦場は2007年9月、東京。