夏油が何をしている人間なのか知らない審神者
御空を捨てた子ども【完結】
名前
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
担任の夜蛾にひとり呼び出された夏油は、生徒指導室で教師の到着を待った。普段五条と2人でしか入ったことのない無機質で埃っぽい室内にひとり、パイプ椅子をギシギシと鳴らしながらブラインドの隙間から漏れる光をぼんやり眺める。
何かやらかした覚えの無い夏油は太々しくも、如何にして担任を撒くか考えていた。
暫く足音1つ聞こえなかった廊下から足音が聞こえ、ガラガラと強面の男が何やら資料を脇に抱えて生徒指導室へ足を踏み入れる。
「悪いな、任務の無い日の放課後に呼び止めて」
「いえ、」
いつもの説教じみた声色とは異なり、此方を気遣うような夜蛾の様子に夏油は面食らう。怒られ慣れ過ぎである。
夜蛾は夏油の目の前に座ると、持ってきた資料を机の上に置き、その上で手を組んだ。
一体何の話で呼び出されたんだ、と夏油には皆目見当も付かず、何となく姿勢を正して担任へ向き合う。
「単刀直入に言う」
「はい」
「お前に縁談が入った」
「はい、………はい?」
夏油は瞬き、首を傾げた。
えんだん、えんだんとは、縁談のことか。
「お前に見合いの声が掛かった」
「はい、…いえ、言い直さなくて大丈夫です」
夏油は一般家庭の出だ。親友の五条と異なり、今時縁談だの見合いだの許嫁だの無縁な話だった。それを、高専を通して担任の夜蛾から伝えられるとは。
よく考えるとあり得ないことではないが、いきなり見合いだと言われても今ひとつ理解が追いつかない。
幾ら呪術界で貴重らしい『呪霊操術』の使い手であっても、夏油は一般家庭で育ったまだ16歳の子供だった。
「釣書はこれだ」
「はぁ、」
「こっちは相手方に関する資料で、必ず目を通しなさい」
「……?はい、あのこれってもう決定事項なんですか」
「ほぼ、そうだと思った方がいい」
バツの悪そうな顔で夜蛾から資料が手渡される。
その返事に呆然としながら上質な素材の釣書に手を滑らせる。
「それは、相手方と結婚しろということですか。顔も見たこともない相手と、まだ学生の身なのに」
「待て、言い方が悪かったな。そこまでじゃない」
「そこまでじゃない?」
「取り敢えず、会うだけだ。此方の意思と彼方の意思が合致すれば話は進む」
「合致しなければ?」
「破談となる」
夜蛾のやけに含みのある言い方は不審に思ったが、結婚相手がこの見合いとやらで即決定するわけではないと知り、胸を撫で下ろす。
「ファイルに挟まっている資料を出してみろ」
そう言われ、釣書に敷かれている白いファイルから紙を数枚取り出す。
「『時の政府』と言って、宮内庁管轄の組織がある。我々呪術師の様に表立っては仕事をしない組織だ」
曰く、時の政府は呪霊とは異なる見えない何かと戦争をしている。その戦争がどの様なもので、敵が何者かも開示されていない。
呪術師と同様に、機密事項が多く、資料を全部読んでも『時の政府』がどのような組織なのかいまいちわからない。
「釣書を開いてみなさい」
「これ、は、」
夏油は薄く淡い暖色の釣書を開く。本来、写真が収まっているその場所は空白で、何も無い。
同封してあった身上書も開く。
名前 片桐
生年月日
現住所 宮内庁
現在の勤務先 宮内庁 審神者課勤務
趣味 散歩
何一つ情報として意味をなさない事しか書いてなかった。
片桐とは恐らく偽名だ、と夜蛾から言われ、夏油の眉間にはシワが刻まれた。身上書に偽名を書くなんて全くもって信用なら無かった。
生年月日が空白なのも意味がわからないし、現住所が宮内庁であることも理解不能だ。職場で寝泊まりしてるのか。高専の敷地内で寝泊まりしている呪術師を棚に上げて夏油は思った。
「これは、なんですか。しんしんしゃ?」
「審神者だ。審神者というと、神職だったり、近代では霊能力者だと言われたりする」
「巫女や神主とは違うんですか」
「ああ。審神者とは、神託を受け、真意を解釈しそれを伝える者のこと。神の声を聴く者と言われているが、ここに書いてある審神者がその審神者なのかはわからん」
「ここまで情報を隠しておいて馬鹿正直に何者か明かすわけがない、ということですね」
夏油は真っさらな釣書を眺め、内容の薄い身上書を折り畳むとそこに挟んだ。
「上層部の望みは、向こうとパイプを繋ぐこと。存在を秘匿する者同士、横の繋がりを欲しているらしい。彼方さんがどう思っているかはわからないが」
「わかりました」
「…そこまで気負わなくてもいい。やりたいように、思ったまま決めなさい」
夜蛾は他言無用だと伝えると資料と釣書を回収し、日時を伝えると生徒指導室を後にした。
お見合い当日。
東京郊外の雰囲気のある旅館に夏油は引率の夜蛾と共に降り立った。生まれてこの方こんな立派な旅館など訪れたことの無い夏油は態度には出さないが、内心ビビりながら敷居を跨いだ。
「?先生?」
「引率はここまで。終わり次第また迎えに来る」
「え」
そういうと夜蛾は車に戻り、姿を消す。夏油が入り口で立ち竦んでいると、仲居に案内され、綺麗な庭がよく見える部屋へ案内された。
見合いとはこういうものなのか、と混乱と動揺で落ち着きのない夏油は立ち上がり相手方が来るまでウロウロと意味もなく部屋を練り歩く。
名前も不明、顔も不明、何者かも不明、な相手といきなり2人きりで会うなんて上層部は投げやり過ぎないだろうか。
因みに夏油の釣書は学生証の写真が勝手に使われ、身上書も学校が用意したものを勝手に送られていた。
そうこうしているうちに、仲居が再び現れ、「お相手様が間もなくいらっしゃいます」と声を掛けてきた。
夏油はうげ、と思いながらも涼しい顔を貼り付け席に着いた。
心を無にしていると、足音が一つ。が、妙な気配が確かに感じられた。
なんだ、と怪訝に思うも、開けられた襖から現れた少女にその思考も吹き飛ぶ。
「お待たせしてすみません」
「ぁ、…いえ。お構い無く」
申し訳なさそうに眉を八の字に下げた少女は着物に身を包んでいた。大振りな柄が華やかで可愛らしい着物は良く似合っており、裾や袖を気にしている様子はなく、普段から着慣れているだろうことが伺えた。
気がつかなかったが、少女の背後に立っていた茶髪で浅葱色の瞳の少年に何か伝えると、彼女と夏油だけが室内に残り、襖が閉められた。
「片桐と申します。本日はよろしくお願いいたします」
「夏油、です。此方こそよろしくお願いします」
流れるような動作で膝をつき、三つ指をついて頭を下げた少女に夏油も倣って頭を下げた。
夏油の目の前に現れたのは普通の少女に見えた。育ちは良さそうないいところのお嬢さんのような、と枕詞は付くが。
片桐は、陰キャが多く変人、狂人の巣窟である呪術界ではまず見ない普通で善良な少女だった。
事前情報が無さすぎて不審な点は拭えなかったが、話してみればなんて事ない、同世代の女の子だった。
「片桐さんは、博識なんですね」
「そんな、とんでもないです。家に詳しいものが居るんです。なので、自然と」
「そうなんですか。素敵な方がいらっしゃるんですね」
そう夏油が言うと、自分の事のように片桐は頰を少し染め、嬉しそうにはにかむ。身内が褒められて嬉しいのだろう。その様子がなんだか可愛らしかった。
「夏油さんも、その、」
「私も、なんでしょう」
「知的で、とても素敵です」
「あ、りがとうございます」
こうも裏表を一切感じない褒め言葉があるのか、と夏油は驚いた。
時の政府が何目的としているのか、審神者が何者なのか、夜蛾は探る必要はないと言っていた。異文化交流だと思えば良いと。見合いの結果をどうするかも深く考えなくて良いと、そう言われた。
夏油は自身が守るべきだと考える象徴のような少女に少なからず好感を持っていた。
互いに緊張し、ギクシャクしながら食事を始めてもう随分時間が経っていた。徐々に打ち解け、彼女との会話が楽しいと感じ始めた頃、襖の外から声が掛かる。
「片桐様、お迎えの方がいらっしゃったようです」
彼女はあっ、と口を開くと、持ってきていた巾着から懐中時計を取り出し、時間を確認する。巾着の色も、主張が強くない綺麗な色で、懐中時計もレトロでセンスが良いものだった。
「夏油さんとのお話が楽しくて、つい時間を忘れてしまいました…」
「私も、片桐さんとの話は楽しかったです」
そういうと、片桐は何処か安心したような顔で笑った。そして、来た時のように眉を下げ、申し訳ないというような表情をする。
どうしたのか、と夏油が思っていると彼女が姿勢を正して話し出す。
「釣書や身上書の件、申し訳ありませんでした」
「あー…、いえ、仕方のないことですし」
「それでも、機密事項とはいえ、失礼にも程がありました」
「それは、お互い様です。私も時間がなくて学生証の証明写真を引き伸ばしましたし」
夏油がそういうと、片桐は申し訳なさげに伏せていた視線を上げ、夏油をポカンと間抜けな顔で見つめた。
「引き伸ばした……」
「すみません、今の無しで」
フォローのつもりで言った言葉だったが、あまりにも自分も失礼すぎた、と夏油は後悔した。
だが、片桐はその事実に憤る事なく、思わず吹き出してしまったように笑った。
「ふ、ふふ」
「片桐さん?」
「ひきのばし、…っあはは」
すみません、可笑しくて。
片桐が笑ってくれたことに安堵した夏油は、釣られて小さく笑みを零す。
「失礼しました」
「いえ、笑ってくださって助かりましたから」
立ち上がり、彼女を見送ろうと2人で席を立つ。
夏油を見上げ、大きいですね、と唖然とする彼女にまた夏油は笑う。何処までも自然体な片桐にもう少し話していたかったと思った。
夏油が襖を開けると、廊下でずっと待機していたのか、彼女の護衛らしい少年が立っていた。
人好きする笑みでにこ、と夏油に笑いかけ頭を下げられたので夏油も小さく頭を下げた。
「担当さんもいらっしゃってるみたいです」
「わ、そうなの。あまり待たせちゃダメだね」
何事か2人が言葉を交わすと、少年は片桐の一歩後ろに下がり、片桐は夏油を見上げた。
「今日は貴重なお時間を割いていただきありがとうございました。とても楽しかったです」
「此方こそ、片桐さんとお話できて楽しかったです」
お互いに嘘のない言葉だとなんとなく思った。素直らしい彼女は嬉しそうに笑うと、頭を下げて旅館の玄関へ向かう為、夏油に背を向けた。
長い廊下から姿が見えなくなるまで見送ると、夜蛾に連絡しようと一旦部屋へ引っ込もうとする。
「夏油さん!」
「えっ、は、片桐さん?」
角を曲がったはずの片桐が、着物の裾が捲れたりズレたりしないような速度で夏油の元へ戻ってくる。
ととと、と夏油と2メートル程距離を置いた所で立ち止まると、片桐は意を決したように切れ長の瞳を見つめた。
「あの、今日は本当にお話できて嬉しくて、楽しい時間を過ごすことができました。夏油さんとお会いして、よかったと心から思っています」
「は、はい」
「はい、えっと、それで、……また、私と会ってくださいませんか」
胸元できゅ、と綺麗な手が拳を作っている。
彼女が勇気を出し、今の一言を言ってくれたことは一目瞭然だった。これを言うために、夏油の元へ戻ってきたのだと、鈍感でなければわかることだ。
会う前の印象は全くいいものではなかったが、今日実際に会ってみれば普通の可愛らしい女の子だった。笑った顔は年相応で、しかし所作は美しく育ちがいいことが伺えた。
時の政府や審神者が何なのかわからずじまいだが、夜蛾は深く考える必要はないと言っていた。
ならば、己の心のままに。
「はい、是非。私もお会いしたいです」
片桐は固い表情から一変、ぱぁと華やいだように瞳を輝かせる。
穏やかな恋が、始まる予感がした。
「はぁ、夏油、傑さん………」
執務室に響いた見知らぬ名前に加州清光は顔を上げた。
ぐでん、と机に溶けるようにもたれ掛かっている己の主を見る。
「誰?」
「ほら、見合いの」
「あぁ〜!はいはい!堀川が行ってた」
隣で書類整理をしていた山姥切長義の言葉に加州は先日の事を思い出す。
見合いに行く、着飾って欲しいと加州や乱、歌仙などセンスに圧倒的な信頼が置けた刀に片っ端から声をかけていた片桐。その際数振りの刀達で頭を付き合わせて着物、髪型、化粧、小物、何から何までトータルプロデュースしたのも記憶に新しい。
「なになに主、恋患いってヤツ?」
「恋患い……なのかな、」
「あれ、確証持てないの?」
「ううん、なんか、わかんないけど…本当に素敵な人だったの」
「えっ、どんな人だったわけ」
片桐との恋話に花を咲かせた加州に長義はため息をつくと席を立って厨へ向かう。甘い恋話のお供に苦いコーヒーか渋いお茶が飲みたくなるだろうと見越してだった。
「妙な気配はしてたんだけど、内側から溢れ出る清廉なオーラがさ、綺麗で素敵で…話してみても優しい人だったんだよ」
「いいじゃん」
「釣書の写真からさ、あ、私しか見れないんだけどね。その写真見た時からなんか、キラキラしてて…」
「主ってそういうの確か見えるんだったよね」
片桐は所謂『見える』タイプの審神者だった。
霊力にもステ振りが存在しており、刀装を作ることを得意とする繊細作業が得意な審神者がいれば、何故か腕力に振られている審神者もいる。霊力がただ芳醇な審神者や、刀剣男士に好かれやすい霊力を持つ者、管狐に異様に好かれる者など三者三様であった。
片桐の場合、信念や志、その者の心の在り方がぼんやりと分かるのだ。常に見えっぱなし、ではなく見ようと思えば見える程度のものだが。
初め、時の政府から見合いの話が来た時絶対に断ろうと意気込んでいた片桐。しかも相手はよく知らないが我々と同じ秘匿機関の人間。と、くればマトモな人間ではないと勘付いた。女の勘は侮れない。
しかし、いざ釣書を見せられれば見える見える彼の優しい気質。アジア人らしいエキゾチックな容姿もどちらかといえば好みだった片桐は、気がつけば「まぁ、会うだけなら…」なんて返事をしていた。
因みに己側の釣書が真っさらで身上書がいい加減な話は見合い当日に行きの車で知った。閑話休題。
人当たりが良く、好印象を植え付けたかった片桐は護衛に堀川国広を従え、懐に前田藤四郎を忍ばせ夏油の元へと赴いたのだ。
実際会ってみれば少しばかり妙な気配を感じたが、害はないと堀川に言われた為、少し緊張しながら対面した。
綺麗な魂をもつ審神者を神は好く、と聞くが、審神者もまた、綺麗な心を持つ人間が好きだ。
夏油は少しガラの悪そうな制服を着ていたが、本人は物腰柔らかで親しみやすい人だった。笑顔か仕草か声なのかどれが胡散臭いのかわからなかったが、優しい彼の心は間違いなく本物だった。
「片桐さんは、博識なんですね」
「そんな、とんでもないです。家に詳しいものが居るんです。なので、自然と」
「そうなんですか。素敵な方がいらっしゃるんですね」
大般若から聞いた美術品談義の話を思い出し、それを少し話せば夏油は見たこともない己の刀を褒めてくれた。
それがたまらなく嬉しかったことを片桐は忘れない。
迎えが来て、堀川と共に旅館を後にしようとした時、乗り気じゃなかったこの見合いが、彼との最後になるのはとても惜しく感じた。また彼と話したい、会いたいと思えば、来た道を戻り、夏油の前で立ち止まった。
今まで感じたことのない緊張と高揚感に身を任せ、片桐自身の勇気を言葉にした。
「また、私と会ってくださいませんか」
政府が何を考えてこの見合いを持ってきたのか、一介の審神者でしかない片桐にはわからない。今日以上の出来事があれば、またお上に良いようにこき使われるかもしれない。
夏油にも、何か迷惑が掛かるかもしれない。しかし、この人をもっと知りたいと思ってしまえば、片桐は自分の心に正直に行動していた。
「はい、是非。私もお会いしたいです」
見上げた夏油の目つきは鋭いが、確かに暖かく、柔らかくて心地よいものだった。
*
『では、何もなければ本日の面談は終了します』
「はい。あっ、待ってください。一つだけ」
『如何しました』
月に一回の審神者と担当役人の面談日。いつものようになんてことのない本丸での生活を話すだけの時間。
主に新人の審神者や思春期を迎えている審神者のお悩み相談のようなもの。ベテランの審神者にとっては雑談に講じ息抜きにも使われている。
パソコン画面に映る己の担当に片桐は思い出したように先日のことを伝える。
「先日のお見合いで…、夏油さんにまたお会いできるよう都合とかつけていただきたいのですが」
『はい、先日のお見合いの件ですね………お見合い?』
「はい。個人的な連絡先は一応、政府の方に確認取ってからの方がいいかと」
『えっ、えっ!?破談したんじゃ!?』
「え!?してませんよ!?」
いつも落ち着いていて慌てた姿など見たことのない担当役人の度肝を抜かれたような表情に片桐も慌てて否定する。
破談などせず、夏油も片桐ももう一度会食することを同意している。
『だって、あの日車で緊張したし疲れた、って…』
「それは疲れますよ勿論!お見合いなんてしたことないし緊張もしたし」
『あっ、そうだ、そういえば車の中ですぐ寝てらしたわ片桐様』
えっ、うそ。えぇ、と一人百面相をしている慣れ親しんだ大人の姿に片桐は少し不安になる。
「ダメですか、会うの」
『いえっ!その………室長の方にも話を通しておくので、今週の土曜に本部にいらしてください。時間についてはまたご連絡しますね』
「わかりました」
『よろしくお願いします。では、本日は取り敢えず失礼致します』
「はい、ありがとうございました…」
ぷち、と切れた通信に片桐は首を傾げた。そこまで驚くことだろうか、と。
時は経って土曜日。
片桐は本日の近侍の堀川を伴って登庁した。
宮内庁時の政府歴史修正対策室室長の一橋は深刻な顔で片桐を見つめた。
「正気ですか?」
「あの、」
「本気で、また、夏油傑に、お会いしたい、と?」
態と区切って言葉を伝えてくる一橋に対し、片桐は不信感をあらわにする。
「なんなんですか?その含みのある感じ。ダメならダメって言ってください」
「いやいや、ダメとはそんな、言ってませんよ」
「ならなんなんですか」
「確認しているんです。貴方様のために」
何の確認なのだ。まだ婚約するとも決めてないのに。
片桐は不貞腐れたように椅子に深く座り直した。
「相手はその、ねぇ」
「何ですか」
「いえ、まぁ、あまりいい噂がある感じでもないですし…」
「は?そんな人を私にあてがったの?」
曖昧で煮え切らない一橋の態度に遂に敬語を捨てた片桐。幼少期から知っているおじさん相手に形式上でも敬っていることが馬鹿馬鹿しくなったのだ。片桐もしっかり年頃の娘である。
夏油は片桐にしてみれば素敵な男の子であった。また会いたいと思うほどには。
しかし、悪い噂がある男を仮にもうら若く思春期真っ只中の片桐にあてがうとは何事か。
怒りを見せる片桐だったが、一橋や担当役人の態度にも訳があるのだ。
片桐は知らないが、時の政府側が知り得る呪術界隈、引いては呪術師とは総じてクソカスゴミ人間ばかりなのである。
女性の社会進出が目に見えて社会に浸透している今日、呪術界では未だに女性は都合の良い胎扱い。『何とか家に非ずんば呪術師に非ず 呪術師に非ずんば人に非ず』なんてクソの体現を掲げる家もある。
では、何故そんな呪術界と縁談など話が上がったのか。こればっかりは現場人間が多い部署の室長を務める一橋にも詳しいことはわからない。しかし、一橋の上司から口頭で伝えられたのは呪術界で埋もれ、不遇な扱いを受けている審神者候補を探したいのでは、という話である。
万年人手不足はどこの界隈も同じということ。
一橋としてはまぁ、どうせ相手の呪術師はクソだし、人を見る目があって人当たりもいい片桐に適当にやらせて適当に断らせとくか、みたいな気持ちだった。
審神者も総じて変人が多い。片桐はその中でもまだマシな方。それだけの理由で白羽の矢が立ったのだ。
片桐は不機嫌そうに姿勢悪く一橋に対峙する。背後の堀川も苦笑してしまうくらいにはわかりやすい態度だった。
一橋は娘に嫌われたくない父親のように片桐の機嫌を取り始めた。
「でも!片桐様がお会いしたいと思うような方のようですし、噂なんて当てにならないですね!ねぇ!」
「………」
「一応上層部に意向を伝えておきますね!」
「……どーも」
腕を組み、そっぽを向いて返事をする片桐は完全に拗ねていた。
所変わって呪術高専。
保守派の多い上層部に口が利く学長の前には夜蛾と夏油。
「また会いたいと?」
「はい」
「先方が?」
「はい。勿論私もですが」
「本当か?それは」
「あの、…この確認、後何回しますか?」
夜蛾は呆然と夏油を見上げる学長に内心同意していた。
夏油の口からもう一度会う約束を取り付けたので場を設けて欲しい、と言われた時は何がどうなってそうなってそれは向こうもしっかり合意したのか、と何度も同じことを聞いた。
私の心のままに決めました、そう真摯に言われて夜蛾は言葉を失ったのだった。
夏油は同級の家入に言わせてみればクズらしいが、担任の夜蛾からみて真面目で正義感が強く、優しい少年だと評価している。五条が絡めば問題児に間違いないが。
「一体どういうつもりだ…?」
学長が小さな声で何事か呟いた。
呪術界上層部は、縛りを結ぶことによって時の政府についての情報を得ている。
学長もまた、その情報を知っている数少ない呪術師であった。そのため、審神者がどのような存在かも知っている。情報開示されている範囲内での知識ではあったが。
審神者とは、眠っている物の想い、心を目覚めさせ、自ら戦う力を与え、振るわせる『物の心を励起する技』を持つ者。所謂付喪神といわれる存在を臣下とし、戦争の最前線で指揮を取っている。
呪力とは異なり、霊力という清廉な正の力を体に宿しているという。
普段は結界が張られている本丸という本陣から外に出る事は無い。しかし、外に出るとなると必ず臣下を側に従わせる。見合いの場でも付喪神が居るはず。付喪神が側にいながら、まだ学生の身とはいえ呪術師の夏油にまた会いたいとは一体全体何事だというのか。
呪霊とは異なる存在であるが、付喪神が呪術師という存在を好むはずがない。
正直にいうと、上層部としては夏油と審神者の見合いは負け戦だった。何とかコネクションの確立ができたらいいのにな、くらいの弱い祈りで場を設けてみればお互いにワンチャンありそうな予感。
信じられない気持ちと、審神者の見る目死んでるのかという気持ちと、よくやったと夏油を褒めそやしたい気持ちが綯い交ぜになり、同じ事を何度も確認した次第である。
呪術師は呪術師がクソである事をよく理解していた。
因みに何故見合い相手が夏油に選ばれたのかというと何百もの釣書から時の政府側の要望によって彼が選抜された。政府所属の刀剣男士によって「まだマシ」と選ばれたのが夏油だったのである。
斯くして、上層部の預かり知らぬ所で、ほのぼのの青い春を過ごしていく夏油と片桐の恋は、ゆったりと育まれていく。