氷帝生活①
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跡部は今、早足である場所に向かっている。
お腹がデリケートである彼は、先日向日からもらった駄菓子屋のきなこ棒でお腹を壊してしまったのだ。
生徒があまり出入りしない旧校舎のトイレ。誰もいないことを確認し、そこに駆け込む。駆け込むと言っても、“俺様いつでも忙しいから”的なオーラを出し、便意はひた隠しにしている。人っ子一人見当たらないが、スターはいつどこで見られているとも限らない。細心の注意が必要なのである。
それは跡部がアイドルはうんこもオナラもしないんだ、と女子が未だに思ってると思ってるというのもあるし、何より跡部の気高き魂からくる羞恥心がそうさせている。
勢い良く個室に入り、急いではいるが華麗な手つきでズボンと下着を下げる。
「ったく…あんなモン食うんじゃなかったぜ。」
一息ついて、そう吐き捨ててから戦闘態勢に入る。跡部様には、何時如何なる時も台詞を言わなければならないという自分ルールみたいなものがあるに違いない。
拳を握り締め、額にうっすらと汗をかいている。体は小刻みに震え、苦悶の表情を浮かべる跡部。整った良い形の唇からは、時々ため息が漏れる。
上半身だけ見れば艶っぽいわけだが、その原因となっているものはうんこ、うんこなのだ。
跡部が孤独に、壮絶な自分との戦いを繰り広げていると、トイレの外側から声が聞こえてきた。
「宍戸さん、今日も付き合ってもらっちゃってすみませんでした。」
「気にするな。お前には借りがあるからな。」
「借りだなんて…でも、ありがとうございます!」
それは聞き慣れた声であり、宍戸と鳳であるとすぐに分かった。何故こいつらがこんなとこにいるのか、予想外もいいとこだ。だが、どんな時でも冷静さを失わない跡部は、臭いでバレぬよう持ってきていた『トイレそのあとに』をとっさに吹っ掛け、込めていた力を抜いた。
「あの技だったら、もう少し回転かけた方がよさそうですよね?」
「まぁそうだな。ヒジに負担が掛かんねぇようならやってみるか。」
「はい!」
話し声がぐんと近くなり、ジッパーを降ろす音が二回に渡って聞こえてきた。それから少しするとジョボジョボという効果音。
跡部は声を殺しておトイレコンサートに耳を傾けた。いや、傾けざるを得なかった。
コンサート終了までは気が抜けない。そう思うとおちおち力も込められない。持久戦になるとは予想もしていなかった跡部の表情がさらに歪む。
樺地に見張らせておくべきだったか、いや、そんなことしたら確実にバレていた。そんな考えを張り巡らせている間にも、跡部の中の魔物は自己主張を強くする。
「そういえば、部長には会えましたか?」
「まだ会ってねぇんだよ。ここに来る前にあいつの教室行ったんだけどよ、どっか行ったらしくてつかまんなかったぜ。」
「忙しい人ですからねー。」
何の用だ、俺はここにいる、と言えるはずもなく、両ヒザに両ヒジをつき両手で顔面を覆う。
額と背中を伝う不快な冷や汗すらどうにもできない。
「早めに言わねぇと、もしかしたら食っちまってるかもしれねぇからな。」
「普通に考えて食べなさそうですけど、もしもってことがありますからね。」
二人の会話を聞きつつも、ヤツの怒濤の攻撃が容赦なく跡部を襲う。さすがの跡部も、思考力を鈍らせていた。
跡部の頭の中は、お前ら早々に出て行け、放尿時間なげぇんだよ、話なら後で聞いてやるからとにかく出ていけ、ということでいっぱいだった。
もうすでに限界を迎えている跡部。目の前が真っ白になりかけてる。
その時、ジョボジョボという音が途絶えた。
ジッパーを上げる音も二度に渡り聞こえてきたので、コンサートもいよいよ終演だ。
跡部は後一息だと歯を食いしばった。
「しかし、あの向日が腹壊すなんてな。」
水道から出る水の音と、ぐるぐるまわる腹と頭とでイマイチよく聞こえない。跡部は目を閉じ、ひたすら無音になるのを待っていた。今の跡部には、それしかできない。
「学校お休みするなんて、よほど辛いんでしょうね…。あ、宍戸さん、ハンカチ持ってないんですか?」
「そのうち乾くからいいんだよ。行くぞ。」
そして、蛇口をひねる音を最後に二人はトイレを後にした。
力を振り絞り、無音になったのを確認した跡部。ようやくこちらの攻撃に転じることができると口の端を上げた。
それと同時に始業ベルが鳴ってしまったので、遅れてしまった言い訳を考えながらの戦いになってしまったが、それでも跡部は全力を出し切って戦い抜いた。
跡部は今日の部活で、いつもより多く部員を走らせてやろうと、トイレの床を睨みながらこの腹痛に誓った。
終わり
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