Break the Leaden One, the Lord Said.
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
NRC、ナイトレイヴンカレッジには不思議な魔力がある、とイデアは思う。
彼は日々を穏健にやり過ごすことだけに集中するあまり
学生らしい思い出などろくに作っていなかった。
だからこそグラウンドの端に立ってぼんやりと学び舎を眺めたとき
自分が微かな郷愁の念を抱いていることにひどく驚いた。
庭にうねるように広がる芝生に僅かにでも風が吹けば
白く鋭い照り返しが葉に細かなさざ波を作って重々しい直線的な校舎を和らげる。
昨日今日で生えてきたかの如く爽快な緑に古城が浮かぶ光景は下手なコラージュのようで。
無事出席を確保しつつ体力養成の授業をさぼり終えたイデアは
庭を薄く取り囲む木々の間からひょっこり顔を出した。
終業のチャイムがなった後も彼がここにいるのは鏡舎まで一直線の最短距離で帰りたいが
昼休みど真ん中で人通りの多い正門前を通りたくないための時間つぶしという、ちぐはぐな理由のためだった。
いつもなら人気のないグラウンドをぶらぶら歩いて過ごすのだが
今日は生憎、次の時間に体力養成を控えた学生が少し早めに場を陣取っていた。
ちょうどグラウンドと木陰の境目辺りに誰かが座っていて。
顔はじゃれあうクラスメイトの方へ向けられているが、
表情は檻の中の動物を眺めている子供のそれだった。
暖かくもなく涼しくもない、中途半端なところに、ぽつんと。
フィールドならまだしも、そこから少し外れれば地面は雑草に覆われていて
ヒオウギやらなにやらがYMCAもかくやというほどハツラツ好き勝手に生えている。
物好きにも辺鄙な場所へ座っているその人はNRCの紺色、黒い髪の毛に
ワイシャツの爽やかな白と柔らかな肌が眩しかった。
今考えてみればイデアが監督生を認識したのはその時だったのかもしれない。
そんなところにいないで、あっちに入ればいいのに。
イデアは青々と茂る芝生を背景に赤と青と金(これはルークだった)の頭が騒ぎ合うグラウンドを一瞥する。
もう一度監督生に視線を戻した。
彼が率直に感じたのは、その人は不可思議な距離感を持っていて
太陽と青と金とこの地球と赤、地面の芝生と土、抜けるような水色の空と比べて
言いようのないほど、とてつもなく遠くにいるのではないかということだった。
自分ですら輪の外に外れながら、ろくでもない学生諸君と共に日々を回しているのに
その人はその法則すら無視して同じ場所に留まっているようで。
亡霊のようだ、とイデアは思った。
その人は紛れもなく人間であるし、確かに生きている。
白い肌が気まぐれにそう思わせているのか、
それとも太陽の熱に自分の頭がやられたのか彼にはよく分からなかった。
しかし当時の彼にとっては実際のところ心中の悪口も軽口も本音というよりか
学園生活を一介の学生として乗り切るためのルーティーンのひとつに過ぎなかったし
この光景も新学期そうそうに見た幻くらいにしか考えていなかったのだった。
次にその人を見かけたのは、1週間後くらいだったとイデアは朧げに覚えている。
普段食事に関して頓着の無い彼が久々に腹ごしらえでもしようかと
色々様々な料理の匂いが充満する食堂に降り立ったとき、再び出会ったのである。
「出会った」との言葉通り、初めて互いに会話したのだが肝心の内容はといえば
空いている席が見つからずつっかえ気味に相席しても良いか聞いたイデアに対して
体力養成上がりの監督生が「どぞ」という極端に短い返答をしただけであった。
相手のあまりにそっけなさに、このときばかりは彼も驚いた。
なので最初はうつむいていたものの次第に好奇心が対人の恐怖に勝って、
自分の好きなものだけを乗せたプレートをフォークで突きまわしながら
なんということもなく密かに相手を観察し始めた。
限りなく黒に近いダークブラウンの瞳を盗み見ていると
突然イデアはこの人間にデジャヴを感じた。
つまりは彼は7日ほど前に監督生に遭遇したことをすっかり忘れていた。
そのため脳内のメモリーをひっくり返す羽目になりはしたが
細い蔦を手繰って芋という名の記憶を引っ張り出すことに成功した。
屋内で見た監督生は、やはりれっきとした人間だ。
人波の中にふわふわ揺れ動く何枚かの皿や空の給仕用トレーが背後を通り過ぎ。
それより更に奥ではサバナクローとスカラビアの下級生が
なぞなぞを出し合って遊んでいる。
鬱陶しいほどの光の薄片を壁に散らす天井のシャンデリアが揺れている。
…以前より輝いて新品に見えるのは気のせいだろうか。
目の前の新入生は騒がしい中へ放り込まれると輝きを失ってしまうタイプなのだろう。
自分と同じように、とちゃっかり共通点を作ってイデアは勝手に納得した。
ただロマンチックな雰囲気など一切なく。
イデアが元々量の少ない食事を終えた頃には
監督生がニラの入ったスープの3杯目に口を付けていて
その飲みっぷりに些か恐怖というか、食に対して見境が無いというか
そこらへんの綺麗な花だろうが引っこ抜いて食べそうだな勢いだなと
大変失礼な感想を抱いていた。
二度あることは三度ある、なんとやらも三度まで
というがイデアにとって「三度目」はそうそうあることではない。
彼は興味のないことは覚えないし、覚えていないことに対して
申し訳なく思う気持ちも一切ない。
つまり「三度目」という回数を覚えていること自体が非常に稀なのだった。
日の当たらない紫の廊下に縁どられ、淡い光に四角く浮き上がる中庭は
イデアには相も変わらず領地の外であった。
彼がある程度自由に歩き回れるグラウンドと比べて
ここはあまりにも有限で、あまりにも人で溢れていた。
つまり、どこかの上級生が作ったらしき大量のパイを片手に
乱痴気騒ぎを起こす下級生で、ということだが。
聞こえてきた周囲の会話によると「アレ」はプレゼントとして贈られたのだが
バラエティー豊かな内容物のせいでとてもじゃないが食えないと判断され
パイ投げ用に転向となったらしい。
植物の蔓やこの辺りでは珍しい種類の根っこが入っているそうで
確かに中庭には食品を投げ合っているとは思えない、妙に饐えた臭いが立ち込めている。
監督生が笑顔で3つ目の比較的まともな
(食用でない)ピーチパイを投擲して太陽の下、逃げ回っている。
艶々した黒髪が揺れてイデアの眼に残像を残すと、届くはずもない香が
鼻先をくすぐった気がした。
イデアはそこでようやく自分が暗く長い廊下の真ん中に
阿呆っぽく一人で立っていることに気が付いた。
それが彼の機嫌を悪くして遠い自分の巣穴へと帰らせるに至った。
イデアは人混みを往く。
水色の、炎とも流水ともとれる髪が柱と柱を、人と人とをすり抜けて
つかみどころのない挙動で軽やかに学生の輪と輪の縁の外側を歩く。
おおざっぱでダイナミックな交流の中に糧を見出し、どんなに明け透けな好意でも
惜しむことなく丹念に己の外面に装飾品として取り入れる輪の中の人。
幼いころから小賢しく外面的であり実直な過ごしてきた彼らと、
大人しく、相手の胸中を目線と雰囲気で察して距離を取る自分とでは
コミュニケーションの規格もレートも恐ろしく異なっている。
ではイデアはどうなのかというとこちらも「輪の外」独特の識別方法を持ち
彼にも彼の世界が存在していた。
しかしその世界に迎え入れられる者は限られていて
イデア自身も自分のところへ来たい人など、と漠然と捉えていた。
普段通りに行きつくところまで行きついて
彼の極端な考えは現れたときと同じく突飛に消えた。
「うおっ!!????」
憂鬱な実習を乗り切るため勇ましいバグパイプの演奏動画を
タブレットで聴いていたイデアは朝一で半分寝ていたこともあり
角抜けで誰かにぶつかってしまった。
お察しの通り、相手は監督生だったのだが
動転の仕方が尋常ではなかった。
まず監督生が数歩後ろによろめき、イデアが角に隠れる形でしりもちをついた直後
イヤホンの接続が切れて二人以外誰もいない廊下へバグパイプが高らかに響き渡った。
その音に混乱した監督生が宙に浮かぶタブレットへ向かって
履いていた靴を投げつけた結果、画面に稲妻のようなヒビが何本も入ってしまったのだった。
錯綜極まる監督生は角からいきなり現れたイデアに
左の靴を構えたところで初めて声を聞いた。
「ご、ごめん。パ、パニックにならないで…」
自分のこんな容姿では混乱しても仕方ないだろう、と
いつも通り半ば諦めかけたイデアだったが相手をまじまじと見、表情が変わる。
入学早々、監督生の制服や持ち物は薄汚れていて
とても新品のようには思えなかったのだ。
瞬間、イデアは知った。突然未知の世界に放り出され
魔法も使えず朽ちかけた寮に押し込められて
存在するかも分からない未来のために日々学びと虚無感を積み上げるこの人は
最初から輪に加わってすらいなかったのだと。
割れた画面を見つめ再び動作不良を起こしそうな相手をなだめ、
泣きそうな顔で伝えられる「弁償」の二文字をやんわりお断りした。
誰かを泣かせるというのは居心地が悪いし、
第一(あまりあることではないが)イデアの心は痛んでいた。
しかしその痛みがあまり苦でなかったのは
先ほどの大転倒による実質的な尻の痛みと
意味不明に引き攣っている胸の筋肉のせいだ。
壁にかかった明かりが金色に燃えている。
ひとつ向こうの廊下をルークが面白いものを見たという顔をして横切った。
お詫びになんでもしますから、と鼻をグズつかせる監督生へ
泣き止ませるのが面倒くさいのと、これは好機だという気持ちが半分づつあって。
少々落ち着きがないままイデアはそっと尋ねた。
「き、君さぁ、…ゲームとか、やったり…する?」
人に対しては滅多に動かない食指が疼く。
このおかしな状況がよくある安っぽいストーリーに似ていると
イデアは薄々感づいていた。だからこそいくらか饒舌になったのかもしれない。
「結構色んなのあるんだけど、よかったら___」
以上が、内気な青年が購買部をまるごと運び入れたくらいの
いつも以上の量の菓子とゲームを自室に蓄えることになった経緯である。
ブロックを積み上げて地下世界を探索している角ばったアバターと
ベッドを背もたれに携帯ゲーム機を必死に操る目の前のうなじを交互に見る。
記憶の節々を辿ってもイデアはなぜ自分がこんなにも、との問いに
今だ答えを出せていなかった。
確かなのは彼は今にも背に羽が生え、四つ足で歩かんばかりに浮かれていること。
それでいてより長い間、もっと深いところまでその人を
引きずり込んでしまいたいと焦がれていることだけだった。
そんな甘い想いにイデアは再びクッションへ顔を埋めて足をばたつかせた。
NRC、ナイトレイヴンカレッジには不思議な魔力がある、とイデアは思う。
1/1ページ