工藤さん家の娘さんは目が見えない
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ベルの音が響く店内は香ばしい豆の匂いが漂っている。
住宅街から少し外れた小道に、隠れ家のようにあるこのカフェはペット同伴可のお店だ。まぁ法律上盲導犬はどこでも問題ないのだが、そこは一応、ね。それにここのガトーショコラは絶品なので大概人とお茶する時はここを使っている。
「かなえちゃん。」
待ち合わせには少し早い時間だがお兄さんはもう来ていたらしく、私が入店すると同時に声が聞こえた。そしてそのまま革靴の音がしたかと思うと顔の前に知った気配を感じる。お兄さんこと緑川光さんが来てくれた。
「久しぶり。元気だったか?」
「はい!」
あぁ安心する声だ。頬が緩むのが止まらない私にお兄さんの声が尚更柔らかくなる。それがお兄さんと初めて会った日と重なってなんだか懐かしい気持ちになった。
お兄さんとの出会いは2年前に遡る。高校を入学してすぐの頃、ムクを連れて帰路についていた私はその日近くに住む同い年の子に襲われそうになった。それを助けてくれたのがたまたま通りかかったお兄さんだったのだ。
恐怖で泣きじゃくる私を警察が来るまでずっと優しく慰めてくれてハンカチまでくれた。そこから色々あって今日まで交流を重ねている。
お兄さんはとても博識で私の知らないような事を沢山教えてくれた。ムクの遊び相手にもなってくれて、とってもお世話になっている。歳の離れた友人だと勝手に思っている。烏滸がましいかもしれないけど。
「足元気をつけて。」
「ありがとうございます。」
お兄さんのサポートで椅子に座る。私は光と影は見えているのだが、そのせいで日中は眩しくて歩けない時もある。しかしこのお店の奥の席は窓に近いのにあまり光を感じない。満席では無いようだが席数の少ない店だ。きっと先に来て取っておいてくれたのだろう。その細やかな気遣いに感謝と共に感心する。
お兄さんの気遣いはその都度でとても適切な手助けなのだ。痒い所に手が届くと言うか。よく人を見て日頃から慣れてなければ出来ない。それくらい細やかで有難い気遣いなのだ。
職業なのだろうか、それとも人助けに慣れているのだろうか。未だに私はお兄さんの名前と年齢くらいしか知らないが、それでも深く詮索しようとは思わず、今日も楽しもうと微かに香る火薬の臭いを知らん顔した。
「それじゃあ大学に行かないことにしたのか。」
「はい。高校を卒業したらそのまま翻訳家に進もうと思います。まぁまだあと1年あるので変わるかもしれないですけど。」
「いいじゃないか。後悔がないよう沢山悩めばいいさ。」
対面に座り近況報告をする私の下でムクがふわっと声を出す。注文したおやつを食べ終えて眠たいのだろう。右足に生き物特有の熱を感じる。
「そう言えば、前に言ってた小説は完成したの?」
「それが行き詰まっちゃって。」
趣味の範囲であるが私も父のように小説を書いている。まぁミステリーではなく、ジャンルは全く違うものなのだが、お兄さんにはその事を話したことがあった。
「ホラーだっけ、書いてたの。」
「はい。あ、完成したら読んでくださいませんか?素人趣味ですけど感想が欲しいんです。」
「う〜ん…。ホラーかぁ…。」
渋るお兄さんにあら、と思う。苦手なのかな。何だか途端に可愛く思えて笑っていたら持っていたフォークが奪われた。
「大人を揶揄う悪い子め。食べてやる。」
「だってお兄さん可愛いもん。」
「まだ言うか。もう一口!」
「あー!」
じゃれ合ってる内にも時間は過ぎていく。
今日はもうお開きにしようと言うお兄さんがいつの間にか会計を済ませており、申し訳なく思うもお金は受け取ってくれないと何度も実践済みなので感謝のみ述べた。
お店を出、送ってくれるというお兄さんと帰路を歩く。他愛ない話も合わせてくれる歩調もいつも通りなのに、空気だけが少し冷えていた。
「後は真っ直ぐ進むだけだな…。よし、ならここまでだ。」
「ありがとうございました。今度はいつにしましょうか?」
「あぁ。……いや、次はないんだ。」
遠くに行くんだ。だから今日で会うのは最後にしよう。
夕日の柔らかさと同じように穏やかな声だった。
弟や父のように頭が良いわけでも母やクリスさんのように勘が鋭いわけでもないが、何となくこんな今日が来ることは予感していた。でももっと後だと思っていた。まだまだ先の未来だと思っていた。
「……それは火薬…いや、硝煙の臭いを纏っているのと関係ありますか。」
「なんの事かな?」
「嗅覚は自信があるので。」
「…そうだったな。」
ははっ聞こえた笑い声は酷く乾いていた。寂しいのと怖いのと、それ以外にもいっぱい何かが詰まった大人の人の声音。何か、とか、それ以外、とか抽象的過ぎる自分の考えに内心苦笑する。私は本当にお兄さんのことを何も知らないんだなぁ。
「…ごめんな。」
私にはお兄さんの表情は分からない。でも、あぁ、お兄さんが困ってる。きっと泣いて原因を聞いたら、うんと優しい声で慰めて当たり障りのない理由を言ってくれたんだろう。それをお兄さんも望んでいたはず。でも、私はそれをしない。ごめんねお兄さん、悪い子で。
「…もう会えないならそれも仕方ないと思います。お兄さんは歳上だし仕事もあるし。でも、でも、出来たらまた、お茶したいです。今度はお兄さんのお勧めのお店で。」
泣くのを堪えながら何とか笑顔を作った私の頭をお兄さんが一撫でする。その優しい手はあの日と全く変わらない。さよならも言わずに遠ざかっていく足音をいつまでも聞いていた。
待っていよう。無駄かもしれないけど、いつか本当の事を教えてもらえるその日まで。完成した小説と共に。
夕日に溶けていく足音と火薬の匂いに、そう人知れず約束をした。
住宅街から少し外れた小道に、隠れ家のようにあるこのカフェはペット同伴可のお店だ。まぁ法律上盲導犬はどこでも問題ないのだが、そこは一応、ね。それにここのガトーショコラは絶品なので大概人とお茶する時はここを使っている。
「かなえちゃん。」
待ち合わせには少し早い時間だがお兄さんはもう来ていたらしく、私が入店すると同時に声が聞こえた。そしてそのまま革靴の音がしたかと思うと顔の前に知った気配を感じる。お兄さんこと緑川光さんが来てくれた。
「久しぶり。元気だったか?」
「はい!」
あぁ安心する声だ。頬が緩むのが止まらない私にお兄さんの声が尚更柔らかくなる。それがお兄さんと初めて会った日と重なってなんだか懐かしい気持ちになった。
お兄さんとの出会いは2年前に遡る。高校を入学してすぐの頃、ムクを連れて帰路についていた私はその日近くに住む同い年の子に襲われそうになった。それを助けてくれたのがたまたま通りかかったお兄さんだったのだ。
恐怖で泣きじゃくる私を警察が来るまでずっと優しく慰めてくれてハンカチまでくれた。そこから色々あって今日まで交流を重ねている。
お兄さんはとても博識で私の知らないような事を沢山教えてくれた。ムクの遊び相手にもなってくれて、とってもお世話になっている。歳の離れた友人だと勝手に思っている。烏滸がましいかもしれないけど。
「足元気をつけて。」
「ありがとうございます。」
お兄さんのサポートで椅子に座る。私は光と影は見えているのだが、そのせいで日中は眩しくて歩けない時もある。しかしこのお店の奥の席は窓に近いのにあまり光を感じない。満席では無いようだが席数の少ない店だ。きっと先に来て取っておいてくれたのだろう。その細やかな気遣いに感謝と共に感心する。
お兄さんの気遣いはその都度でとても適切な手助けなのだ。痒い所に手が届くと言うか。よく人を見て日頃から慣れてなければ出来ない。それくらい細やかで有難い気遣いなのだ。
職業なのだろうか、それとも人助けに慣れているのだろうか。未だに私はお兄さんの名前と年齢くらいしか知らないが、それでも深く詮索しようとは思わず、今日も楽しもうと微かに香る火薬の臭いを知らん顔した。
「それじゃあ大学に行かないことにしたのか。」
「はい。高校を卒業したらそのまま翻訳家に進もうと思います。まぁまだあと1年あるので変わるかもしれないですけど。」
「いいじゃないか。後悔がないよう沢山悩めばいいさ。」
対面に座り近況報告をする私の下でムクがふわっと声を出す。注文したおやつを食べ終えて眠たいのだろう。右足に生き物特有の熱を感じる。
「そう言えば、前に言ってた小説は完成したの?」
「それが行き詰まっちゃって。」
趣味の範囲であるが私も父のように小説を書いている。まぁミステリーではなく、ジャンルは全く違うものなのだが、お兄さんにはその事を話したことがあった。
「ホラーだっけ、書いてたの。」
「はい。あ、完成したら読んでくださいませんか?素人趣味ですけど感想が欲しいんです。」
「う〜ん…。ホラーかぁ…。」
渋るお兄さんにあら、と思う。苦手なのかな。何だか途端に可愛く思えて笑っていたら持っていたフォークが奪われた。
「大人を揶揄う悪い子め。食べてやる。」
「だってお兄さん可愛いもん。」
「まだ言うか。もう一口!」
「あー!」
じゃれ合ってる内にも時間は過ぎていく。
今日はもうお開きにしようと言うお兄さんがいつの間にか会計を済ませており、申し訳なく思うもお金は受け取ってくれないと何度も実践済みなので感謝のみ述べた。
お店を出、送ってくれるというお兄さんと帰路を歩く。他愛ない話も合わせてくれる歩調もいつも通りなのに、空気だけが少し冷えていた。
「後は真っ直ぐ進むだけだな…。よし、ならここまでだ。」
「ありがとうございました。今度はいつにしましょうか?」
「あぁ。……いや、次はないんだ。」
遠くに行くんだ。だから今日で会うのは最後にしよう。
夕日の柔らかさと同じように穏やかな声だった。
弟や父のように頭が良いわけでも母やクリスさんのように勘が鋭いわけでもないが、何となくこんな今日が来ることは予感していた。でももっと後だと思っていた。まだまだ先の未来だと思っていた。
「……それは火薬…いや、硝煙の臭いを纏っているのと関係ありますか。」
「なんの事かな?」
「嗅覚は自信があるので。」
「…そうだったな。」
ははっ聞こえた笑い声は酷く乾いていた。寂しいのと怖いのと、それ以外にもいっぱい何かが詰まった大人の人の声音。何か、とか、それ以外、とか抽象的過ぎる自分の考えに内心苦笑する。私は本当にお兄さんのことを何も知らないんだなぁ。
「…ごめんな。」
私にはお兄さんの表情は分からない。でも、あぁ、お兄さんが困ってる。きっと泣いて原因を聞いたら、うんと優しい声で慰めて当たり障りのない理由を言ってくれたんだろう。それをお兄さんも望んでいたはず。でも、私はそれをしない。ごめんねお兄さん、悪い子で。
「…もう会えないならそれも仕方ないと思います。お兄さんは歳上だし仕事もあるし。でも、でも、出来たらまた、お茶したいです。今度はお兄さんのお勧めのお店で。」
泣くのを堪えながら何とか笑顔を作った私の頭をお兄さんが一撫でする。その優しい手はあの日と全く変わらない。さよならも言わずに遠ざかっていく足音をいつまでも聞いていた。
待っていよう。無駄かもしれないけど、いつか本当の事を教えてもらえるその日まで。完成した小説と共に。
夕日に溶けていく足音と火薬の匂いに、そう人知れず約束をした。
