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小エビとウツボとウミヘビと、時々怪奇

壁から少し顔を出し左右を確認する。『あれ』の姿はない。ジャミルは後ろに合図を出しトイレから足を踏み出した。後に続く監督生も成る可く音を立てないように1歩前へ出る。グジュリと水を含んだ靴下が不快だ。濡れた靴の底と廊下が摩擦で甲高い音を出さないよう細心の注意を払いながら、3人は静かに歩き出した。

渡り廊下に差し掛かり、残り半分まで来たが未だに『あれ』は姿を現さない。このまま出てこなければいいのにと監督生は内心ため息をつく。しかし直ぐに気を引き締め先程より暗く感じる廊下に目を凝らした。

ぐにゅり、と暗闇が歪む。
咄嗟に口を覆った監督生に警戒するジャミルとフロイド。そんな3人の恐怖心を煽るかのようにそれは輪郭を浮き彫りにし、生々しく蠢き始めた。

ビチャッ、ドチャッ

水気の多い音が反響する。
段々と機敏になる動きに最高潮にまで緊張が高まる。たらりとジャミルのこめかみから流れた汗が床に落ちるより速く、

『あれ』が走り出した。

恐怖と共に漂ってくる血と腐った卵のようなの臭い。ビタンビタンと幾重にも繋がった腸が床を鞭打った。
その姿に監督生は口元の手に力を入れ叫び声を殺す。暴れる鼓動を落ち着かせようと深呼吸するも、まるで過呼吸のように酸素が入って来ない。後ろのフロイドなど歯を必死に噛み締めている。
怖い、怖い怖い怖い。
どうか成功してくれ。大丈夫、大丈夫。
暗示のような願望を思いながら3人はじりじりと後退していく。

『あれ』の身体の輪郭がはっきりした。
『あれ』の頭部の何かが捲れた。
『あれ』のどす黒い腹の色が見えてきた。
『あれ』の腐乱臭が強くなった。
『あれ』の口が開いた。

『あれ』に刺さった腕が振りあがった。


「今ですっ!!!!」

監督生の合図にフロイドは横の渡り廊下にラバーカップを投げる。ブンッと空気を切るような音と共に手から離れたそれは遠くへ飛び1回2回とバウンドする。その衝撃で先から離れたピンクの肉塊がベチャリと床に落ちた。
散乱する肉片。飛び散った液体。
嫌な音が木霊する廊下に、張り付くようにして潰れた胎児。ぶわっと広がる生臭い臭いにジャミルが嘔吐く。

骨が軋む音を響かせながらもうそこまで迫っていた『あれ』は、勢いよく腰を捻った。腐乱臭か肉の音か、何を認識したかは知らないが『あれ』はゴギリと鈍い音がするのも厭わず渡り廊下の奥へと軌道を変えた。

かかった。

「走るぞ!」

『あれ』がこちらに完全に背を向けたのと同時にジャミルが声を上げる。何かが砕ける音と水気の多い物が潰される音を置き去りにして、3人は無我夢中で足を動かした。




「あそこに隠れるぞ!」

バタバタと忙しなく足を上げ階段を上り切ると、直ぐに斜め前にあった重厚そうな扉を指さしジャミルが叫ぶ。そのまま3人は脇目も振らず重たい扉を開け室内へと入った。ガチャン、と扉をきっちり閉めると3人はその場にへたり込んだ。

「みんな、無事か…。」
「なんとか…。」
「怪我もっ、ない、です…。」

上がる息を必死に落ち着かせながらお互いの安否を確認し合う。胸を押え何とか呼吸を整えた監督生は徐々に冷静さを取り戻し身体が震え出した。
殺されるかと思った。本当に怖かった。
安堵からかじわりと滲んだ涙を震える指先で拭い、大きく息を吐き出した。
と、

「…?」

何か音が聞こえる。
手一杯で気にしている余裕がなかったが、ピアノの音色が教室内に小さく響いていた。

「次は何だ。」

落ち着いたらしいジャミルが立ち上がって辺りを見渡した。行儀よく並んだ机、真っ赤な空を隔てる大きな窓、自分達がいる黒板の前には真っ黒なピアノが1台置かれていた。
そのピアノから独りでに音が鳴っている。
椅子には誰も座っておらず、それなのに蓋の開いた鍵盤はまるで誰かが弾いているかのように浮き沈みしていた。

「誰もいないピアノが鳴ってるだけって、今までのよりインパクト薄いですけど十分可笑しいですよね。」
「オレらんとこじゃあんま珍しくないけどね。」

そう言いつつも2人はピアノに近寄ることはない。
今度はどんな化け物が現れるのだろうか。憂鬱になりながらも3人はそのピアノを注意深く観察し続けた。
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