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小エビとウツボとウミヘビと、時々怪奇

ガタガタと後ろの方で音がする。
追ってきているのか。上がる息は決して走っているせいだけではないが、ここで止まるわけにはいかない。しかしフロイドとジャミルとは違い監督生は体力がない。しかも真っ直ぐな廊下だと直ぐにでも追いつかれてしまう。どうすると走りながら歯を噛み締めていると、はっとジャミルの目が斜め前の壁のマークを捉えた。

「彼処に隠れるぞ!」

滑り込んだのは女子トイレだった。
内部が見えないよう設計されているため廊下から中を見ることは出来ない。それを瞬時に思い出したジャミルの発言に2人も奥の方へと進んで行った。

ベチャッ、ドチャッ、と水っぽい音が聞こえてくる。それが段々と近づいて来ている。ズルズルの重いものを引きずる音はきっとあの垂れているやつだ。キンキンと何やら甲高い音までする。
恐怖で爆発しそうな心臓を、口を手で隠すことでどうにか抑えている監督生。そんな彼女の身体を包み隠すようにするフロイドとジャミルも入口から目を離せない。
来るな、来るな。通り過ぎろ。気づくな。
叫び出しそうになる口を必死に引き結び、3人は不快な臭いが去るのを、ただひたすら耐えた。

「……行った…?」
「…多分…。」

ドッと3人の身体から力が抜ける。下手したら腰が抜けそうなほどの安堵に潜めていた息が漏れだした。

「あ、あれ、人、じゃないし人体模型でもないですよね…。骨の標本が、人の皮膚とか肉とか内蔵を、自分の身体にくっつけてましたよね…。」
「みなまで言うな…。」
「肺とかも、無理矢理身体の中に押し込んだのかめくれ上がってはみ出てましたし、腸なんて何個も繋げて…。誰のか知らないですけど、人の足の指を自分の足の骨に突き刺してなかったら追いつかれてましたね…。臭いもやばいし、なんで未だに血が流れてるんだろう…。」
「小エビほんと黙って。」

こいつあの短時間でよく見てるな。
詳細に語る監督生に若干引きながらフロイドはトイレ内にある洗面台に向かう。水が出るのは1階で確認済みなので迷わず蛇口を捻った。本当ならもっとちゃんとケアしたいが、無理は言えない。出てきた水でなるべく靴が痛まないようについた血を洗う。あのまま走っていたら血の跡を追われるかもしれなかったから脱いだが、廊下は靴下で走るもんでない。滑って死ぬかと思った。

安全と判断したジャミルがライトをつけ、その明かりを中心に3人は顔を見合わせる。

「これからどうしますか?理科室に行くにしろ行かないにしろ、あれがいる内は外に出るの難しそうですよ。」
「かと言ってこのまま此処にもいれないしな…。」
「女子トイレって何か武器あんの?オレ、入ったことないから分かんねぇ。」
「武器…。モップとか箒とかですかね。でも出刃包丁相手に心許ないな…。」

監督生は自分で言って否定する。リーチの差や強度から言って不向きだ。けれどこれからもあれのように襲って来るものがいないとも限らないわけで。やはり丸腰でと言うのは避けたかった。

「取り敢えず探してみる?期待出来ないけど。」
「だな。なるべく静かにな。」
「洗面台の下は何もないから…。この並んでる個室だけですかね。」

扉が微妙に開いている合計5つの個室。和式トイレと呼ばれるらしいそれはナイトレイブンカレッジのトイレとは違い、スリッパのような形で床に埋め込まれている。
廊下とは反対に位置する奥の個室はきっちり閉まっているので、多分掃除道具入れだろう。何か使える物でもあれば良いが、と望み薄で監督生達は探索を開始した。

先程までは気にならなかったトイレ独特の臭いに顔をしかめつつ、何故か循環しているタンク内の水音をBGMに隅から隅まで見てみる。が、やはりと言うかめぼしいものは見つからない。トイレットペーパーで戦うわけにはいかないしな…、と思いながら監督生は最後の個室の扉に手をかけた。

「うっ!」
「どうした監督生。」

口を抑えた監督生に慌ててジャミルが近づく。
トイレ特有のアンモニアとカビの臭いに混じり生臭いような、何とも形容し難い臭いが鼻腔を刺激した。

「くっさっっ!」
「おぇっ、気持ち悪っ…。」

嘔吐く監督生の隣でジャミルも鼻を抑えた。あまりの臭さに涙すら滲む。なんでこんな臭いのに今の今まで気づかなかったんだ…。このままでは体調を崩しかねないと判断したジャミルは監督生に声をかけようとした。

ぴちゃり、

ジャミルの動かした足が音を出す。

「水…?」

暗くてよく見えないが目の前の個室から水が流れてきているらしく、それをジャミルは踏んだようだった。濡れると言う程嵩はないがよくよく聞けばゴポッゴポッと断続的に音が鳴っている。まさかまた何かいるのか?ジャミルのこめかみから嫌な汗が流れた。

「ここから離れた方が良さそうだな。」
「いや…。これなんか詰まってね?」

いつの間にか傍に来ていたフロイドが扉を押し完全に開ききる。ギィ、と高く軋んだ音の奥にはジャミルが危惧するようなものはなく、ただ真っ暗で気味の悪い空間と便器があるだけだった。

「ヘドロとかですかね…。っうぇ。」
「小エビちゃん大丈夫?」
「これで明かりが点けばインフラ完璧ですね…。」
「うん、大丈夫そう。」

監督生の背中を撫でていた手をフロイドはパッと離した。水はそのまま気泡を破裂させる音を出し続け、便器内から溢れかえり止まることをしない。それでも先程のせいか、それだけの事が気味悪く感じた。ジェイドと小さい頃行った沈没船もこんくらい気味悪かったっけと遠い昔を思い出していると、ふとフロイドは首を傾げる。

「なんか水黒くね。」
「え?そう、ですかね?…暗くてちょっと分からないです。」
「いや、黒い。透明じゃない。」
「詰まった物が混じってるのかもな。」

普通に考えたらジャミルの言葉は最もだが、フロイドは眉を寄せた。海の中にいたからこそ分かる。ゴミやヘドロが混じった黒さではない。もっと別の、それこそこの生臭い臭いと関係があるようなものだ。フロイドは過去に一度だけ体験した記憶と現状が重なっていくのを感じた。
難しい顔をするフロイドに小首を傾げた監督生はふと、足元の違和感に視線を移した。
足先が冷たくなっている。試しにつま先を揺らした。ちゃぷちゃぷと、水の中を動く音がする。

間違いない。水が増えている。

「先輩、先輩!水嵩が増してます!」
「は?」

監督生の言葉に意味が分からずフロイドが聞き返そうとした瞬間、

「うわっ!」
「冷たっっ!!」

勢いよく噴き出した水滴が飛ぶ。噴水よりも激しく湧き上がる水と共に先程の刺激臭も強くなった。
どんどんどんどん溢れかえる水にたじろぐ監督生の足がバシャバシャと水が跳ねる。
廊下までに遮る物はないのに水はどこにも流れることなく溜まっていく一方だった。しかも増えるペースが可笑しい。プールを張るための蛇口なら分かるがトイレの水がこんなに量があるわけない。もうふくらはぎまで来ていた水に監督生は足をとられそうになる。

「っ危ないな。しっかりしろ。」
「あ、りがと、ございます…。」

ドクドクと鳴る心臓のまま礼を述べた監督生にしかしジャミルは返す余裕がない。
フロイドは言わずもがなだがジャミルもそこそこ泳げる。監督生も泳げたはずだ。だからと言ってこのまま、ただ水が溜まっていくのを見ているだけなんて出来ない。どうする、どうすればいい。
何かないかと辺りを見渡すジャミルの目にふと、開きっぱなしの扉が映りこんだ。

「フロイド!ラバーカップはあったか!!」

ジャミルの言葉にフロイドがはっと顔を上げる。
直ぐに監督生に自身のスマホを預け
水で足が思うように動かない中掃除用具がある個室に向かい、フロイドはラバーカップを手に取った。そしてまた急ぎ水の溢れる個室へ向かうとジャミルと監督生を押しのけラバーカップを便器の中に突っ込んだ。突如入り込んだ物体に水の中でゴポッと音がする。自身の腕や身体が濡れるのも厭わずぐっと力で押し、しっかり吸着したのを確認するとフロイドは一気に引っ張った。

「っおらぁ!」

ゴォォ、と物凄い音を立てて水が吸い込まれていく。勢いよく減っていく水に地面の輪郭がはっきりと戻ってきた。ゴポッゴポッと悪あがきのように最後に音を残して、水は完全に引いて行った。

「…はぁ〜〜っ。」
「すげぇ濡れたんだけど…。」

ジャミルの口から大きなため息が零れる。監督生もほっと肩を落とし汗を拭った。
取り敢えずは一難去ったか。フロイドは無意識のうちにしていた緊張を解きラバーカップを投げ捨てた。
ラバーカップの高い金属音と、ベチャッ、と多く水を含んだ音が響く。詰まっていたものが投げた衝撃で離れたようだった。

暗くて分からないがそれは歪な塊で紐状のものが伸びていた。大方髪の毛が固まったのだろう。何故髪の毛がこんなところで詰まるまであるのか深く考えず、監督生は何ともなしにフロイドのスマホのライトを当てた。

ひゅっと息を飲む。


薄ピンクのぶよぶよとした肉感。
青い筋がいくつも入ったグロテスクな見た目。
勾玉型のそれから伸びた、肉の紐。
実物は見たことがない。しかし生物だったか保健体育だったか、監督生はそれに見覚えがあった。

紛れもない、それは臍の緒がついた、胎児だった。
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