小エビとウツボとウミヘビと、時々怪奇
赤暗い廊下をコツコツと靴音が反響する。
1階にはあの化け物はいないと分かっているも、ジャミルを先頭に監督生とフロイドの3人は警戒したまま歩を進める。
「卒業式って何だろうね。」
「分からん。ただあの放送の通りなら体育館へ行けるようになっているはずだ。…そこに帰るためのヒントでもあればいいが…。」
フロイドの言葉にジャミルはそう返すも顔はしかめたままだった。今まで放送の指示に従って、良い結果になったことなど1度もない。故に体育館へ向かえと言う放送も正直従っていいものかだいぶん悩んだ。けれど保健室にいた所で現状は何も解決しない。3人は罠だと分かっていても、向かうしかなかったのだ。
「…着きましたね。」
ものの1、2分が何時間にも感じられた中、3人は体育館へと続く扉の前へと辿り着いた。両開きのガラス戸の向こうは相も変わらず外の光を反射せず真っ暗なまま、3人の視界を歪めている。
「パッと見、通路には何かあるわけではなさそうだな。」
扉越しに目を凝らし注意深くジャミルは通路を確認する。フロイドも後ろから覗いたが、ジャミルの言う通り何か動くものや塊は見当たらなかった。
警戒しながら押した扉は当初の硬さが嘘かのようにすんなりと開き、3人を暗い通路へと導いた。
扉越しから見た通り通路には何も無い。ならばいるとしたら体育館か…。そう思いながらフロイドはチラリとジャミルを見下ろす。武器もない、体調も万全ではない今、3人の中で比較的動けるのは自分だ。もしもの時は…
「あれ?」
と、ふと監督生が声を上げた。
「どーしたの?小エビちゃん。」
「いや、こんなポスター貼ってあったかなって…。」
そう言って監督生の指が壁の斜め上を指さす。
確かにそこにはA4ほどの大きさのポスターのようなものが貼ってあった。ジャミルは直ぐに持っていたスマホでそのポスターに明かりを向ける。白く浮き出るそれは、最初に見た見取り図で監督生から聞いた監督生のいた世界の文字と似ていた。
「なになに…。『卒業式のルール』?」
「監督生、そのまま読み上げてくれ。」
「あ、はい。えーっと…、
『卒業式のルール』
一、服装・頭髪は正しく。
二、私語は厳禁。
三、移動中は走らない。
四、卒業式後、卒業生は速やかに下校しましょう。
だ、そうです。」
「ふむ、特に変なことは書かれていないみたいだが、『卒業生は速やかに下校』か…。もしかしたら玄関が開くかもしれないな。」
「じゃあオレら外出れんじゃん。」
ハッとしたように監督生も目を見開く。この紙の通りならら、卒業式が終われば卒業生が下校するために玄関が開くはずだ。そうしたらそれに便乗して自分達も外に出られるかもしれない。
やっと見えた脱出方法に3人の目に輝きが戻る。
「…行くか。」
ジャミルが奥の分厚い扉を見つめ呟いた。
その声は固く、緊張が伝わってくる。
「準備はいいな?」
「おっけー。」
「大丈夫です。あ、やっぱ円陣組みます?」
「嫌だって。」
「遠慮しておこう。」
いつもと変わらない調子の監督生にフロイドとジャミルは呆れながら、それでもグッと手に力を込め、体育館の入口をこじ開けた。
「っう…。」
眩しい。開けた瞬間、眩い光が顔面を直撃し監督生は思わず目を瞑ってしまう。眼球にチクチクとした痛みを感じながらゆっくりと目を開けると、そこは監督生の記憶通りの体育館そのままだった。
懐かしい…。監督生はざっと辺りを見渡した。鉄筋で出来た天井にワックスのかかったツルツルの床。対角線上に設置されたバスケットゴールは今は仕舞われているが、よくあれを目安にドッジボールのコートを決めていたな。反射神経が飛び抜けていいわけじゃないからそこそこで外野に回ってたけど、楽しかったな。縄跳びとか跳び箱とかも好きだったな。発表会だとあの壇上で、
「…何あれ…。」
懐かしい気持ちのまま監督生は思い出の通りに目を壇上に向け、そこに見えたものに目を見開いた。
人、なのだろうか。
黒くモヤのようなそれは、壇上の中央にある演台の奥に佇んでいた。いつかの日の校長を彷彿とさせるその姿は
確かに人型ではある。けれど自分達と同じ生き物かと聞かれれば本能がそれを否定した。人間ではない、ましてや生き物でもない。あれは、監督生の理解を超えたものだった。
何が始まるのだろう。緊張からゴクリ、と喉が鳴った。
『卒業生、入場。拍手でお迎え下さい。』
「は?」
「あ?」
突然聞こえたいつもの放送にビクッと肩が跳ねた監督生は、しかしその後に続いたジャミルとフロイドの声に首を傾げた。
「どうしました?」
「いや…、オレらにも、放送の内容が聞き取れたから、驚いて…。」
「えっ?!それ本当ですか!!」
「あぁ。…いよいよマズイな。俺達がこの空間に馴染んできてる証拠だ。このままだと脱出は不可能だ。」
「どう言うことですか…?」
その言葉にジャミルが口を開くより早く誰もいないはずの体育館内に大勢の拍手が鳴り響いた。
「うるさっ!」
その割れんばかりの音は拍手と言うには乱暴で、3人の鼓膜を殴りつける。コンサートでさえこんな大きな拍手音はなかった。フロイドは昔家族と言った海の有名な音楽家のコンサートを思い出しながら耳に手を当てる。やはり異常だ。他のところと比べるまでもなく、ここは常軌を逸している。だから体育館が開かないわけだ。こんなものが常日頃から聞こえていたら頭がおかしくなる。まぁここで正常異常の区別があるのかは分からないが。
段々と痛くなっていく耳を押さえながら、フロイドはジャミルと監督生に目配せをする。2人もこくりと頷き、誰もいないだだっ広い体育館を慎重に歩き出した。
キュッキュッとなるはずの床は爆音で掻き消され、様子を伺いたいのに3人は会話も出来ない。それでも短くないここでの経験であの壇上にある黒いモヤが何かを握っているのは3人共が何となく察していた。
あまり近づかないよう、それでもアレの動きが分かるようどこまで距離を縮めようか模索していると、ふと拍手が止んだ。先程の事がなかったかのようにシンと静まり返る体育館にようやく3人は耳から手を離す。
まだ耳の奥ではあの爆撃音のような音が響いている気がするが、その中でも何度も何度も聞いたノイズ音はしっかりと響いた。
『卒業証書、授与。』
「マジの卒業式じゃん…。」
水を打ったように静まり返る体育館にフロイドの呟きが響く。監督生はそれに答えることもなく壇上を見上げた。フロイドとジャミルの経験してきた卒業式と自分の経験した卒業式はきっと作法も流れも違うだろう。ならば今のところ監督生の世界通りになっているここは自分が先に行くべきだろうと拳に力を入れた。
ジャミルは言わずもがなだが、フロイドも相当精神的にきているはずだ。縛られるのを嫌う彼がここまで文句も言わずジャミルの指示に従い、時には監督生を気遣いながら自分達を守ってきてくれた。それがどれ程のストレスか。短い付き合いでも監督生は痛いほど察していた。
「私達の世界ではあの壇上に上がって演台の前まで来てから卒業証書を貰ってました。」
「俺達のところとそう変わらないな。」
「はい。でもきっと手順とか細かいところは違うと思います。…なので、私が始めに行きます。」
「は?!」
「小エビちゃん…、ふざけてんの?」
「ふざけてません。先輩達より元気ですし、この中では私が1番適任です。」
「さっき階段から落ちたばっかじゃん。」
「フロイド先輩だって顔青いですよ。」
「小エビちゃんこそ顔色やべーから。」
鋭く見下ろしてくるフロイドに監督生は一切引かず見つめ返す。正義感や罪悪感ではない。監督生はフロイドとジャミルがやってきた事と同じこと、自分に出来ることをしようとしているだけだった。けれどフロイドからしたら守ってきた後輩がいきなり自殺行為のような事をやると言い始め怒りすら湧いていた。
イライラと語気を荒らげるフロイドに頑として譲らない監督生。そんな2人を尻目にジャミルはどうしたものか、と顎に手を当てようとした瞬間、
ガンッ
鈍い音に3人の肩が跳ねる。体育館内に木霊したその音の出に恐る恐る目を向けると、人型のモヤの前、照明を反射し銀色に光る出刃包丁が演題に真っ直ぐに突き刺さっていた。
「やっぱやべーじゃん…。」
「武器を持ってたのか…!直ぐにここから出よう。」
「いえ、出ません。」
踵を返そうとするフロイドとジャミルに、しかし監督生は振り返ることなくステージを見つめ、言った。
「卒業式を続けましょう。」
1階にはあの化け物はいないと分かっているも、ジャミルを先頭に監督生とフロイドの3人は警戒したまま歩を進める。
「卒業式って何だろうね。」
「分からん。ただあの放送の通りなら体育館へ行けるようになっているはずだ。…そこに帰るためのヒントでもあればいいが…。」
フロイドの言葉にジャミルはそう返すも顔はしかめたままだった。今まで放送の指示に従って、良い結果になったことなど1度もない。故に体育館へ向かえと言う放送も正直従っていいものかだいぶん悩んだ。けれど保健室にいた所で現状は何も解決しない。3人は罠だと分かっていても、向かうしかなかったのだ。
「…着きましたね。」
ものの1、2分が何時間にも感じられた中、3人は体育館へと続く扉の前へと辿り着いた。両開きのガラス戸の向こうは相も変わらず外の光を反射せず真っ暗なまま、3人の視界を歪めている。
「パッと見、通路には何かあるわけではなさそうだな。」
扉越しに目を凝らし注意深くジャミルは通路を確認する。フロイドも後ろから覗いたが、ジャミルの言う通り何か動くものや塊は見当たらなかった。
警戒しながら押した扉は当初の硬さが嘘かのようにすんなりと開き、3人を暗い通路へと導いた。
扉越しから見た通り通路には何も無い。ならばいるとしたら体育館か…。そう思いながらフロイドはチラリとジャミルを見下ろす。武器もない、体調も万全ではない今、3人の中で比較的動けるのは自分だ。もしもの時は…
「あれ?」
と、ふと監督生が声を上げた。
「どーしたの?小エビちゃん。」
「いや、こんなポスター貼ってあったかなって…。」
そう言って監督生の指が壁の斜め上を指さす。
確かにそこにはA4ほどの大きさのポスターのようなものが貼ってあった。ジャミルは直ぐに持っていたスマホでそのポスターに明かりを向ける。白く浮き出るそれは、最初に見た見取り図で監督生から聞いた監督生のいた世界の文字と似ていた。
「なになに…。『卒業式のルール』?」
「監督生、そのまま読み上げてくれ。」
「あ、はい。えーっと…、
『卒業式のルール』
一、服装・頭髪は正しく。
二、私語は厳禁。
三、移動中は走らない。
四、卒業式後、卒業生は速やかに下校しましょう。
だ、そうです。」
「ふむ、特に変なことは書かれていないみたいだが、『卒業生は速やかに下校』か…。もしかしたら玄関が開くかもしれないな。」
「じゃあオレら外出れんじゃん。」
ハッとしたように監督生も目を見開く。この紙の通りならら、卒業式が終われば卒業生が下校するために玄関が開くはずだ。そうしたらそれに便乗して自分達も外に出られるかもしれない。
やっと見えた脱出方法に3人の目に輝きが戻る。
「…行くか。」
ジャミルが奥の分厚い扉を見つめ呟いた。
その声は固く、緊張が伝わってくる。
「準備はいいな?」
「おっけー。」
「大丈夫です。あ、やっぱ円陣組みます?」
「嫌だって。」
「遠慮しておこう。」
いつもと変わらない調子の監督生にフロイドとジャミルは呆れながら、それでもグッと手に力を込め、体育館の入口をこじ開けた。
「っう…。」
眩しい。開けた瞬間、眩い光が顔面を直撃し監督生は思わず目を瞑ってしまう。眼球にチクチクとした痛みを感じながらゆっくりと目を開けると、そこは監督生の記憶通りの体育館そのままだった。
懐かしい…。監督生はざっと辺りを見渡した。鉄筋で出来た天井にワックスのかかったツルツルの床。対角線上に設置されたバスケットゴールは今は仕舞われているが、よくあれを目安にドッジボールのコートを決めていたな。反射神経が飛び抜けていいわけじゃないからそこそこで外野に回ってたけど、楽しかったな。縄跳びとか跳び箱とかも好きだったな。発表会だとあの壇上で、
「…何あれ…。」
懐かしい気持ちのまま監督生は思い出の通りに目を壇上に向け、そこに見えたものに目を見開いた。
人、なのだろうか。
黒くモヤのようなそれは、壇上の中央にある演台の奥に佇んでいた。いつかの日の校長を彷彿とさせるその姿は
確かに人型ではある。けれど自分達と同じ生き物かと聞かれれば本能がそれを否定した。人間ではない、ましてや生き物でもない。あれは、監督生の理解を超えたものだった。
何が始まるのだろう。緊張からゴクリ、と喉が鳴った。
『卒業生、入場。拍手でお迎え下さい。』
「は?」
「あ?」
突然聞こえたいつもの放送にビクッと肩が跳ねた監督生は、しかしその後に続いたジャミルとフロイドの声に首を傾げた。
「どうしました?」
「いや…、オレらにも、放送の内容が聞き取れたから、驚いて…。」
「えっ?!それ本当ですか!!」
「あぁ。…いよいよマズイな。俺達がこの空間に馴染んできてる証拠だ。このままだと脱出は不可能だ。」
「どう言うことですか…?」
その言葉にジャミルが口を開くより早く誰もいないはずの体育館内に大勢の拍手が鳴り響いた。
「うるさっ!」
その割れんばかりの音は拍手と言うには乱暴で、3人の鼓膜を殴りつける。コンサートでさえこんな大きな拍手音はなかった。フロイドは昔家族と言った海の有名な音楽家のコンサートを思い出しながら耳に手を当てる。やはり異常だ。他のところと比べるまでもなく、ここは常軌を逸している。だから体育館が開かないわけだ。こんなものが常日頃から聞こえていたら頭がおかしくなる。まぁここで正常異常の区別があるのかは分からないが。
段々と痛くなっていく耳を押さえながら、フロイドはジャミルと監督生に目配せをする。2人もこくりと頷き、誰もいないだだっ広い体育館を慎重に歩き出した。
キュッキュッとなるはずの床は爆音で掻き消され、様子を伺いたいのに3人は会話も出来ない。それでも短くないここでの経験であの壇上にある黒いモヤが何かを握っているのは3人共が何となく察していた。
あまり近づかないよう、それでもアレの動きが分かるようどこまで距離を縮めようか模索していると、ふと拍手が止んだ。先程の事がなかったかのようにシンと静まり返る体育館にようやく3人は耳から手を離す。
まだ耳の奥ではあの爆撃音のような音が響いている気がするが、その中でも何度も何度も聞いたノイズ音はしっかりと響いた。
『卒業証書、授与。』
「マジの卒業式じゃん…。」
水を打ったように静まり返る体育館にフロイドの呟きが響く。監督生はそれに答えることもなく壇上を見上げた。フロイドとジャミルの経験してきた卒業式と自分の経験した卒業式はきっと作法も流れも違うだろう。ならば今のところ監督生の世界通りになっているここは自分が先に行くべきだろうと拳に力を入れた。
ジャミルは言わずもがなだが、フロイドも相当精神的にきているはずだ。縛られるのを嫌う彼がここまで文句も言わずジャミルの指示に従い、時には監督生を気遣いながら自分達を守ってきてくれた。それがどれ程のストレスか。短い付き合いでも監督生は痛いほど察していた。
「私達の世界ではあの壇上に上がって演台の前まで来てから卒業証書を貰ってました。」
「俺達のところとそう変わらないな。」
「はい。でもきっと手順とか細かいところは違うと思います。…なので、私が始めに行きます。」
「は?!」
「小エビちゃん…、ふざけてんの?」
「ふざけてません。先輩達より元気ですし、この中では私が1番適任です。」
「さっき階段から落ちたばっかじゃん。」
「フロイド先輩だって顔青いですよ。」
「小エビちゃんこそ顔色やべーから。」
鋭く見下ろしてくるフロイドに監督生は一切引かず見つめ返す。正義感や罪悪感ではない。監督生はフロイドとジャミルがやってきた事と同じこと、自分に出来ることをしようとしているだけだった。けれどフロイドからしたら守ってきた後輩がいきなり自殺行為のような事をやると言い始め怒りすら湧いていた。
イライラと語気を荒らげるフロイドに頑として譲らない監督生。そんな2人を尻目にジャミルはどうしたものか、と顎に手を当てようとした瞬間、
ガンッ
鈍い音に3人の肩が跳ねる。体育館内に木霊したその音の出に恐る恐る目を向けると、人型のモヤの前、照明を反射し銀色に光る出刃包丁が演題に真っ直ぐに突き刺さっていた。
「やっぱやべーじゃん…。」
「武器を持ってたのか…!直ぐにここから出よう。」
「いえ、出ません。」
踵を返そうとするフロイドとジャミルに、しかし監督生は振り返ることなくステージを見つめ、言った。
「卒業式を続けましょう。」