小エビとウツボとウミヘビと、時々怪奇

「小エビちゃんじゃん。」

忙しなく足を動かしていた監督生はその声に、はたと歩みを止めた。

「フロイド先輩。ジャミル先輩も。」

振り返った数歩先に見知った姿を見留め、監督生は身体をその先輩2人に向けると頭を軽く下げた。

「何してるんだこんなところで。」
「グリムを追いかけてたんですけど、いつの間にかここにいまして…。」
「あはは。小エビちゃん迷子じゃん。」

可笑しそうに笑うフロイドに監督生も苦笑した。
トレインの補習をサボってどこかへ行ってしまったグリムを探していた監督生はいつの間にか迷ってしまったらしく、先程からグルグルと見知らぬ廊下を歩いていた。まぁ学校内であるのは確かだからそこまで心配はなかったが、このままでは昼食を摂る時間すらなくなるかもしれなかったので2人に会えてよかったと監督生はほっと息をついた。

案内してくれると言うジャミルの行為に甘え、2人についていく。昼時だと言うのにここはとても静かで監督生達以外の気配は薄く3人の足音だけが響いている。変な感じだ。少し居心地が悪くなって監督生はあの、と前を歩くジャミルに声をかけた。

「ここって何処ですか?」
「あぁ、そうか。監督生は知らないか。ここを真っ直ぐ行くと突き当たりに階段がある。そこを上ると第3実験室につくんだ。」
「第3実験室?」
「元々錬金術は第1から第3実験室までの用途に合った実験室でやってたんだけど、めっちゃ効率悪いじゃん?鍋混ぜるのは第2、解剖は第3とかいちいちめんどくせぇから、大分前に今の実験室で全部出来るようになったの。」
「へー。」
「んで、使われなくなった実験室達は倉庫化。オレたちはイシダイせんせぇの命令でそこに午後の合同授業の備品を取りに行く途中だったんだけど、そこで迷子の小エビに会ったわけ。」

そう言ってニヤニヤと笑うフロイドにうっ、と監督生は首を窄めた。サボらない辺り今日のフロイドは機嫌が良いらしいが、早く飽きて忘れて欲しい。頬を突いてくるフロイドに乾いた笑いを零しながら、けれどなるほどと監督生は周りを見回した。
等間隔に支柱があり石畳が敷き詰めらた廊下は別段変わったところはないが、やはり人通りがないせいか酷く寒々しい空気が漂っている。もう使われてないだけでこんなに薄暗くなるものなのか。照明と陽の光でも消えない物憂しさに軽く身震いしながら監督生は2人に次いで階段に足をかけた。



「第3実験室の前の廊下をそのまま進めば南階段につく。そこからは分かるな。」
「はい、ありがとうございます。」
「やっぱ暗いね、ここ。小エビちゃん足元気をつけな。」
「はい。」

ジャミルに戻り方を教えてもらう監督生にフロイドが注意を促す。階段は両側を壁には挟まれているせいか少し狭かった。それに加え照明はなく窓は天井近くに小さな小窓が1つあるだけで、さして問題はないにしろ余所見をしていれば簡単に足を踏み外しそうだった。

「そう言えばここ、変な噂あるんだぁ。」
「噂?」
「ああ。確か異界から来たモンスターに怪我をさせられる、だったか。要は不注意で足を踏み外した奴が自分の過失を認めたくなくてそんなデマを流したんだろ。」
「へー。学校にモンスターってなんか七不思議みたいですね。」
「ナナフシギって何?」

フロイドが首を傾げる。ジャミルも眉を上げたので、 監督生はおや、と思った。ここには七不思議の概念がないのか。監督生が元いた世界の住んでいた国では国民の全てが知っていると言っても過言ではないほどメジャーな言葉だが、ここにはないらしい。まぁゴーストが普通に見えるくらいだし、ホラーに対しての価値観や認識が自分達のところとは違うのだろうと監督生は納得した。

「しょう、じゃない。エレメンタリースクールにある7つの不思議な話の事です。」
「なんでエレメンタリースクール限定?しかも7つって、小エビちゃんとこもグレートセブンいんの?」
「子供は確かに突拍子もない話をよくするが、不思議と言うこともないだろう。よくよく聞けば理にかなっていたりする。」
「えっとですね。まず前提で、」

と、監督生が話そうとした瞬間、壁にかけられていた鏡がキラリと光った。
小窓から差した光が反射したのだろう。一直線に伸びたそれはまるで砕けた硝子のように細やかにひかり、たまたま近くにいた監督生の目を眩ませた。次の段に足を乗せようとした監督生の瞼に力が入る。ギンッとする鈍い痛み。眩しい、と思った直後、

「っえ?」

足先に当たるはずの感触が分散する。踏んだはずの階段はなく、縁と靴裏の摩擦で鳴ったズルりと言う音が後ろに重心を持ってかれた監督生の耳に届いた。
あ、落ちる。
先程とは反対に見開かれる目と肩越しに驚愕するフロイドとジャミルの目がかち合った。

「監督生!」
「っ!」

そんなに距離は離れていないのに、宙に浮いた監督生の腕を掴むフロイドとジャミルの動きが酷くゆっくりに見える。グッと引っ張られる肘と手首。落ちた足と反対の足が身体を支えるために下がった瞬間、フロイドとジャミル、監督生の間にまた、陽の光が通った。今度は3人全員の目が眩む。眩しくて思わず閉じた目に、一瞬、見知らぬ痛みが走った。

「いたっ!」
「ってぇ…、あ?」
「は?」

変な痛みに引っ張られていない方の手で目を擦る監督生。何か入った感覚はしなかったが、中から出そうと目を瞬かせているとふと、自分の足の位置に差がないことに気づいた。あれ、と目を開ける。引っ張られている腕はそのままだが、なんだか周りの様子がおかしい。
しなかった臭いがする。湿度も高くなっているし、何より視界の隅がなんだか赤黒い。先輩達も気の抜けた声を出した気がする。ゆるく監督生は顔を上げた。

「………え?」

フロイドやジャミルと同じように監督生の口がポカンと開く。

夕焼けと言うには些か強すぎる空の色。赤黒く濃淡な空は今にも落ちてきそうで、先程まで見ていた壁とは真逆だった。立っている場所も監督生達がいた階段ではなく、監督生が前までよく目にしていた人工の道であるアスファルト。
そして何より、目の前に聳え立つそれに、監督生は先程とは違う意味で心臓が鳴り始めていた。

「…なんで、小学校があるの……。」

ナイトレイブンカレッジとは似ても似つかない、コンクリートで出来たそれ。監督生が幼い頃世話になった小学校。しかし記憶の中の楽しい思い出とは全く違う禍々しい空気感に、監督生の身体から熱が逃げていった。
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