女体化稀咲の仕合わせな一生 【完】

楽しげなクラスメイトの喋り声をBGMに机に向かい教科書を捲る。2年になった私は相変わらず友達がおらず花垣と同じクラスで、ヒナを避け続けていた。

振られて次の日からまた元通りなど出来るはずもなく、ヒナを好きな気持ちも諦めることができない私は彼女を徹底的に避けた。気まずかったのはヒナも同じだったのか、始めこそ悲しげにしていたが遠目から見た彼女は楽しそうに友人と話し込んでいた。
避けたのは自分なのに、それが悲しくて憎くて尚更気まずくなった私は日を追う事にヒナとの距離をどんどんと突き放していった。

この気持ちも同じように離れてくれればいいのに。はぁ、と深く吐いた溜め息は昼休みの騒がしさに消えていった。

「ねぇ聞いた?」
「なになに。」
「2組の橘さん、遂に花垣に告ったって〜!」
「やばー!!で、どうなったの??」
「それが、」

ガタリと音を立てて席を立つ。驚いて話しを止める前席の子がどうしたのかと聞いてくるも答える余裕もなく急いで荷物をまとめる。

「ごめん、体調悪いから帰る。先生に伝えといて。」
「え、ちょ、稀咲さん?!」

慌てて呼ばれた名前に足早に教室を去った。もうそれ以上は聞きたくなくて、私は初めて学校をサボった。


勢いに任せて学校を飛び出してきたはいいもののサボりなどした事ないのでどうすればいいのか分からない。行きたい場所もないし行くあてもない。私としたことが短絡的過ぎたと本日何度目かの溜め息をこぼし、このまま家に帰ろうと踵を返した。

「お前が稀咲だな。」
「は、」

ガンッ、と鈍い音と共に後頭部に激痛がはしる。衝撃で倒れ込む私の周りをバタバタと忙しない足音がしたかと思うと名前を呼んできた男が何かを命令した。
くっそ、頭が痛い。段々と遠くなる音に意識を失ってはダメだと分かっているのに、私は瞳を閉じてしまった。



「俺らはよぉ、楽し〜ことを好きな時にしてぇんだわ。」

床に転がされた私をボロボロの木箱に座りながら男は見下ろす。

「けどよぉどこに行くにも喧嘩ってのは絶えねぇもんだ。俺らはただ楽しみたいだけなのになぁ!」

男がそう語尾を荒らげると周りにいた奴らも賛同するように声を上げた。

気絶させらた私は何処かの廃倉庫に連れてこられた。後ろ手に自由を奪われ頭の痛みも引かぬままこちらに話しかけてくる男とその周りの人間を見て、不良について調べていた時のことを思い出す。
愛美愛主の長内。普段、暴走族の名前は覚えないがあまりにもダサい名前とやっている事のえげつなさから逆に印象に残ってしまった。最近は夏休みに遭遇した黒服のチームと揉めそうになっていると聞いたが、なるほどそう言うことかと口に溜まった唾を吐く。
ひび割れたメガネはもう意味もなさないが、それでも馬鹿な野郎共が下劣な顔をしているのは分かる。なんの目的かなんて聞くまでもないが、私に出来ることはただ口を閉ざすのみ。赤黒く色付いた唾液を睨みながら恐怖を押し殺した。死んでもアイツの名は呼ぶものか。

「っ私に、そこ、まっでの価値は、ないっ。」
「それを決めるのはお前じゃねぇよ。」

人のケータイをプラプラと揺らす長内に無駄だと分かっていても手首を縛る紐を解こうと身を捩る。しかし固く結ばれたささくれだった紐がそう簡単にとれる訳もなく、ただ皮がめくれ新しい傷を増やしただけだった。
ヒリヒリと痛む手首に内心舌を打ちながらも打破出来ない状況に焦りが募る。出血はないがまだ脳みそが揺れてる気がして思考がまとまらない。
はやくどうにかしないと、縋ってしまう。

「つか遅せぇな。おい、コイツ剥け。」

誰かの返事と共にうつ伏せだった身体が勢いよく上を向く。照明が邪魔をしてのしかかる相手の姿が黒く塗りつぶされといた。声を上げたいのに喉が引つる。自由なはずの足も動かない。あぁ筋トレなんの意味もなかった。怖い。徐々に滲む視界に、血が出るほど唇を噛んだ。

制服のボタンに手がかかった瞬間、大きな音を立てて開いた扉に全員の動きが止まる。
入り込む空気と見知ったシルエットに耐えきれず涙が零れた。

なんで来たんだよ。

「よー半間、待ってたぜ♡」
「…雑魚が。何してんだよ。」

空気が冷たく尖る。
半間は顔から表情の一切を消し鋭くこちらを見据えている。全身から感じる怒気にその場にいる者、皆がたじろいだ。
こんな半間初めて見た。

「っ、歌舞伎町の死神も女には形無しってか。」

いつの間にかいなくなっていた男の代わりに長内が近ずいてくると片足で私の頭を踏みつけてくる。足裏で擦れる髪や圧迫感が痛い。屈辱的だとまた涙が滲んだ。

「ざけんな、今すぐその足どかせ。」

使えないメガネと涙でぼやけた視界に半間がこちらに向かってくるのが映る。しかし長内の部下が進路を塞ぎ他も一定の距離を開けながら周りを囲む様に動いた。普段ならきっとこんな人数どうともないのだろうが、私がいるせいだろう。威圧感はそのままに歩みを止めた。
駄目だと、私のことなど気にするなと言いたいのに無理矢理髪を引っ張られ顔を上げさせられたせいでそれは呻き声に変わった。

「半間ぁ、愛美愛主に入れ。そうすればお前の可愛い稀咲ちゃんを返してやるよ。」

重く澱んだ空気を割くように長内が声を張る。かろうじて痛みで繋がった意識も朦朧とし始めた。
やめろ半間、口を開くな。私のことなど捨ておけ。終ぞお前が何故私を気に入っていたのかは分からずじまいだったが、それでも私のためになんてバカな真似はよして欲しかった。自由なお前の背中を見れないのは酷く寂しかった。しかし口から出るのは浅い呼吸ばかりで思いは形になることなく死んでいく。


靄のかかった視界で半間が大きく息を吸った。





しっとりと濡れた手に目元を拭われる。
コイツでも汗をかくことがあるのかと場違いにも思った。


騒々しさの失せた倉庫内で私たちは2人、取り残されたように身を寄せた。半間の膝に横抱きにされた私は熱を帯び力の入らない身体を無視し何とか言葉を繋ぐ。

「…バカが、なんで、来たの…。」

支えるように肩の下に入れられた腕に力がこもるのが服越しに伝わる。

「…ばはっ、稀咲こそ、ボロボロじゃん。」
「コホッ…じ、ゆうが、いいんっで、しょ…。」
「……。」
「わ、し、ふられた、からっも、おも…な、いよ……。」
「……。」

黙らないで欲しい。霞んだ目にはお前の声だけが頼りなんだ。

謝罪と感謝を伝えたいのにいつものクセで可愛げのない言葉ばかりが口をつく。上がる息に何とか息を吸い込むも埃が舞う倉庫内では尚更むせる要因にしかならず、咳で響く痛みに更に身体を折り曲げた。
ヒナを好きにならなければ半間と会うことなどなかった。半間と会わなければ私が弱みになることもなかった。そう思っても後の祭りだと分かっているが、次から次へと流れ出す涙は一向に止まる気配がない。
抱きしめる半間の手が瞼に被さる。暗くなる視界と比例し段々と意識が落ちていく中、チラリと映った"罰"の文字が私に重くのしかかった。



「…オレにしとけとか……。だりぃ〜…。」



歌舞伎町の死神と呼ばれたその背中は酷く小さくなっていた。
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