小話

◎過去雷霆、鬥
◎雷霆視点



家に帰ると妹が死んでいた。
突然の事だった。


――真夜中の嘘は全て本当に成り得るのか、


俺達二人の両親は、俺達がまだ小さい頃に事故で亡くなってしまい、俺と妹は一夜の内に生きるか死ぬかの淵に突如として立たされた。
けれど、誰一人として助けてくれる者なんかいやしない。
貧しい家庭に生まれた俺達は、そんなことなど当たり前に分かっていた。皆自分一人生きて行くのに精一杯なんだ。
だから俺はまだ幼い妹を生かし守る為に、大人達に混じって毎日必死に働いた。
そして18歳になった今では、小さな家だが雨や風を凌ぎながら安心して生活できるようになったし、優しく働き者に育ってくれた兄想いの妹と質素ながらもそれなりに幸せで穏やかな毎日を送っていた。

そしてある日、いつも通り夜中まで仕事をして仕事場の近くで買ってきた妹へのお土産を持って家に帰った時だった。

「ただいま」

けれど、家に明かりはついていないし、居るはずの妹の「おかえり!」という声も聞こえてはこない。俺は不思議に思いながら、暗闇に目が馴れる前にパチリと家の電気をつけた。

「な……」

心臓が一瞬止まったように感じた。
否、本当に止まっていたのかも知れない。

目の前には、いっそ綺麗な程青白くなった顔や手足に、赤い色をこべりつけた…真っ赤な床に伏している、変わり果てた妹の姿。

「××…?」

呼び掛けてみるけれど、当たり前に反応はない。
気が動転した俺はしばらく家の外をうろうろしたり、何度も何度も扉から家の中を覗いたりした。

そして…

「…×…××!××!」

ようやくこの異常事態に頭が覚醒した俺は、手に持っていた物を全て床に投げ捨て、急いで妹に駆け寄った。
血に塗れるのも構わず、冷たくなった妹をひたすら掻き抱いた。乾いた血液が大量に付着して束になった髪が、俺が荒い呼吸を繰り返す度、むせるような血の匂いを漂わせてくる。

「××…っ!どうして…」

涙が次々溢れ出てきて、雫が彼女の肌に落ちる。雫の落ちた先に血が張り付いていて、乾いた血が潤いを取り戻していく。その血はまるで、今傷口から流れ出てきたような鮮烈な色を残したまま肌を伝い床に落ちていった。

「誰が…!誰がこんな事…!!」

「運が悪かったね」

血塗れの妹の死体を抱いていた俺の背後から、突然同い年くらいの男の声が聞こえた。頭の中は当たり前に空っぽで、俺は虚ろな目をしたまま後ろを振り向く。

「あれ?もしかしてショックで精神崩壊?まあ、何度もそんな奴見てきたけど」

開いたままの扉の側に、長身の男が立っていた。場にそぐわない明るい声色で男は酷く愉快そうに笑う。そして無遠慮に家の中へ上がり込み、ゆっくりと俺達に近づいてきた。

「恨まれてたみたいだね、その子」

妹の顔を、男は笑ったまま覗き込んでくる。まるで、『自分がやったんだよ』と言って、親に褒めてもらうのを楽しみにしている子供みたいな顔。
俺は相変わらずニコニコしているこの男を、無表情のまま見つめそして問い掛けた。

「お前…が、……殺し…たの、か」

怒りで声が震えた。
もしコイツが首を振って「違う」と言ったとしても、俺はコイツを殺してしまうかもしれない。いやむしろ、今俺に話し掛けてくる奴が居れば、誰であろうと殺してしまうかもしれない。それ程に俺の精神状態は擦り切れてもう限界だった。

「そうだよ!」

男が明るい声で言った。

「俺が殺したんだよ……っと…」

返答を待たず、男が全て言い終わる前に、俺は護身用に持っていた短剣を半ば無意識的に男へと振り下ろしていた。
しかし男はまるで既に予知していたかのような素早い動きで刃をかわして、血で汚れた床のぬめりを利用し、その場でくるりと回転してみせる。そしてまた首を傾げ、あの苛つく笑みを顔一杯に浮かべた。

「あはは、残念でした!そんなんじゃ人一人どころか自分だって守れやしないよ?」

その一言で、俺の中にあったギリギリの何かが弾け飛んだ。

「テメェ…!」

俺は無我夢中で短剣を振り回した。感情に流され無茶苦茶な型で挑んだ結果、無論刃は男に傷をつけるどころか、掠りすらもしない。しかも男の両手はズボンのポケットに突っ込んだまま。

「くそォ!!!なめやがって!!!」

怒りで頭がおかしくなりそうだった。しか無駄な動きを続ければ続けるほど、息はどんどん上がって際限なく振り回し続けた腕も痺れ震てくる。
それが『俺じゃコイツに敵わない』という事実を自身にこれでもかと知らしめるみたいで、よけいに悔しかった。

そして男は、ちからの入らない膝を床へ着いて荒い呼吸を続けている俺に、まるで世間話でもするよう話し掛けてきた。

「ねぇ、家族を殺されるって、辛い?苦しい?」

なにが言いたい?俺が、妹が、こいつになにかしたか?どうしてこんな…

「うるさい!一体何なんだよお前!どうして…なんで××を…!」

「愛されてるって幸せ?愛って何?家族の絆って何?そんなの、こんな簡単に消せちゃうのに」

「お前に何がわかるんだ!この人殺し!!」

男は罵詈雑言を浴びせられたにも関わらず、気味の悪い笑みばかり浮かべる。ほんの少し、伏し目がちな目。

「生まれてから今まで、人殺しじゃなかった時なんてなかったよ」

「……お前…本当に何なんだ?××が恨まれてるって…それとお前に何の関係が…」

明らかに異様な雰囲気の室内で、妹の死体を挟んで対峙したまま俺は男に聞いた。上がった息を整えている間に、自分自身少し冷静になったみたいだ。

……それとも…俺はもう、この時既に心のどこかで決めていたのかも知れない

コイツを追い、殺す覚悟を。

男は血走った俺の目を見つめて、またあの笑顔を作った。

「今はフリーの殺し屋。依頼者の情報は教えられないけど、君の妹を殺したのは依頼されたから、それ以外に理由なんてないよ」

「殺し…屋」

「人間のやる仕事じゃない、みたいな顔してるけど、ごめんね、世界は君が思うより汚いし世間は俺の唯一の『取り柄』しか求めてくれない、だから…」

「そんなの俺と妹には関係ない…関係ないだろうが…」

「だけど事実、君の妹を嫌っている人は身近に居たって事だよ。だから俺は今ここにいる……ねえ」

もう答える気力なんてなかった。
いっそこのままコイツの目の前で自分の喉を掻き切って死んでやろうか。そしたらコイツは、俺が息絶えた後笑いながらどこかへ去って行くのだろうか。

「俺が、憎い?」

耳にハッキリ聞こえた声に、全身の血が巡りを早くしていくのがわかった。
もう…俺には…

「俺の名前は鬥、フリーの殺し屋、君の妹を殺した男」

「……とう…が…」

この後この男は散々俺をあざけた末、ここから何事もなかったように去って行くんだろう。
俺はどうする?この広い世界で妹を殺した男を見つけて殺すなんて不可能だと、諦めて、一生この村で一人寒々しく死んでいくのか。

(違うだろ)

…コイツを殺す

地の果てまで追いかけて、妹の受けた苦痛の数億倍の苦しみを味合わせて必ず殺してやる。もう、俺には…それしか自分の生を繋いでいく理由がない。

「じゃあね、弱っちい村人君」

「……雷霆(らいてい)だ」

「ん?」

「雷霆、覚えとけ、殺してやるなんて生易しい言葉じゃ足りない…地の果てまでお前を追いかけ探し出して、必ず…殺してやる」

「…………」

ジジ…ジ…

今まであかあかと部屋を照らしていた白熱灯が、そろそろ寿命を迎えるのか、音を立てながら、不規則についたり消えたりを繰り返し始める。

俺が瞬きすらしまいと、睨みつけていた鬥は一度にこりと笑い、照明が点滅を続けている間にその姿を消してしまった。まるで夢の出来事のようだと思わせる程一瞬の内に。しかし床に放置されたままの妹の横顔が、窓から洩れる月明りに照らされて、俺に今までの全てが『現実』だとこの胸に痛い程突きつけてくる。

数分のうちに一転した俺の世界を、妹の濁った瞳は、じっと、ずっと、哀しそうに見ていたに違いない。そして俺は、これから俺を待ち受けている形容しがたい苦しみが、引きつる喉元を掴み息をしにくくさせていくのを確かに感じた。

事実を確かに受け入れはじめた体が徐々に力を失い始める。そしてがくりと膝をつき、恐る恐る震える指先で再度触れた妹の肌は


嗚呼、確かに『生きて』はいなかった。




















(真夜中の嘘は全て本当に成り得るのか、)

おやすみ未来。
おはよう過去。
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