小話

▼アイレン/アマービレ/ディーン/デルーカ/ナンナ/マーガレット/ロジェッタ
▼アイレン視点




深夜、ラストエンペラーのバイトが終わり家に帰宅したあと、携帯を開いてみたら、母親から一件の伝言がはいっていた。

「アイレン、ちょっとおじいちゃんの蔵の整理したいから、今度のやすみ家に帰ってきて!」

携帯を顔から離していてもハッキリと聞き取れる声量で、母親はそう告げる。俺の意思も予定も完全無視の絶対命令。有無をいわさぬドスのきいた伝言にため息をついて、俺は「わかったよ」と、母親が機械に疎く返信ができないのをいいことに、メールで返事をした。






BOOGIE-WOOGIE!







繁華な第1都市を電車で抜けて3時間。景色は完全に山と川だけになり、そのうち乗客も俺ひとりだけに変わった。愛想のいい中年の運転士さんと軽く言葉を交わして、終点駅から地元のバスへと場所を移す。
俺の実家がある村へ続くバスは一日一本しかない。大型スーパーなんかも駅前のこの街にしか建っておらず、前日母親に電話口で10分に渡り指定された商品をひとしきり買い込んで、俺はヘトヘトになりながら、ようやくやってきたくすんだ黄色の見慣れたバスに乗った。

始発であり最終のこのバスには、相変わらず俺しか乗客はいない。悪路に散々尻をぶったたかれながら、最近ようやく使い方を覚えた手の平サイズのミュージックプレイヤーで、『おしりなぶり虫』をリピートし続けた。曲の変え方がわからないのだ。






早朝に第1都市を出たはずなのに、気づけば陽はとっぷり暮れ、夜空に星がまたたいていた。あの街では決して見られない無数の星。無性に懐かしくなって笑いがでる。
あともう少しで村に着くけど、お腹すいたなあ。怒られるとわかってはいたが、我慢できずにスーパーの買物袋から『ハッターピーン』の袋を出し中身を食べた。食べ過ぎで喉が渇いてきたので、これまた母親に頼まれたペットボトルのお茶を一本だけ拝借した。

「お兄ちゃん、ついたよ」

運転士さんの声で目が覚める。どうやら疲労と満腹感で眠ってしまっていたみたいだ。運転士さんにお礼を言って、鬼のように重い荷物を抱えながらバスを降りた。

「ようアイレン、遅かったなあ!」

「父ちゃん!」

バスの停留所のすぐ側に、年期のはいった軽トラがとまっていて、運転席の窓から父ちゃんが笑顔で手を振っていた。とりあえずキャリーバッグと買物袋を後ろの荷台に乗せて、助手席に滑り込む。

「シートベルトちゃんとしめろよ」

「言われなくてもしめるよ」

「都会の人間はシートベルトなんかしめねえって聞くからよぉ、お前もあっちの変な兄ちゃんや姉ちゃんみたいになっちまってるんじゃねえかとおもってなぁ!」

「そもそもむこう、そんなに車走ってないし」

「車がなけりゃどこにも行けねぇだろ!」

「電車とかあるから」

「そうか、電車かぁ~なるほどなぁ~」

上京する前となにも変わらない父ちゃんの姿に妙な居心地の良さを感じた。それから約30分、俺のバイト先のハナシや、ロジェ、アマ兄ちゃん、ディーンさんやデルーカさんのコトで会話は尽きなかった。






そんなこんなでようやく実家に到着した。携帯を確認してみると、ちょうど深夜0時を回ったところだった。

「アイレン、荷物は父ちゃんが持ってっといてやるから、母ちゃんと婆ちゃんに顔見せてこい」

「婆ちゃんまだ起きてんの?」

「どうしても今日お前の顔が見たいんだと」

婆ちゃんはとても早寝なタイプだったので驚く。俺はとりあえず言われるがまま荷物を父親に預けて、勝手知ったる我が家へと久しぶりに足を踏み入れた。

「母ちゃん、婆ちゃんただいまー!」

「あんたたち遅かったねえ!」

パジャマ姿の母ちゃんが俺の声を聞き付け、どたどたと玄関までやってきた。顔には妖怪とみまごうような白いパックがくっついている。

「これ、アマ兄ちゃんから」

肩に提げたかばんからお土産を出す。むこうで最近流行っているらしい、ありきたりなチョコのお菓子。それを受け取る母ちゃんは上機嫌で、少女のようにそのお菓子を胸に抱きケラケラ笑った。

「あらあら、アマービレちゃんたら!気を遣わなくたっていいのにねぇ、もう!どう?アマービレちゃんとロジェッタちゃんは元気?」

「うん。アマ兄ちゃんにはよくしてもらってる。ロジェは俺とは別のおおきなカジノでバイトしてるみたいだけど、友達もできたっぽい」

「そうなの?だったらよかったわ~お母ちゃん心配でねえ!ロジェッタちゃんなんかあんなに可愛いんだし、都会は物騒だからいつ襲われてもおかしくないじゃない?あんた男なんだからロジェッタちゃんが困ってたら助けてやんなさいよ?」

「…うん」

逆に毎日(食事的な意味で)ロジェには世話になってるよ、なんて言えるはずもなく、俺は玄関に立ち尽くして乾いた笑みを浮かべた。すると後ろから物音がして、たくさんの荷物を抱えた父ちゃんが怪訝な顔で扉から身を乗り出した。

「おいお前ら、なあに玄関でくっちゃべってやがんだ!これじゃあ俺がアイレンの荷物もってく意味がねえじゃねえか!」

「まったく、あんたはいちいち細かいんだよぅ!…アイレン、居間に婆ちゃんいるから、とりあえず爺ちゃんに挨拶だけして婆ちゃんに顔見せに行きな」

「うん、わかった」

「それよりあんた、ちょっと荷物運ぶついでに隣に回覧板もってってちょうだいよ」

「よっと、…回覧板?仕方ねえなぁ…」

わあわあと会話を続けるふたりを背に、靴を脱いで家にはいる。居間は玄関を抜けてすぐにあり、その奥に婆ちゃんが生活している和室があった。とりあえず婆ちゃんの部屋にはいり、リンを一度鳴らして爺ちゃんの遺影に手を合わせる。そしてそそくさとその部屋から抜け出し、婆ちゃんの待つ居間へと駆けた。

「婆ちゃん、帰ったよ!」

「…んあ?あぁ!アイレンかい、遅かったねぇ。婆ちゃん待ちくたびれちまったよ」

「ゴメンゴメン、もうちょっとはやく出発すればよかったね」

「でも元気そうで安心したよぉ、どれ、もっとよく顔をみせておくれ」

「あはは、別になにも変わってないと思うんだけど…」

前に見た時よりちいさく感じる婆ちゃんの姿に鼻の奥がツンとする。
そして俺はしばらく婆ちゃんの肩に寄り添い、ふたりでおしゃべりし続けた。深夜も1時が近づいてきたころ、母ちゃんがばんごはんの残りを温めてくれたというので、今日はもう婆ちゃんとはお別れして、おとなしく食卓につくことにした。






「アーイレーーーン!!」

「……んぐ……ぐぅ………すぴ…」

「アイレンあんたいつまで寝てんの起きなさい!父ちゃんもう仕事行っちゃったよ!婆ちゃんは町内の集まりに行ったし、あんたもそろそろ蔵の掃除しな!」

バサッ!一年ぶりの母ちゃんによる布団めくり!
季節は春先で日中は暖かかったが、朝はまだどうにも寒くて、布団を奪われるという突然の行為のせいで嫌にハッキリ目覚めてしまった。そして俺は母ちゃんに言われるがまま布団や部屋の掃除を任せ、のろのろと居間まで朝ごはんを食べに行った。






「ちりとりと雑巾はここ、あとごみ袋は外にあるからね。とりあえず中のものは一旦蔵から出しといて。蔵全体をきれいにしたあと、夜に父ちゃん達と蔵の中のものを分別するから!」

「へーい」

「昼ご飯できたら呼ぶから、音楽聴きながら掃除すんじゃないよ?」

「わかってる!」

「あ!あんた昼ご飯なにたべたいの!?」

「あーもう!用件は一度に言えよ!!ヤキソバッ!!!」






わあわあやかましい母ちゃんが家に戻ったことを確認して、ようやく整理を開始する。
父ちゃんのお古のつなぎに、マスクと三角巾。気合いをいれるよう、ところせましとナスビがプリントされたTシャツの腕をまくって歯を食いしばった。

爺ちゃんの蔵は、確か俺が上京する以前からヒトの出入りなどなかった気がする。爺ちゃんが死んだのがかれこれ7~8年前。もしそれから一度も手入れされてない状態のままだったとしたら、なんらかの生き物の死骸や虫的なアレも念頭においておかなくちゃ。

とりあえずこんもり埃の積もった、カタチも大きさもばらばらな木箱や巻物じみたものを片っ端から手にとり、ちりとりで表面を掃(はら)っては外に出す。銅か鉄かはよくわからないが、腐食しているものもいくつかあって、さっそく真っ白だった軍手が赤茶に染まってきたので新しいものに変えた。






「アイレーン!ご飯!あとアマービレちゃんのお母さんから電話かかってきたから、あとでかけ直して挨拶だけしときなー!」

「わかったー!」

無心で作業していたからだろうか、気づけば携帯の時計は午後1時になっていた。とりあえず家の外でパンツ一丁になって、風呂場で軽くシャワーを浴びてからご飯を食べた。久しぶりに食べた母ちゃんのヤキソバは、働いたせいもあったがとてつもなくうまかった。

「どれくらいかたづいたの?」

「んー、あと1時間くらいで半分かなあ」

「まあムリそうだったら明日続きやってくれてもいいし、あんた何日やすみとったんだっけ」

「俺はいいって言ったんだけど、アマ兄ちゃんに押し切られて五日もやすみもらっちゃった」

「結構いるんだねぇ!じゃあついでに、納屋(なや)の片付けと、庭の手入れも頼むよ」

「えぇ~~~!?」

無理矢理もらうことになった五日間の休暇ではあったけど、せっかくのやすみなんだし、地元の友達とかとワイワイ遊んだりしたかったのに。母ちゃんが次々と食卓に並べていくおかずに箸を伸ばしながら、こころのなかでおおきくため息をついた。

「文句いわない!無駄にからだばっかでっかくなったんだから、こういう時有効に使わないと育った意味がないよ!」

「わかったよぉ…」






そしてモッサリと食事を終え、俺はアマ兄ちゃんの家に電話をかけた。アマ兄ちゃんの母ちゃん、もとい、うちの母ちゃんの姉ちゃんであるおばさんは、母ちゃんとは違っておっとりしている。でも、アマ兄ちゃんの両親は物静かで優しかったけど、なんとなくヒトの良し悪しを計算して接する態度を変える冷たい雰囲気も持ち合わせていた。だからちょっぴり苦手だった。

「アイレンくん久しぶりねぇ、元気だった?」

「うん!おばさんも元気そうで安心した!」

「ふふ……、第1都市での生活は慣れた?あの人…アマービレに酷いこととかされてない?」

「全然!今回だって俺やすみ2日くらいでいいって言ったのに、せっかくだから満喫してこいって5日もくれたんだよ!」

それからおばさんと他愛ない話を10分ほどして、蔵の掃除の続きがあるからと電話を切った。どうせ今日明日にはロジェのところのおばさんも電話かけてくるだろうし、今のうちにこっちから連絡しとこうかな。俺は昔懐かしい黒電話のダイヤルをジーコジーコと回して、ロジェの家に電話をかけた。






それから数時間後、蔵の掃除もようやく半分以上終わり一息つく。扉の隙間から外へ視線を移すと、陽もずいぶん傾いていた。

「今日はとりあえずこのへんでやめとこうかな、よいしょ!」

古びた木箱に腰掛け、色あせた蔵書の塔に背をあずけた、その時だった。

バサッ!!

「ぎゃっ!」

塔のてっぺんから一冊の本が降ってきて、脳天に直撃した。突然の痛みにしばらくもんどり打って、痛みが過ぎ去るのを待つ。1分ほどしてようやく痛みがひいてきたので、うるむ視界の中から問題の本を探した。

「これか…?」

足元に落ちていたのは、20ページもないであろう薄い本だった。うっすらとほこりがかぶり、触れた部分がはっきり跡になる。俺はそれを手にとって、袖でぐいぐいと表紙を拭った。

「な……う……?」

赤い背景に黄色の文字。時代を感じる劇画タッチの極太の線。なかなか綺麗にならなくてつい苛立つ。だけど、ちからいっぱいゴシゴシするうち徐々に文字がハッキリ見えてきた。



『ナウイ言葉辞典~開けてびっくり玉手箱~』


「…ナウイってなんだ?」

妙に興味をそそられる、この蔵には似つかわしくないその本。開きたくて仕方ない。
とりあえず俺は本を小脇に抱え、蔵の掃除を一旦やめることにした。部屋に持っていって読もう。どうせ価値のあるようなものじゃないだろうし。






深夜0時も回った自室で、俺は婆ちゃんがつくった小麦粉のせんべいをモソモソかじりながら、蔵から持ってきた本を読んでいた。

「ふーん。都会のヒトが使う、最先端の言葉辞典みたいなもんか」

その本は、滅多に読書しない俺でも読みやすくバラエティーに富んでいて、つい時間を忘れてしまいそうになった。笑わせることを目的とした軽いタッチのイラスト。ノリのいい文字のやりとり。

「なんだこれ、あはは!」

笑った拍子にせんべいのかけらがぽろぽろと畳に落ちてしまったが、気にしない。
そのうち、居間の掛け時計が4回、ぼぉーんぼぉーんと唸りをあげたけど、それにも気づかないまま夜はふけて、6時。冷気をたっぷりふくんだ朝がようやく俺のまぶたをつまんで引き下ろした。小麦粉のせんべいがはいっていたお皿はとっくの昔にからっぽだった。






それから帰宅当日まで、俺は日中せっせと掃除に精を出し、母ちゃんのつくる大味(おおあじ)な昼飯をひたすらかっくらっては、時々近所を散歩して知り合いと馬鹿なハナシをしたりした。夜はもちろん本の虫で、空が白むまで婆ちゃんの作った小麦粉のせんべいをばりばり食べながら本のページをめくった。






そして長かったようで短かった5日間はとうとう終わりを告げ、俺は名残惜しい気持ちと街に戻れる嬉しさで胸をいっぱいにしながら、玄関で母ちゃんと婆ちゃんに見送りを受けていた。

「アイレン気をつけて帰りな!またついたら電話して」

「わかった」

「あんたは昔っから、なんでもクチにいれるからね。夏は食べ物も腐りやすいんだ、賞味期限の切れたモンは食べんじゃないよ」

「大丈夫だよ」

「すぐに野菜送るからね!」

「ありがとう」

「あっ、あと…」

「もうわかったって!アマ兄ちゃんとロジェにはお土産渡すし、母ちゃん達が心配してたって伝えるよ!野菜も、どうせ三人分送ってくれるんだろ!」

「さっすがあたしの息子!じゃあ、またいつでも帰ってきな!まってるから!ほら、婆ちゃんも、アイレンもう帰るって」

母ちゃんから言葉の弾丸を撃ち喰らい、瀕死状態の俺。名残惜しそうなばあちゃんと、言い足りないオーラ満天の母ちゃんを背に、俺は逃げるよう故郷を後にした。






「あ~~~つかれたぁ!」

来たときと同じ長い経路を辿り、ようやく住み慣れたボロアパートの床へ倒れ込む。
とりあえず荷物片して、風呂はいって寝よう。翌日のバイトのことを思うと、だるいような楽しみなような、不思議な気持ちになった。

「これはゴミ、これは洗濯、これは…あ」

乱雑に詰め込んだ服の中から、あの本がコロリと落ちた。返し忘れたまま持ってきちゃったのか。はやめに電話して、郵送なりして戻したほうがいいのかな。でも蔵の掃除をしている間も終わってからも、一度だってこの本については聞かれなかったし、まずなによりこの本があの蔵の中の宝のひとつだとは到底思えなかった。

「…もらっとくか」

手にした派手な本を年季のはいったちゃぶ台の上に放り、ステンレスでできたちいさな風呂桶にお湯を張るため、だるいからだを起こす。このあとは、向かいのアパートに住んでいるロジェにお土産を渡しに行って、近くのコンビニで晩飯買って、適当に明日の準備して、それから、それから…






「………ハッ!!!」

濡れた雑巾を床にたたき付ける着信メロディーが、二つ折りの携帯電話からけたたましく鳴り響く。まだ頭がハッキリしない。
とりあえず、俺はいま、部屋の真ん中に敷かれた薄いせんべい布団の上にうつぶせに寝ている。一応お風呂にははいったから、からだからは引っ切りなしに安い試供品のせっけんの匂いがしていた。髪は生乾きのままだったので、案の定手触りは炸裂している感じだった。
そして、子供の時から使っているかわいいキャラクターがプリントされたくたくたのまくらをあごの下にして、両腕の先には例の本。

(そっか…読み返してたら夢中になって、そのまま眠っちゃったのか)

目をこすりながら、携帯電話の時刻表示を確認する。あと1時間半でバイト。生温い布団からからだを引きはがし、水道水で顔を洗い、ついでに水を飲む。鉄サビとカルキのえぐみももうなれた。

服を着替え、ピカピカと光るちいさなラジオのスイッチをいれる。
この家にはテレビはないけど、やっぱり都会に住んでいるんだからそれなりにおニューな情報は耳に留めておきたかったので、先日アマ兄ちゃんに頼んで買ってもらったのだ。"そんな古いモノより、薄型のテレビのほうがいい"と、電気屋さんでさんざっぱら店員さんと俺をひっぱり回したアマ兄ちゃんには悪かったけど、電気代の問題があるからね。

様々な怪しい電波が飛び交うカジノ街。街の片隅にぽつんと建つこのアパートだって例外じゃない。

ガガガ、ピピピ。

ひずんだ女性の声と、爽やかなバイオリンの音。そう、まるでここはフランスのリオデジャネイロ!!鹿鳴館(ろくめいかん)でキャビアがブルジョアジーする小松菜!!
変にテンションがあがって、くるくる回りながら部屋を移動してみたら、ふすまのカドに小指をぶつけて悶絶した。

ヒェーと情けない声をあげてうずくまっているうち、ラジオの曲はポップな外人の歌に変わり、DJの女性もさっきより少し若い、はつらつとした声のヒトになっていた。

《さぁ、やってまいりました!今夜もブギーウギー!ゲストはこのかた、現代アートの風雲児、ちぎった自前のすね毛で、サグラダファミリアやサント・シャペル、ヴェルサイユ宮殿などを製作したことで話題の、コンバインすね毛さんです!》

《みなさんこんばんは~!コンバインすね毛で~す!》

美術にとんと縁がない俺でも耳にしたことがある名前に意識がうつる。それでも時間は進むから、じくじくと痛む小指をいたわりながら、鼓膜だけラジオに置き去りにして再び服を着替えはじめた。

《えぇ、そうですね!もう自分のすね毛が尽きちゃったんで、最近は実家の家族にむしったすね毛を郵送してもらうこともあるんです》

《わぁ~家族愛っていうやつですね!あっ!そろそろトレンドピックアップの時間ですね!では参りましょう!》

"トレンド"という言葉が気になり、実家から持ってきたキャタピーの佃煮を食べつつ、音量のダイヤルを少し回す。場面転換を強調する、甲高いファンファーレがアパートに響く。

《最近第1都市では、ファッションの"回帰"がよく見られるようになりましたね》

《ファッションの回帰、ですか?》

《はい!ファッションに限らず、流行り廃りは繰り返すモノ!昔流行ったものが最近になってまたオシャレなものとして取り上げられることは多いんですよ》

《へぇ~!そういえば、カセットテープなんかも、最近"使いづらいけどデザインがかわいい!"みたいな理由で、流行してるみたいな話はききますね》

《そのうちワンレンやボディコンなんかも、街中で見られるようになるかもしれません》

《あはは!タイムスリップしたような気分になりそうですね!》

"ワンレン"や"ボディコン"。どっちもあの本に書いてあった単語だ!もしかするともしかするかも!
まくらもとに置かれたままの『ナウイ言葉辞典』。これを今使えば、一躍街いちばんのアバンギャルドなイカした男になれるんじゃ…。胸がドキドキして手汗が止まらない。ごくりと喉を鳴らして、俺は迷うことなく本をウエストポーチに突っ込んだ。






代わり映えのしない路地を、胸躍らせながら歩く。路肩にぶちまけられたゲロも、不規則に点滅を繰り返す街灯も、地面に倒れ込んだ酔っ払いだって、みんな楽しい物語の引立て役に見えた。
ふと右腕に巻いた時計を見て時間の確認をする。あと30分。まだ余裕があるな。

「えーっと……」

キャバクラのキャッチ達の目が獲物を狙う鷹のようにぎらついている。俺は精一杯からだを縮こませ、冷や汗をかきつつとある服屋さんの中へはいった。
背が高く、手足は女の子みたいに細くて、おおきな黒ブチ眼鏡をかけた男の店員さんが、愛想よく声をかけてくる。金色に脱色された髪の毛がまるでほぐしたラーメンのようだった。

「いらっしゃいませー、なにかお探しでしょうかー」

「えっと…あ、"とっくり"のセーターを探してるんですけど」

「………?」

店員さんは笑顔のまま首をかしげる。

「とっくり?の、セーターですか?」

「はい」

「申し訳ございませんがそのブランドはうちにはおいてませんねぇ…」

「え?」

「え?」

話の通じない店員さんに、若干いらいらがつのる。なんだこいつ、服売ってるくせにとっくりのセーターも知らないのか!あ…もしかしたら最近上京してきたばっかりのヒトなのかも。だったら知らないのも当たり前だね。ここはシティーボーイとして、親切に教えてあげなくちゃ!

「とっくりっていうのはね…」

「え?」

「こう、首のところが長くって、折って着る服のことを言うんだよ。カメみたいなやつ」

「カメ……あ」

ジェスチャーを交えて目の前の店員さんに"とっくり"のなんたるかを伝える。するとようやく合点がいったように手を叩き、奥からいくつかセーターを持ってきた。

「タートルネックのことですね!はい、うちにはこれだけ在庫がございますが」

「タートルネック?ふーん、君の故郷ではそう呼ぶんだね。どれどれ…」

俺は納得して、店員さんの持ってきたセーターの中で、一番派手でオシャレなものを購入した。その場で値札を切ってもらい、スーツの上に着る。

それからお店に着くまで、セーターを買う前とは段違いの視線と、俺の放つ都会的オーラで近寄ることもできなくなったキャッチの姿を横目に見ながら、最高の気持ちで路地を歩いた。






「こんばんはー!!」

はじめは怖かったけど、もう今では自分の家のように気楽にはいれるラストエンペラーの入口。顔なじみの黒服に挨拶をして、むこうから持ってきた手土産を渡す。

開店してしばらく経った店内は、他所に比べればかなり静かで落ち着いた雰囲気だけど、すでにクライマックスばりの大盛り上がりだ。着飾ったおばさんの豪華なドレスの裾を踏まないように、むっつりした顔でお酒を運ぶウェイトレスにぶつからないように、事務所を目指す。

コンコン

「アマ兄ちゃん!ただいまー!」

返事など待たずに事務所の扉を開けた。
事務所にはアマ兄ちゃんしかおらず、いつもながら忙しそうに書類に目を落としてペンを走らせている。俺もそんなアマ兄ちゃんに気を遣うことなく、やれ暑いだのやれ疲れただのと、ひとりごちながらソファに荷物を置いた。

「アマ兄ちゃん、母ちゃんからのお土産ここ置いとくね」

「ああ、また電話しておくよ。どうだ?久々の休暇は楽しめた…………か………」

「うん!日にちあったぶん手伝いもやらされたけど、楽しかったよ!………アマ兄ちゃん?」

アマ兄ちゃんの声が消え入りそうになって、そのうち物音も聞こえなくなってしまったので、不思議に思い、視線を手元からアマ兄ちゃんのほうに移す。
するとアマ兄ちゃんは、目を見開き茫然としたような顔でこっちを凝視していた。かけていた眼鏡を何度もずらしては掛け、目を擦り、細め、また開く。

「なにやってんの?ねむいの?」

「ん………あ、ああ。いや、その…また個性的なセーターを着ているなと思って」

「あっ!気づいてくれた!?これさっきオシャレなお店屋さんで買ってきたんだ~!」

「そ…そうか………あー………なんだ、ウインナーの柄のセーターとは…また、変わったデザインだな」

ウインナー!?アマ兄ちゃんのふざけたセリフに怒りが爆発する。

「タラコだよ!!!!馬鹿!!!」

「!?」

突然叫んで驚いたのか、アマ兄ちゃんはペンを完全に手から離し、固まっている。

「よく見なよ!切れ込みも焼き目もないのにウインナーなんて…っ!」

「ア、アイレン、ちょっと落ち着け!」

「とさかにきたぞ!!この、ヘナチョコアマ兄ちゃん!!」

「お…おい、お前さっきからなんか日本語がおかしいぞ…?なにか変なものでも食べたんじゃ…お前なんでも拾ってクチにいれるから」

「母ちゃんと同じこと言わないでよ!あとおかしくない!これが時代の最先端なの!アマ兄ちゃんが遅れてるんだ!!」

とにかくもう腹が立って仕方なかったから、さっさと制服に着替えてしまおうと事務所の扉に向かい一歩踏み出したら、アマ兄ちゃんが「もらいものの美味いお菓子がある」なんて言うから、つい怒りを忘れてアマ兄ちゃんのほうに駆け寄ってしまった。






「ん~デリシャス!!」

カンの蓋を開いて、可愛いクッキーを食べている途中でさっきのことを思い出し、モグモグと咀嚼しながらアマ兄ちゃんにちいさく抗議する。

「あっ!俺まだ怒ってるんだからね!忘れたわけじゃないよ!」

「悪かったよ…それより何なんださっきから、デリシャスとか、トサカにきたとか」

俺はアマ兄ちゃんに事の顛末(てんまつ)を話した。するとアマ兄ちゃんは呆れたように一度大きくため息をついて、自分の椅子からこっちのソファまで移動したかと思うと、俺の隣に腰を落ち着けた。

「お前それは一周回って時代遅れだと思うぞ」

「また馬鹿にするの!?」

「違う違う!落ち着け!」

「俺だってあれだよ!?"えすえぬえす"もやってるし、アマ兄ちゃんよりいまどきの若者だから、流行にもノリノリだもん!時代がまだ俺に追いついてないんだ!」

「SNSやってるのか!?お前が!?」

的外れな言葉に開いたクチがふさがらない。百聞は一見に如かずってよくいうし、これは見せたほうが早いか。

「これだよこれ。リアルタイムで写真とか文字とかが投稿できるの」

ふたつ折りの携帯電話の液晶画面をアマ兄ちゃんの顔面に突き付ける。するとアマ兄ちゃんは驚いたように目を見開き、俺の肩を掴んで叫んだ。

「老人用のボケ防止サイトじゃねぇか馬鹿!!!」

「なんでアマ兄ちゃんは俺のことそんなに馬鹿にすんだよ馬鹿!!そりゃあ、仲良し登録にはおじいちゃんおばあちゃんしか居ないけど…」

「やってるのが老人しか居ないんだよ!」

「もう!いちいちうるさいよ!老人だろうが俺の大切な友達なんだぞ!?俺もう帰る!」

「あっ、おい!アイレン待て!アイレン!!」

いちいち突っ掛かってくるアマ兄ちゃんに堪忍袋の尾が切れた俺は、制止を振り切ると、再び夜の街へ飛び込んだ。次のバイトは2日後。それまでにアマ兄ちゃんはいくらかひとりでじっくり反省するべきだ!バイト当日、ラストエンペラーで俺の『伊達男』っぷりに涙を流し拍手喝采を送るアマ兄ちゃんの姿を想像して、胸の奥のモヤモヤをほんのちょっとだけ追い払った。

ここに来る前と同じ、周囲から感じる舐めまわすような視線に気をよくしながら、俺は目的もなく街を歩く。ふと、少し前に仲良くなった、街の端のほうに建つ花屋さんで働いているマーガレットに会いたくなったけど、既に時計の短針は深夜の1時を指そうとしている。開いているわけがない。でも、わかっちゃいたけどすることがないんだから、別に、花屋さんまで行ってみるくらい問題ないよね。

普段はあまり通らない、飲み屋街の多く建ち並ぶ路地。スーツ姿のおじさん達が赤い顔で店から店へと渡り歩いていく。

「よう、兄ちゃん!わはは!イカしたセーター着てんじゃねぇかぁ!いいねぇ!」

「さすが!おっちゃんわかってるね!これ、カジノ街で最先端の恰好だよ、覚えといて!」

陽気に絡み絡まれ、コンクリートを蹴る足も軽くなる。繁華な通りを少し過ぎると、落ち着いた、隠れ家的バーみたいな感じのお店が増えてきた。「あ、」。その一角に、見慣れた人影があった。

セットされた萌黄色の髪の痩せた男の人と、青味がかったグレーの髪の、ボンキュッボンな女の人。カジノ街最強最悪のギャンブラーコンビ『ディーン&デルーカ』。どっちも周囲より浮いたスタイルの良さで目立っている。
俺はニコニコしながらふたりの元へと駆け寄ると、デルーカさんが俺に気づいたのか、ディーンさんの肩を叩いてこっちを指差した。背を向ける形で立っていたディーンさんがそれに合わせてこっちを振り向く。そして、振り向いたと同時に思い切り吹き出した。

「ブハッ!!ギャハハハハハ!!!」

「…ちょっと、ディーン」

「ディーンさんデルーカさんこんばんは!」

「ええ、アイレンくんこんばんは」

「おいおい冗談だろ…ブフッ!……ック…アイ…レ…アハハハハハ!」

「デルーカさん、ディーンさんどうかしたんですか?」

「気にしなくていいわ。ごめんなさい」

わけがわからなかったけど、とりあえずふたりに会えてよかった。俺はふたりに、さっきラストエンペラーでアマ兄ちゃんにされた無体(むたい)な仕打ちを、ちょっとオーバー気味に打ち明ける。相変わらずディーンさんは目尻から涙を滲ませ、苦しそうにお腹を抱えてケラケラと笑っていた。

「…というわけなんですよ、酷いですよね!?もうげろげろですよ」

「……まあ…そうね………誰であれ、お友達はお友達…ですものね…」

「ッククク……おいデルーカ、若干言葉に詰まってんじゃねぇよ」

「アマ兄ちゃんは時代遅れなんだ!きっとピチピチの若者の俺が羨ましかったんですよね!」

ようやく落ち着いたらしいディーンさんが、胸ポケットから取り出したタバコに火を点けて、俺の肩へと腕を回した。

「なぁ、アイレン」

「なんですか?」

「お前あれだよ、パンツもそれじゃなくて、ステテコとか履いてみたらもっとオシャレになるんじゃねえか?」

「ディーン!」

なぜかデルーカさんが、珍しく眉間にシワを寄せて、ディーンさんに突っ掛かる。それを空いた手で軽く牽制して、ディーンさんはまた含みのある物言いで話しはじめた。

「まずは形からだよ、カ・タ・チ」

「形ですか?」

「そう。お前がそのセーターを買ってアマービレに嫉妬されたみてぇに、こうな、周りとは十歩も百歩も違う恰好になることによって、取材とかもな、ほら、あるかもしんねぇだろ?」

「取材!?」

「……もう勝手にしなさい」

「昼間はここら辺でも、ファッション雑誌のカメラマンとかがオシャレな奴を探してウロついてるらしいぜ?そこへ完全武装のお前が華麗に登場だ。想像してみな?」

「ああ……ディーンさん、これは…すごい…女の子の黄色い声が…こ、ここは……第1都市で一番おおきなアリーナのステージ!?そんな!…」

エルビスプレスリーばりに"ピラピラ"のついた衣装で、第1都市アリーナのステージに立つ自分。妄想はとどまることなく、ついには都市世界ツアーで第3都市まで制覇してしまった。これはやばい。もう、都市世界が俺でやばい。手が震える。

「ディーンさんどうしよう。俺の存在で都市世界がやばい」

ディーンさんが笑いすぎて過呼吸になり、デルーカさんに介抱されながら路地裏へと消えた。深夜も2時を回ろうとしていた時の事だった。






俺はディーンさん達と別れて、目的地に着くまでにいくつか服屋さんを回り、早速上から下まで揃えた。着替えるのは帰ってからでいいかな。

景観は徐々に街灯だけになり、人も少なくなってきた。我慢できなくなって、電池ひとつで七色に光るサングラスを掛けながら歩いていたら、警察に職務質問されて時間を食ってしまった。警察の姿が見えなくなったのを確認したあと、もう一度サングラスを掛け直して目的地へと向かう。

「もう誰も俺を止められやしねえぜ」

あごを引いて渋い声で呟く。なんてダンディーなんだ!!テンションがあがり、ゴミ捨て場を漁る犬のしっぽをコチョコチョ。30mほど追いかけられ、なんだあいつ調子に乗りやがってと、ドラマにでてくる俳優のようにイカしたセリフで汗をぬぐう。






「お、目的地に……あれれ??」

いろいろあったけど、ようやく花屋さんに着いた。しかしそこに見えたのは、閉まったシャッターの前で佇むちいさな女の子と、マーガレット!なんでこんな時間に?
思いがけない出会いに嬉しくなり、大声を上げてかけよった。するとそれに気がついたマーガレットがギョっとした顔でこちらを見て、応えるよう控えめに手を振った。

「マーガレット!どうしてこんな時間に街にいるの?」

「え……あ、ええと…ちょっと、待ち合わせしてて…」

「ふうん。物騒だから気をつけてね。このこは?妹?似てないね!」

「…ナンナこのひときらい」

「あ、こらナンナちゃん…そんなこと言ったらだめだよ」

くりくりした目をスゥと細め、ほぼ骨と皮だけでできたような痩せた腕でマーガレットの腕に縋る女の子。マーガレットとは違い、自己主張がハッキリした性格みたいだ。足まである青い長い髪が、ふわふわと夜風に揺れている。

「ナンナちゃんて言うんだね!かわいいなあ!ほらナンナちゃん、ちょちちょちあわわ、かいぐりかいぐりとっとのめ~」

「え…?え?」

「マーガレット、おかしいわよこのひと。あたまがどうにかしてる」

「いや…え…?や…ナンナちゃん、違うんだよ、アイレンくんはナンナちゃんを喜ばせようと…だよね?」

「しんでじんせいやりなおしたほうがいいれべるだわ」

「ちょっと幼稚すぎたかな?はい、じゃあこれあげるよ。ここのスイッチを押すとレインボーに光るグラサンだよ」

さっきよりずいぶん距離を置かれてしまったナンナちゃんに、サングラスを手渡す。でもいっこうに受け取ってもらえなかったので、とりあえずマーガレットの頭にカチューシャみたいにして掛けておいた。
マーガレットのどこか哀愁に充ちた切ない表情を、サングラスが七色に照らす。






目的を果たし、とうとうやることがなくなってしまった。マーガレット達とはもう少し話していたかったけど、どうやら待ち合わせている相手がすぐにやってくるみたいで、長居できなかった。とりあえずもう何時間か経てばカジノ街は朝になって、飲み屋や遊び場はのきなみ閉店するだろうし、俺も家に帰って一息つこうかな。
手にしたショップ袋を両腕に抱え帰路を辿る。家に着いたらお風呂に入って、少しだけ眠ったら昼ごろに買った服を着て街を歩こう。スカウトがたくさんきちゃうなあ、楽しみだなあ!

来た道を戻り、15分ほど歩いた。目に映る景色が徐々に見慣れたものへと変わっていく。そしてようやく居を構えるアパートに着き、俺はアパートの前にある自動販売機で"マッチョ"という炭酸飲料を買って、飲みながら家にはいった。






「…よっし!!」

カジノ街に陽が昇って数時間。腕時計の針は12を指し、点けたラジオからも明るい声と爽やかな曲が流れて、部屋をパアッとさせた。開け放たれた窓から見える青い空は、まるで切り取られた一枚の絵画のよう。

袖を通したるは買ったばかりのあのとっくりのセーター。そのうえにはサイケデリックなマーブル模様のチョッキ。スカートみたいにフリフリしたズボンは、名前もしらない外国人の顔写真が一面にプリントされていてカッコイイ!ズボンをヘソより上までギュッと引っ張り、金色のごついベルトを締める。
頭にはいつもの帽子。だけど今日はあのおおきな造花じゃなくて、すごくリアルなカブトムシとみたらし団子のブローチをつけた。

家にある鏡は洗面所のちいさな鏡だけだったので、全身のチェックはできないけど、俺にはわかる。

「完璧だ!!!!」

ガスの元栓、水道の蛇口と窓のカギを確認。昨日買った螺鈿(らでん)のような不思議な色に光るスパンコールの靴を履いたら、元気に家の扉を開け――――

「ぎゃあ!!」

「うわ!!!」

扉を開けた瞬間、目の前に急に見慣れた顔が現れ驚いた。

「ロジェ!!」

幼なじみで、俺にくっついて第1都市に上京してきた女の子、ルル=ロジェッタ。ロジェは向かいのアパートに住んでいて、頻繁にお互いの家を行き来するので、一応お互いがお互いの家の合い鍵を持っている。
ロジェは、適当なところで買ったらしいありきたりなキャラクターがプリントされたTシャツに、中学時代から着ているジャージ姿だった。

「急にでてこないでよ驚いた!」

「俺だって!なんか用?」

「さっきおばさんから電話があって、アイレンの家に送った野菜がそろそろ届く頃だから、忘れないうちに取りに行ってねって言われて……って、あんた何その恰好?アマービレお兄ちゃんのお店でイベントでもあるの?」

「オシャレだろー!俺、この間実家に戻った時に、何て言うのかな、目覚めちゃってさ!」

「はあ?」

目の前に立つロジェは妙に呆れた顔をしている。立ち話もなんだから、とりあえず一旦部屋に招いた。ついでに感想でももらおうかな。まあ称賛の言葉しか出てこないだろうけど。

「見てよこの本!」

「何この古い本…ナウ…?」

「今第1都市ではファッションの回帰が大フィーバーしてるんだぜ!」

「回帰?フィーバー?」

「わっかんないやつだなあー。その本には昔流行った言葉やファッションがモリモリ詰まってんの!つまりその本の中身を今実践すれば、流行の最先端の最先端に乗れるってわけ。わかった?」

拳を固く握り、ちいさな部屋で世紀の大演説を披露する。自分の言った言葉で胸が熱くなり、涙が出そうになった。でも当のロジェは疲れたように目を細めると、おおきくため息をついて俺に向けて右手の人差し指を突き付けた。

「バカ」

「はあ!?」

「それ一周回ってダサいから。そんな服、寂れた商店街の洋服屋でも売ってないし」

「同じ第2都市出身のお前にダサいなんて言われたくないっつーの!」

「そうだ、どうせアイレンってファッション雑誌とかも買ってないんでしょ?あたしさっき本屋さんで雑誌買ってきたの。どんだけあんたが世間とズレてるのか教えたげる」

頭にキューッと血がのぼる。同郷で、こっちに来たのも同じかむしろ俺のほうが早かったはずなのに、やたらとお姉さんぶって話すロジェがムカつく!でもゴソゴソと手元のビニール袋を漁り、ロジェの手によりちゃぶ台の上に広げられたファッション雑誌が気にならないわけでもない。
ここはひとまず落ち着こう。金太郎飴みたいにだれもかれもが同じ恰好で写ってる雑誌より、一回りも二回りも時代の先を行っているのは俺のほうなんだ。たらこ勝負でも絶対俺が勝つ!

「とりあえずコレね。ファッションの回帰っていうのは、こういうののことを言うの」

指差された先にあったのは、体のラインがくっきり見えるシンプルなミニのワンピースに、チェック柄のシャツをマントのように首周りで結んだ、スタイルの良い女の人。
手には持ち手のついていない、エナメルでできたおおきなポーチ。眉毛は太く、鼻の高さやぐりぐりした目と合間って第3都市のヒトのように見えた。

「これのどこが…」

「男の人でいうと、…これかな」

「あ」

パラパラとページがめくられ、そこに現れたのは、先日とっくりのセーターを買ったお店の店員さんと同じような恰好をした男の人。
首周りにはまたもやシャツがくくりつけられている。味のある古びたアパートの一室で小説を書いていそうな、年期のはいったカメラで野良猫を撮影していそうな渋い雰囲気があった。

「…これが」

「わかった?アイレンは回帰しすぎ、ダサすぎるの。こうやって今風なアイテムもきちんと取り入れて、バランスよくきめなきゃ」

「…………」

静まり返った部屋。つけっぱなしのラジオから、別番組のゲストとして司会者と言葉を交わすコンバインすね毛さんの声がした。

《いやぁ、実は昨日の夜に出させていただいたラジオで、ファッションの回帰について盛り上がっちゃって…》

《ファッションの回帰ですか。プロデューサー巻きとか流行ってますもんねぇ》

《そうですね。でもやっぱり私思うんですよ…流行に流されやすいのもダメかなって》

《ほうほう》

《やっぱり、流行に乗るのもいいですけど、自分が一番着たいもの…自分らしくあれるファッションが一番だと思うんですね》

《なるほど》

《私、七分丈のパンツが好きなので、流行関係なく春夏秋冬いつでもファッションに取り入れちゃうんです!そりゃあ冬は寒いけど…でもそういうのも含めて"私"かなって!》

《七分丈だと自慢のすね毛もアピールできますもんね》

《アハハ!むしろそれがやりたくて七分丈が好きなのかも……》

《アハハ!》

右目から、ツゥーと、一筋涙が流れた。
俺はなんてバカだったんだ。
流行りだ廃りだと躍起になって、心配してくれたうえにあんなに長い休暇をくれたアマ兄ちゃんに酷いことを言っちゃったり、はじめて会ったばかりのナンナちゃんに七色のグラサンをプレゼントしようとしたり、ディーンさんを過呼吸にしちゃったり。
周りが見えてなかったのは俺のほうだったんだ。

俺はスッとその場に立つと、ロジェの前で服を引き裂いた…………いや、引き裂こうとしたけどちょっと伸びただけだったから、いそいそとパンツ一丁になり、いつも着ているスーツに身を包んだ。帽子に造花を刺す。無性に造花に対して愛しさが込み上げてきて、俺は帽子を抱えながらおいおい泣いた。

冷めた目でこっちを見ていたロジェは、タイミングよくチャイムが鳴ったため玄関まで荷物を取りに行き、おおきなダンボールに詰め込まれた自分のぶんの野菜を持ってさっさと帰って行った。

「ぐすん…あとでアマ兄ちゃんに謝らなきゃ…よっこいしょういち、っと…」

少し落ち着いてきたので、涙を拭いゆっくり立ち上がる。部屋のすみに重ねられたダンボールのうち一番ちいさなものを手に取ると、そこへ例の本を入れて、ガムテープで封をした。さっそく宅配便に電話して荷物を取りに来てもらう。宅配便のお兄さんは5分もしないうちにやって来た。

「ちわっす、宅配便でーす」

「これ…ここの住所までお願いします」

「着払いでいいですか?」

「うん…」

「わかりました。ありがとうございまーす」

意気消沈したまま部屋へと戻り、届いたおおきなダンボールの中身を確認する。パンツ、洗剤、お茶の葉、パンツ、野菜、パンツ、みそ汁の素、パンツ…。

「………ん?」

カメノコたわしの袋を持ち上げたところで、ふと、ダンボールの奥底にキラリとひかるものが目にはいった。慎重に腕を差し入れて、それを取り出してみると……






「…アマ兄ちゃんおはよう」

「アイレン!!よかった!電話しても出ないから心配したんだぞ!?」

同日深夜。シフトははいってなかったけど、謝らないままズルズルと放っておくのはどうしても性に合わず、俺はとりあえず着の身着のままラストエンペラーへとやって来た。
携帯電話に30件以上アマ兄ちゃんから着信があったんだ。きっと相当心配かけちゃったよね。

「アマ兄ちゃん昨日はごめんなさい!俺…ムキになっちゃって…」

「あ…いや、俺の方こそ、あまり考えず発言して悪かった。相手が誰であれ友人には変わりないもんな。すまない。許してくれ」

ペコリと頭を下げてきたアマ兄ちゃんに焦る。とりあえず頭をあげてもらい、俺はアマ兄ちゃんに、今日は謝る以外にも用があってきたんだと言った。そして不思議な顔でこっちを見るアマ兄ちゃんに、ポケットから取り出したちいさな物を手渡した。

「…これは」

アマ兄ちゃんの手に乗ったちいさなひかる物。
シシトウの…ブローチ。

「シシトウだよ」

「…………」

「シシt」

「いや、わかった。わかったよ。ちょっと待ってくれ、頭の中を整理したい」

精巧に作られたシシトウのブローチ。母ちゃんが俺のためにと送ってくれた物だったけど、俺にはこの造花があるし、お詫びの意味もこめてアマ兄ちゃんに渡したかったんだ。アマ兄ちゃんはクマのできた目を深く瞑り、眉間を指で揉んでいる。
そして深く息を吸って吐くと、仕事中は滅多に見せない柔らかい笑顔で俺の頭を撫でた。

「ありがとう。もらっておくよ」

その言葉で一気にテンションがあがりパァッと笑顔になった俺は、アマ兄ちゃんからブローチを奪うと、ズズイとにじり寄る。

「うん!帽子につけるときっとカッコイイよ!つけてあげる!」

「あ、や、今はちょっとダメだ!そう!この帽子にシシトウは合わない!またシシトウに合う帽子を探す!探すからやめてくれ!」

シシトウに合う帽子ってなんだよ…と、自問自答するようにちいさくつぶやいたアマ兄ちゃん。とりあえず仲直りもできたし、プレゼントも受け取ってもらえたし、満足した俺は上機嫌でラストエンペラーを出た。






夜の街を再び、目的もなく歩く。
ふと、乱立するカジノの中に埋もれるように建つ服屋さんが目に留まる。軽い気持ちで中にはいり、派手な恰好の店員さんに向けて声をかけた。ファッションの回帰!流行には乗りすぎず、自分らしく!



「ねえ、パンタロンっておいてないの?」





























(BOOGIE-WOOGIE!)

ぎゃふん!!!

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