小話

▼トロット=サンダー/猿喰(さるばん)/卜部(うらべ)
▼サンダー視点
▼グロ注意



やりたいこと、やれなかったこと、やろうとしたこと、やりたかったこと。探訪(たんぼう)、権謀術数(けんぼうじゅっすう)、親切心、偶然、無償の愛。

坂の上から投げたビー玉は、なにかにぶつかるまで止まらない。ガラス窓のむこうのメトロノームは目障りだけど、俺じゃない誰かの手でしか、刻むリズムは止められない。

俺以外のなにかでこの世界は、しばしば充たされている。それは、俺の意思を無視して進み、姿を消す。増えては減り、壮大なドラマの台本の上で、そのいのちを繰り返し続ける。






さるゆめ







『いのちって、思うより安くてちいさい。』

なんとなくそれを理解したのは、生まれてまだ十年も経たない頃。

この地獄のような場所『独裁者の国』で、運よく『い』の街にて生を受けた俺は、言葉を教わるよりまず先に戦う術(すべ)を習い、ペンを握るより先に剣を取った。



「お前、これからどうするの?」

同期の友人に言われた言葉だ。

可もなく不可もなく。そこそこの成績と生活態度で、あまり目立ちもせず、嫌われも、好かれもしない。目標も目的もなにもなくて、周りに流されながら生きる日々。

「どうするの、って…」

「今年で学校も卒業じゃないか。総帥(そうすい)の側で戦争に参加する兵士になるのか、『ろ』の街を管理する監視員になるのか、あ、それともあれか!お前のことだし、城で雑用係?」

「……それもいいな」

「まあお前の成績じゃあ、兵士か雑用の二択だろうなあ」

「うるさい。…………兵士ねぇ…」

強度のない、安っぽい机に肘をついて前を眺める。巨大な板の上に、黄ばんだロール紙が留められ、みみずが這ったような汚い文字が無数に泳いでいた。

『兵法(へいほう)』

戦争に参加するには、必要不可欠な知識。
兵士を志す者は、この授業で様々な戦いの方法を学ばなければならない。
それは多岐(たき)にわたる作戦だけではなく、武器の種類、手入れ、殺傷力を高める使い方や自分に合う武器の選び方など、終わりがない。
そのうえ、兵法では精神論が重要視されることも多々あり、いわゆる『自己犠牲』の気持ちをなにより大切にしなければならなかった。



(ああそうだ。なにからなにまで自分には合わない)

俺は誰より自分が大切で、楽な生き方ばかり選んできた男だ。苦労や努力の先にある達成感とか、協力するうちに育まれる絆だとか、そんなものじゃお腹も財布も膨らまない。
悪く言えば面白みがなく。よく言えば、無駄のない効率的な人生。

「今日はもう帰る」

「え、まだあと1時間兵法の授業あるのに?」

「将来の夢は雑用係だから、俺に兵法は必要ねぇよ」

「上に目ぇつけられてもしらないぞー」

「腹痛。俺はいま、猛烈な腹痛に襲われてる。あいたたた」

「しらじらしい!」



俺はたまに兵法の授業をサボった。意識されないタイミングで教室からいなくなり、なんとなく注意されそのまままたいつもの生活に戻るのだ。いつだってそれの繰り返し。

(今更兵法なんて)

母は『ろ』の街を監視する監視員をしていた。洗脳から醒めた住民が武器を手に突然襲ってくるうちに、気づけば一発で急所を狙い絶命させる技術を身につけた。

父は総帥について戦争に行く兵士をしていた。総帥の生存率をあげるためだけに剣の腕を磨き、そのうち周囲から一目おかれる存在になった。

母は俺に、卓越した観察力と、動態視力を叩き込んだ。父は俺に、最小限のちからで相手の息の根をとめる方法と、実経験を踏まえた何百通りもの戦法を教え込んだ。

だけどそれは、両親以外誰も知らない。

戦うためのちからは、平和や変わらない毎日には必要ない。言えばたちまち戦争に駆り出されて、命の奪い合いで一喜一憂だ。
そんなめんどくさいもの、あっても無駄。疲れるだけ。



舗装された石畳を歩く。街行くヒトはみんな忙しなく動き回り、口々に言葉を発する。なにも考えずにただ足を動かしていれば、この国はとても平和で幸せな場所に見えた。

「あらやだお隣りの奥さん、聞いた?」

「聞いた聞いた!最近『い』の街も少しずつ物騒になってきて困るわよねえ」

長い髪をてっぺんに結わえた恰幅のいい女性と、快活そうな焼けた肌の女性が井戸端で話をしている。だけど耳に留まった会話も、すぐそこの角を曲がった瞬間、路地に置き去りにされる。



もうすぐ家につきそうだ。家には多分まだ誰も帰ってない。父は戦争で国の外。母はいつも通りほかの街の監視。しばらくはひとり、快適で穏やかな時間をすごすことができると、ほんのちょっとだけ胸が躍った。

しかし最後の曲がり角を曲がり目に飛び込んできたのは、見慣れた木製の扉と白い壁ではなく、兵士の証である短いマントと簡易的な鎧に身をつつんだ、数人の男達だった。



俺は苦虫を噛みつぶしたような気持ちで、なるべく体調が悪く見えるように、その男達に近づいた。めんどうごとはなるべく避けたい。家に帰れば、それだけで俺の人生の幸福の最高値は更新されるんだ。

だが、その期待をあっさり裏切るように、集団まで数メートルもないくらいの距離で、ひとりの男が俺に気がつき声をあげた。観念したようにちいさくため息をついて、俺は男達に近づいていく。

「きみは…」

「……あ、……そこの家の者っス」

「トロット・サンダー君か」

「…はぁ」

馴れ馴れしく俺の名前を呼んだ男が、笑顔でこちらに歩み寄ってきた。父と同じく数多くの戦場に立ってきたのだろう、そのからだは近くで見ると山のように大きく威圧的だった。
男はその、丸太のような腕をちいさなカバンに突っ込み、そこから薄い紙の束を取り出す。

「緊急でな。健康で、からだもある程度成長した男全員に召集がかけられた」

「召集…?」

「戦争だよ」

あっけらかんと言われるには、あまりに衝撃的なひとことだった。沸き上がるストレス、不安、疑問。でも俺には、目の前の兵士に盾突く勇気も、やるきもない。俺は生来、場に順応するのも、あきらめるのも早かった。

「そっスか…」

「悪いな。きみはまだ学生だろう?」

「はぁ」

「今年で卒業かな?」

「まぁ」

「そうか……とりあえず急な召集だ。総帥も焦るような相手なのかもしれない。戦争まで、悔いのないようにな」

そうは言われても実感がわかない。いまはとりあえず家にはいって、ゆっくり寝ていたかった。
はやく会話を終わらせたいという気持ちを察してもらうために、俯いたり、よそを眺めたり、うなじを掻いたりする。
すると男がなんとなく察してくれたのか、それともただ単に時間がおしていたのか、そのうち軽く手をあげて路地から消えていった。

家の前にぽつんと立って考える。

(父さんや母さんに言ったら、多分喜ぶんだろうな。めんどくさい)



案の定、夕飯の時間に帰宅した母は狂喜乱舞。その一週間後に国へ戻った父も涙を流し喜んだ。「こんな若い時に総帥と共に戦争に行けるのは栄誉だ」と。



気づけば戦争まで三日をきっていた。
学校中の男子生徒は、「いきたくない」と涙を流したり、「チャンスだ!手柄をあげるぞ!」と意気込んだり、騒がしい。
先日俺に進路の話をしてきた友人も、もれなく後者の仲間入りを果たしていた。

「なぁおい!戦争まであと三日だぞ!」

「知ってる」

「お前は本当にクールだなぁ…手柄を立てて卒業と同時に総帥の側近に!とか、ないのかよ?」

「いや…別に」

「俺はやってやるぞ!少しでも前線にでてたくさん敵を殺して名をあげてやるんだ!」

「あ、そ……がんばれ」

ふぅ。ため息をちいさくついて窓の外を眺める。見えるのは青く広い空と小鳥。無機質な暗い町並みと、そこを歩く明るいヒトの姿。
もうすぐ戦争だなんて。これを見て、誰が信じる?



とうとうその日がやってきた。

「学生兵は正門に、配られた番号順に並ぶよう!」

物々しい空気に包まれた城の周りには、貸し出された厚くて重い鎧に身を包んだ学生兵が、それぞれ緊張した面持ちで整列していた。俺も、慣れない鎧の重さや動物の皮の独特な臭い、しみついた汗くささに顔を歪めながら、指定された位置につく。
腰に刺さった一振りの剣は、ところどころ錆びて切れ味もへったくれもなさそうだ。

(俺達を盾にして敵の本陣にできるだけ近づくつもりなんだろうな)

着ただけでわかる。『帰還』など望まれていないお粗末な装備。マトモに伝えられていない作戦内容。俺達はただなにも考えず前に進み、立ち塞がる敵にぶつかって殺されるだけ。

でもそれに誰も気がつかない。だって頭の中にあるのは、恐怖か野望のどちらかひとつ。この場に立った時点で、逃げも隠れもできないのに、召集される前に自分の手足を折る勇気も、行き勇んで戦いに身を投じる度胸もない。言われたとおりの場所に立ち、まわりに合わせてはみ出さないよう歩き続ける。なのに誰もが、変えられない運命にいちいち嘆き狂うのだ。


パッピリプー

気の抜けたラッパの音。場の空気が一瞬で水を撒いたように変わる。ゆっくりと、城門が開く。後ろからヒトがサアッと掃けていく。そこから出てきたのは、体つきも纏う空気も並の人間とは違う屈強な兵士達。そしてそれらを率い、周囲をいわんや威圧する人物がひとり、重い金属音を鳴らし床を踏み歩いていた。


『猿喰(さるばん)』。


この独裁者の国の王にして、大陸最強最大の軍隊を指揮する総帥。

小柄な体躯に反し打ち出す攻撃に容赦はなく、迷いのない殺意で他を圧倒してきたその戦闘センスは、現存している人間の範疇ではない。臨機応変に何万という兵法と武器を使いこなし続け、もはやこの大陸に彼より強い者はゼロに等しかった。

そんな怖いもの知らずの戦闘狂が、今、目の前を歩いている。
俺達より薄く、強靭そうな鎧に包まれた体。兜(かぶと)を外したその顔は意外にも女性のように白く、少し吊り上がった切れ長の目の奥の瞳は海の色をしていた。風に吹かれて、ライトグレーの髪が舞う。ちいさくまとめられた三つ編みの間から、尖った耳が見える。
普通の人間にはない、角やしっぽ。それはすべて、恐ろしい強さの源であり、彼が旧人類であることを確かに知らしめるあかしだった。

だいぶん遠くに居ても伝わってくる畏怖(いふ)感。ただ前を歩いているだけなのに、全身が強張り喉が渇いて汗がにじむ。

俺達は今まで、あのヒトに守られ、この国で生きてきたんだ。

チリチリと肌を焼く殺気に喉を鳴らし、総帥を見つめつづける。しんと静まり返ったこの場所には、怖いもの知らず達の足音だけが絶えず鳴り響いていた。



「行くぞ」



そうちいさく発された言葉は、まるで耳元で囁かれたかのようにハッキリと全員の鼓膜を叩く。緊張した顔、興奮に充ちた顔、悲壮に溢れた顔。種類のまったく異なった花が咲いた花壇を思わせるヒトの波。
ひとりとしてそれに呼応することなく、いままさにばらばらだったいのちが、総帥の手の中へと掴まれ空中に投げ出された気がした。





国からでてどれだけ経ったろう。ひたすら前に続いて足を動かしつづける。なにも考えず、しゃべらず、ただただ歩き続ける。
頭がぼうっとしてきた頃、このままじゃだめだと、改めてこの戦争について考えを巡らせることにした。
今回の戦争相手は、『優しすぎる国』が次に領土を広げるために併合を進めているちいさな集落だった。なぜそんなちっぽけな集落と争うために、戦闘経験のない若者まで召集し増兵したのか。まあそれは、いわずともすぐにわかることだ。

「見えたぞ!!敵だ!!!」

先陣を切っていたうちの誰かが大声で叫ぶ。装備の重さで既に疲弊していた全員が、身を固くして覚悟をきめる。俺も、鎧が生み出す腹が立つほどの暑さと稼動域の狭さに舌打ちしながら、広がる大地に向け目をこらした。

まるで地平線が燃えているかと錯覚しそうなほど、激しくあがる土煙。その奥から、白銀の鎧に身を包み、上品な紫のマントを背にたなびかせた何百もの兵士が姿を現した。

『優しすぎる国』の精鋭達だ。

きっと併合するにあたり、完全にまとまるまで集落を守る同盟を結んでいたんだろう。
優しすぎる国の軍は、それこそ、結束力においては自国の軍をも上回る。女王であるホワイトララミーや故郷を守るためならば、喜んで身を捧げ敵を殺す、特攻集団。

「学生兵共!怯むな!!とにかく目の前の敵を殺せー!!」

「おおおおお!!!」

皆走る速度を徐々にあげ、剣を抜く。恐怖心に負けるな。奮え。奪え。進め。道を開け。殺せ!!

俺も、周囲に遅れながら剣を抜く。…が、バレないようスピードを落とし、敵から遠ざかる。生と死のはざまに立っていても、気持ちはなぜか冷静だった。


戦いたくない。めんどくさい。帰りたい。


ヒキョウモノだと呼ばらば呼べ。
俺は先頭集団が交戦をはじめ進行が止まったことを確認すると、近くの岩場に身を潜めた。

岩に背を預け、腰を落ち着ける。垂れ落ちる汗とあがったままの息。ぜえぜえ呼吸を繰り返し、重く暑苦しい鎧を脱ぐ。残るはピタリと体にフィットした黒い七分袖のインナーと、カーゴパンツにレザーブーツ。風通しは悪かったが、それでも鎧に押し潰されているよりはマシだった。

あとは適当に集団が進みはじめた頃合いを見計らって、鎧を着て合流すればいい。きっと皆自分のことで精一杯で、俺のことなんか気にも止めてないさ。

ふう。改めて息を整え、戦場に向けて耳をすましたその時だった。



「……っと!」

ガキィン!

固い刃と刃がはじける音。突然頭上から刺し落とされた剣先を間一髪でかわし、錆びた獲物を確実に握る。間合いをとるために急いで岩場から距離を離しつつ、状況を確認する。

成人男性ほどの高さはあろう岩の上から、ひとりの人間が下りてきた。敵国の鎧。隙のない殺気。研ぎ澄まされた刃先が陽に照らされひかりを放つ。

(ああめんどくさい。こいつ絶対強いやつだ)

ち、と舌打ちをして、深呼吸。

『勝つ』

どんな形でもいい。とにかく勝って国へ戻って、風呂はいって寝る。

俺達のいる場所から何十メートル先の戦場では、きっと阿鼻叫喚の地獄絵図が広がっているだろう。お互い、見れたもんじゃないような、そんな光景が。

「はは…俺、ただのしがない学生兵なんで、見逃してもらえないっスかね…」

「…………」

「あのー」

「………の…」

「はいー?」

「……女王様の愛を踏みにじり傷つける愚図共め!僕が女王様の代わりにお前達独裁者の国の人間をすべて排除してくれる!!」

若い男の声だった。凄みのない、澄んだ声。
その声を皮切りに、男が一気にこちらへと駆け寄ってきた。無駄のない剣運び。刃をいなすことに集中しなければ、間違いなく急所を斬られる。

ああなんてこった劣勢だ。こんなボロの剣じゃ、鎧に傷をつけることはできても、命までは奪えない。でも焦るな。冷静になれ。まわりを見て機会を待つんだ。好機は九死に追いやられるほど掴みやすい場所に現れる。


何度も顔を掠める刃をぎりぎりで避け、少しずつ岩場から拓けた場所へと移動していく。視界のすみに映る仲間の死体。折り重なるように打ち捨てられたパーツ達。立ち上る血の臭い。

(あった)

そこでようやく目的のものを見つけ、男の攻撃を避けながら、距離をとるためにいっそう強く地面を蹴って後ろに飛んだ。

「戦え、ゴホ……っ、臆病者!」

片膝をつき、仲間の死体の側へと歩み寄る。そしてその胸に深々と突き刺さった剣を、思い切り抜き取った。むこうの国の武器。支給された剣とは比べものにならないほどの輝き。脂も血もそれほどついておらず、ヒトひとり殺すには充分なコンディションだ。

まみれた血を落とすように剣先を強く振る。鎧がないだけでこんなにも体は軽い。俺はギラリと剣を構えて相手を見た。打ち込んだ攻撃がすべて避けられ、男はずいぶん疲弊(ひへい)しているようだった。断続的に痰の絡まった咳を繰り返す。体調悪いのか?こんな日に不運だなあ。まあとりあえず、低姿勢、低姿勢。

「これはあれですよ?敵意があるとか、戦う意思があるとかそういうんじゃなくて、ね!わかるっしょ?」

「………お前人間として恥ずかしくないのか」

「羞恥心じゃお腹はふくれないっスよ」

「目障りだ、さっさと死ね」

思っていたより短気な男の攻撃を再びかわす。声に苛立ちの感情が混ざり、剣捌きもどことなく鋭さを増す。だが今の俺には武器がある。人間の命を絶つために計算され尽くした刀身はもはや芸術の域だ。
数回かわして一撃。再度かわして一撃。不規則に見えて規則的な腕運び。徐々に相手にも、反撃より防御のための動きが増えてくる。

「………っ!」

「ちょっと逃げないでくださいよ、当たってくんなきゃ俺一生国に帰れないじゃないっスか」

「知るか!!」

「……っチ…めんどくせえなぁ…」

空いた左手に意識を集中させる。気温、湿度ともに申し分ない。手の平が徐々に熱くなり、輪ゴムでペチペチと弾かれたような感覚がはっきり伝わってきた。

「お前…!……くっ!」

「たかが雑兵の分際でちからを使うなんてとか、……思ってんで、しょっ!」

「…っ公平な戦いの末の死なら甘んじて受けよう!だが、ちからは違う……ちからは強い者が己の強さを誇示するために使うものだ!剣を振るえ!!」

「知らねえよそんなもン」

ヂヂヂ…ヂヂ。静電気に似た何十ものひかりの線が左手から生まれては消える。少し悪くなってきた天気のせいで、そのひかりはより強くあたりを照らし音を立てた。
麻痺なんて生易しい状態にさせれば、それこそ始末が大変だ。だから一発で殺す。人間のからだは電気に強くはできてない。

「お前ら独裁者の国は、みんな狂ってる!!」

「それはお互い様っしょ、騎士様。じゃあね」

踏み込んで距離を一気に詰めた。いっそう強いひかりが左手を包み、おおきなガラスを叩き割ったような耳障りな音が鼓膜を貫く。焼けそうに熱い手の平から、一閃、電流が走った。間髪いれず、二度三度と雷電を放つ。

激しい衝突音と蒸気で、視界が一瞬でホワイトアウトした。

………蒸気?

「……なんだよ、騎士様も結局使ってんじゃないっスか。"ちから"」

もうもうとあがる白いけむり。急激に体感温度が下がる。暴かれていく視界。周囲の草が、岩が、白く輝いている。これは――

「……仕方なく、だ…ゴホ…」

男の右腕は周囲と同じく真っ白に凍りつき、冷気が立ち上っていた。『こおり』のちからか。
激しい衝突の衝撃で吹き飛んだ兜。そこに現れたのは、まるで雪原を彷彿とさせる真っ白な髪をたくわえた蒼白な男の顔だった。憎々しげに睨み据える、総帥とは違った青い瞳。総帥の瞳を底が見えない深い海に例えるなら、目の前の男の瞳は、なにもかも吸い込み反射するダイヤモンドのようで、見ているだけで意識を持って行かれそうだった。

男は俺から視線を外すことなく、周囲を窺うそぶりを見せる。俺もそれに合わせて耳を澄ませた。
足音や剣をはじく音がだいぶ遠くに聞こえる。おおよそだが、優しすぎる国の軍をあらかた退けた自国の軍が、目的地に向かって進んでいったのだろう。

「……どうやら、うちの国が一歩リードしたみたいっスね」

「雑魚に構いすぎた…!女王様、どうかご無事で…」

男はそういって手の先をまっすぐ天に伸ばし、こちらへ振り下ろした。するとなにもなかった空間が突然キラキラと輝きだし、強烈な向かい風と共に鋭利な氷の礫(つぶて)が幾つも頭上から降り注いできた。

「…っと!!俺寒いの嫌いなんで、それ、やめてもらえますー?、うわ!あっぶね!」


間一髪で死の鏃(やじり)を避ける。俺が立っていた地面にはおぞましいほどの穴が空き、無数の氷のかけらが突き刺さっていた。吐く息すら白く、暴風とも言えそうな向かい風のせいでうまく前も向けない。これはさすがにちょっとやばい。
それに、あせりを顔には出さないにしろ、視界を確保できていないのにはいささか問題がある。どうにかして決定的な一発を相手に当てなければ。

いくつもの礫(つぶて)をすれすれでかわしながら思考を巡らせる。体力の消耗も徐々にからだに現れはじめ、細かい裂傷から赤い筋が何本も流れ落ちた。その時だった。

「ゴホっ…ゲホ……!ゲホゲホ…」

男の咳が激しくなった。くちを抑え、ふらつく足をなんとか地面に縫い付け、懸命に冷気を操る。だが明らかに先程よりコントロールも悪く、威力も減っている。反撃するならいまだ。

「………悪いな」

背を向け逃げつづけていたからだを一気に男のほうへと向け、地面から、空気中から、摩擦しているものすべてからちからを集め意識を集中させる。全身がヂリヂリと痛み、末端へと血がのぼっていく感覚。どす黒い雲が俺たちの上空にだけ集まり、明滅を繰り返す。
数えきれないほどのちいさな電気の筋が体中から溢れ、心拍数さえ正常を通り越し血液が沸騰しそうになる。伸ばした腕を上空に。

ピカッ!

雷雲と俺の指先が、青い糸で繋がって。
それを男にむけ振り下ろせば。

ちゅ!!ぎゅごごごごごーん!!!!

瞬間、視界が白に染まり、大地を揺るがす轟音がすべてを包みこんだ。

爆風と砂塵。もうもうと視覚を覆うけむりで、自身のからだすら確認できなかったが、生まれてはじめて雷(いかずち)を放ったその右手が、ぶるぶる震えているのはよくわかった。言い知れない昂揚感でめまいがする。

俺がやったんだ。この、俺が。

平凡な生活からは逸脱した行為。自分でも知らなかった才能と実力が、今は手にとるようにわかる。

(俺は、強い)

ちょっとした静電気で相手をおどかしたり、心臓が停止するていどの電流で戦争にでている兵士ならごまんといる。でもこれは?
雷雲を生み出すほどの電荷にこのからだはいともたやすく耐えた。

放出しきれていない電気がパリパリと音を立てて逃げ場を求めている。

「おーい、生きてますー?」

自分の限界が知りたい。それは今まで一度だって感じたことのない、欲求だった。

じゃあ、どうすればいいんだろう。
こんな状況なのに、突然進路のことが頭に浮かんだ。

城の雑用係?戦いとは無縁だ、ボツ。
他の街の監視員?これだってせいぜい2~3人痛め付けるか殺すだけだ。一方的すぎて意味がない。ボツ。

「あ」

徐々に視界がクリアになっていくのと同時に、頭の中も、求めていた問題の答えもハッキリしてきた。足元に落ちていた剣を、ゆったりした動作で拾う。もやを掻き分けながら前に進む。見えたのは、衝撃波で吹き飛ばされ、地面に俯せたままピクリとも動かない男。

「俺ならできるかも」

楽して戦って、自由でありながら、ヒト任せにも生きられる場所。偉くもなく下っ端でもない。そんなちょうどいい役職。

倒れた男に刃先を向けて、狙いを定める。頭でも心臓でもどちらでもいい。殺せるなら、国に帰れるなら、どちらでも。
手にちからをこめて、一気に―――

「卜部(うらべ)!!!」

突然あがった、知らぬ誰かの大声に手が止まる。そして男を守るよう、俺と男との間に何本か矢が降り注いできたため、当たらないよう急いで距離をとった。

「大丈夫か!!」

「女王からお前の姿が見えないと連絡があって探しにきた!」

「意識はあるか?」

「頭を強く打ってる。あまり揺らさず、運んでやれ」

俺にやじりを向けながら、『うらべ』と呼ばれる男を数人の兵士が担ぎ連れていく。ついさっき決心した思いが無駄になったような気がして、若干苛立った。

「なぁ、俺のこと無視して話進めないでもらえる?」

「この状況でよくそんなクチが叩けるな!さすが独裁者の国の人間。自己中心的で頭がお悪くあらせられる!」

パリ。握った手から剣先まで、青く細い電気が走る。矢をつがえた兵士はふたり。その奥で、うらべを運んでいる兵士がもうふたり。

「この場所で役に立つのは、足し算でも引き算でも、偉人が謡った名言でもねえんだよ。自分が殺る側か殺られる側か、はっきり理解して行動にうつす。―――それだけだ」


腰を落とし、低姿勢のままで思い切り土を蹴った。ただただ可能性を、未来を感じる。成功だけがこのからだを包んで、進むべき道を指し示し続けている。
足を止めずに雨のように降り注ぐ矢を避け続けた。時折急停止し、軽やかにバックステップして、また走る。ストロボライトがパチパチ弾けるように、俺のからだを取り巻く電気が矢をいくつも弾き返す。

そのうち、焦りを隠せず、モタモタと矢をつがえる兵士が眼前にきた。『とどめだ!!』そんな声が聞こえてくるような、生死を賭けた一発。だが、地面に向けて射った矢はそのまま大地に突き刺さり、兵士は愕然とした表情で動きを止めた。

俺は、その上にいた。兵士の目の前で急停止し、地面に向け放った電流のちからを借りて、上空に飛び上がったのだ。

「クフ…アハ、アハハハ!!」

抑えきれない愉悦で瞳孔は開き、にやけが止まらない。兜の隙間から見えた瞳は一瞬ですべてを悟り、抗えない死に向かって嘆願していた。
ああ、ンなもん知るか!!

ズブリ

帯電した刃が激しくひかり、しっかりと体重を乗せた獲物は鎧を割りながら心臓へと突き刺さった。兵士は背から地面に倒れ込み、串刺しのままもがき悲鳴をあげる。熱で焼け焦げた鎧がそのうち真っ赤に濡れ、独特な異臭を放つ。

「はぁ……はぁっ………ハハ、アハハ!」

汗でぬめる両手でしっかりと柄(つか)を握り、兵士にのしかかったまま更にぐりぐりとちからを入れ、刃を肉に沈めた。興奮で心臓が破裂しそうだ。俺はいま、ヒトを刺してる!フィクションじゃない、本当に、本物のヒトを!!

手にとれる形になって現れた『死』の輪郭は、思うよりカラフルでキラキラで、鉄臭くてピリピリしている。

兵士の断続的な悲鳴が徐々におさまっていく。不規則に暴れていた手足もほとんど動かなくなってしまった。じゃあそろそろ終わりにしよう。飽きてきたし。

「ハハ……じゃ」

全身にちからをこめて、帯電していたちからを解放した。両手から、剣から、電流が軌跡を描き心臓へと流れていく。何万ボルトもの電流を心臓に直接うけた兵士は、おおよそ人間の意思では不可能な痙攣をしばらく続け、パタリ、感電死した。鎧の隙間から、血の混ざった泡がぶくぶく溢れて地面に落ちる。

しばらく止まらない泡を眺めていたが、だんだん気持ち悪くなって見るのをやめた。兵士からズルリと剣を抜く。立ち上がって見下ろしてみると、なんとも悲惨な死体が出来上がってしまった。これが俺の殺した人間第一号なんて、あまり嬉しくないけど、でもいいか。

「…次は?」

実践経験がないのはお互い様。仲間がなぶり殺されている間、なすすべなく傍観していたもうひとりの兵士に視線を移す。こわいの?俺はこわくない。だって俺は強いから。俺はお前等を、殺す側だから。





結局初陣で生き残った学生兵は、三分の一にも満たなかった。皆目的地にたどり着くまでもなく一方的に殺されたか、せいぜい相打ちだったらしい。無論戦争に行く前に、俺に進路のはなしを振ってきたあいつも、死んだ。
戦争自体はうちの国が勝利を収め、奪い取った集落はちいさなものではあったが、貴重な資源の補給場所や、兵士などを駐在させておくにはちょうどいい拠点になった。
女王であるララミーを討ち取ることができなかったのは悔やまれる。でも、むこうの国に総帥の脅威や、この国の強さを改めて知らしめるいい機会になっただろう。

俺はあの戦争以来、戦うことがほんの少し好きになった。今まで膨大にあった知識の木が、実戦という雨を受け、いままさに実りを迎えている。自分自身の行動に結果がついてくる嬉しさ。周りとは違う『トクベツ』という甘い蜜に頭がとろける。

戦争があるたび召集に期待し、打ち砕かれる毎日。だれた生活にいかずちのような刺激が―――





ガクン!突然からだを襲った衝撃に目が覚める。…ここは。

「ふわ~ぁ……」

「あらやだサンダーちゃんたら寝不足ゥ?」

どうやら夢を見ていたようだ。霞む頭で現状を整理する。ここは、独裁者の国の城内、及び旅団の作戦会議室。室内には旅団隊長の俺と、監視員のトップであり猿喰総帥の次に地位の高い女性、フレーフレートートさま。
トート先輩は相変わらずその無駄にある身長と巨大な胸で俺のからだをがっちりホールドし、頬をすりつける。

「ちょっと離れてくださいようっとうしい」

「アァン!サンダーちゃんのい・け・ずッ!」

「あぁー…うぜー」

だいぶん昔の夢を見ていたな。懐かしい。
あの頃はいまよりもっとやる気があって、希望に充ち溢れていた気がする。終わりがわからないから、見えないからこその希望。自分の実力の限界をただ知りたい、それだけの単純な理由だけで努力した日々。思わず背中がかゆくなる。

いまの俺にはもう無理だ。
頭打ちっつーのかな。戦争に出ていけば出ていくほど気づいていった『周囲の弱さ』。勝手に期待したこっちも悪いんだろうけど、それでも当時の俺には、戦争に出るだけ裏切られる期待に縋りつづけるちからはなくて、必然とそのうちこころもからだも無気力な頃に戻っていってしまった。

でもいまさら遅い。

自惚れているわけじゃないけど、やっぱり俺は強くて、戦いのセンスがある。やる気なんかなくても、戦争にでれば勝手に結果がついてくる。そうなれば昇進だって勧められるし、給料も待遇もよくなってしまう。
そんなこんなで気がつけば旅団隊長だ。

もう、これ以上もこれ以下も望まない。
メトロノームが規則正しくリズムを刻むように、坂から落としたビー玉がもう一度こちらへは戻ってこないように、自然に任せて、最低限で生きたい。

昔よりほんの少し年季のはいった手の平を、なんとなく眺めた。今じゃ読書しながらでも雷を呼べる、選ばれた手。
でももうそんなもの、必要ないな。今はただ老後の楽な暮らしのために金を貯めて、時々気晴らしに遊べればそれでいい。

猿喰という『強さ』の体現者がトップに立っていてさえいてくれれば、大丈夫。舵はすべてあのヒトに任せて、俺はこの場所で言われるがまま、人形のように働きつづければいいのだ。




























(さるゆめ)

然る夢は、
こころの奥で時折揺り起こされ
唸っては眠る。
きっかけなんていらないよ。
それを殺したのは俺自身だから。


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