小話

▼ジミーチュウ/エンガート/トカゲキス
▼ジミーチュウ視点
▼断末魔注意




「集団自殺?」

聞き慣れているようで聞き慣れない言葉が、ノイズに紛れて耳に留まり、つい反応してしまう。薄汚い屋台の奥でラジオを聴いていたエンガートが、「おう」とけだるそうに言った。

「支持者の間で流行ってるみたいだなあ」

「創造主様の?」

「そーそー」

「ふうん…」

なんとなくぼんやりと返事をしながら、肉の下ごしらえを続ける。人肉は人一倍くさみが強くて固いから、下ごしらえにずいぶんな時間をかける必要があった。
秋とも夏とも言えない微妙な気温と湿度。材料を腐らせてしまわないよう、今の時期は集中して料理をつくらなければいけない。

「どうして最近そんな物騒なヒト達が増えているんだろう」

「さあ。それを見つけるのは警団の仕事だからな。俺に聞かれても困る」

「ああ…そう言われれば確かにそうだね。ごめんよ」

細切れにした肉の塊を、おおきなボウルにいれる。細かく刻んだショウガやニンニクをミキサーに、そのなかに更に牛乳とヨーグルトを流しいれて一緒に混ぜ合わせる。
それにしばらく肉をつけておくと、くさみがだいぶんやわらげられるのだ。ケモノの肉ならいざ知らず、まさか人肉のそれまでなくしてしまうなんて、食材には場合により信じられないちからがあるものだ。

「先人の知恵は偉大だねえ」

「急にどうした」

「ううん。こっちのはなし。もうすぐ明日の下ごしらえもできそうだから、開店の準備はじめていいよ」

「リョーカイ」






歯をみがいて寝る「ごちそうさま、早く明日になりますように」





気づけば陽も暮れて夜になった。
可もなく不可もなく。遺憾しかない客商売で、僕とエンガートのお腹は今晩もなかなかに膨れている。屋台の看板やベンチをちいさくひとまとめにして、歩いてすぐの自宅に帰る。

僕の家とエンガートの家はそう離れておらず、料理の才のない彼は頻繁に我が家へと足を運んだ。

「なあ、またやってるぜコレ」

普段お湯で何倍にも薄めて飲んでいる棚の上の酒瓶を、エンガートは遠慮なく瓶のままゴクゴクあおって言う。指差した先はボロボロのラジオ。しわがれた男性の声が生真面目に時事ニュースを伝える。

「集団自殺」

「そう」

「またあったんだ」

「昼間に、5人くらいで練炭自殺だって」

「…苦しそうだね」

「そうだなあ」

ぞわりと背筋が寒くなった。こういうときは、苦手なお酒を飲んで深く眠りにつくに限るけれど、肝心のお酒はエンガートに飲み干されて手元にない。どうしよう。なんだか怖い。このままじゃきっと眠れない。

「エンガート」

「んー?」

「僕ちょっと近くのスーパーに行ってくる」

「暗いし物騒だぞ?お前怖がりなのに平気なのかよ」

確かに怖かった。南区は危ないし、夜は変なヒトたちがわんさか目覚めて東西目指して殺気立ってるから。でもそれよりも今は、浅い眠りについて、嫌な夢をみるほうがずっとずっと怖かった。
手ぶらよりはマシだと、扱えるわけがない護身用のちいさなナイフをポケットにつっこむ。9月半ばでも夜はまだまだ暑いから、七分袖のTシャツのうえから薄手のパーカーを羽織った。

「無事にたどり着けたら、酒のツマミいくつか頼むわ」

「わかった。じゃあいってきます」

「気をつけてなー」

履き潰してクタクタのスニーカーは、足に馴染んで気持ちが良くなる。錆びた階段を静かに降りて、街灯の少ない汚れた路地裏を進む。
徐々に道端に浮浪者が増えていく。生気のない目で手にした小石に愛を囁く若者。電柱を抱きしめて行為に耽る老人。まだ生きている子猫を捕まえて毛を毟る少女。
怖くて気持ち悪くて吐き気がした。

(あともう少しでスーパーだ)

家からただ歩いてきただけなのにどうしてこんなにも疲れているのか。おぞましい映像がフラッシュバックしそうになって、すぐさま頭を横に振った。あの丁字路を左に曲がれば目的地。買うだけ買ったら安息の我が家へ。

「お兄ちゃん助けてっ!」

ハッと、幼い女の子の声に心臓も足取りも止まる。最低限縮こまって、誰に向けられた言葉だったのか考える。

「………僕…?」

欲しくない自信に後押しされて、あたりを見回す。すると。

「お兄ちゃんここだよ!上だよ!」

すぐ右上から声がした。ゆっくりと視線を移すと、ちいさな家屋を囲むコンクリートの塀の上から、少女がこちらへ手を伸ばしていた。必死によじ登ったのか、細い手の平は皮が剥けて血まみれで、目からは涙を流し、ぐしゃぐしゃの髪を振り乱して叫んでいる。

僕はなにがなんだかわからず、冷や汗をかいて少女を見上げた。

「お兄ちゃん助けて!!みんなおかしいの!!パパもママもみんなで天国にいこうって、おおきなナタをもって追いかけてくるの!わたし殺されちゃう!!」

天国?ナタ?殺されちゃう?
わけがわからない。僕はどうすれば?スーパーにお酒を買いにきただけなのに、幼い少女から救いを求められている。そんなの予定にはいってない!!

ガシャン!!

ガラスが派手に割れる音と、少女のものであろう名前を優しく呼ぶ、男性と女性の声がした。少女は後ろを振り向いて、また僕のほうへと手を伸ばす。目は充血して瞳孔が開いている。顔を濡らしているものが、涙なのか鼻水なのかよだれなのかもわからない。

「助けて!!お兄ちゃん助けて!!」

体が震えた。あたりを見回す。誰か僕の代わりにこのこを助けてあげて!僕じゃきっとこのこのちからにはなれない。誰か、誰か誰か、代わりに、僕の代わりに――

けれどまわりに居たのは頭のおかしい浮浪者だけで、唯一まともなのは僕だけだった。体が無意識に、ゆっくり、ゆっくりと少女に近づく。

僕がやらなきゃ、僕が、僕が――でも、きっと、もしかしたら、向こうの角からまともな誰かが現れて、頼りない僕なんかより強くてちからのある誰かが現れて、僕を押しのけてこのこを助けるかもしれない。きっと、たぶん、ぜったい、もしかしたら―…

「―……あ、」

視線の先から、少女の後ろから、二本の腕がでてきた。そしてちいさな少女の手を掴む前に、その腕は少女の頭を掴んで、一気に塀の内側へと引きずりこんだ。
そして異様に長く感じた一瞬の静寂ののち、鼓膜を突き破るような叫び声が路地に響いた。

「ぎゃあああああああ!!!!」

「やああああ!!助けて助けて助けて助けて!!やだやだやだやだごめんなさいごめんなさい!!死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない」

「しにだぐなっあ゛っ…」

固いものを殴ったような、でも粘着質な音が断続的にして、少女の叫び声が変わる。

「あっ、ぎっ…!ひ……ぷあ…」

「……………………………」

静まり返る路地裏と塀の向こう。わずかに伸ばしたままの手をどうすることもできずに、ただただ僕は立ち尽くす。

しばらくするとがさがさと音がして、見たこともないような目をしたふたりの顔が突然塀から半分だけでてきた。どちらともなにも言わず見つめあう。

こわい。こわい。こわい。こんなことなら悪い夢をみたって家にいればよかった。エンガートに言われたように、物騒だからやめようって思えばよかった。

震える膝になんとかちからをいれて、人形のようなよっつの目玉と相対し続ける。
ぽつり、女性がくちをひらいた。

「あなた、アイツにミつかるマエに、ハヤく」

その一言がスイッチだったかのように、男性は表情ひとつかえずに女性の後ろ髪を掴んで、塀の後ろへと再び消えた。そしてまた鈍い打撃音。静かになった瞬間。

パン!

乾いた破裂音。重たいなにかが地面に倒れたような音。静寂。静寂。静寂。

「………………ぁ」

理解してようやく、晩に食べたモノすべてを道端にぶちまけた。吐いたモノで焼けた喉。涙が滲んで何回も咳込む。しゃがんで、背をまるめて。まるでまわりのあのヒトたちみたいに。

「ねえきみ」

うずくまってゲホゲホとむせていると、ふと若い男性に声をかけられた。声だけきくと、ずいぶんマトモそうな雰囲気。
どうしてもうちょっと早く来てくれなかったんだと、顔もまだ見ていない相手に憤慨した。そしてゆっくり振り向いて、腰を抜かした。

「ひっ!!あ、わ…!」

「驚かしてしまったかな。…ああ、吐いてたの?邪魔してごめんね」

そこに立っていたのは、全身黒の衣服に身を包み、夜色の癖のある髪で左目を隠した男性。ぼんやりした輪郭に不気味に光る赤い瞳。

「トッ……トカゲキス……総監…です、か?」

はじめて見た本物の総監の姿。もう頭が混乱してなにも考えられない。
優しい笑顔を浮かべても尚醸し出される威圧感。テレビや新聞で見ている姿より大きく筋肉質な体。視界の端に見える大きな銃。
ほんとうに今日は家にいればよかった。僕はオオバカモノだ。

トカゲキス総監は口元に笑みを浮かべたまま、僕が落ち着くのを待った。そしてだいぶん息が整ってきた頃合いでくちをひらいた。

「急にごめんね」

「や…い、いえ!大丈夫です!」

「そう?じゃあちょっといいかな。聞きたいことがあるんだけど」

「はい…っ、ぼっ、僕が答えられることなら、な、なんでも!」

「えっとね」

カチャ。トカゲキス総監の腰の銃がちいさく音を立てる。総監は、僕の顔の真横を通り過ぎるように長い腕を伸ばして首をかしげた。硬直しながら、腕の先へと視線を移す。総監の人差し指はまっすぐと伸び、凄惨な塀の向こうをはっきりと指し示していた。

「ここに住んでいた人達からなにか聞いた?」

なにか?質問の意味がわからなくて汗が頬を伝う。正直に言えばいい。なにも聞いてないと。なにも………なにも?



『あなた、アイツにミつかるマエに、ハヤく』



「っーーーーーー………」

総監は、『なにか聞いたか』と僕に言っている。それは、あの少女の言葉や、女性のひとことも含まれているんだろうか。わからない。わからないけどもういやだ、お腹痛い、帰りたい。

「お……女のヒトが、あなた、あいつに見つかる前に、早くって……そ、それだけです……!」

不快な罪悪感。どうしてなにも関係ない、赤の他人のためにこんなに嫌な気持ちにならなきゃだめなんだ。
細められた赤い目に見つめられる。なにもかも見透かされているような瞳、いやだ、死にたくない!

「そう…わかった、ありがとう。じゃあ夜道は危ないから、気をつけて帰るんだよ」

ニッコリ。怯えきってがたがた震える僕の気持ちとはウラハラに、総監はただひとことそう言って、塀の方へと消えた。
ぼうっと、ついたりきえたりを繰り返す街灯のしたでひとり。さっきまで実際に起きていたことが、すべて夢の中の出来事みたいに思えて考えがまとまらない。
残されたのは、汗まみれの僕と吐いたばんごはん、ひどく不快な気持ちと、全身が一気に弛緩するような安堵だけだった。





「………ただいま」

ぼうっとした頭のままで歩いているうち、気づけばスーパーの袋を片手に自宅の扉をくぐっていた。弱々しい僕の声に返る言葉はなく、ああきっとうだうだしているうちに寝てしまったんだろうなと考えて、よけい全身が重くなった。

汗を流すためにお風呂にはいってシャワーを浴びる。髪を適当に乾かして、グラスに、冷蔵庫で冷やしておいたお酒をつぐ。もうお湯で割らずにこのまま飲もう。夢すら見ないくらい深い眠りに落ちよう。

茶色い色のお酒を一気にあおって、そのへんに落ちてたチョコレートをつまんで、ぐらぐらする景色をなんとか辿って、いちじく味の歯磨き粉で歯を磨いて寝る。






「ごちそうさま、早く明日になりますように」
























悪夢より恐ろしい現実が
この路地裏にはたまにある。



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