小話

◎刃連/たますけ/瑞姫さん宅ラヴィードちゃん
◎刃連視点


たまたま立ち寄った街は、妙に甘い香りでいっぱいだった。






アップルの発音







料理の修業と、俺の料理を大陸中へひろめるために、たますけと旅を続けてもう何年になるだろう。

毎日様々な食材で様々な料理をつくってきた。青菜のたくさん採れる街では青菜を生かした料理を、山麓(さんろく)の村では屈強な男衆が毎日狩ってくる動物の肉を。それぞれがそれぞれ、一番身近にあり、生活と共に体をつくってきた食材で生む『いちども味わったことのない料理』。
そんな見知らぬ料理を口にして、見せるお客の笑顔や涙は、俺やたますけの旅の最も重要な燃料に、活力になった。



数日前から滞在している街で貸し出ししてもらった調理場は、そこそこ設備もしっかりしてあり、調理がしやすい。二週間ほど路地の一角で店屋をひらく許可を国からもらって六日、物珍しさもあるのか、連日かなり繁盛している俺達の店は、昼時も過ぎ、ようやく一息つくことができた。

たますけに鍋やまな板の洗い物を頼んで、俺はゆっくりとディナーの下準備をはじめる。
この街は果樹園が多く果実の生産が盛んだったので、ディナーのメインはもっぱらフルーツソースが主役の肉料理だ。いくら使ってもなくならない果物に、料理人としての血が騒ぐ。

翌日のランチはなにをつくろうか、そんなことを考えていると、ふと、皿洗いをしながらたますけが思い出したように声をあげた。

「師匠、この街はなんだか、バレンタインで浮足立っていますね」

一瞬なにを言われているのかわからなかったので、果物の皮を剥く作業を一旦中断したが、すぐに理解して俺は再び作業へ戻った。

「ああ、そういえばそんな行事もあったな」

「師匠はつくらないんですか?」

「……なにを?」

ほんとうにわからないといった気の抜けた返事をすると、たますけはわざとらしい動きで、泡のついたままのフライ返しを俺のほうへピシッと向けた。

「チョコレートですよ!チョ・コ・レ・ェ・ト!」

「チョコレート?」

「あきれた!ラヴィードさん、いるじゃないですか!つくってあげないんですか?」

ラヴィに、チョコレート?どうして俺が?疑問は渦巻く。そんな俺を尻目に、尚もたますけはフライ返しを演説マイクのように振り回し、声を荒げる。

「バレンタインは、女が男にチョコレートを渡す日じゃないのか?」

「師匠頭が古いですよ!いまどき女だ男だって言ってるのは、師匠か夜の国の王様くらいですよ!」

夜の国の……。一度拝見したことはあったが、確かに見た目はそれこそ十代前半に届く幼さのくせ、言動や考え方は初老の老人に近かったような気がした。そうか、俺はそんなに古い頭の人間だったのか。

「それに師匠は料理人でしょう?料理人のくせに、料理人のためにあるような行事に参加しないなんて、どうにかしてます!」

『料理人』という単語に、俺の眉がピクリと動いた。確かに、たますけの言うとおりかもしれない。古臭い習慣にとらわれ、一年にそう何度もない料理人のための行事を、みすみす見逃すなど許されるのか。

俺は剥きかけの果物と包丁をまな板へたたきつけるように、たますけの方を向いて叫んだ。

「そうか……そうだな!!よし、たますけ!さっさと皿洗いを終わらせて調理場を準備しておけ!ディナーが終わり次第チョコレートの案を考えるぞ!」

「はい師匠!そのいきです!」

こうして俺は、古い人間から脱出するため、ラヴィにバレンタインのチョコレートをつくることにしたのだった。



「ここは果樹園が多いから、ディナーで余った果物を使ってスイーツをつくりたいな」

「そうですね。…うーん」

「そうだ!おとつい材料の買い出しに行った先で、こんなチョコレートを見かけたんだが…」

「それいいですね!じゃあこれにこれをいれて…」

「いや、そこは……」

数週間後…ラヴィに手渡すスイーツの案も完成し、店も大繁盛のままこの街での滞在を終えた俺達は、持てるだけの果物を国から譲り受け、ラヴィが今滞在しているらしい国へと急いだ。



そこはとてもおおきく、騒がしい国だった。普段旅する中ではなかなかお目にかかれない、馬車や高いビル。溢れんばかりの人間と喧騒、その国の中心、おおきくひらけた広場の中に彼女はいた。

「さぁさぁそこの道行く皆さん、私の手品はいかが?目玉も飛び出て腰が抜けちゃうこと請け合いだよ!」

彼女はよく通る高い声で、喧騒に負けないよう口上を述べ、次々と観客を集めていく。その顔はいつも以上にはつらつとし、同時に隠しきれない緊張も滲ませているように見えた。

「じゃあまずはこれ!なにもない場所からマメパトが飛び出してきます!」



30分ほどだったろうか、溢れんばかりの拍手と歓声、太陽が反射し紙ふぶきのようにきらきら光る硬貨を全身に受けながら、ラヴィは広場から姿を消した。
隣で手品を見ていたたますけは、目的を忘れて子供のようにはしゃいでいたらしく、さっきから延々と手品の感想を、拙い言葉で俺に伝えようとしてくる。

「師匠みましたか!?なにもないところからマメパトが…あ、あと、切れた腕がもとに戻るやつ!あれすごかったですよねぇ!」

「そうだな、なんたってラヴィだからな!」

「私がなあに?」

「うわっ!」

手放しで彼女を褒めるたますけに気分をよくしていると、急に後ろから声をかけられ、飛び上がった。
おそるおそる振り向くと、そこにはにこにこ笑顔のラヴィードが、まだ興奮冷めやらぬといた表情で立っていた。見知った顔に、俺はほっと胸を撫で下ろす。

「驚いた…」

「本人がいないところで勝手に人の話をするからです」

「ほめてたんだ」

「それこそ私の前で言ってほしいな~…なんて、えへ」

久しぶりに会うからか、どこかお互いぎこちなく気恥ずかしさが抜けない。そんな俺達の間を縫って、たますけが大声をあげた。

「ラヴィードさんすごかったです、マジック!」

「あっ、ありがとうたますけさん!」

屈託なく彼女を褒めちぎるたますけに、彼女自身も面映ゆい気持ちなのか、やわくはにかむ。
俺はたますけとラヴィが先程のマジックについて、やいのやいのと話し込んでいる隙に、保冷剤を詰めた専用のバッグの中から、プレゼントをとりだした。ラヴィがそれに気づき、首をかしげる。

「刃連(ゆきい)、なあにそれ?」

「今日はバレンタインだろ?つくってきたんだ」

「えっ、嘘!?」

「嘘じゃないよ。はい、まずはこれ」

驚いて目をぱちくりさせているラヴィに、ひとつめの、手の平より少し大きい平たい箱を手渡す。ラヴィは箱を落とさないようおそるおそるリボンを解き、蓋を開けた。途端、口角があがった。

「…わあ、すごい!」

中には八つほど、一口サイズのチョコレートが整列していた。

「少し前まで滞在していた街で、果物をたくさんもらったんだ。中にはそれぞれ味の違うフルーツソースがはいってる。ソース自体が大分甘いから、チョコレートは甘さ控えめになってるよ」

「嬉しい、ありがとう!」

大好きな人の幸せそうな笑み、おもわずこちらまで笑顔になってしまう、そんな笑みに胸が熱くなる。たますけも少し遠くで、ぱちりとウィンクをかました。

「それと……」

手渡した箱に夢中になっているラヴィに、俺はもうひとつの箱を手渡した。こちらは両手で持たなくては落ちてしまうほどおおきなものだ。片手のふさがったラヴィに渡すには危なっかしいため、俺がリボンを解き蓋をあける。

「…っ………すごい…すごい!!!」

箱の中身は、宝石のようにキラキラ輝く果物が溢れんばかりに乗ったフルーツタルトだった。フルーツのコーティングに光が反射して、ラヴィの瞳を照らす。ラヴィは俺の顔と箱の中身を何度も交互に見て「すごい」「すごい」と繰り返し続けた。

「さすがに女の子にタルトワンホールはやばくありませんかって言ったんですけどね」

たますけが苦笑いする。

「もらった果物があまりに多くて、早く使わないと食べられなくなっちまうんだから仕方ないだろ?……ラヴィ悪い、カロリーは最低限抑えるよう考えて作ったんだけど…」

「ううん!平気!刃連の作ってくれるものなら、どれだけ体重が増えようと平らげちゃう!刃連ありがとうっ!」

感極まったラヴィが俺に抱き着いてきた。手にもったタルトを地面に落とさないよう気をつけるのが精一杯で、周囲から注がれるなんともいえない生温い視線が頬を熱くする。気づいているのかそうじゃないのか、尚もラヴィは抱擁を解こうとしない。

「ラ……ラヴィ、そろそろ…」

「あ、うん、ごめんね!…そうだ!」

なにか思い出したようにラヴィがパッと離れ、足元にあったおおきなかばんを探りはじめた。俺とたますけは目を見合わせて首をかしげることしかできない。しばらくして「あった!」と、声をあげて、ラヴィは手に持ったものを手渡してきた。

「これは………」

手の平より少しおおきな、青い箱。タルトをたますけに手渡し、ぶきっちょに結ばれた半透明のリボンをそっと解いて、蓋をあける。

「……ラヴィ、これ」

中にあったのは、がたがたに形のくずれた、ハート型のチョコレートだった。ハートには『だ い す き』と、ホワイトチョコレートでかかれている。

「会えるわけないと思って、自分で食べるつもりで昨日の夜に作ったものだから、見た目は悪いけど、その……」

目の前に立つラヴィは耳まで真っ赤で、もう、愛しくて愛しくてかわいくて。

「あーあ、暑い暑い!暑いからしばらく涼しい場所に避難してきますね師匠!また明日の朝、ここで!」

たますけの下手な気の遣い方に、こちらまで赤くなってしまう。さあ、久しぶりに会った彼女といったいこれからどうしよう?この街もあちこち、優しいチョコレートの香りで充たされて、頭がくらくらした。

「ね、刃連」

「え?」

「久しぶりに会ったんだし、そこのカフェで、お話しましょ。お菓子は充分揃ってるわよ」

「そう…だな。じゃあ、手」

「ふふ……エスコート、よろしくね、王子様」

「うん、かしこまりました、お姫様」


























(アップルの発音)

きみのまえじゃ、
しあわせすら
簡単に表現できない。




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