小話

◎ヨルド、廿、ゼッカー、たぐむ、オスカー
◎ヨルド視点


「ッ……、…!」

「ね、声、出してもいいよ。俺しか聞いてない」

「うるさ……黙っ……ぁ、ぁ、ぁ」

「ああ、なんて可愛い廿(にじゅう)。…俺だけの廿」






自慰性癌






日々、茹だるような暑さ。7月はいつの間にか終わり、夏は盛りを見せつづける。雲は数えるほどもない。憎らしいほど青い空は燃える太陽を抱いても尚、音をあげることなどなかった。

俺は今、ログナルとメルティ様から心配され、裏門より陽のあたらない、奥まった場所にある日陰に立っていた。直射日光が降り注ぐことのないこの場所でも、地面で強烈な日光は照り返され俺の全身を暖める。もう、こまめな水分補給なんて生易しいものじゃおっつかない。軽装してはいるが、それでも今日は暑すぎる。

「おいヨルド!」

すぐちかくで不快な声。ぼやける視界の隅、ちらつくムラサキ。

「ゼッカー……」

「お前まじで死にそうだな!ほら、水と冷やしたタオル!」

「…触れたらかぶれそうでいやだ」

「人の好意を…!!…まあコレ、廿が持ってきたものなんだけどな」

『廿』。その名前に全身が覚醒する。

「なんで?廿が?俺に?」

「お前にっていうか、タオルはよそから大量にもらった物らしくて、城中に配ってるぜ。冷やして渡せって言われたのはお前だけだったけど」

「…………ふぅん」

頬が急に熱くなった。受け取った白いタオルは新しいせいかあまり水を吸っておらず、とてもすべすべしている。しっかり冷やされているソレを俺は頬に宛がってみたが、いっこうに熱がおさまる気配はない。





それから何時間か経っただろう。首の後ろに宛がわれている廿からもらったタオル、それがいつのまに温かいタオルになってしまったのが嫌で、俺は城の中にある水道までタオルを濡らしに行くことにした。

城の中は存外風通しが悪く、裏門よりもじめじめしていて居心地が悪い。短い廊下をいくつも抜け、そうして俺はようやく水道までたどり着くことができた。水道の蛇口をひねるとしばらくは生温い水がでてきたが、そのうち心地好い、ひんやりした温度に変わる。

(ついでに顔も洗おう)

誰もいないことだけ確かめて、濡れない程度に袖口をまくりあげた。

一回、二回。

ざぶざぶ。

三回、四回。

ざぶざぶ。

「ああ、今日はなんて暑いんだろうね。もう俺バテて気分悪くなっちゃった」

ぴたり。

水を煽る手が止まる。濡れたままの顔から、ぽたりぽたりとしずくが落ちる。この声は。

「…廿?」

間違いない。俺は手元のタオルで乱暴に顔を拭き、声のした方へと一目散に駆けていった。





角をすぐ曲がった先、声の主はやっぱり廿で、無意識に口角があがる。でも同時にそのすぐそばを歩くふたりを見つけ、お腹の中から黒くどろどろしたものが溢れて口から出そうになった。

途端、廿と目が合う。ぎくり、明らかに会いたくなかったというような顔。引き攣れた口元。反して俺は笑顔だ。廿の影に隠れ見えなかったのか、ひょこりと顔を覗かせたオスカー君とたぐむ君がにっこりしてこちらに手を振る。

「やぁ、三人とも。ログナルに用事?」

「ああ、うん、そんなところかなあ」

ふたりに悟られないよう作られた笑顔。おかしい。可愛すぎる。

「ヨルドさんはお仕事どうしたんですか?」

一番背の低いたぐむ君が、首をかしげて声をかけてきた。

「いや、あんまりにも暑いから、避難?」

「確かに今日は暑いですよねえ!もう、たぐ溶けちゃうかと思いましたよ~」

「お前は厚着しすぎなんだよ馬鹿」

「なによオスカーだって充分厚着じゃない!馬鹿!」

「なんだと!!」

「はいはい、ふたりともお城で喧嘩はだめだよ!仲良くしなきゃ」

定番ともいえるオスカー君とたぐむ君の喧嘩を、廿が仲裁(ちゅうさい)する。廿の仲裁は効果てきめんで、ふたりはすぐにおとなしくなってくちをモゴモゴさせた。

「あ、そうだ、せっかくだし城の中もう少し回ってみようぜ」

「賛成!!」

「あ…じゃあ俺も」

「廿はだめ!!」

予想外の発言だったのだろう。大声をあげ、ぐいと顔を近づけたたぐむ君に、廿は面食らったような顔をしてのけぞった。

「廿はさっき気分悪くなったって言ってたんだし、しばらくヨルドさんのところで休ませてもらったほうがいいよ」

「え…でも」

「ヨルドさん、多分お城の中より外の日陰のほうが涼しいですよね?」

これはしてやったり。自分の発言を悔いたのか、自責の念に押し潰されたような顔の廿がこちらをぎろりと睨む。俺は上機嫌。つい饒舌(じょうぜつ)になる。

「もちろん。城の中はなんというか、蒸し暑いし、熱中症になりかねないからねえ」

「別にそこまで気分が悪いわけじゃ…」

往生際が悪い。何時間もごねられる前に、連れ去ってしまったほうが得策だ。不服そうなままの廿の右手首を掴んで、俺は踵(きびす)をかえした。

「夕方になったら迎えにいくからね~!」

「おとなしくしてろよ~」

「……………」

「返事は?薄情だねえ」

「……わかった」

「よしイイコ」

「…死ね」

ぼそりと囁かれた正直。あのふたりの知らない、本物の廿。猛暑から俺にご褒美か。ありがとうございます。





連れてきたのは、俺がさっきまでいた場所より更に奥まった辺りに建つちいさな小屋。ここで夜は仮眠をとったり、食事をしたりする。誰も来ることのない、俺だけの秘密の場所。

「さ、廿はいっていいよ」

「…なにもしないだろうな」

「気持ち悪いんだよね、今水汲んでくるから」

「……っおい!!」

さっさと小屋から出ようとする俺の袖を、廿は勢いよく引っ張った。暑さで上気した頬とはりついた髪の毛。いつもより薄着だから、肌色がよく見える。誘ってる?でもそんなにがっついちゃだめだよ。首にはりついた髪を後ろへ優しく撫でつけるように、伸びた爪で薄い首の皮を引き裂くように、この場所からひとりで逃げられないように、魔法をかける。

「悪い子だね…さっき廿が言ってたじゃない。『お城で喧嘩はだめだよ』って」

「………っ」

無造作に腕を振り払われる。廿は床を睨んで、部屋の奥にある椅子に黙ったまま腰をおろした。ほらやっぱり廿はイイコ。ちょっと物覚えが悪いだけだよね。





「はい、水汲んできたよ」

結露(けつろ)で濡れたグラスを廿に差し出す。廿は俺がいない間もおとなしく椅子に座っていたようだ。廿はそのままなにも言わずグラスを受け取り、水を一気に飲み干した。カラのグラスはそばの机に置いてまた俯き床を眺める。俺も自分のぶんのグラスをあおって、背もたれをいだくように正面の椅子へと腰をおろした。

「タオルありがとうね」

「………………」

「俺のだけ冷やして渡せって言ってくれたんでしょ?」

「………チ…あのムラサキめ」

憎々しげなその表情が、ありありと肯定(こうてい)だけをあらわす。うれしいな。うれしいな。

「おかげで助かったよ、ありがとうね、廿」

にっこり笑って首をかしげる。廿は知らんぷりして爪を噛んだ。ああ、また汗で髪の毛がくっついてる。かわいそうに、我慢してるのかな。

「ねえ、なんで俺のだけ冷やして渡せって言ってくれたの?」

「……意味なんかない。あの無能の王がお前の心配をしていたから、印象をよくするためにしただけだ」

「…ふうん」

少し苛立って椅子の背を引っ掻く。まったく正直じゃない。ほんとうは俺のことが気にかかって気にかかって、だからゼッカーに冷やせって言ったんじゃないの?廿の頬を汗が舐める。くらり、なんて煽情的(せんじょうてき)。小屋には風がない。頭がふわふわして、自分がなにを思っているのかすらおぼつかなかった。

「第一、門番がお前じゃなくてオスカーやたぐむだったら、俺自身で濡らしたタオルや飲料水を持っていく。別にお前が特別なわけじゃない」

「廿」

やめて。冗談でもほんとうでも、口にだせば取り消せなくなってしまう。不利になって、後悔して涙を流すのは君だ。俺は被害者。口実をつくらないで

「俺はお前が、」

「廿」

やめて

「廿」



『きらいだ』






「廿」

「っ!は、離せ!!」

汗ばんだ首を掴んですぐ後ろの安っぽいベッドに押し倒した。廿は青ざめてもがき続けたが、それじゃあ俺の両手が首に食い込んでいくだけだ。呼吸が荒い。顔がどんどん紅潮して、声もちいさくなる。

「うそつきはお仕置きだね」

「な…かはっ………」

「離してほしい?」

俺の腕を掴む細い指先はあまりに余力がなかった。目尻からつぎつぎ涙をこぼして、廿は何度も頷く。うそ寒い背徳感。こんなに暑いのにぞわぞわと鳥肌が全身を走る。しかしそろそろ危なげだったので、俺は廿の首から腕を離した。

「かはっ…げほっ……げほっ…っぇ……」

さっきまであの首を掴んでいた両手。廿の体温がまだそこに残っていて、うっとりした。

ごほごほ

シーツを掴み、体をまるめて咳込みつづける廿。わかるかな。わかるよね。こうしなきゃわからないもんね。ね、俺、嫉妬してるんだよ?廿が俺を嫉妬させるから、こんな苦しい思いをしなくちゃいけなくなるんだよ?

「大丈夫?」

「…っ触るな!」

気遣かったつもりで伸ばした腕は、かくもたやすく弾かれてしまう。

「ああまったく、ひどいなあ」

「ひどいのはどっちだ!」

「廿のほうでしょ」

「は!?ぁ…ん、む、」

眉間にシワを寄せ振り向いた顔目掛けてくちをふさいだ。ベッドに縫った廿の体は酸素が不十分でまったく身じろぎがない。
暑い、暑い。ノウミソがとろけて耳から溢れてくる。ワカラナイワカラナイ。もう俺にも余裕なんてなかった。
唇を離し、お互いぜえぜえと呼吸する。怖くて、掴んだ手が、唇が、全身が震えた。お腹のなかのどろどろしたものが、廿を殺そうと溢れてくる。

「ひどいのは廿のほうだ!キライキライって言うくせにこうやって突然自分から近づいてくる。俺は廿が好きなのに…、廿さえそばにいてくれればそれでいいのに…!!ああ、いままでずっと我慢したよ?いや、いまでもまだ我慢してるよ。ねえ!!だって廿は、」

ピタリ。無意識に声帯が縮む。

『だめだよ。それから先は言ってはいけない』

自分自身が傷つく。なにより廿が傷ついてしまう。声にならない声を飲み込んで俺は、呆気にとられたままの廿の唇をもう一度ふさいだ。まるで考えることを拒むちいさな子供のように。「こわい」と先に進むのをためらう老人のように。





汗でべたべたの体がふたつ。俺はぼうっと小屋の外を眺めている。上の服だけがはだけた状態でベッドにまるまったままの廿は、暑さで意識を失って細く呼吸を繰り返している。

ほんとうはこの暑さに巻かれて、最後までしてやる算段だった。でもできなかった。
廿は俺によく似ているから。俺の発言でいつ傷ついたか、嫌な気持ちになったか、手にとるようにわかってしまう。あのまま無理矢理最後まで続けていたらきっと、廿はほんとうに俺のことを嫌いになってしまう。それだけは嫌だった。



隣で眠る廿の頬に、きらきらと輝く細い髪がはりついている。それにそっと触れて、優しく頬を撫でる勇気すら、今の俺にはなかった。























自慰性癌

この白く細い体に触れるだけで
俺は俺の中のなくならない痛みを
ようやく取り除くことができるのだ






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