小話

◎帯刀/猪首
◎帯刀視点


「猪首」

「…………」

「ねえ猪首、愛してるよ」


光のない虚ろな目で月を仰ぎ見る男。彼は僕にとって最愛のヒトで、そして僕らは今日も誰ひとりとして寄りつかない廃屋で静謐(せいひつ)な時を過ごしていた。


「猪首は僕を愛してる?」

「…………」

「愛してるって言って」

「愛しているよ」

「名前を呼んで、愛してるって言って」

「帯刀、愛しているよ」

「うん。僕も。今とても幸せだよ」






人間は独占欲と一枚の皮で形成されている






はら はら はらり


裏街は今年にはいり急激な冷え込みで降雪ばかりだった。汚い路面や騒がしい街並は、真っ白い雪に隠され随分おとなしい。だれもかれもが暖かそうなマフラーに顔をうずめ、足速に目の前をすぎる。自ら吐き出された白い息はあっという間に大気へと溶け込み、人の渦へと消えた。

「冬は好きだなあ」

たったひとつの傘におさまったふたつのからだ。隣り合い、繋いだ手は冷たい。僕は目の前だけを黙って見つめ続ける猪首へと、いつものようにひたすら話しかけた。

「だってこうして寄り添い手を繋ぎ合っていても不快じゃないから…あ、でも猪首となら真夏でも全然平気だけどね!猪首の汗ならむしろ嬉しいよ。猪首は、猪首はどうなのかな。僕とこうやって一緒に居て幸せかな。きっと幸せだよね。だってこんなにきれいな景色をふたりで見ながら他愛ない話しをしているんだもの。こういうのって何気ない幸せって言うんだよね。僕は本当に幸せだよ。幸せすぎて頭がどうにかなっちゃいそう。ううん、もうどうにかなっちゃってるかもね。なんて冗談だよ。あははは本気にした?猪首は真面目で誠実だから冗談もすぐ本気にしちゃうんだもん。まあそういうところもすごく可愛いと思うし大好きなんだけどね。猪首はすごいよ、誠実で真面目で優しくて強くて頭もよくて格好いいし可愛いところもあるしオシャレでセンスもあって本当に自慢の恋人だなあ。」

猪首は黙ったままただ目の前を見ている。決して握りかえしはしない冷えた手を僕は強く握り、もうわずかばかり距離を詰めた。
雪はまだ降り続いている。






それは雪ではなく雨の日のことだった。
三日前からやまない雨は街をほんの少しだけ温め、雪を溶かした。結局、溶けた雪からは7人の死体が掘り出された。楽園や北区でちいさなニュースとなったが、家を持たない浮浪者が積雪の中で冷凍されるのはよくある事なのに、騒ぎ立てる要素など未だあるのが不思議であった。


降雨から四日目の深夜。ようやっと雨はやみ、湿った空気が風にのって街中の空気を入れ換える。地熱により蒸発し強烈に立ち込めるアスファルトの臭い。油とアルコール、少量の香水。使用済のコンドームを銜(くわ)えた野良猫が目の前を横切った。

「じゃあ、ここで待っていてね。すぐに戻ってくるから」

僕は猪首を連れ、南区にあるとある鍛冶屋へとやってきた。いくぶん鈍(なまくら)になりつつある刀を鍛えてもらうのだ。これがなければ猪首を守れない。猪首に群がる悪い虫は僕がすべて排除する必要があるのに、肝心の刀が使えないんじゃ話にならない。
猪首を店外に置いて目を離す事自体、いつも不安で仕方がなかった。数ミリ距離をおくだけで消えてしまいそうな気がして怖かった。

「動いちゃだめだよ。イイコにしててね」

こくり、ちいさく頷いた彼の目は僕をうつさない。そんなところも健気でかわいいなあと、僕は後ろ髪をひかれるまま猪首に背を向け、店へとはいっていった。






刀を鍛えてもらうまで2日はかかるらしい。鍛冶屋の店主は黙ったままじいと刀身を見つめ、「斬りすぎだ」とちいさくつぶやいた。
散々酷使してきたんだ。2日なんてまだはやいほうだろう。この寡黙な鍛冶屋は南区でももっとも信頼できる男。僕は2日後に刀を受け取りに来ると言い、店を背にした。そして愛しい猪首をこの寒空の中長時間放置したことを胸中で懺悔しながら、最高の笑顔で戸をくぐった。


「猪首、刀ができるまで2日くらいはかかるみたいだから今日はもうかえ…」


しかし僕の笑顔は5秒も持たず崩壊する。


猪首の回りに群がるあれはなに?


血の気が一気に引く感覚がした。そうしてこんどは間を置かず、ぐつぐつ煮えたぎった液体が足から頭の先へと駆け上がり、景色がスパーク。わけがわからない。処理が追いつかない理解できない頭がいたいぐらぐらちかちかぴかぴかずきずき。動悸がめまいが、ふらつく、足がふらつく、揺れる、なにもかも

「………お」


「おまえ、ら、ぼ、くの、いくびにッッッ、な、にし、t、るん、だあぁぁぁあaああ縺薙・繝。繝シ繝ォ縺ッ 繝シ縺ョ逧・ァ倥∈縺ョ繝。繝・そ繝シ繧ク縺ァ縺吶?!!!」


吐き気がするほどけばけばしい女共が、僕の猪首に話し掛けている。僕しか触れちゃいけない肌に、髪に、手が、息が、汚らわしい汚らわしい汚らわしい!!!考える時間も必要ない。僕は乱暴に鍛冶屋の扉を開け、いましがた手渡したばかりの刀を仕舞おうとしていた店主からそれを奪い取り、鞘を捨てて外に出た。

尋常じゃない僕の雰囲気に圧倒されたのか、先程まで猪首にくっついていた女共は怯えた顔で距離をおく。とうの本人は変わらず上の空で、そのすがたに少しだけ安心した。

(よかった。あの女共より僕の方が魅力的だったんだね)

「あ…あの、ごめんなさい、ひとりだと思って、その、声を」

「猪首になにを吹き込んだ」

「…え?」

「しらばっくれるなァ!!猪首は僕のモノなんだよ!お前らみたいな汚らしいゴミのせいで猪首の耳が腐ったらどうしてくれるんだ!べたべたべたべた、ああぁこんな鼻がもげそうな臭い猪首につけないでくれ!猪首はお前らとは住む世界が違うんだよ!!猪首は俺だけを愛するために生きてる。それ以外のやつに向ける視線も意識も声も表情もなにもかもが不要!!帰ったら10回はお風呂にはいらなくちゃ…可哀相な猪首、僕がもう少し気を配っておけばこんなゴミに触れられることもなかったろうに……。ああ、そうだ、きっとあれだけ近くに居たんだから、猪首から出た二酸化炭素をお前らは吸っているんだろう?体温だってそうだ。猪首の体の外も中も僕のモノなんだから全部返してもらうよ。『あげる』なんて一言も言ってないんだから」

「い…いや…いや…ごめ、ごめんなさ、や、やああああ゛あぁあう゛ぁ、あ゛あ゛あ!!!!!ぁ、あ゛…ぁ」






怒りにまかせ、目の前の女ふたりをミンチにした。それはもう人間かどうかすらすでに曖昧で、間髪いれず上空から飛んできたカラス達が肉片をついばみ何度か声をあげる。


僕は血まみれのまま鍛冶屋にはいり、ぬらぬらひかる刀を店主に手渡した。それをじいっと眺めたまま動かない店主を背に、僕は店を後にする。戸を閉める音に紛れ「斬りすぎだ」としゃがれた店主の声がきこえた気がしたが、猪首の姿を視界にとらえた瞬間、なにもかもどうでもよくなった。


「さ、猪首。かえろうか」


こわかったでしょう。ほら、いつもの笑顔だよ。もう安心だね。

























(人間は独占欲と一枚の皮で形成されている)

あの日君に託した僕の想いは
今ではどれ程大きく育って
大切な君を苦しめているのだろう。
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