小話
◎忌鶴子視点
◎忌鶴子/燐螢さん宅真奈都君
ほろほろと、眼前の牡丹がくずれてゆく。
このなにもない、人すらまばらな山麓(さんろく)の村。山頂から流れてくる透明な水の中を泳ぎ続けるさかなは、一体なにを考えているのだろう。
てのひらで握り潰した春の終わりは、去年感じたものより多少あたたかみがあるような気がして、「勘違いだ」と笑う頭の中の私に、くずれた牡丹の花弁が折り重なるようそっと蓋をした。
哀すれば、旅情
彼が駅員すらいない無人の改札から現れるのを、いつから私は心待ちにしていたのだろう。あいた時間をみつけては健気に駅まで通う姿。どれだけ滑稽なのかは言わずとも明らかだ。
「忌鶴子」
「…真、奈………都」
「いこう」
「…ん」
春がくれば私は、彼と花見をする。
人より自然あふれたこの都市で、桜の咲かない場所などない。どこからか聞こえてくる鶯の声。姿をさがして歩けど見えず、元より見つかる当てもなし。
期待すると禄(ろく)なことがない。なら早く諦めて。そう、鶯などはじめから見つかりっこないのだ。
「忌鶴子、見ろよ」
途端、彼が笑って上を指差す。
「あ」
「鶯だ」
ほら、彼は私をいつだって幸福にする。私のささいな絶望すら見逃してくれない目敏さは一級品で、遠慮がちに繋がれた手に僅か、ちからがはいった。
夏がくれば私は、彼と花火をみる。
ひゅるひゅると夜を照らす鮮やかな色。となりでじっとそれを見つめる彼を、私はつい気にしてしまう。空に打ち上がる花火と同じ赤い目は、黄色になったり緑になったり忙しい。ああそうだ、これが終わってすぐ、彼に花火の感想をきかれたらどうしようか。
「真奈都の顔をずっと見ていたから、花火がどんなふうだったのかわからなかったの」
そんな饒舌なせりふ、くちにだせるわけがない。馬鹿馬鹿しくて私はようやっと正面をむく。しぼんだあさがおの花が夜風に吹かれて揺れている。賑やかな祭の喧噪は遥かかなたで、妙に私の胸をざわつかせた。笛の音が、太鼓の音が、花火の音が、やいやいぐるぐる頭をかけずりまわる。
ひゅるるるる、どかーーーん!
ひゅるるるる、どかーーーん!
このざわつきの正体は?
わからない。わからないけれど
「真奈……都」
ひゅるるるる、どかーーーん!
花火の音に隠れて、となりの彼の名前を呼んだ。近い距離でも遠く離れたてのひら。まだ臆病でいる私達の、夏の夜は切ない。
(そうだ、夏の死骸を拾って帰ろう。)
ポケットには、たくさんの枯れたあさがおの花。蝉の死骸。くたくたのうちわ。切れた鼻緒と、彼と私の汗ばんだゆびさき。
秋がくれば私は、彼と小道を歩く。
真っ赤に染まった落ち葉の絨毯を掻き分けて、そろりそろりと小道を歩く。冷たい風が木立を抜け、積み重なったもみじを散らす。
あたたかい衣服につつまれた彼と私は、しきりに言葉を交わさない。そうしてひんやりとしたゆびさきを絡め、だれもいないベンチに座った。
「寒くない?」
こくり、ちいさくうなずく。彼のてのひらは存外ぬくもりに溢れ、まるでカイロのように全身をあたためる。
「落ち葉が綺麗だ」
「……ん」
そうしている間に頭にひらり。
「…それ…真奈都、みた……い」
紅葉は彼に似ていた。燃えるようなその赤い瞳は、なにもかも焼き尽くす炎というより、あたたかみにあふれた太陽のようで、頭にいくつか降り落ちてきたその落ち葉ともよく似ている。
「…ありがと」
「顔も……赤い………」
微笑む私を見て、彼は真っ赤になった顔を隠すように反対側を向いた。
いちまいにまいさんまい、少しずつ消えてゆく足先を見て思う。このまま死ぬまでこのベンチで呆けていたならば、いつかは落ち葉に埋もれて息ができなくなるだろうか。
ぴゅう
冬を運ぶ風がそんな私の疑問を断ち切るように、足先に積もる落ち葉を、まとめてどこかへ吹き飛ばした。
冬になれば私は、彼と雪をみる。
あたたかい室内で、昨夜からしんしんと降り続く雪を私はずっと眺めていた。おおきなぼたん雪は、なかなか溶けずに積もってゆくんだからおもしろい。
「なに見てんの?」
後ろから彼がやってきて、そっととなりに座った。
「雪……積もってる…」
「お、すごい…」
密着した体があたたかい。当たり前のように触れ合うゆびさき同士は、体に反してひんやりと、まるで氷のようだった。
「…手、つめたい」
「繋いでたらあったかくなる」
「……ん」
これが積もって溶ければ、また春がやってくるのだろうか。次の春も、その次の春も、彼とふたりで見る桜の花や花火や落ち葉や雪は、こうやって何度も私の胸をくすぐり、不安な気持ちにさせるのだろうか。
じわじわ広がる優しい痛みに涙が落ちた。
この感情がなんなのかはよくわからない。
でも、消えてほしくはなかった。
ほろほろと、眼前の牡丹がくずれてゆく。
てのひらで握り潰した春の終わりは、いつだって愛しいあたたかみで充ちていて、「永遠であればいい」と願う頭の中の私に、くずれた牡丹の花弁が彩るよう、ふたたびちいさく花開いた。
(哀すれば、旅情)
それは、私とあなただけの
盛り上がりのない愛すべき旅
◎忌鶴子/燐螢さん宅真奈都君
ほろほろと、眼前の牡丹がくずれてゆく。
このなにもない、人すらまばらな山麓(さんろく)の村。山頂から流れてくる透明な水の中を泳ぎ続けるさかなは、一体なにを考えているのだろう。
てのひらで握り潰した春の終わりは、去年感じたものより多少あたたかみがあるような気がして、「勘違いだ」と笑う頭の中の私に、くずれた牡丹の花弁が折り重なるようそっと蓋をした。
哀すれば、旅情
彼が駅員すらいない無人の改札から現れるのを、いつから私は心待ちにしていたのだろう。あいた時間をみつけては健気に駅まで通う姿。どれだけ滑稽なのかは言わずとも明らかだ。
「忌鶴子」
「…真、奈………都」
「いこう」
「…ん」
春がくれば私は、彼と花見をする。
人より自然あふれたこの都市で、桜の咲かない場所などない。どこからか聞こえてくる鶯の声。姿をさがして歩けど見えず、元より見つかる当てもなし。
期待すると禄(ろく)なことがない。なら早く諦めて。そう、鶯などはじめから見つかりっこないのだ。
「忌鶴子、見ろよ」
途端、彼が笑って上を指差す。
「あ」
「鶯だ」
ほら、彼は私をいつだって幸福にする。私のささいな絶望すら見逃してくれない目敏さは一級品で、遠慮がちに繋がれた手に僅か、ちからがはいった。
夏がくれば私は、彼と花火をみる。
ひゅるひゅると夜を照らす鮮やかな色。となりでじっとそれを見つめる彼を、私はつい気にしてしまう。空に打ち上がる花火と同じ赤い目は、黄色になったり緑になったり忙しい。ああそうだ、これが終わってすぐ、彼に花火の感想をきかれたらどうしようか。
「真奈都の顔をずっと見ていたから、花火がどんなふうだったのかわからなかったの」
そんな饒舌なせりふ、くちにだせるわけがない。馬鹿馬鹿しくて私はようやっと正面をむく。しぼんだあさがおの花が夜風に吹かれて揺れている。賑やかな祭の喧噪は遥かかなたで、妙に私の胸をざわつかせた。笛の音が、太鼓の音が、花火の音が、やいやいぐるぐる頭をかけずりまわる。
ひゅるるるる、どかーーーん!
ひゅるるるる、どかーーーん!
このざわつきの正体は?
わからない。わからないけれど
「真奈……都」
ひゅるるるる、どかーーーん!
花火の音に隠れて、となりの彼の名前を呼んだ。近い距離でも遠く離れたてのひら。まだ臆病でいる私達の、夏の夜は切ない。
(そうだ、夏の死骸を拾って帰ろう。)
ポケットには、たくさんの枯れたあさがおの花。蝉の死骸。くたくたのうちわ。切れた鼻緒と、彼と私の汗ばんだゆびさき。
秋がくれば私は、彼と小道を歩く。
真っ赤に染まった落ち葉の絨毯を掻き分けて、そろりそろりと小道を歩く。冷たい風が木立を抜け、積み重なったもみじを散らす。
あたたかい衣服につつまれた彼と私は、しきりに言葉を交わさない。そうしてひんやりとしたゆびさきを絡め、だれもいないベンチに座った。
「寒くない?」
こくり、ちいさくうなずく。彼のてのひらは存外ぬくもりに溢れ、まるでカイロのように全身をあたためる。
「落ち葉が綺麗だ」
「……ん」
そうしている間に頭にひらり。
「…それ…真奈都、みた……い」
紅葉は彼に似ていた。燃えるようなその赤い瞳は、なにもかも焼き尽くす炎というより、あたたかみにあふれた太陽のようで、頭にいくつか降り落ちてきたその落ち葉ともよく似ている。
「…ありがと」
「顔も……赤い………」
微笑む私を見て、彼は真っ赤になった顔を隠すように反対側を向いた。
いちまいにまいさんまい、少しずつ消えてゆく足先を見て思う。このまま死ぬまでこのベンチで呆けていたならば、いつかは落ち葉に埋もれて息ができなくなるだろうか。
ぴゅう
冬を運ぶ風がそんな私の疑問を断ち切るように、足先に積もる落ち葉を、まとめてどこかへ吹き飛ばした。
冬になれば私は、彼と雪をみる。
あたたかい室内で、昨夜からしんしんと降り続く雪を私はずっと眺めていた。おおきなぼたん雪は、なかなか溶けずに積もってゆくんだからおもしろい。
「なに見てんの?」
後ろから彼がやってきて、そっととなりに座った。
「雪……積もってる…」
「お、すごい…」
密着した体があたたかい。当たり前のように触れ合うゆびさき同士は、体に反してひんやりと、まるで氷のようだった。
「…手、つめたい」
「繋いでたらあったかくなる」
「……ん」
これが積もって溶ければ、また春がやってくるのだろうか。次の春も、その次の春も、彼とふたりで見る桜の花や花火や落ち葉や雪は、こうやって何度も私の胸をくすぐり、不安な気持ちにさせるのだろうか。
じわじわ広がる優しい痛みに涙が落ちた。
この感情がなんなのかはよくわからない。
でも、消えてほしくはなかった。
ほろほろと、眼前の牡丹がくずれてゆく。
てのひらで握り潰した春の終わりは、いつだって愛しいあたたかみで充ちていて、「永遠であればいい」と願う頭の中の私に、くずれた牡丹の花弁が彩るよう、ふたたびちいさく花開いた。
(哀すれば、旅情)
それは、私とあなただけの
盛り上がりのない愛すべき旅