小話

◎ステラ/ジャック
◎ステラ視点


あの子に必要なのは僕で
僕に必要なのはあの子で。


たいしておおきくもない
この大陸と街のかたすみ。
痛いことにはすでに慣れて
自らを取り繕う術も覚えた。



だけど どうして 手に入らないのだろう。



きみとぼくは こんなにも近いのに。






160mmHg






「おれには、ステラだけだよ」

「うん」

「ステラには…おれだけ?」

「そうだね。ジャックだけだ」

「そう」

隣に寄り添い、僕の全身へ自らを預けるちいさなちいさな男の子。彼は僕のいちばんたいせつな人で、彼にとっても僕は同じような存在なんだって。

「スキップジャックってどういう意味?」

「暴れん坊だってさ。変な名前だよな」

「変じゃないよ。僕は好きだけどなあ」

笑って優しく髪を梳(す)く。秋が間近に迫るあたたかい夕陽に照らされたジャックの髪は、赤茶色にきらりと光ってとても綺麗だった。ジャックはくすぐったげに身じろぎするけれど、いつだって決して僕の手を退けようとはしない。

「かわいいね」

そう言ってみれば、このこは耳まで赤くして唇を噛むのだ。しばらくそんなふうにうつむいていたジャックが、突然眉間に皺を寄せ顔をあげた。僕は相変わらず笑って、目の前の大きな瞳に視線を移す。

「…、じゃあ、ステラは?」

「ん?」

「ステラカデンテって、どういう意味?」

「ああ……そうだね、」

もうすぐ陽が暮れる。
薄紫の高い空には、ジャックと同じちいさな月と星。

「ステラが"星"で、カデンテが"落ちる"という意味らしいから。つまりステラカデンテっていうのは流れ星ってことじゃないかな」

「流れ星」

「うん。流れ星」

「きれいな名前だね。うらやましい」

「……僕はジャックのほうが好きだし、うらやましい」

「どうして?僕はこれから先流れ星を見るたびステラを思いだすよ。いつだって、どこにいたって」

「…、ほらジャック見てご覧よ。今夜は月がきれいだ」

「わあ、ほんとうだね」







僕は自分の名前が好きではなかった。

流れ星なんて結局、太陽の周りをずっとずっとぐるぐる回ってるうち地球の大気にぶつかって、落ちた時たまたま燃えて光ったってだけの石ころだ。

だから、そんな燃えカスの僕を『きれいだ』という世間が嫌いだった。屈託ない笑顔で大嫌いなその台詞をなんなく吐いてみせるジャックに、思わず鳥肌が立つ。幼い僕は動揺を隠すだけで精一杯で、上手にはぐらかせているのかさえモヤモヤした頭では判断がつかなかった。






でもいまは違う。


「ジャック」

「触るな」

自分以外すべてを"敵"と見なしたその瞳に昔の可愛いげは遠く、けれど失った記憶の残骸に息づく"僕"という重要な存在に、死んではいない確かな愛を感じる。細い両腕に巻かれた包帯は血で真っ赤に染まり、指先から地面へと染みを残していた。

目の前に立つ彼に過去の記憶はない。

大陸の外れにある『Ende』という監獄で、ジャックは自分を捨てたのだ。

「ジャック、包帯が真っ赤だ。早くかえなくちゃ、腕が腐り落ちてしまうよ」

「腐り落ちてしまったって構うもんか。どうせ痛くもなんともないんだから」

「腕がなくなればデータが取れなくなるだろう?それともこれって、馬鹿なジャックがちいさな脳みそで一生懸命考えた作戦かなにかなの?ねえ」

僕だって別に彼の腕が腐り落ちようがどうなろうがいっこうに構わない。彼の腕にはチップが埋め込まれていて、断続的に彼の行動や体のデータがEndeの地下実験室に送られる仕組みになっている。忌ま忌ましい薄い板切れいちまいが、僕とジャックを地下に縛りつけ苦しめる。だからいっそ腐り落ちてくれたほうがふたりにとってはいいと思う。

「そんなに腕が要らないなら僕が切り落としてあげようか」

「は?何言ってんだお前、ぶっ殺すぞ」

「昔は可愛かったのにね」

そうくすくす笑うと、ジャックの機嫌が更に悪くなった。彼は自分の知らない自分の話がとにかく嫌いで、少しでも話題にだせば癇癪を起こす。それが面白くもあり、僕の胸をひたすら締めつける。


「俺は俺だ!!昔なんか知るか!!」

「君はそう、いつも酷いことばかり言うんだから。不公平だと思わない?僕は君の全部を知っているのに、君は君の半分すら知らないんだよ?」

「知りたくもなんともないっ…余計なお世話なんだよこの馬鹿!」

ボロボロの右腕が赤く炎を纏う。皮膚が剥がれ、地面の染みが広がる。痛みを一切感じないジャックがあまりに不憫で笑いそうになった。

腕を伸ばし、薄い体を抱く。
驚いたジャックは炎を上手く制御できず、背後の地面を軽く吹き飛ばした。腕の中のジャックはしきりにもがき叫んでいる。

「関係ないくせに俺に関わるな!」

胸が痛い。頭が痛い。息ができない。

昔となんら変わらない、しいていえば少しだけ伸びた髪に触れ、浅いキスを繰り返す。
十数回目で息がきれたジャックは、ちからがはいらないのか僕の体にしがみついて、必死に酸素を取り込んだ。

「ジャックは生きてるんだね」

互いの息がかかる距離で、笑ってそう呟く。上気した顔で僕を睨みつけるジャックはとても可愛くて、もう一度唇を重ねた。

「ねえ」

「…っ、ん…ぁ、ぅ…」

「ジャックはもう、流れ星を見ても僕を思い出してはくれないの?」

こんなに近くにあるのに、君の顔が見れない。情けない、弱虫でわがままな僕は、茹だった上の空のジャックを強く抱きしめる。そしてぽつりと、

懺悔するように、
言い訳をするように、
愛を囁くように、
責め立てるように、
なぐさめるように呟くのだ。

「僕は君のために祈るようになったよ。燃えカスにむかって毎晩、一向(ひたすら)一向一向一向。気づいたら夜は明けて、ちっぽけな燃えカスは見えなくなってしまうけれど。でも僕はいつでも休まず祈ってる。ねえジャック、」

うつむいて僕の背に爪を立てる。食い込んだ鈍い痛みが、馬鹿で不器用な君にとっての精一杯の言葉なんだろう。
それが愛しくて、優しく髪を撫でながら幼い子供をあやすみたいにぽんぽんと背中をたたいた。


「わかったんだ。僕の名前のほんとうの意味」

ぎゅっと、ジャックの両手にちからがこもる。ちいさな体はかすかにふるえていて、まるで君の中で眠ったままの僕が暴れているみたい。

君の知らない君を知る僕は僕自身を知らないままで、育って、大人になって、ようやく大気圏で光り輝いた。

「僕は燃えカスなんかじゃなかった」

「夜だけじゃなくて、朝だって昼だって、大切な君のために何かを祈れるよう、僕はこの名前で生まれてきたんだよ」



























(160mmHg)

君は僕のために生きている。
僕は君のために生きている。

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