小話

◎百鬼
◎百鬼視点
◎百鬼過去



「どうしてあんたは私の言うとおりにできないの!!」

「なによ…あんたの目って見てて本当腹が立つのよね」

「あんたなんか」






「産まなきゃよかった」







「お母さん痛い!!」

「だまってなさいよ!首輪でもつけてなきゃ何されるかわかったもんじゃない」

「俺なんにもしな…っ」

「だまってろって言ったでしょ!本当学習能力の無い子ね。絞め殺されたいの!?」

「ごめ…なさ…」

「私が居ないあいだに首輪を外して、金目のモノ盗んでいこうなんて思うんじゃないわよ!!」

「は………い」

「あの男と同じような髪の色して、最近顔も似てきたわね…ああ気色悪い。こっち見るんじゃない!このゴミ!」

「……………」

俺には生まれた時から母親しかいなかった。会ったこともない父親は、まだ若かった母の妊娠に恐怖を覚えて逃げたと聞いた。
母ははじめ俺を堕ろそうと思っていたようだったが、母の両親がそれを許さず、そして母は産みたくもない男の子どもを苦しんで産み、母親になったそうだ。当時の母はまだ十代。遊びたい盛りなのにそれができない苦しみは、当たり前だがすべてまだ幼い俺に向けられることになる。



小さくぼろいアパートに母と二人暮らし。母は毎晩俺をキッチン近くの手すりに首輪でくくりつけ、きつい香水の匂いをまとわせたまま家を出て行った。母が家にいないと途端寂しさに襲われ俺はいつも泣きじゃくる。栄養失調でマトモにちからのはいらない手じゃあ、首に食い込み喉を圧迫する首輪は外せない。けど、幼い俺には母だけだった。いくら泣いても戻ってこない母の名前を延々と叫び、なんべんも咽(む)せ首輪が気管を絞めても、もがくことはやめなかった。

「お母さあん」

「お母さあん…」



ある朝母が酒浸りで家に帰ってきた。いつもの光景だったが、俺は嬉しくて母の名前を呼んだ。

「お母さんお帰りなさい!」

しかし今日の母の様子は、どこかおかしかった。目のまわりは赤く腫れ、朦朧とした足取りで俺の前にふらふら歩み寄ってくる。そして母は俺の顔を見た途端突然鬼のような形相になり、俺の髪を思い切り掴んだ。

「…っ、あんたのせいで!!!」

「お母さん痛い!!」

ぶちぶちと、掴まれた髪から嫌な音がする。

「痛いっ!」

「私の方があんたより何倍も苦しいのよ辛いのよ!なのにあんたは毎日毎日ヘラヘラ笑って…馬鹿にするのもいいかげんにしろ!」

「お母さんやめて…っ!!」

母は涙を流しながら俺の顔を何度も殴った。元からある痣のうえに、また新しい痣がきざまれていく。何十回も殴られ床に赤色が散って、ようやく鼻血がでていることに気づいた。

「あんたも本当は私のこと馬鹿だと思ってるんでしょ…!高校だって中退して、彼のためにたくさん働いたのに。あんたができたらビビって連絡もつかない。堕ろそうとしてもみんなが邪魔してくる」

「……………」

「あんたが産まれてからはもっと不幸。新しい彼ができてもあんたがいるって話せばみんなどこかに消えちゃうの。友達がオシャレしたり旅行に行ったりしても私はいけないできない」

「……………」

「…ねえ、死んで。じゃなきゃ私が死んじゃいそう。百鬼はお母さんが好きなんだもんね?大好きなお母さんの言うことならなんでもきけるイイコだもんね?」

母は笑って俺の髪を撫でる。何も考えれなかった。大好きな母が泣いているのがただ辛くて、産まれてしまった自分が母を苦しめているんだ、そう朦朧とした意識の中で思えば、涙が止まらなくなった。
そして母が俺の頭を、近くにあったまな板で思い切り殴ろうと、両手で振りかざす。

「お母さん大好きだよ」

声にならない声で呟き、強い衝撃のあと、意識は黒に飲まれた。



目が覚めると、横の壁に貼られたカレンダーはふたつきも進んでいた。処理能力の鈍った脳みそがなかなか状況を理解しようとしない。ぼうっとしたまま、目だけで周囲を見回してみる。
断続的に鳴る電子音。汚れひとつないリネンのシーツ。明るい室内はぐるりと白いカーテンで覆われ、点滴が絶えず俺の中に薬品を押し込んでいた。

「先生!百鬼君の目が覚めました!」

聞いたこともない女の声が俺の名前を呼ぶ。産まれてこのかた、母に『百鬼』なんて滅多に呼ばれた経験がないから、どうもむず痒い。そうしている間に、ぞろぞろと白い服に身を包んだ人間が俺を取り囲み、その中のひとりが声をかけてきた。

「百鬼君、聞こえるかな?」

「     」

"うん"。そう言ったはずなのに声がでない。首をかしげ喉元を触る。そうすると、眼鏡をかけた胡散臭そうな男が、ああそうかと呟き笑った。

「今はまだ声がでないんだね」

こくり。頷く

「じゃあ今みたいにうなずいてくれるだけでいいから」

こくり

「ここは病院。わかるかな?」

こくり

「百鬼君は、2ヶ月前にお家で倒れているところを警察の人が見つけてくれて、ここに来たんだよ」

うなずかない。どうして警察が俺の家に?お母さんは悪いことなんてしてないのに。

…お母さん?

そうだ。お母さんはどこ?どうして居ないの?いつも出かけるのは夜なのに。まだお昼でしょ?お医者さんがお母さんをどこかに隠したの?ねえ、どこなの?

誰かを探すようにしきりに目玉を動かし小さくもがく俺を見て、医者と看護婦が気まずそうに目配せする。そして寝たままの俺の肩を優しく掴んで、医者は言った。

「君はお母さんに殴られて殺されかけたんだよ。そして隣のお家の人が変な音がするから君の家に行ったら、お母さんが倒れてる血まみれの君を包丁で刺していて、隣のお家の人が止めてくれたんだ」

そんなことはどうでもいい。お母さんはどこ!?きっと今もどこかで泣いてる。なぐさめてあげなくちゃ…そして、死ねなくてごめんなさいってあやまらなくちゃ。

「すぐに隣のお家の人が救急車を呼んでくれたんだけど、君は重傷すぎて今までずっと眠ってたんだ」

そういうと医者は俺の頭を撫でて「とりあえずしばらくは安静にしておこうね。またくるから」と言って、看護婦に点滴を取り替えるよう指示すると、部屋から出て行った。

それからしばらくは寝て過ごした。穴だらけの体は傷がふさがっていても、動くと激しく痛む。リハビリを続けていると、そのうち一人で歩けるようになった。だが依然として声は出ない。

見舞ってくれる友人も親戚も居ない俺は、気持ち悪い程小綺麗な院内をよく徘徊した。そうすればどこかで母に会える気がしたから。しかし何ヶ月たっても母は俺の前に現れなかった。ひどく怖くて寂しい。医者も看護婦も笑うばかりで何も言ってこない。



ある、寝つけない夜のことだった。
患者のいない病院の廊下は、普通の人間からしたら不気味なんだろうが、今の俺には落ち着きという感情以外何も与えてはくれない。何をするでもなくいつも座っている椅子のある場所へフラフラと歩いて行く。すると、近くにあるナースステーションから夜勤の看護婦達の談笑が聞こえてきた。無意識に耳をすましてしまう。

「ねえ聞いた?」

「なに?」

「×××号室の百鬼君のお母さんの話」

「しらないしらない!」

"お母さん"という単語に体が無意識に反応して、ナースステーションに駆け出しそうになったが、なんとかこらえる。この人達は、お母さんがどこにいるか知っている。

「今男の人と一緒に×××っていうアパートで暮らしてるみたいよ」

「うそー!」

「ほんと。裁判にかけられたけど、精神的に母親の方もガタガタで正常な判断が難しかったとかで、無罪だったじゃない?そのあとすぐにふたりで暮らしはじめたみたいよ」

「信じられない…」

「お腹の中に赤ちゃんもいるって」

「じゃあ百鬼君はどうなっちゃうのかしら」

「さあ…話せるようになれば病院には居させてあげれないだろうし。施設かなあ」

「かわいそうに」

「でも私達じゃどうしようもないって。ほら、見回りいこ!」

「きゃー!夜の病院って怖いよね…」

「こらくっつくな!」

「ごめーん!」

看護婦の居なくなったナースステーションを見つめて何分経っただろう。体が動かない。お母さんは、もう、俺を、迎えには、こないんだ。お母さんは死ねなかった俺なんてどうでもいいんだ。もう俺のことなんか忘れちゃった?今はお母さん幸せなのかな。俺がいないから。でもでもでもでもでもでもでもでもでもでもでもでも



『赤 ち ゃ ん っ て な に ?』



俺はお母さんに愛されなかったのに。新しい赤ちゃんはお母さんにいっぱい愛されるの?

ようやく声が出た。しかし今の俺は気づかない。俺が愛した母は今、知らない子供を愛そうとしているんだ。子供なんて二度と要らないって言ってたのにどうして。その事実に、とうとう俺の中でぎりぎり状態を保っていた精神の線が、切れた。

自分が何をしているのかわからないままひたすらに暴れた。言葉にならない叫びが廊下に響き渡り、それに気づいた医者や看護婦が俺を取り押さえベッドに拘束する。しかし尚も頭を振り乱し呻(わめ)きつづける俺を見て、医者はため息をつきカルテになにかを書いた。

次の日に俺は、精神病棟へと部屋を移される事になった。


大好きな人間を失った俺にはもう何一つ残っちゃいない。ボサボサの髪を直しもせず、ただ白い病室の壁を毎日見つめ続けた。寝つけない日々のせいで、目の下には隈。元から痩せていた体はさらに薄くなって、歩くのもつらかった。
自分と同じような人間がたくさんいるこの病棟では、俺もただのキチガイのひとりでしかない。白い紙の上に打たれた記号のように、存在する意味もなく毎日無駄に生きている。



病棟を移されて何年経ったろう。俺はとうとうこの病院を退院することになった。病院側も重症でない人間のためにベッドを使いたくなかったんだと思った。

「退院おめでとう」

貼りつけたような笑みが鼻につく。受け取った花束は早々川に投げ捨てた。馬鹿が。俺はまだ諦めちゃいない。お母さんはきっと俺を待ってる。離れ離れになって寂しいって、俺と同じ気持ちでいっぱいだったはずだ!
昔ナースステーションで聞いた住所はしっかり覚えていた。久しぶりに会うと緊張するな…精神病棟に入れられてたのは内緒にしないと、心配させたくないし。

そうしてようやくあるアパートの前に着いた。身なりを整えインターホンを鳴らす。

がちゃり

「は―い…」

「お母さん」

久しぶりに見た母は随分とふくよかになって、昔よりだいぶ綺麗に見えた。半分ほど開いたドアから顔を覗かせ、戦慄した表情のまま震えている。

「久しぶり。会いたかったよ」

ドアに手をかけ思い切り開いた。一歩進むと後ずさる。それを何度か繰り返し、とうとう部屋の奥の壁際まで追い詰めた。土足だろうが関係ない。親子の感動に水を差すようなモノは要らない。

「な……あ……」

「寂しかったでしょ?俺も病院でずーーっとお母さんの事考えてた。寂しかった」

「い、いや…やめて…来ないで」

「自分の子供刺すなんて辛かったろうに…きっとあの時付き合っていた男に色々言われてイライラしてたんだよね。でも安心してよ、俺は気にしてないから。お母さんなら許すよ」

笑って母を抱きしめた。もう俺は彼女より背が高い。しかし母は意味不明な叫び声をあげ俺を突き飛ばした。

「おかあさ……」

「やめて!!あんた…私の幸せをぶち壊しに来たんでしょ!?私が…わ、私があんたを刺したから…その復讐でっ」

復讐?何を言ってるんだ。それにさっきから、彼女はなにかを庇おうとしているそぶりばかりみせる。その後ろの部屋には、なにがあるのかな?

彼女をなるべく優しく突き飛ばし部屋の扉をあけた。そこには―


「やめてっ!!私の大切な赤ちゃん!!」


ベビーベッドに横たわり、安らかに眠る小さな人間。大切な赤ちゃん?俺は涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった彼女のほうを見て、笑った。

「親子の感動に水を差すようなモノは、要らないでしょ。ね、お母さん」

ゴキリ

赤ん坊の首は意外と簡単に折れるものだ。昔彼女が俺にしたように、キッチン近くの手すりに叫ぶ母をくくりつけて、泣き声をあげる赤ん坊を殺した。

「お母さんに愛されるのは俺だけでいいんだよ」

そして母のもとに戻る。懐かしい鬼のような瞳は俺を睨みあげ続けた。やめてよ、お母さんの泣き顔なんてみたくないんだから。

「どうして泣くの」

「私の子は、」

「俺でしょ?」

「あんたみたいなキチガイ、私の子どもなわけないじゃない!!死ね!どうしてあの時ちゃんと死ななかったんだ!」

あまりに暴れるもんだから、キッチンから包丁を持ってきた。母は一気に青ざめる。俺は笑って刃先を剥き出しの太ももに押し当てた。

「こういうの、お母さんに教わったんだよ」

「やめっやめて…お願いだから殺さないで…」

「殺す?面白い事言うなあ。お母さんには俺だけでしょ?そんなひどいことしないって。ただ―」

「―――――――!!!」

「逃げられたら困るから要らないところは全部切っちゃおうね」



何時間経っただろう。血まみれの床や壁。そこには四肢を失い息絶えた女がひとり。散々痛いと喚くもんだから、なるべく痛くないようゆっくり切ったのに。死んでしまった。結局俺は母に、一度も何かを与えてもらう事などなかった。全身が激しく渇望する。

「どうして」

がちゃり

「ただいま」

血まみれで呆然としているところに、知らない男が現れた。真面目そうには見えない見た目。リビングに続く扉を開け硬直。俺と目が合うや否や、赤ん坊の元へ駆けて行く。ほらみてお母さん。やっぱりあんたは俺だけにしか愛されてなかったんだよ。赤ちゃん殺して正解だったね。今の生活が幸せだと錯覚するのは体に毒だ。お母さんは俺と居るのが一番幸せなんだから。

「おまえっよくもぉぉぉ!!」

赤ん坊の様子を見に行った男が、憤怒の表情で俺を突き飛ばし馬乗りになってくる。目障りだったから、右手にもった包丁で思い切り首を刎ねた。案外簡単に体から離脱された頭が、ゴロリと床に転がる。血をスプリンクラみたく噴き散らす重い胴体を蹴り倒し、俺はゆっくりと立ち上がった。

なんだかすっきりする。
しかし心は渇いたまんまだ。

いつだって求めてばかりだった俺は、気づけば自分から求めることを嫌うようになった。求めても見返りがないという現実は、意思とは関係無しにトラウマとなって体の奥底に根をはっている。だからどんな理由だろうと俺はずっと誰かに、純粋に求められたかったのかもしれない。

俺には一切与えられなかった愛情を、与えられている赤ん坊が憎かった。母が、俺だけのモノじゃなくなったのが許せなかった。
風呂場を借りて家を出る。
これからどう生きていくかなんて、考えたくもなかった。






















(産まなきゃよかった)

それでも俺は幸せだったよ。
ねえ、お母さんは?
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