小話

◎エリオット/トカゲキス
◎エリオット視点
◎エリオット過去


「奥様、産まれましたよ!奥様に似て可愛らしい女の子です」

「我が家にもようやく女の子が産まれたのね!」

「よくやった。これで外交のさきへ嫁に出して繋がりをもつことができる」

「あなたったら…ふふ、それにしても可愛い子」

「奥様、旦那様…失礼ですがお名前はもうお決めに?」

「エリオット、ですよねあなた」

「エリオット…エリオットお嬢様!なんて可愛らしいお名前でしょう。エリー奥様と、旦那様のお名前のオットーからお取りに?」

「まあそうなるな」

「カレント伯爵家唯一のご令嬢。きっと素晴らしいご淑女にお育ちになりますわ。ふふ…今から楽しみです」






逃走心と迷走







「………エリオット。エリオット!!」

ここは楽園の中心に程ちかい高級住宅地。エリオットとは、その住宅地に長年腰をすえ名を馳せてきたカレント家の長女、つまり私の名だ。
父は、カレント家が何代ものあいだ受け継ぎ栄えてきた貿易会社の社長をしている。母はまだ若い女性でありながら、裏街でも名のある議員の秘書を長年担当しており、周囲からの信頼も厚い。
私の上にいる長男は父の仕事を継ぐため父の会社に。次男は母が世話になっている議院に目をかけてもらい、順調にエリートへの道を進んでいる。

「エリオット!!」

「聞こえています!」

しかし当の私はというと。

「あなたまた創造主様へのミサに参加しなかったんですって?」

「強制参加じゃないはずですが」

「由緒ただしいカレント家の長女として、ミサに参加しないなど許されるわけないでしょう!まったく、毎回毎回…」

「それはこちらのセリフです…お母様、私は転生支持者じゃない。だからミサには参加しない」

「エリオットあなた…なんておそろしいことを!!」

楽園に産まれ楽園で育った人間の大半は、創造主ニニ=ロッソを『神』として崇める転生支持者だ。我が家もそれは例外でない。
とくに、楽園の女性は創造主にたいしての崇拝心が異様につよく、一種の"憧れ"を胸のうちにいだく者も多いそうだ。

しかし私はそんな環境に育ち、幼くして強烈な"創造主崇拝教育"を受けてきたにもかかわらず、はんたいに転生支持者を嫌悪(けんお)し反発ばかりくりかえす人間になってしまった。
毎週末ちかくの教会で行われる『ミサ』にも一度も参加したことはない。幼いころ、教会のうらがわにあるちいさなガラス窓から興味本位で聖堂の中をのぞいたことがあった。そこには分厚い本をひらき、無機質な顔で祝詞(のりと)を食み続ける人間がひしめいて、まるでみんな麻薬中毒者のよう。私はそれに戦慄(せんりつ)さえしてみせた。

そんな私にむかい、母も父も兄達も友人もだれもかれもが指差しがなる。

「お前はおかしい!!」

小学生のころ、私は私を責めた。
『どうして私はみんなみたいに創造主様を好きになれないんだろう』『好きにならなきゃお父様にもお母様にも愛してもらえないのに』

中学生のころ、私は私がわからなくなった。
『私はおかしいのだろうか』『私がおかしいから、周囲の人間は私を侮蔑(ぶべつ)するんだろうか』

そしてあきらかに楽園で異質だった私は長いあいだ周囲からいじめまがいの行為を受けつづけてきたが、今年の春、なんとか高等学校を卒業し家族の反対を押し切り家を出ることになった。

もちろん、家を出たいと両親に告げてからは毎日反対の嵐。なんせ私はただ家を出たいわけじゃなく、最終的には『北区警視団』に就職するのが目的だったのだからまあ当然と言えば当然の反応だった。

しかし私は負けない。
楽園の住人は、自分達のことを特別視しすぎている節がある。楽園以外の区など正直どうでもよくて、楽園以外に住む人間は皆『外の人間とおなじ、下劣でおぞましい下級生物なんだよ』と、両親も教師も友人も誰も彼もが口をそろえてそう言った。
だから楽園の住人は他区から搾取し続ける。労働を強いる。

生まれた場所の違いで、どうしてここまでの差別がおきなくてはいけないんだ。

だから私は楽園を出たいと思った。この黒く染まりきった箱庭から飛び出て、ひとりの人間として、きちんと現実に向き合いたいと思った。そうする中で自分にできるなにかを見つけられたなら、死ぬまでそれをやり続けていきたい。そう、固く心に誓ったのだ。

両親とは「恥さらしだ」として縁切り同然のまま別れたが、確実に家を出た私のことをずっとどこかで監視しているはず。両親はそういう人間なのだ。

そして私は北区の住宅地に部屋を借り、ながく住みなれた楽園を去った。



カレント家の一人娘が北区に移住したという話は、親戚一同すみからすみまでもちきり。連日好奇心にかられ着信する携帯電話が目ざわりで、引っ越しが完了したその日に叩きわった。
新しい携帯電話を買い、一件も登録されていないアドレス帳をひらいてはとじる。ふと来たばかりのこの街を散策してみたくなり、時間帯を見はからって無難な格好で外にでた。狂気に満ちた楽園からようやく解放された私は、そこであらためて故郷の閉塞(へいそく)さに驚く。

北区はそれほど楽園と変わりない街並みで、すこし無機質なおもむきの建物が目立つけれど、派手に飾られたオーナメントの裏側がすかすかのはりぼてばかりだった楽園よりマシだった。
幸せそうな顔の家族に、くすぐったげに目くばせしては握る手を強くする恋人。ときおり立ち止まり街路樹を写真におさめるおじいさん。歳老いた老犬とゆっくり散歩をするおばあさん。

どうだろう。
あの箱庭でまはず見ることのできなかった世界、景色。こんな素晴らしい街があったなんて。毎日が私にとっては感動の連続だった。
そして次の年の春、私は北区の警団員試験に参加し見事合格した。だが警団員になった私は、ここでようやくこの街の現実を知ることとなる。



警団員として裏街の最下層である南区に、先輩団員とパトロールに出た日のことだ。私はひどく驚いた。乱雑するボロボロの家や店、路面はゴミだらけで、申し訳ていどに植えられた街路樹は生いしげり見るも無残。そこらじゅうで浮浪者が寝そべり猥談をかわしている。"統一性がないという統一性"で南区はよどみ、ひしめいていた。
目の前でいくども起こる犯罪に動揺しきり体が動かない。付き添いの先輩は何の気なしににその横を過ぎてゆく。しかし報告書にはいつだって『本日南区異常なし』の文字。

「先輩。いいんですか?」

「なにが?」

「報告書に嘘を書いて」

「ははは…お前な、よく聞けよ?南区では毎日あんなのが100も200も起こるんだ。いちいち相手にしてちゃ時間がいくらあってもたりやしねえよ」

「でも…」

「お前出身は?」

「………楽園…です」

「楽園か。ならわかるだろ」

「なにがですか?」

「楽園と北区以外の人間は俺達とは違う。特に南区なんか相手にする価値もない。上の人間も諦めてるんだから、お前も気にする必要ないんだよ。楽園出身ならそれくらいわかるだろ」

「……………」

警団に就職して1年が経った。そして同じように西区東区とパトロールをしてきたが、どの先輩も変わらず同じような言葉ばかり吐いた。日増しに自分の中の疑問がおおきくなってくる。私はただただ、己の無力さと焦燥感にさいなまれた。

「このままじゃいけない」

裏街を守る警団が腐ったままじゃ、どの区の人間も幸せになんてなれない。

私は思う。

「善良な市民は生まれた場所や環境で差別されるべきではない」

志を同じくする人間をあつめ、私が、私がトップに立たなければ。警団を変えなければ。



こうして目的を確立した私は、まるで水を得た魚のように、まいにち猛烈に働いた。昼夜問わず各区を見回りして、一般市民が安全に暮らせるよう動き続けた。会議に出られる地位までのぼりつめれば、たくさん改正案を出して実現のため努力した。部下の名前をすべて覚え、きがねなく会話ができるよう、本部の雰囲気を変えた。
こうして私は何年も身を削り続け、ようやく北区警団のトップである"長官"になった。

しかし、北区のトップになったからこそ、現実という苦痛や己の至らなさに涙を流した日もたくさんある。長官である私を上から操ろうとする人間の存在もあった。

楽園の政治家達だ。

なにより保身を優先する政治家達にとって、自分の身より市民の生活を重んじる私の存在はとてもわずらわしかったらしい。私の後釜を狙い、何人もの人間が上から圧力をかけてきた。もし私がこの圧力に屈してしまったら、また南区の住民含め各区の生活がおびやかされてしまう。

だがどうだろう。
ある年突然総監が解任され、トカゲキスという不思議な男が私の下にはいってきたとたん、ぱたりと上からの圧力がなくなったのだ。私は不思議でたまらなかった。トカゲキスと政治家達が裏で手を取り合っているのはなんとなくわかっていたが、内心が読み取れない表情で「長官なんかに興味ありませんよ」と言われてしまえばどうしようもない。

そしてきわめつけはあの事件だ。


おおっぴらには、転生不支持者による創造主暗殺未遂事件とされているが、実際は私の次にちからを持った"トカゲキス総監"が引き起こした目的不明の発砲殺人。

マスコミも政治家も専門家もこの不可思議な事件を詮索しようとしないのは明らかに異常で、トカゲキスの息がかかっているのは一目瞭然だ。なにより個人的な感情も接点もなにもない、創造主の側近である夕霧氏の婚約者を、トカゲキスがアッサリ殺したことが信じられなかった。

私がコイツを止めねば。
警団から引きずり落としてでも。



すこし前にトカゲキスに言われたことがある。

『実に楽園出身者らしい考え方だ』

『使命感に燃えるのは悪いことじゃない。けどあんたは全知全能でもないのにたくさんの人間を救おうとしている。使命感に神経が侵されている。俺は頭の悪い人間が嫌いだ。長官、俺を失望させないでくださいね』

『あんたにはまだ、使い道がたくさん残ってるんだから』

あいつは笑顔でそう言いはなった。
事件の後、長官室に呼び出した時もそうだ。無機質にぽっかりあいた銃口はこちらめがけ空虚を光らせている。ぎらくつケモノのような瞳が今にも私を喰い殺そうと、垂れる黒のすきまからゆれた。

『お前と俺とじゃ、すべてが違う』

『そう。長官はいつまでも長官でいればいい。それは俺のためでもあるし、人民の望みでもある』

『だが、俺の邪魔だけはするな』

ああ、彼はなんて純粋なんだろう。そう思うと涙が次から次へと溢れ出てきた。
私は、正直心の奥底では彼がうらやましかったのかもしれない。上から受ける圧力に負けかけ何度も気持ちのゆらいだ私とは、信念の強さがちがう。その信念の生む結果が利他的か利己的か、ただそれだけだ。

なにより、自分自身楽園の人間が大嫌いであんな考え方などしたくないとずっと思っていたくせに、彼に責められた時わずかでもこの地位から引きずり落とされれば、あのうとましい両親達から「ほれみたことか」と笑われてしまうんじゃないか、私はそれを恐れてしまったから。そんな自分が恥ずかしく、悔しかった。

私は今までずっと、なんのために必死で働いてきたのだろうか。もしかして本当は、私のことを否定ばかりし続けた両親をただ見返したいがために、その言い訳として「市民を守りたい」とほざいていたのだろうか。

けれど、それだけは認めたくなかった。
自分のやってきたすべてを、自分自身で否定したくなかった。結局私も、プライドばかりの滑稽な人間だったのだ。

「トカゲキス、お前は私とは正反対だな」

ひとりぼっちの長官室でぽつりとつぶやく。
もし今私が楽園の人間や、あろうことかトカゲキスにまで操られていたとしても、裏街の住民が安心して生活できるなら。

「望み通り、操られてやろうか」

それ自体が楽園的思考だと自分自身が泣き叫んだのを見はからい、銃痕の残ったまんまの剣先でその喉元を切り裂いた。




























(逃走心と迷走)

それでも私は、
この街と生きるわ。


32/67ページ