小話

◎シュゼット、メイベル、ロット
◎シュゼット視点
◎この俺の~、の視点逆転Ver.です



俺はたまに、可愛い可愛い飼犬が飼い主の言う事をちゃんと守っているか、チェックをする。バレてないと思って間違った事を続けると調子にのるからな。

今朝メイベルに、『今日は講義をいっぱいに詰めてあるからそっちの棟には行けない』旨を伝えておいた。勿論普段より講義の数は多いが、アイツの所に行けない程ではない。

「さあ、ちゃんと言いつけは守れているかな?」

クツクツと笑って、俺は1限を担当している教室の扉を開いた。





ようやく昼休み、講義を終え生徒の質問を何個か聞いてから、俺は早足で駐車場へ向かう。多少疲れはたまっていたが、我慢して車へ乗り込む。この大学は無駄に馬鹿でかいからな…

しばらく車を走らせメイベルのいる棟へ着くと、俺は普段アイツが一緒に昼飯を食べている仲間を見つけ声をかけた。

「よう」

「あっ先生!」
「こんにちはー」
「午前の講義終わったんですか?」

「ああ、まあな…ん?メイベルとロットは?」

「今日は受ける授業が違うし、あっちまで行くのがめんどうくさいんで」
「別々に食べようってメールしたんだよね」
「うん、それにあっちにもまだ何人か友達いるし」

「ふうん…」

俺は少し考えてから生徒にお礼を告げて、早足にメイベルを探し始めた。嫌な予感がする。

「さて…」

メイベルはいい子にしているだろうか。もし守れていたら今日はたくさん褒めてやろう。でも、守れてなかったら…

「…どこだ?」

目まぐるしく流れる人波に逆らうように、俺は前へ進んで行く。

(今日は天気が良いから外か?)

だいたいアイツの思考回路や行動パターンはわかってる。十中八九外だ。
綺麗に切り揃えられた植木や、青々と伸びる芝生、だけどそんなもん興味ない。今は――――

「ああ、いた」

俺の視線が捕らえたのは、ロットとベンチに並んで、楽しそうに弁当を食べているメイベルだった。蓋の上に乗ったおかずを摘んでいるという事は、アイツにわけてもらったんだろう…。弁当忘れたのか。


《飯は絶対集団で食べろ。ふたりきりになるとなにされるかわかんねえからな》

《っう……は、い…》


あれ程教え込んだのに、どうして約束が守れない。始めは小さく燻っていた俺の中の炎は、いつの間にか真っ黒い液体になって体中を駆け巡る。

「…悪い子だな」

俺は無表情のままゆっくりメイベルへ近付いていった。

始めに気が付いたのはロットだった。さっきまで笑っていたその顔は、今では驚きと焦りで固まっている。
そして俺は、優しい笑顔を浮かべながらメイベルの前へ立った。

ゆっくりと顔を上げるメイベルと視線が合った瞬間、コイツの顔から一気に血の気が引いていくのがわかった。はは、今にも倒れそうだな。

「ど…どうして」

元から大きな瞳を更に大きく開き、小さな唇は小刻みに震えている。

そんなに怖いか、俺が。

相変わらず優しい笑顔をメイベルへ向けていると、突然ロットが立ち上がり、親友を守るような口調で俺に言った。

「せ…先生違うんです、彼が弁当を忘れて…」

弁当を忘れたからなんだ。
体の中身も全部俺の物だとあれ程教えただろ、それに周りの奴に変な気を起こされたらたまんねーから、絶対二人以上で食えっつっただろうが。

ロットは親友をかばったつもりらしいが、逆効果だ。この場でメイベルのその細い体をしたたかに殴り飛ばして、首を絞めてしまいたい。

だけど俺はロットに笑顔を向け

「そうか、ロットは優しいなぁ、じゃあ俺は次の講義の準備があるから、メイベルゆっくり食べろよ?」

そう言って、メイベルの頭を撫でた。

勿論耳元で忠告しておく。

「全部の講義が終わったら、すぐ家に帰れ、わかったな」

逃げようと思えば逃げれるんだけどコイツは逃げないからなあ…。あぁ、今日は楽しみだ。

メイベルの思考を断絶するように、限り無く無表情のまま耳元から顔を離す。もうコイツの目は俺しか捕らえていない。きっと周りの雑音すら聞こえていない。

ああ、これから授業が終わって家に帰るまで、きっとコイツの頭の中は俺で一杯なんだろう。少しだけ胸がすっきりして、次の授業で使う数学の公式もすんなり頭に入りそうだった。


仕方なかった。俺がシュゼットの言いつけを守らなかったからだめなんだ…。

俺はシュゼットが去ってからもずっと恐怖で思考が働かなかった。

ただ怖い。

ロットは気遣ってくれていたみたいだけど、もう何も考えられない。その後ずっと茫然としたまま過ごして、気付くと家の前に立っていた。ノブを回すのが怖い。

(もう帰ってるのかな…)

指先が震えて、どうしようもない。
そしてギュッと目をつむり、覚悟を決めノブへ手を掛けようとした―その時だった。

―キィ

ドアが勝手に開いたと思うと、目の前に煙草をくわえたシュゼットが立っていた。

「おかえり」

にっこり笑ってそう言ってきたけどもう無理だ。

―怖い、怖い、怖い!

シュゼットから逃げるように体を反転させて、一歩踏み出そうとしたけれど、一瞬の内に手首を掴まれ、ものすごい力で部屋へ引きずり込まれた。

ガチャン

硬質な音が響いて、扉の鍵が閉められる。

―やばい、よけいに怒らせた。

目の前に立つシュゼットは、もう笑ってはいない。煙草を机の上にある灰皿に押しつけて、俺にゆっくり近づいてくる。

俺は無駄な抵抗だとわかっていたけど、尻餅をつきながら後ろへ逃げた。
背中に固い壁が当たる。

「シュ…シュゼ……」

―もう、駄目だ




シュゼットの怒りは相当だった。
何度も殴られ蹴られ、体中が悲鳴を上げて呼吸も上手くできない。

(もう、どうでもいいから)

早くこの痛みから逃れたかった。それだけが頭の中を支配していく。したたかに打ちつけた鼻が痛い、止まらない鼻血がどんどん服を汚していく。
シュゼットに無理矢理髪を引っ張られ上を向かされた、痛かったけど…彼は笑みを浮かべて、とても幸せそうだった。

(あ……笑って…る)

シュゼットも少し疲れたのか、息が上がっていた。

頭がぐるぐるしてよくわからない、だから俺は必死にシュゼットの望む答えを返し続ける。

(早く抱き締めてほしいよ、撫でてほしいよ)

ちっちゃな子供みたいな願望すら今の自分には叶わなくて、この苦しみを、痛みを乗り越えなきゃ、シュゼットに愛してもらえない。

もう混乱して何を自分で口走ってるのかわからないまま、俺はシュゼットに抱き上げられて、膝の上に座らされた。

「今度から金無かったら俺に言え、弁当もなるべく一緒に食おうな」

ああ…優しいシュゼットだ。彼の温もりに安心して、涙が溢れてくる。

「愛してるよ」

駄目だ。やっぱりこの人からは離れられない。好きすぎる、愛しすぎる。

俺もきっと歪んでるんだ。
こんなにされても嫌いになれない。むしろもっと好きになっていく。

「好き…っ、しゅ…しゅぜっと…ヒグッ…俺、前よりも、もっと…っ良い子になるからっ…ヒック」

「うん」

抱き締める手に力がこもる

「だ…か、らぁっ…エグ…嫌いに…ならないでぇっ…ヒック…やだぁ…やだよぉ…」

「嫌いになるわけないだろ?」

「っう…ほんと?ほんとに?」

今は不安で一杯だった。とにかく離れたくなかった。離れるのが怖い。

そんな俺を安心させるみたいに、泣きすぎて赤く腫れた瞼に唇を落とし、彼は笑った。

「お前は俺がいなきゃ駄目なんだよ」

「知ってるよぉ…」

「俺もお前がいなきゃ駄目なんだよ」

苦しそうにシュゼットは笑う、彼も今の俺と同じ気持ちなんだろうか。

「ヒグッ…ぎゅってしてぇ…なんかね、ここがぎゅうってなって痛い…痛いよ…」

俺は心臓を押さえて、シュゼットへまた腕を絡める。

シュゼットは俺の望み通り、泣き疲れて眠るまで、ずっとずっと抱き締めていてくれた。

意識が途切れる刹那
「ごめんな」って
聞こえた気がして
落ちる瞼をそのままに
俺は小さく、笑った。



俺達はずっとこのままでいいんだよ
『ごめん』なんて要らない
胸の中にぽっかり空いた隙間を
お互いがお互いで満たしていく

ただ俺達の中に空いた穴は
普通の人達より大きいみたいで
だからみんなより不安で怖がりで
誰よりも『安心』を求めている。

愛の形はみんな
優しくて柔らかいわけじゃないから

だから俺達はこのままでいいんだよ

尖った愛を携えた弱い二人は
居場所を求めてお互いを痛めつける
埋まらない胸の窪みを見ては
苦しみに眉をひそめるけど

だいじょうぶ

二人なら

その穴すら越えて
愛していけるさ
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