小話

◎トカゲキス視点
◎トカゲキスの過去



俺は18歳まで南区にある孤児院で生活していた。親の顔も知らず育った俺にとって、孤児院は『すべて』だった。

とくにその孤児院で働く一人の女性には、格別の思いがあった。友達を作ろうとしない俺の側で毎日いろんな話を聞かせてくれたり、なにか間違った事をすれば彼女は誰より本気で俺を叱ってくれた。
彼女はいつでも俺と対等に向き合い、まるで肉親のように接してくれたのだ。

そうしていつのまにか俺は、彼女にのみ心を開くようになった。彼女の前だけでは心の底から笑い、嘘などつかず、彼女が俺にするようありのままで接する事ができる。
彼女に淡い恋心も、抱いていた。
俺は幼いながらも世知辛い世の中をひとりで生きぬいてきた。しかしいくら考えが大人びていても、言葉は直情的で年相応に幼い。月日がたつにつれ恋慕の思いはつのるばかり。






ポラロイドにボクを閉じこめて






そして俺は18歳になった。
俺の住む孤児院では18歳になると自立して、孤児院を去らなければならない決まりになっている。
すでに孤児院を出る頃には背も伸び、ひとりで生きていけるだけの行動力と知識も備わっていた。

「トカゲキス、今のあなたならもう、じゅうぶん一人で生きていけるわ」

そう、門の前で笑う彼女に俺は酷く胸焦がれる。もう彼女の傍に居られない現実には蓋をして、目をそむけたくもなった。
いつのまにか追い越していた彼女の背も、華奢な体も、やわらかい髪や優しい瞳とも、今日すべてと決別せねばならない。


『すき』


この二文字すら口に出せない自分が酷く拙く悔しかった。

「さようなら、今までありがとう」

呟き、院をあとにする。
頭の中にべったりはりつき思考の邪魔ばかりする彼女を、ためしに何度も殺してみた。
だが、いっこうに死ぬ気配はなかった。




孤児院から出た俺は、彼女の期待に恥じないよう真面目に働いた。慣れない人づき合いに社交辞令とおべっか。そんな生活がしばらく続いたある日、身も心もボロボロになった俺はふと、孤児院に顔を出してみようと思った。孤児院を出た子どもは、1年経てば院へ遊びに行く事ができるのだ。

ひと時も忘れる事のなかった懐かしい彼女の顔が、腹の奥底から期待と不安にまみれせりあがってくる。薄汚い路面すら、なないろの星屑たちが舞い踊り、いろとりどりの花が咲き乱れているようにも見えた。

孤児院への道の途中、血相を変えて走る郵便配達員から一枚の紙きれをおしつけられた。いぶかしげな顔のまま目で配達員を追うが、配達員はその他の通行人にも同じように紙きれをおしつけている。
俺も首をかしげながら紙に書いてある文字を目で追った。


『創造主様が再転生!!!』

『個人の価値観と宗教観念が発達し分岐した先の時代、転生不支持者が起こしたデモに見向きもせず、創造主様が転生を果たした。』


どうやら創造主様とやらが緊急で依代を交換したらしい。政治事にはあまり興味はなかった。景気が良くなろうが悪くなろうが南区にはそれほど関係のない事だから。
俺はその紙きれを、最後まで見る事なく手放した。




ざわつく街を縫うようにしてしばらく、ようやく孤児院についた。しかし様子がおかしい。
いつもは院の外にまで子どもたちのはしゃぎまわる声や生活音が響いてくるのだが、今日に限ってまるで死んだように静かだ。
不気味に思いつつ院の扉をゆっくりと開く。

俺は面食らった。

皆、泣いていた。

優しく朗(うら)らかで、笑っている所しか見たことがないあの院長が、声をあげて泣いている。院長に取り縋るようにして幼い子供たちも、おなじく慟哭(どうこく)していた。
事態が飲み込めない。
異様すぎる院内の空気に首を絞められたような気持ちのまま、俺は院長の元へ歩みよった。

「こんにちは院長先生」

「トカゲキス…」

俺の姿を目にとめると、院長は更に激しく泣きわめく。
そうしてしばらく、俺は院内に彼女の姿が見えない事に気がついた。恐る恐る、しかしなるべく優しく、努めて冷静に、院長へ疑問を投げかける。

「院長先生、セネシオは?」

セネシオとは俺が恋慕する女性の名前。その名前を口にした瞬間、嫌な予感ばかりが体中をはいずり回った。先程手渡された紙に書かれていた文字が脳みそを揺らす。
聞きたい、いや聞きたくない、聞きたい、聞きたくない、やめろ、教えて、教えないで、真実を、嘘を、現実を、虚構を。

「セネシオは、楽園へ…」

見開いた目が早速乾きはじめた。
心の奥底ではわかっているのに、現実を見ようとしない体がせわしなく逃避を選ぼうともがく。

「ああ…移住、したのか」

「違う…違うよ。選ばれたんだ。セネシオは…セネシオはね、"選ばれたんだよ"、トカゲキス」

院長もまるで自分に言い聞かせるかのように、一言ひとこと噛み締め、声帯から言葉を搾り出した。
俺の耳にも、確かに院長の言葉は届いた。突き刺さった。地面がゆらぐ、子ども達の甲高い泣き声がぐらぐらと世界をふるわせる。


『選ばれた』


それはつまり、創造主の新たな依代として自分の体を捧げるという事。自分の思考も体も今までの人生とこれからの人生も、命までもすべて投げ捨て、創造主へ捧げるという事。

そういえばセネシオは、数年に何度か開かれる創造主の祭典にも参加していたなあ。一度俺も院長に秘密で、セネシオと祭典に参加した事がある。入場するために名簿に名前や住所を書かされた気がした。
なるほど。あの名簿の中からランダムに女性を選んで、創造主の依代に使うのか。

じゃあ、どうやってセネシオが清い体だと、処女だとわかった?
これも至極かんたんな話だ。
孤児院で働く女性は、教会のシスターと同等の扱いを受ける。孤児院の職員として働く限り、自分の純潔はきちんと守らねばならないのだ。

俺は自分の過去の行動すべてを責めた。
自惚(うぬぼ)れているわけじゃないが、院を出たあの日、俺が彼女に『すき』だと伝えていれば、もしかしたらなにか変わっていたかもしれない。
それかもういっその事、彼女に一生癒えない傷を残してしまうかもしれないが、無理矢理にでも犯して純潔を奪ってしまえばよかった。

そうすればこの世から、彼女の存在自体を失くさずにすんだのに。彼女を汚してさえいれば、彼女は選ばれなくてすんだのに。

悔しくて悲しくて、下腹でうずまくどうしようもない憎悪の感情が、出口を求め全身を焼いた。
ただ憎い。憎い憎い憎い憎い。

楽園は裏街の『癌(がん)』だ。
存在価値の薄れた創造主を一向(ひたすら)妄信し続ける信者の拠り所。惰性で他人の"命"を犠牲にしてまで"象徴"を守ろうとする転生支持者。

『たった一つの象徴を守ったせいで、今までどれだけの人間が苦しんできた?』


ああ、そんなのはどうだっていい。ただ転生支持者が憎い。楽園が憎い。

「セネシオ」

淀(よど)みの中でようやく導き出された、一等大事な感情。なんてシンプルな答えだろう。
俺のすべてが『黒』になったおかげで、完成されたクリアな世界。迷いはしない。迷うはずがない。

「セネシオ」

セネシオはもうこの世には居ない。居てはいけないんだ。たとえ中身が別人でも、彼女の体で生命を維持し続ける事など、俺は絶対許しはしない。彼女を選び、彼女の死を喜んだ人間と世界をすべて壊す。殺す。エゴのなにが悪い。

俯いたまま、院を背に俺は歩きだす。油臭い空気を思い切り吸い込むと、嗅ぎ慣れた懐かしい花の香りが微かにして

心臓がずきり、痛んだ。
































(ポラロイドにボクを閉じこめて)

君と僕だけの
思い出の海に沈んだまま、
ずっとずっと眠っていたい。
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