小話

◎有為/ヘアリー/エンガート/ライダウン/ジミーチュウ/ケレン
◎有為視点



低血圧のケレンが珍しく朝早に出かけてしまった土曜日。外はよく晴れ気持ちが良さそうだったので、俺も気晴らしに暖かい部屋から、肌寒い空気を裂き街へ出ようと思った。
深紅のコートを羽織りしっかり前を合わせる。ブーツを履いて、さあお出かけだ!

そして家から20メートルもしないうちに、俺の両手は抱えきれない程のいただき物でいっぱいになった。
しかしなんでもない。
これがいつもの光景なのだ。





おひとよしと人間のお話





困っている人を放っておけないのは生まれつきで、困ってさえいればとりあえず声をかけてしまう癖がある。そしていつの間にか助けた相手とすれ違えば、何かしら声をかけられ「お礼」といって毎回何かを手渡されるようになった。

助けると言っても多々ある。
腰痛のおばあちゃんの代わりに犬の散歩をしたり、調子の悪そうなおじいちゃんをおぶって家まで送り届けたり、少年の無くした家の鍵を陽が暮れるまで一緒に探したり、痴漢から助けた少女、北区からここまでやって来た迷子、果ては頑張っていた道路工事のおっちゃん達にコンビニで冷たいお茶を差し入れたりもした。

おばあちゃんやおじいちゃんはおまんじゅうや和菓子をよくくれる。貰うばかりじゃ申し訳ないからと、その辺のスーパーでお茶っ葉を買ってきて家に失礼させてもらい、一緒にその貰い物を食べたりした日もあった。
そして決まっておばあちゃん達は「本当の孫と食べているみたいだ」と嬉しそうに笑うのだ。


人の幸せそうな顔が好きだった。
取り立てケレンの笑顔が好きだった。
親も兄弟も俺を置いて楽園へ移住した為、俺は十代半ばですでにひとりぼっち。工事現場や日雇いで真面目に働いてもこの癖のせいでお金は減るばかり。ケレンを拾った時だって、道端で辛そうに咳込むその幼い姿を放っておく事ができず、気づけば小さな手をとり声をかけていたのだ。
こんな自分にいい加減呆れて物が言えない。でも、いままでやってきた自分のそういう行動全てを、後悔したくはなかった(勿論後悔した事はまだない)。

そんな昔のことを思いながら道端をほてほて歩いている間にも、両手はどんどんもらい物でいっぱいになってゆく。持ち切れないので少し悪いとは思ったが、お菓子類は近所の子供へ配らせてもらった。
案の定悪ガキは二回も列に並んでお菓子を貰おうとしたので、いつもするように軽くゲンコツをいれてやる。兄ちゃんにはわかるんだぞ!
どうやら反省したようなので、この前子供達にすすめられて2回やったガチャガチャの、不気味なヒーロー物の消しゴム人形を、そっと手に握らせておいた。

「有為の兄ちゃんありがとう!俺これ欲しかったんだー!」

「しっ!みんなにばれたらどうすんだ!」

「えへへ…」

「お前らが嬉しいなら俺も嬉しいよ」

無邪気に頬を染める子供達の頭をひとしきり撫で、俺はまた道を進みはじめる。今日は冬らしく風は冷たかったが、陽がよく照っていたので背中はぽかぽかあたたかかった。


南区を分断する大きな川の西側、その真横を俺はふらふら歩く。川は冷気を発して陽を反射しさらさらと流れる。北区からこちらまで流れ着いた大量のゴミが、不恰好に泳ぐ魚に見えた。

しばらく川の中でぷかぷか浮き沈みするゴミを見ながらぼうっとしていると、突然右腕を強く引かれた。慌てて俺は、腕を引いた人物の姿を確認しようと顔をひねる。
右腕を掴んでいたのは、氷の様な澄んだ水色がかったダウンコートに同じような色味のベレー帽を頭に乗せ、ゆるく巻いた真っ白な髪をたらした華奢な女の子だった。
俺が面食らっていると、女の子はニコリとも笑わず口をひらく。色素の薄い体に対して、唇は血のように赤い。

「お兄さん、私を買わない?」

――ああ。なるほど。
この辺りではよくある光景だ。金の無い少年少女は自分の体を売って金を稼ぐ。こんな華奢で可愛らしい風貌だと、かなり稼ぐんだろうな、このこは。
ケレンと同じくらいの年頃だろうか。そう考えると酷く胸が痛んだ。拾ったばかりのケレンはまさにこの女の子みたく心の中がとげだらけだったから。

何も言わず顔ばかり注視する俺に不信感を覚えたのだろうか、女の子は突然腕から手を離して背を向け走り出そうとした。

「待って!!」

俺は間髪いれずに女の子の手を掴み引き止める。身動きのとれなくなった女の子はジロリと、白い巻き毛の隙間から俺を睨んだ。ギラギラ光る青い瞳は恐ろしい程綺麗で、意識を奪われそうになった。
菓子以外のもらいものの中に確か……。空いた左手で赤いコートのポケットを乱暴にまさぐる。
あった!

「寒いでしょ。これ持っていきなよ」

差し出した手にはカイロ。
大きなサイズでしかも貼るやつだからかなり暖かいはず!
目の前に突き出された暖色に光る袋に女の子は目を見開いたまま硬直した。どうしたんだろう。もしかして見た目に反して結構な暑がり?

ふと、一瞬女の子の白い頬に朱が注した(ような気がした)。

「変な人」

そう小さく呟くと、ひんやりした視線はそのままに、女の子は俺の手からカイロをもぎ取ってどこかへ走り去ってしまった。

「余計なお世話だったかな…」

ははは…女の子の姿はあっという間に遠ざかり見えなくなる。一人になった俺は小さく笑ってまた歩きだした。もうすぐ夕暮れだ。


特に目的地もないので、気分転換に路地裏でも散策してみようか。
川沿いに走る家々の隙間には、いりくんだ路地裏への入口がいくつもぽっかり口を開けている。俺は適当に一番近い場所から、薄暗い路地裏へ体を滑り込ませた。

路地裏はやはり浮浪者で溢れかえっていた。見慣れたゴミまみれの地面でも、ここは取り分け汚い。
ネズミの親子が、猫ではなく浮浪者に捕まり生のまま食われそうになっていたので、慌てて残しておいた菓子とネズミを交換してもらった。
ネズミなんか食べたらお腹を壊してしまうだろうに。そう思いながら、ちうちう鼻先をこすり合わせるネズミの親子を路地へ放してやる。ネズミはこちらに見向きもせず、排水溝の穴へ一目散に飛び込んでいった。

しばらく歩いていると少しひらけた場所に出た。人通りは変わらず少ない。そこに、見たことのない小さな店が一軒ぽつんと建っていた。
雨よけのがんじょうなビニールでできた屋根は黄色と赤のストライプ模様、屋根の下には簡易式のガスコンロがあり、そこで焦げ茶色の髪の男が何かを焼いている。屋根や機材は所々ボロボロで、なんだか屋台のオバケみたいだった。
屋台らしき店の左側には小さな木のベンチがふたつあり、客はひとりも座っていない。

遠くからその店を見ていると、店の中の男が俺に気づき笑顔で手招きした。…悪い人ではなさそうだ。俺も笑顔で返し、ゴミをよけながら店の方へ歩いていく。

どうやら肉を焼いているらしい。もくもくと黒煙があがっているけれど一体なんの肉なんだろうか。
そんな俺の小さな疑問すらどこかへ弾き飛ばすよう、男は明るく「いらっしゃい!」と笑みを深くした。

焦げ茶色でストレートの前髪を真ん中からわけ、黒い眼鏡をかけた男の目は、ここらではあまり見ない不思議な虹彩をしている。ひょろり、男は長い指先で串に刺さった焼けたばかりの肉をこちらに差し出した。
鼻先を香ばしい匂いが打つ。

「素敵なお兄さん、どうぞ一本いかがですか?きっと一生忘れられない味になりますよ」

随分と饒舌な人だな。そんな事言われたら思わず買いたくなるじゃないか…!
けれど今の俺の財布には、そんな物を買う余裕など微塵もなかった。でも断るのも悪いし…ああどうしよう

悩んでいるとふと屋台の下に貼られているメニューに目がいった。どうやら肉以外にも飲み物が幾つか単品で売られているようだ。これなら肉より安価で手がだせる。
俺はごめんなさいと一度謝り、メニューの中で一番安い《カフェオレ》を頼んだ。しかし店主はありがとうございます!と笑って、屋台の奥に設置されている楕円の容器から、透明なプラスティックでできたカップへ液体を注ぎ、俺に手渡した。容器を受け取りお金を払う。
ふと、肉とカフェオレの組み合わせというものを想像して、少しだけ気持ち悪くなった

「すみませんなんだか、肉屋で飲み物だけって…」

「いえいえ!飲み物だってちゃんとした商品ですからね。買っていただけて嬉しいです」

「次はきちんとした持ち合わせで来ますから」

「はい、お待ちしております」

快活な店主と別れを告げ、俺はカフェオレを啜りながら来た道を戻る。
先程の浮浪者に「ありゃあ美味いね、あんちゃんありがとよ」と声をかけられたので、ポケットの中に残っていたカイロを1つ手渡した。代わりに何やらよくわからない真っ黒く細長い飴らしき物をもらったので、なんとなく口にいれてみたら、煤で汚れきった蝋燭だった。


川沿いの大通りに戻って来た。口のなかで煤けた蝋と、甘ったるいカフェオレの味が混ざってなんとも言えない。
そして舌を出し顔をしかめながら、公共のごみ箱に空の容器を突っ込んで、俺はまた川沿いを歩きはじめる。
先日、木にひっかかった風船を取ってあげた女の子とすれ違い、可愛らしい包装の飴玉をもらったのでその場で食べて(舐めると次々味の変わる不思議な飴だった)、代わりにまたカイロをあげた。
あと2枚手元にある。

すると今度は聞き慣れた声と共に、右肩を軽く叩かれた感覚がしたので俺はゆっくり後ろを振り向く。
声の主は、厚手のロングコートを珍しくきちんと着込み、黒いマフラーを巻いた笑顔のライダウンだった。真っ赤な前髪と、毛先に向かい薄桃色に染まっている白い髪が、風になぶられ舞い上がる。

「よぉ有為。お前こんな所で何してんだ?」

「いや、それ俺のセリフだろ」

「俺はただの散歩。南区って空気とか最悪だけどたまに来たくなるんだよな」

「そう?あ、カイロいる?」

「なんでカイロなんか持ち歩いてんだよ」

「もらった」

「ああ…」

なるほどと呟いてライダが歩きはじめたので、なんとなく後をついてみる。カイロを袋から出してライダの背中に貼ってみたら、すぐに剥がされ額に叩きつけられた。

「暇なのか?」

「うーん…言われてみたら確かに暇かも」

「じゃあ店で遊んでけよ」

「今金無い…」

「ボーナスはずんでやるって。ハイローラーには優しい店」

ライダは無邪気に笑って俺の背を叩く。
少し迷ったけど、ライダがそういうならお言葉に甘えようかな…。どうせ暇だし。俺は貼るカイロを手に持ったままこくりと頷いた。

そうして二人でたわいない世間話をしながら、南区と西区を繋ぐ『三の目大橋』を渡る。
橋の中程だったろうか、チラリと視界の端で、妙に目立つ黄色が映った。
十代後半かな?脚の長い華奢な青年が大きな荷物を抱え、向かいから歩いてくる。
髪はどちらかといえば黄色に近い金で、長い後ろ髪を少し前に持ってきているせいか目や眉はよく見えない。髪と同じ色のダウンベストを着たその姿は、派手でやたら人波に浮いている。
しかし当の本人は、両手に抱えた沢山の荷物で自分の姿を隠し、どこかおどおどしく周囲を気にしているようだった。

そのときだ。
青年が俺達の左を横切る寸前、まるで元から開閉式だったのかと疑ってしまう程の勢いで、右手の紙袋の底が荷物の重みに耐え切れず抜けてしまった。派手な音を立てて瓶やら卵やらが橋の上にぶちまけられる。青年は正に顔面蒼白。周囲を横切る他の人間は、青年と落ちた荷物とをチラチラ見やり再び進行方向へ視線を戻した。

「大丈夫ですか!?」

俺は迷わず青年の元へ駆けた。幸いポケットの中には、お菓子が入れてあった大きなゴミ袋が残されていたので、割れた瓶の破片やぐちゃぐちゃになってしまった卵のパックは、なんとかかたづけてしまえそうだった。
ライダが呆れた顔でこちらを見ている。俺は申し訳ないと声に出さず口パクで謝ったが、ライダは一度ため息をついてこちらに歩みより、しゃがんだと思うと割れた破片を拾いはじめた。

当の青年はというと、長い前髪の奥でオドオドと瞳を揺らし、顔を赤くしたまま硬直している。

「怪我とかないですか?一応絆創膏とかは持ち歩いてるんですけど…」

俺はポケットから絆創膏の箱をとりだして、なるべく柔らかい笑顔で声をかけた。青年は何かを言いたそうに口をぱくぱくするけれど、俯いた先の唇から生まれた言葉は俺の耳に届かないまま、アッサリ空気に食まれる。

「怪我は…」

「なっ……ない…です!すみません…僕、お二人に迷惑を…」

「何言ってるんですか、困っている人を見つけたら助けるのが当たり前ですよ!それより荷物半分も駄目になっちゃいましたけど大丈夫ですか?」

「お使いの途中か」

落ちた物を全部拾いあつめ袋の口を縛ったライダが、袋を俺に手渡した。青年は俺とライダの言葉を聞いて、また思い出したように青ざめる。

「エ…エンガートに怒られちゃう…!」

「エンガート?」

「あ、いえ、その……」

泣きそうな青年の顔を見ていると、どうしても助けてあげたくなった。仕方ないだろ、俺の口は脳より速い。

「…………落とした商品教えてくれますか?」

そう言って俺は青年になんとか落としたすべての商品を聞くと、そこで待っていてくれるよう頼み、近くのスーパーに駆け込んだ。ライダも青年もポカンとしていたが、俺はこういうやつなんだよ。すまん。

そのスーパーの店長とは以前から、店の改装や人手不足の時のヘルプとして手伝いをしていたため仲が良かった。だから青年の落としてしまった商品もタダ同然で手にいれる事ができたのだが(もちろん本当にタダというわけにはいかない)財布の中身は案の定すっからかんになってしまった。
そうして今度は紙袋で無く、しっかりした頑丈な入れ物にしてもらい、二人の待つ橋の上へ急いで戻った。

俺の姿を見るや青年はめちゃくちゃ動揺して半泣きになってしまったので、スーパーの店長とは知り合いでタダ同然ですべて買えた旨を伝えてあげる。すると少しだが落ち着きを取り戻し、何度も何度も頭をさげてお礼を言ってきた。
重いだろうし半分持とうかと更に提案するとさすがにライダに頭をはたかれた(青年も激しく首を左右に振っていた)。
しぶしぶ最後のカイロを袋から出して青年の背中に貼ってあげる。

「風邪ひかないようにね」

「あったかい…あの、本当にありがとうございました」

「いいよ。重いし、陽も暮れてもっと寒くなるだろうから、はやく帰りな」

「はい!」

金髪の青年は今一度深く頭を下げ、ふらふら頼りなさげな歩調で南区の路地裏にゆらりと消えた。

なんだか少しだけ疲れたな…ライダには悪いけど今日は家に帰らせてもらうことにしよう。そう言うと、ライダは笑って「たまには人助けもいいもんだな」と俺のカイロを奪い取り、西のきらびやかな喧噪に身を溶けこませた。


「さてと」

俺も帰ろう。
陽の暮れた南区の、見慣れた薄暗い路地を視界に映し、ゆったり歩を進める。

南区特有の油っぽい空気が薄れて、ばんごはんの香りが混ざりはじめた。
家まであと半分。
その時だ

「ゴホっ………ゴホ…」

聞き覚えのある咳。全身に雷が落ちてきたような重い衝撃。心臓の拍動が恐ろしい速さで脈打ちはじめる。

目をこらさなくてもわかった。
視界の先、電柱にもたれかかるようにして、俺の大切な弟が、ケレンが、苦しそうに咳込んでいたのだ。
人通りの無い住宅街の隅。もしあのままライダについてカジノへ行っていたら…そんな事を考えるだけで、奈落の底へ一気に突き落とされるような気持ちになった。
ケレンの姿を確認した俺は、それこそ駿馬のごとく道を駆け抜ける。

「ケレン!!!」

ケレンは俺の声に気がついたのか、チラリとこちらに視線をよこした。その間も数回小さく咳を繰り返す。
ようやくケレンの元にたどり着いた俺は、彼の小さな背をさすりなるべく楽になるようこちらにもたれさせた。1分か2分程背をさすっていると落ち着いてきたのか、徐々に咳がおさまる。

「有為、ありがと…」

「大丈夫か?まだ苦しいか?病院行くか?」

「あはは、だいじょぶ」

相当気が動転してしまったせいか、わたわたと質問ばかり繰り返す俺の姿を見てケレンはくすくすと笑う。軽い発作で本当によかった。

「じゃあ帰るか」

「うん」

どうしても心配で、繋いだ小さな手を離したくなかった。ケレンも何も言わずに俺の手を握りかえしてくる。
今日は本当に色々あったなあ。家に帰ったらケレンと今日あったことを言いあいたいな。
かんかくを空けて地面を照らす電灯。蛾や小さな羽虫達がその明かりにひかれ、不規則に飛びまわる。
カラスが「かぁ」とどこかで鳴いた。それを聞いたケレンが、思い出したようにこちらをパッとふりむく。

「歌うたお」

「歌?」

ケレンがそんな提案をしてくるのは珍しかった。まだケレンが小さかった頃は、よく二人で手を繋いで歌を歌っていたっけ。
懐かしさで思わず頬がゆるんだ。

「ちっさい頃、有為が夕方になると歌ってくれたやつ」

「ああ、あれか!確か歌詞間違えたまんま覚えちゃって、頭の中から抜けなくなったんだよな」

「そう。俺と有為だけの歌」

ケレンはにこりと笑い、前へと向き直った。
冷えた空気を二人で吸い込む




























(おひとよしと人間のお話)

『かーらーす、なぜなくの
 かえるがなくからかーえろ』

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