小話

◎トカゲキス/グロワート/ライダウン/モルビド/ソロモン/グレンツェント/フランボワーズ/フロスティ
◎トカゲキス視点
◎『オルカテールの橋』続編。『不完全胚胞』の後の時間枠


黒く汚れた毛並みを隠すよう、ちいさな猫は路地裏へと姿を消した。俺はそれを街路の端(はた)でぼーっと眺めながら、(これからどうしようか)と総監室に山積みになっている紙束の存在を頭の中でうやむやにしつつ、おおきくため息を吐いた。






全てが正しいなんて誰が言ったの?






先(せん)だって余暇を楽しもうと裏街を歩きはじめ数時間。ケレンを連れ歩く有為と別れた俺は、徐々に沈みつつある太陽を正面に浴びながらその建造物を見上げた。それは周囲のどの建物よりおおきく豪奢(ごうしゃ)だったが、出入口は笑えるほどこぢんまりとした造りであった。
そこに吸い込まれてゆく恰幅のよい紳士、淑女。そしてその老いた豚達を屠殺場(とさつじょう)へと選別するよう、たんたんと客を捌いてゆく男がひとり。俺の姿を確認するや、あからさまに敵意を剥き出しにしたのだからおかしかった。俺は精一杯の笑顔で男に近づき、口をひらく。

「やあ久しぶりだね。グロワート君」

グロワートと呼ばれた男は、ここ、西区を統治する『エルセクレート』というカジノのオーナー、『ライダウン』の腹心だった。
常に半身以上はあろうライフル銃を肩へと提げ、白がいりまじる灰色の髪を風になびかせながら、むっつりした仏頂面を顔にはりつけている。そんな男であった。

「なんの用だ」

「なにか用事がなくちゃ、ここに来てはいけないのかな?」

「そんなルールはない。だが店に入られると確実に店長の邪魔になる。どうせ一銭も落としていかないんだろう、この疫病神が」

抑揚もなく、極めて辛辣(しんらつ)な言葉ばかり吐き捨てるグロワート君が可愛かった。よほどライダウンの事を好いているんだろうなあ。そんな彼をみおろしながら脳裏でシュミレイト。コンマ幾つで、腰に提げた銃から放たれた弾丸は目の前の男の頭を通過する。かわりに、

「ばーん」

横を過ぎる際、彼の額へと右手の人差し指を押し当てた。そんなに反応が遅くちゃあ、大切なヒトはとうてい守れやしないよ。ふりむきざまにくすくす笑って、グロワート君の表情を確かめる。

ああ、いい顔だ。



店内に一歩踏み込むと、急に辺りがざわつきはじめた。みな、俺の事を見て指を指し口々にわめき立てているようだ。動物園に住む動物は、きっと毎日こんな気分なんだろう。


『バカなニンゲンをココカラナガメテいるのはサイコウのココロモチだ!』


上質な絨毯を踏み締め列を割る。客の大半は俺のしたで生死の境をふらふらさ迷っている者ばかりだった。一様に『自分はなにかヘマをしてしまったのだろうか』、そんな恐怖心や不安感で一杯の顔をしている。

そうしてしばらくホールを蹂躙(じゅうりん)していると、客の騒ぎに気がついたのか、奥からライダウンが現れた。若鷹とも呼ばれるその男は、はりつけたような笑顔でホールの中央に立つ俺の前へと一目散に歩みを進める。

「疫病神がどの面さげて来やがった」

「ここではお客様の事を疫病神と呼ぶのがルールなのかな?」

「ややこしい。お前と話してると頭がどうにかなっちまいそうだ。ほら商売の邪魔だ、でていけ。ったく、グロワートのやつなにやってんだよ…」

「ああ、グロワート君は一度死んじゃったから」

「…はぁ?」

首を傾げくすくす笑う俺の顔を、キチガイでも見るような目でさげすむ若鷹。ふと目線を横へずらすと、ちょうどすぐ側にぴかぴか光るルーレット台があった。俺と若鷹のやり取りを呆然と眺めていたディーラーから、ちいさなボールを奪い取り、ホイールをまわす。

「じゃあ、そうだね…」

コロリ。手の平からボールがホイールへと落ちる。カラカラカラカラと高い音を鳴らしながら、メリーゴーランドのようにボールはホイールの周りを回り続けた。

「黒の8に、全財産」

客がどよめく。空気が張り詰め、若鷹も目を細めながら、ボールの行方を注視する。

カラン

ホイールがその回転を完全に止め、側に居たディーラーはボールが吸い込まれたポケットの数字をそっと確認し、そして真っ青になった。そのままガタガタとライダウンに目線を移す。若鷹は一切表情を変えずに顎でディーラーにサインを送る。ディーラーはごくりと咽を鳴らし、そしてちいさくつぶやいた。

「ウ…ウイニングナンバー8、ブラックです」

その言葉が、どよめきたつホールに吸い込まれ瞬時に爆発する。喧しく騒ぎ立てる客に目もくれず若鷹はこちらを睨んだ。俺もそれに応えるように笑みで以て舌を回す。

「8ってどこかの国では幸運の数字みたいだよ」

相変わらず若鷹は表情を変えない。
言いたいことは、だいたいわかる。

「有為が心配?」

ニッコリ、その一言で若鷹の肩が一瞬動いたのがわかった。

「寝言は寝て言え。あいつはお前の采配次第でどうにでもなるような男じゃねえ」

「そう……じゃあ、お友達想いの若鷹にはとびきりイイコトを教えてあげようか」

先程グロワート君にしたよう、右手で銃を形作り若鷹の左胸にその人差し指の先を押し付ける。射殺せそうなくらい憎悪と敵意に満ち満ちた目の前の青い瞳に自分の姿を見つけ、どうしても頭がくらくらした。

「自分より他者を優先させ大切にする者は、誰より強く誰より弱い。自分を顧(かえり)みないかわり、他者全てに自己愛を投影してしまうから」

人差し指をゆるりと自らの首へ移動させ、すうっと横一文字に引く。弧を描いたままの唇から俺は、囁くように言葉を吐いた。

「つまり彼にとっては、自分以外全てが人質ってことさ」






「みんながおびえているから、今日はおいとまさせてもらうよ」

そう言い残して、俺はエルセクレートに背を向けた。ひゅるりひゅるりと吹きすさぶ風を全身で受けながら、東西と南を結ぶ裏街一巨大な橋、『三の目大橋』へと歩みを進める。

向かうは卑しい快楽の園(その)、見世物小屋『宝鑰(ほうやく)』。モルビドという女店主が経営する、それはそれは素晴らしい場所。
異臭を放つどぶ川の上には、大層立派な石造りの橋。そのうえをヨタヨタ歩く人波。ぶつからないよう避けて目的地を目指す。まるでこの場所でたったひとり、ワルツを踊っているかのように。






南区に踏み入るや俺を出迎えたのは、油っぽく粘着質で重い空気。息をするたびギトギトした何かで肺をコーティングされるような感覚がした。

「あったあった」

入り組んだ路地をまさぐり、ようやく見つけた大きな建物。外と内を一切隔絶するかのごとくいくつも据えられている牢の柱。ちいさな障子戸の前では、いかつい牢屋番が刀を携えたばこを吸っていた。『宝鑰』と墨で書かれた提灯が、風にゆられてぶらぶら身をゆする。

「もうあいてる?」

笑顔で男に声をかける。すると男は無愛想に一度相槌をうち、障子戸をあけた。

ゆらり、ゆっくりと店内へ足を踏み入れる。内装はというと、それはそれは華美な装飾品で溢れんばかりに光り輝き、それらに彩られた巨大なロビーは、開演を待つ客でごった返していた。次の開演は17時5分。あと数分もしないうちにここはもぬけの殻になるだろう。

「さぁさ、お待たせいたしんした。皆々様方。外は随分お寒くござりんしょ。今夜も銘々ゆるりと楽しんでくなんし」

ぬるりとした、妖艶な声が耳に留まる。同時に奥から、すらりと背の高い、つやつやうねる黒髪を湛えた着物姿の女、基(もとい)見世物小屋宝鑰の店主『モルビド』が現れた。血色のない白磁の肌、唇には人を喰ってきたかのように真っ赤な紅がのっている。
しかし彼女のその美しさには、いささか毒があるように思えた。例えるなら、サファイアの色をしたドクガエルだとか、グロテスクな見た目をしたキノコだとか、そんな類いの、本能に直接訴えかける"触れてはいけない"という危険信号が、彼女には確かに宿っていた。

そうして客を会場に案内し終えたモルビドは、ロビーに唯一残ったままの俺に気がつき、ようやく目を細め口端を吊り上げる。

「主様は…トカゲキス様でありんすか?」

「ああ、久しぶりだね」

すると彼女は花が咲いたような笑みを浮かべ、しゃなりしゃなりとこちらへ歩いてきた。一歩踏み出すたびに、装飾だらけの髪飾りや簪(かんざし)がちいさく音をたてる。長い着物の裾はまるで灰色の大地に流れる黒い川のようだ。

「ようおいでなんした。今日ほどはゆるりとお眼にかかりんして、おうれしゅうおざんす」

「もう帰るけどね」

「あらま。それは残念」

「どうも見世物小屋は性に合わないんだ」

「主様のようなお方でも、きっと楽しんでいただきんすと思いござりんしたが。せめて一目でも」

彼女は光のない瞳を見開き、ロビーの奥へと声をかける。

「ソロモンをよんできろ」

ソロモン?そうモルビドへ問い掛けると、「この度私の下で副支配人として働くことになりんした、ソロモンでござんす」。そう、嬉しそうな答えが返ってきた。しばらくして、ソロモンと呼ばれた髪の長い華奢な男が、おずおずと俺の前まで姿を現す。

「はじめまして。奥様の下で副支配人をさせていただいております、ソロモンと申します」

「はじめまして。トカゲキスです」

「……え?トカ………け、警団の?」

挨拶をしようと右手を伸ばしたけれど、それは空しか掴むことなくだらりと元の位置に戻った。ソロモンは相当驚いているようで、見開かれたままの薄い黄色の瞳は、ずっと俺の顔を捕らえ離さない。

「なんでもようござます、ほれソロモン、ツェンの演目を最初にしなんし。トカゲキス様をもてなすなら、子らも本望でありんしょ」

「は、はい、奥様。トカゲキス様失礼いたします」

どたどた喧しく走り去るソロモンを見つめ、モルビドはひとつため息をついた。

「さ、主様。もうじき幕があがりんす。お席へ」





それは30分もしない短い公演だった。しかし随分楽しめたような気もする。充実した公演だった。
おおとりから一番はじめに繰り上げられた、宝鑰一の見世物。薄紫の髪に不健康で青白い肌、ひょろりと痩せた腕を伸ばし、『グレンツェント』という少女が一度悲しそうに頭をさげる。彼女は調教師が鞭を振るい口上を述べるたび、美しいケモノの姿になって様々な曲芸を披露した。鞭打たれボロボロになっても笑うことを止めない彼女に身震いを覚える。

そうして短い見世物が終わり、客席の端からソロモンがいそいそとこちらへ歩いてきた。俺は懐にあるだけの札束を、キラキラ輝く舞台に向け適当に放る。ふと舞台のほうへ視線を移すと、少女は丁度首に縄をつけられ、裾へ引きずられている途中だった。

「トカゲキス様、彼女の、演目は……どうだったでしょうか?お気に召していただけましたか?」

「うん。とてもよかった」

「そう、ですか…あ、奥様がロビーでお待ちです。さあ、暗いので足元にお気をつけて、こちらへ」

ソロモンの持つちいさな提灯が、暗闇のなかでユラユラ揺れている。まるで目の前の彼の胸中をあらわすような、そんなあやうい篝火(かがりび)のようで。

ロビーに出ると、相変わらずしっとりした笑みを湛えたままのモルビドがこちらへ手を振っているのが見えた。俺もそれに応えるようにちいさく手を振る。

「ツェンの演技、如何程でござりんした?」

「素晴らしかったよ。さすが、裏街でも類を見ない上質な見世物小屋なだけあるね。貴女の趣味がいいせいかな」

「ほほほ…主様はお上手でありんすなぁ。またいつなんなりとおいでなんし。歓迎いたしますえ」

「ありがとう。じゃあまたね」

「おさらばえ」

深々と頭を垂れたモルビドは美しかった。その横で同じように頭を下げる男のその頭の中には、誰かを憂うだけの要領しか既に残っていないようで、細めた俺の赤い瞳に、彼の目はチラリとも掠ることはなかった。






宝鑰を出て更に南へ歩く。ボロボロながら、南区にしては立派すぎる住宅地。その一角から、薄桃色と水色の髪の男女がでてくるのが見えた。女は男の腕に取り縋り、男はその女の背を掴みながらヨタヨタと路地裏の方へ姿を消す。仲睦まじい男女の軌跡には、赤黒い染みがいくつもひろがっていた。






陽も完全に暮れ、闇に包まれた裏街。人通りの少ない路地をふらふらと俺は歩く。見慣れた場所はわざわざ避けて歩いた。視界を掠めるだけで景色が揺れた。

「おい、アンタ」

と、突然背後から声をかけられたので、チラリとそちらへ視線をよこす。みすぼらしい痩(こ)けた頬に、伸びきった白髪まじりの頭。ボロ雑巾にするにしても遠慮したいくらいのはぎれた衣服。

「浮浪者が俺になんの用?」

「随分立派な恰好してるじゃねえか。殺されないうちに金目のモン全部置いてお家に帰りな」

「おおこわいこわい」

追い剥ぎか。そう頭で考えた刹那、腰から銃を取り出し5回発砲した。他にも数人仲間がいたようで、数秒もしないうちに出来上がった5つのゴミが、どさりと地面に臥した。

「弾の無駄使いはいけないぞって、また長官に怒られちゃうでしょ?」

まだ熱をもち触れられない銃身を冷たい風にさらす。ずしりと、右手に感じる鉄の重さ。しつこく息をしている目の前の男の頭に向かって、弾倉の角を思い切り振り下ろす。

「ぴぎい」

変な声をあげて以降男はピクリともしなくなった。



胸の中のもやもやが、少しだけ減った気がした。



























(全てが正しいなんて誰が言ったの?)

ソレがないというのは何故だろう
頭蓋のウラからのぞいてみても
世界は変わらず丸かった



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