小話

◎トカゲキス/ケレン/有為/グロワート
◎トカゲキス視点




雲の流れがとても早い。
左目が完全に隠れてしまう程伸びきったままの前髪が、びゅうびゅうと吹きつける風にすくわれ幾度となく上空に巻き上げられた。
ほてほて川沿いを歩く俺の頭の上を、強い追い風に乗って上手に遠く遠くへ飛んでいくのは鳶(とび)。目でソレを追っていると、右に左におぼつかないバランスを保ち、あっという間に視界からくるりと旋回して林へ姿を消した。
さっきまで右側にあった小さな雲の塊は(一昨日殺したパン屋の主人の太った腹によく似ていた)、気づけば左へ流れ、今にも視界から消え去ろうとしている。


「いい天気だ」


ぽつり呟くと、それに答えるかのように、右に長く流れる澄んだ川から魚が一匹、バシャンと大きく空中へ身を翻した。






オルカテールの橋






北区の景観は素晴らしい。
南区ではありえない高さの建物達が、その背を競い合うようにひたすら空をせばめている。一見みただけではなんの建物なのか検討がつかない。しかし一々気にするような事でも無いので、いつも通り俺は口笛を吹きその前をするりと通りすぎた。
ここは北区の中心部に円形に広がる閑静な住宅街だ。この住宅街から幾つも通路が伸びて、蜘蛛の巣みたく複雑な街並を作り出している。灰色に広がる石畳が、真っ白い建物の壁に相乗し、無機質さをより際立たせる。
頭から足先まで真っ黒な俺はこの景色に上手く溶け込めず、まるで塵ひとつ無い白い紙に一滴墨をこぼした様な居心地の悪さを感じて、さっさとこの場所から抜け出そうと歩調を早めた。

住宅街の真ん中にある開けた広場を抜け、噴水からずっと伸びてこの街を断絶している大きな水路に沿い、10分もしない内に住宅街からまた別の街路に踏み出す。
20本近くある無数の街路から俺が次に選んだのは、17時現在夕飯の献立をぶつぶつ考え、青物屋に立ち並び、うららかに旦那の悪口や近所で噂になっている浮気癖のある若奥さんの話をする主婦達が幅をきかせた商店街だった。

下品に笑う恰幅のよい母親の足元で、小さな子供がぐずぐずと泣きわめいている。青物屋のいかにも人のよさそうな店主が、両手で口元に輪をつくり「木の実が安いよ!」「今日はヒメリの実がたくさん入荷したから、そこの美人な奥さん見てってよ!」と商店一帯に響く大きな声でわんわん叫んだ。恰幅のよい母親は泣きわめく子供の腕を無理に引き、青物屋に群がる主婦の波へ埋もれてゆく。

裏街では木の実が育たない。どこもかしこも大地は痩せ、木の実のなる木はいとも簡単に枯れ果ててしまう。つまり裏街を出て外の世界からの輸入に頼らなければ、この街の人間は栄養のある食べ物を食べる事ができないのだ。
豊富な水のおかげで魚ばかりがよく捕れタンパク質には困らない。それに安く大量に手に入る為、南区や東西の中でも金の無い人間は魚ばかり食べる。世間では木の実とは金持ちの食べ物として認識されているのだ。
木の実の存在すら知らなかった幼少時代を思い返しながら俺は歩調を緩めず商店街から抜け出した。

そのまま川沿いを歩いていると、いつの間にか北区から西区へ伸びる一本の大橋についてしまった。
『二の目大橋』と呼ばれ親しまれてきたその橋を超え、俺は西区の地に足を下ろした。ちなみに北から東へ行く橋は『一の目大橋』、東と西の最南端は道が交わっている為、そこから南区へ伸びる裏街最大の橋は『三の目大橋』と呼ばれている。一の目と二の目から三の目までの間にも幾つか東から西を繋ぐ小さな橋がかかっているが、一々全ての名前を覚える気はなかった。

西区は都会的だ。
北区程ではないが、赤青黄色のネオンライトをピカピカ瞬かせながら立ち並ぶカジノ、娼婦館、怪しく魅力的な建物達は圧巻の一言に過ぎる。しとやかな北区の雰囲気に比べ、西区はどこまでも野性的、願望に忠実で実に飽きのこない区なのだ。鋭く空を掻き混ぜるピンクのサーチライトは次第にぼやけて空気に溶ける。


「トカゲキス?」


ぼうっと川を眺めながら道を歩いていたら、後ろから突然声をかけられた。この声は…考察しながらくるり後ろを振り向く


「ケレンか」

案の定目の前には、一見少女程も華奢で可愛らしい風貌の白髪頭の青年が立っていた。顔色が悪いのはいつものことだが、今日は風が強いせいで気温も低く普段より幾分調子が悪そうだ。
ケレンと呼ばれた青年は首に巻いた黒いマフラーに顔をうずめたまま、こもった小さな声で話す。


「こんな時間に来るの珍しいね」

「まあね」

「仕事は?制服きてるけど」

「面倒臭いから放ってきちゃった。まぁ長官にバレたって首が飛ぶわけじゃないし、散歩だよ散歩」


俺は喉の奥でクツクツ笑った。
相変わらず風が強い。俺も首に巻いた黒と白のストライプ柄のマフラーをしっかりと巻きなおして、小さく肩をすくめた。立ち止まったままの俺達の隣を行き交う人間は皆一様に防寒着へ身を包み、暖かい家に向かって足早に帰ってゆく。
ケレンは少し目を伏せ、人の姿をその大きな目に映した。長い睫毛が寒さに震える。頬と鼻が真っ赤だ。


「有為は?」

「あったかい飲み物買ってくるって、そこ」


これまた黒い手袋に包まれた小さな手が指す先に、シックな赤いコートを着た男の姿が認められた。有為だ。有為は自動販売機で2つ飲み物を買いこちらに向き直る。するとケレンと並ぶ俺に気がついたのか、もう一度自動販売機の方に体を向け、更に一本何か飲み物を買った。
早足にこちらへ駆けてくる。


「トカゲキスじゃないか!久しぶりだなあ」


常時無表情のケレンとは正反対に、いつでも口角を釣り上げニコニコ笑っている有為は、今日も人のよさそうな笑顔を保ったまま俺に買ったばかりの暖かいコーヒーを手渡した。勿論コーヒー代を請求してくる程心の狭い奴ではない。俺は有為に礼を言い缶を受け取る。
ケレンにはコーンポタージュの缶を渡していた。表情にこそ出さないがケレンは嬉しそうだ。


「ところで仕事はどうした。もう終わったのか?」


ケレンと同じような質問をまたされて、俺は缶のプルトップをかじかむ指先でカパリと引き開けながら、無言でケレンを見た。俺と目線を合わせたケレンが有為に、さっき俺がケレンに話した内容を要約して伝える。

理由を聞いた有為は呆れたというような表情で俺を見て、自分の分のコーヒーを啜った。無職にそんな顔されると思わず撃ち殺したくなる。ほんとお前ら俺と友人でよかったなあ。じゃなきゃ今頃額に風穴空けて地面にぶっ倒れてるぞ。
俺はソレを一言も口に出さず、温くなったコーヒーを一気に飲み干し、缶を有為に手渡した。


「自分で捨てろよ!」

「有為も捨てるんでしょ?一緒に捨てた方が効率いい」

「何だよその持論」

「じゃあ俺行くね。ケレン風邪ひいちゃだめだよ」

「うん。またね」


もこもこしたケレンの髪を、アトゥリオにするように一度撫でて、俺はまた歩きはじめた。随分陽が暮れたな。薄暗い街にはそろそろ電灯が灯りはじめる頃だ。奇抜なネオンライトも徐々に主張を強くする。

しばらく歩くと見慣れたカジノについた。西区一大きく繁盛したカジノ、『エルセクレート』。ひとつしかない小さな入口には、仏頂面のグロワートくんが立っている。グロワートくんは俺の姿を視界にとめるとあからさまに嫌そうな表情になった。それが面白かったから、今晩はエルセクレートにて偵察の仕事でも真面目にこなそうと思う。



































(オルカテールの橋)
遊びも仕事も
楽しくこなさなきゃ。
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