小話

◎メイベル、ロット、シュゼット
◎メイベル視点



某大学の昼休み…

「メイベルー!」

午前の講習を受けて、教室を出た時、雑多に入り組んだ生徒達の波から、聞き慣れた声がした。

「ロット!」

俺の名前を呼びこちらへ走ってくる、特徴的な髪型の男性。彼の名前はロット=ワイラー。ロットは俺の親友で、唯一俺とシュゼットの関係を知っている。そんな俺を何かと心配してくれる良い奴だ。

「なー今暇?」

「うん暇だよ?」

「昼二人で食べねぇ?」

「えっ…」

「?」

普段は、ロットを含めた4~5人でご飯を食べるんだけど…今日はどうして二人なんだろ?それに誰かと二人で食べるなって、シュゼットにきつく言われているし…。

「どうして二人なの?」

「みんな今日講習バラバラでさ、教室遠いし、メールきてて今日はあっちはあっちで食べるからって…」

「そっか」

(シュゼットに見つかるとヤバイんだけど…まあ今日は棟も違うし、授業いっぱいあるみたいだから…だいじょうぶだよね……。)

そう、自分に言い聞かせて、ロットに笑みを向ける。

「わかった!じゃあ外で食べようよ、天気もいいし」

そう言うと、ロットも頷きつられて笑う。そうして二人で外に設置されているベンチに座ってお弁当を鞄から出そうとした…時だった。


「あーっ!」

「ぶ…!!な、何!?どうしたの?」

急に大声を出した俺に驚いたのか、ロットは慌ててこっちを振り向く。

「……お弁当忘れたぁ…」

朝机の上に置いたまま忘れてきちゃったみたいだ。
絶望にうちひしがれながら、月末の財布を開いてみるものの、とうてい食べられるような物を買える金額は入っていなかった。
ロットの方を振り向いてみるも、月末の財布の寂しさはロットも同じようだった。無言で首を降るロットに、俺は諦めたようにお腹を押さえてうなだれた。

「お…お腹すいた…」

今にも死にそうな声で呟くと、ロットが「あ、そうだ」と呟いて突然自分の弁当の中身を、蓋の上に盛り合わせ始めた。そして、

「ほれ、半分やるよ」

「えっ…い、いいの?」

差し出された蓋の上には、それぞれ一種類おかずが並べられ、その端には白いご飯もちょこんと置いてある。

「いいよ、腹減ってちゃ次の講義も頭はいんないだろ」

「ロ…ロットさまぁ…」

神様みたいな笑顔で、蓋を差し出す彼に、僕の心の中は有り難いやら申し訳ないやらで一杯だった。

ぱくぱく

「おいしい~!」

「あはは、冷凍食品なのにな」

「ロットの優しさが詰まってんの!」

「そっか!よかったよかった」

そして二人で楽しい昼休みを過ごしていると、目の前に人影が現われた。だれだろう。顔を上げた、瞬間

背筋が凍った。

「…あ」

影の主はシュゼットだった。

「ど…どうして…」

講義でいっぱいだって言ってたじゃないか。棟だって車じゃないと移動も大変なくらい遠いって…

頭の中は疑問と恐怖でいっぱいだった。

シュゼットは、普通の人ならなんの疑問も持たない優しい笑顔を浮かべながら、俺を見下ろす。時々シュゼットのファンらしき女の子達が彼に挨拶をすると、彼も爽やかに挨拶を返す。

俺の様子がおかしいのに気付いたのか、ロットが焦りながら立ち上がってシュゼットに言う。

「せ…先生違うんです、彼が弁当を忘れて…」

「そうか、ロットは優しいなぁ、じゃあ俺は次の講義の準備があるから、メイベルゆっくり食べろよ?」

シュゼットは目線を俺に移し、笑ったままその大きな手で俺の頭を撫でた。そして顔を近づけ耳元で囁く。

「全部の講義が終わったら、すぐ家に帰れ、わかったな」

恐怖で体が硬直した。
顔を離して踵を返して遠くに消えていくシュゼットの背中を見ている間、周りの生徒達の雑談や、俺の名前を叫ぶロットの声も勿論全く耳に入ってはこなかった。


バキッ!バキッ!

「痛…い、あっ」

今日はいつもよりムシャクシャしていて、メイベルの体に刻まれる傷の量も尋常ではなかった。部屋の隅に追い立ててひたすら蹴った。殴った。腹が立つ。腹が立つ。腹が立つ。

「なあ、お前今日さ、いつ、誰と、何してた」

「あ゛っ…痛…ごめんな…さい!ご…めん…なさい!」

「違うだろ、誰が謝れっつったよ、なあ!?」

ガツン!

「ゃ―――っ!!」

今の一発がよほどきいたのか、メイベルは涙と鼻水でグシャグシャになった顔を俺に向けると、弱々しく言葉を紡いだ。

この顔が俺はたまらなく好きだ。

この表情を見るだけで胸の中に溜まったイライラがすうっと消えていく、その感覚に背筋が震える。

「ロ…ロット…が…、あの…お昼に俺がお弁当忘れて…っお金もなかっ…たから…お弁当の中身…わけてくれ…て…」

「ふーん…」

俺は無表情でメイベルにゆっくり近づく。メイベルはビクリと肩を揺らして俺の顔を不安そうな瞳で見上げてくる。

(コイツの肌、真っ白だから、痣とか、血とか、よく見えるんだよなあ)

ふつふつと沸いてくる俺の中の黒いドロドロしたものは、今すぐにでも俺の思考を奪って好き放題しそうでヤバかった。

「おい」

「うぁっ……は…い」

メイベルの前髪を掴んで思いっ切り後ろに引っ張る。苦しそうに歪む目や口に、何か突っ込んでやりたくなる。

だれど今やらなきゃいけない事は『ソレ』じゃない。


「躾のなってない飼犬には、もう一段上の躾をしなくちゃいけないよなぁ」

満面の笑みで放った俺の言葉を聞いた瞬間、恐怖で強張る顔に、鳥肌が立った。
そんなコイツが可愛くて可愛くて、俺は堪え切れずクツクツと喉の奥で笑う。そうして一度コイツの口を塞いでから、柔らかい唇を噛んで滲んだ血をベロリと舐めた。

メイベルは顔を真っ赤にさせて胸を上下しながら必死に空気を吸っている。

(溺れた魚みたいだ)

ずっと掴んでいた前髪を離して、興味本位で細い首を絞めた。だんだんちからを込めてやると、目を見開いて口をぱくぱくさせる。唾液が唇から伝い、目からは涙がボロボロ零れていた。

「離してほしいか?」

「あ…ぁ…ぅあ……ぁ」

メイベルは必死に頷く。しばらく絞めていたけど、流石にもうそろそろ死ぬかもしれないから、ゆっくり手を離した。

「っ…ごほっ!げほ…」

そして床に体を預けて、ひたすら咳き込むメイベルの頭に、最後の仕上げとばかりに足を置き思い切り床へ踏み付けた。

ゴン、と鈍い音がして、しばらくすると床に擦り付けた顔から小さく呻くような声が聞こえた。

「ぅう…っ…ぐ…」

「自分が何したかわかってんな?」

俺は冷たく問い掛ける。コイツは何もわかっちゃいない。俺が今まで何のためにコイツを躾てきたと思ってるんだ。

「ぅう…もう、他人…が作った物を…食べたりしません…」

「そんだけじゃないだろ?」

足をどかして、床に倒れ込んでいるメイベルの前でしゃがみ込み、無理矢理髪を引っ張り顔を上げさせた。
強く床に打ち付けた鼻からは、少量だが血が流れて床にポツポツと血溜まりを作っていく。

あぁ、あぁ、なんて綺麗なんだ。
自分の中の何かがどんどん満たされていって、どうにかなりそうだった。

「お昼ご飯は、沢山の人と…た…べます」

「2人きりで食わねえって約束できるか?」

「はい…っ、シュゼットの言う事、俺なんでも聞くからっ…もう約束破らないからっ…」

「よし」

ボロボロになった体を抱き上げて、俺はソファに座りその膝の上にメイベルを座らせた。

涙や血や涎や、何もかもが顔の中で混ざって、更に頬や額にできた新しい青痣が今日誓った約束の枷になっていく。

「今度から金無かったら俺に言え、弁当もなるべく一緒に食おうな」

「ぐすっ…うん…ひっく」

「愛してるよ」

さっきとは真逆に、壊れ物を扱うように繊細にメイベルの震える体を引き寄せ抱きしめた。嗚咽を漏らしながら俺の肩口に顔を埋めて、俺が少し抱き締める力を強くしたら、メイベルも首元に回した腕の力を強くした。

生きている血の暖かさと、この小さな体の柔らかさや重さが、直に俺の体に伝わってくる。
何度も何度も「好き、大好き」と泣きながら呟くメイベルの涙で濡れた頬に口付けて、この大きな瞳から流れる涙も、薄い肌に通う血も俺にしか流す事は出来ないんだと、小さな子供みたいに泣くメイベルを更に強く抱き締め、笑いを噛み殺して口元を歪めた。
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