小話

◎ディーン
◎ディーンの過去話です





俺の親父は、真性の気違いだったと思う。





家畜ごっこ






13時36分。
俺は物音一つしないベッドの上で、寝そべりながらタバコをぷかぷかとふかす。わざわざ身を起こさなくてもよくわかった。外は雨だ。
さあさあと屋根に当たり鳴り続ける雨の音。時折、電線から滑り落ちた大きな滴が、『ぼん』と一際目立つ音を上げて屋根にぶつかり弾け飛んでいく。


外に出かける気分でもない。


雨の日でもせこせこ働く人の姿を想像して、脇腹の辺りが妙にむずむずした。そうだテレビでも見よう。横に体を動かすのすら怠かったので、ベッドのすぐ真下にあるはずのテレビのリモコンを手探りで探す。長方形で固い物体が人差し指に当たり、掴んでそのまま持ち上げた。…これはエアコンのリモコンだ。少し蒸し暑かったからついでに温度を1、2度下げておいた。

室内が調度いい温度になってきて、よけいに何もする気が起きなくなる。もう寝てしまおう。このまま惰眠を貪り夜に目が覚め雨がやんでいたら街へ出かけよう。雨の日は素人の良い鴨が沢山カジノの中へ逃げ込んで来るからな。小遣い稼ぎには丁度いいさ。

吸いすぎて数センチも無いタバコを灰皿におしつけ、俺はゆっくり目をつむった。





『ディーン、ディーンと母さんは僕の宝物だよ。宝物は永遠に綺麗でいなきゃいけない。だから外にでては駄目なんだ。ずっと家にいなくちゃ、汚れてしまうからね』


俺の親父は真性の気違いだった。若い頃からギャンブル中毒のろくでなし。ヘロイン コカイン MDMA 大麻 モルヒネ メチルフェニデート、どれもラムネ菓子を頬張るかの如く体内へと取り込んでいた。だが俺達の住むこの場所は陽の差し込む暖かい街じゃない。欲と金にまみれた都市の底辺、血生臭いカジノ街だ。これくらいなら、街中ですれ違った人間の内50%くらいは余裕で該当するだろう。しかしアイツは酒浸り、家庭内暴力、加え重度のパラフィリアだった。


アイツは俺と母さんを『宝物』と呼び、尋常じゃない程の愛情を注いだ。しかしその愛情は誰がどう見ても明らかにおかしかった。アイツの言う宝物という名詞は比喩としての意味を成さず、俺達二人は家から一歩出る事も、与えられた食べ物以外を口にする事も許されなかったのだ。栄養失調の時期が長かったせいで、今でも俺は万年低血圧性。いまだ倦怠感や立ちくらみに襲われると、アイツが頭の隅からサッと姿を現す。嗚呼、なんて胸糞悪い。

「母さん、母さんは俺が父さんから守るからね。いつか一緒に家から逃げ出してどこか暖かい街で暮らそうよ」

そんな生活がしばらく続いていたある日、とうとう母さんもおかしくなってしまった。
今までなにがあってもアイツから俺を庇って守ってくれた母さんが、アイツに忠実な、犬になってしまったのだ。アイツが帰ると怯え震えていた彼女が、恍惚の表情で玄関まで駆けて行く。

「あなた、あなたぁ、ねえ、おかえり、おかえりなさい、おかえりなさァい」


ああそうか、とうとう、薬を飲まされてしまったのか。


唾液を、糞尿を垂れ流し、ひたすら餌を請う女が一匹。それを愛しそうに撫で、俺の方へ視線を寄越し、笑む飼い主が一人。見知った母は消え去り、そこに残ったのは異常な主従関係だけ。

「ディーン、見てごらん。母さんが僕に甘えている。結婚してから何年ぶりだろうね、ああ可愛い、なんて可愛いんだろう。」


異常だ。
異常だ。
異常だ。
異常だ。


栄養失調に加え10歳そこそこの腕力でどうにかなる相手じゃないのはよくわかっていた。だから今まで大人しく軟禁されていたんだ。まごうなりとも相手は大人。薬中。けど、もう、限界だろ。ここから逃げなくちゃ。次は俺だ。俺の番だ!理性を持たない犬にされてしまうのは。


「       」


俺は懐から出したカッターナイフを無我夢中でアイツに向けふりかざした。

「あなたぁあなたぁうふふふ」

女はだらし無く舌を垂らし笑う。

「ディーン、おマ、※фゥ?」

それは数秒もない出来事で、アイツは目を見開き血を吹いて倒れた。まるでコマ送りのモノクロアニメ。


カッターナイフは常備していた。
何されるかわからなかったから。
俺はそれで、アイツの首を
かっ切ったのだ。




残った女はアイツから吹き出る血しぶきを浴びながら未だあはあは笑っている。俺は初めてこの街に生まれてよかったと思った。隣人友人知人に他人、誰が死のうが殺されようが、誰も気にしない世界だから。

頼れる大人はもういない。
宛てはどこにもなかった。

しかし残された俺にはアイツから教わった賭博の豊富な知識がある。アイツから教わったという点だけが無性に気持ちを苛立たせたが、文句を言ってる暇なんかない。俺に残されのは賭博の知識のみ。これをフルに使いどうにか楽に食っていかなくては。できたら楽しく。軟禁されてた間にできなかったいろんなことをしていきながら。


俺は12歳の秋に12年間軟禁されていた家から初めて一歩外へ踏み出した。


濃い生臭い空気。
クリアな喧噪。
音を立てる砂粒。
髪の間を吹き抜ける温い風。
ネオンライトにピンクルージュ
蛍光灯とは違う鈍い月明かり
視線 怒号 人 ゴミ 犬 ねこ


こんな世界の上で、
俺は生きていたのか。


息が苦しい。意味がわからない、胸が締め付けられ自然と涙がでてきた。



「う……ぐす、ぁあああぁ…!」



堰がきれる。

今日だけだから。

これから俺は一人で生きていくんだ。

だから

もう、二度と泣かないから。

だから、いまだけは




























(家畜ごっこ)

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知らない場所に帰ったよ。
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