小話

◎ディーン、アイレン
◎ディーン視点


人間を蹴った。
赤い髪の人間を。




ドップラー効果




その日の夜LEでひとしきり儲けた俺は、妙に怠い気持ちに襲われながら歓楽街をてくてくと歩いていた。この怠さ以外街はいつもと同じだ。目の前を通り過ぎるショッキングピンクにレモンイエローのネオン、落書きだらけの壁、負け組勝ち組臆病者に自信家賭博師イカサマ師。さあ、そんなカジノ街へ今夜も乾杯、飲もう、愛するハイネケン。

季節は冬、身を切る空気にぶるりと背筋を縮めながら、俺はこのあとどうしようかと、ぽつり考えた。ふと、往来に広がるキャバクラが視界に入る。そこからは、何人ものくたびれたスーツ姿の男達が、彼等にはどうしても世知辛い現実から逃げるよう、いつも通り店内に吸い込まれて、ぺっぺと吐き出されていた。

「気色悪。」

まるで今生の別れを惜しむような顔でタクシーに乗り、去り際窓を全開にして「愛してるよーん!!」と間抜けな声で叫ぶ客。それを、ゴミ収集車がゴミを集め帰っていくような表情で見送り、視界から消えた途端ため息をつく嬢。

ああ、面倒。じっと見つめていたせいか女に気づかれてしまった。視線が合うや「あぁン素敵!今夜はあたしをベッドの上でめちゃくちゃにして」と言わんばかりの笑顔でこちらへと歩み寄って来る。
そのままゴミ収集車に撥ねられてゴミと一緒にリサイクルされちまえ。

「ねぇンお兄さんたら素敵ねェ、アたしアケミって言うのォ。そこのお店で一番人気なのよ!ちょっと遊んでかなぁィ?」

あ、デジャヴュ。無駄にスタイルの良いアケミと名乗る女を眺めながら、俺はなけなしの記憶を辿っていく。そうだ、この前家で見た発情期のゾウアザラシだ。スッキリした俺は「うるせえ死ね」と、笑顔でアケミに言い残しゴミを避け歩きはじめた。皺くちゃのパンツのポケットに丁度一万円札が入っていたので、ついでにはらりと落としてやる。後ろは振り向かないが、きっとゾウアザラシから犬になったアケミが、風に揺れる万札を、地面に伏せ伏せ追いかけている事だろう。

どうにも次にやりたい事が見つからない。キラキラ光る腕時計を確認してみると、もうすぐ朝の4時を過ぎる頃だ。深夜営業の店はあと数時間で扉を閉める。やんちゃな大人達は惰眠を貪り、今日も朝日と共に真人間の一日が始まる。
未だこの怠さの原因がわからないまま、俺は一度おおきくあくびをして「家に帰ろう」と呟いた。その時だった。

ゲシッ

「いて。」

どこかで耳にした事のある声に、目立つ赤い髪。掠れまくった酒焼け声。どこで売ってるんだと言いたくなる様なダサイ帽子。

「…アイレン?何やってんだお前」

アイレンと呼ばれた図体のでかい男は、俺に蹴られた脇腹をさすりながらごろんと仰向けになった。一度吐いたのか、すぐ側にはまだ新しいゲロが残っている。道端で倒れている人間はここじゃあ大して珍しくもなんともない。しかし知り合いが倒れているとなると話は別だ。

「おい、お前何してんだ。とりあえず起きろ」

「うえぷ…ちょっ…ちょっとだけ待って下さ……気持ち悪っ…」

「…ったく、じゃあそこにもたれてじっとしとけ。なんか飲み物買ってきてやるから」

「すみませ…うぷ……」

幸いアイレンが倒れていた場所は俺の住む家の近くだった。自動販売機の場所は幾つか把握していた為、おかげで飲み物を買ってくるのにさして時間はかからなかった。適当に水を買ってきて、吐き気を必死にこらえているアイレンに手渡す。
水を飲んでしばらく、少しは楽になったのか、飲み物代を自分の財布から取り出そうとし始めたので、軽く頭を殴ってやった。勿論アイレンは頭を押さえ悶絶した

「家まで帰れんのか」

「…もう少し休まなきゃ無理そうです」

「じゃあ俺の家近いから休んで行けよ、寒いだろ」

アイレンを気遣うように見えているかもしれないが、ただ俺が寒くて死にそうだっただけだ。まぁアマービレの親戚でもあるし、何より普段からイカサマの手伝いをしてもらっている義理もあるので放ってはおけないだろ。
アイレンは青白い顔をこちらに向け、しきりにすみませんと呟く。気にするなと頭をわしわし撫でてやれば苦しそうな顔で笑顔を作る。そうか悪酔いか。はは、かわいそうにナァ。


俺より少し背の高いアイレンを支えながら帰路につく。部屋に入るとすぐにダイニングスペースが広がり、奥に進めば簡素なリビングルームがある。とりあえずベッドかソファにでも寝ておけと言い残し、俺は食器棚の中から適当にコップを取り出した。大昔にパチンコの景品でもらったものだ。透明なガラスに、緑のドット模様をした骸骨がワンポイントで描かれている。黴の生えた食パンみたいだなと思い、長い間使っていなかった為ほこりまみれのそのコップを軽くすすいで、最後にすれすれまで水を溜めソファで死んでいるアイレンの前の机へ置いた。

「ありがとうございます」

アイレンは真冬の水道管でキンキンに冷えたまずい水を一気に飲み干す。瓶のキャベジンあったかな。

「なんかすみません…迷惑かけちゃって」

「別に構わねえよ、もう帰るつもりだったし。それにしてもお前なんであんなに泥酔してたんだ?珍しい」

痛い所を突かれたのか、アイレンはぼさぼさの髪を直す事なく俯き口を開いた。

「実は、バイトが早く終わったんで今日は寄り道せずさっさと帰ろうと思って歩いてたんですけど…」

アイレンが言うには、いつも通り帰り道をてくてくと歩いていると、キャバクラから女が出てきて突然腕を掴まれ、そのまま物凄い勢いで店内に吸い込まれて出されるがまま酒を呑み金を取られた挙げ句道端にポイ捨てされたらしい。

「しかも最初はびっくりしてよくわかんなかったんですけど、店の中でその女の人見てるとアレにそっくりだったんですよ」

「アレ?」

「この前テレビで《動物!奇跡の生態スペシャル》ってやってたじゃないですか?」

ピンときた。

「そこで発情期のゾウアザラシがでてきて…」

「おいアイレン、その女の名前なんていうんだ?」

「え?」

「アから始まる三文字の名前だろ」

「なんでわかるんですか!」

やっぱりな。驚くアイレンがおかしくて俺もつい悪ノリしてしまう。

「クク…大人になるとそういう力が備わるんだよ」

「…すごい!!」

今夜この話をアマービレへ得意げに話すアイレンを想像して、俺は頭の中で別のカジノへ出かける予定を即座に立てた。




























ドップラー効果

アケミちゃんは今頃、あの一万円でどんな夢を見ているのだろう。
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