小話

◎廿、ヨルド
◎廿視点
◎いちゃいちゃ注意




「冷酷無慈悲な廿様が、一端の騎士にひぃひぃ言わされてるなんて部下が知ったら、どう思うだろーなぁ」

「……っく」

俺の体を無理矢理壁に押しつけたまま、ヨルドは心底楽しいと言うように「ねぇ?」と首をかしげる。そしてあの大っ嫌いな笑みを口許に浮かべて、喉の奥でクツクツ笑った。




欺瞞を飲み込んでは、





話は少し前に遡る。
いつもとおなじ、夜中に一仕事終えて帰宅していた時だった。疲れた体と、少し手こずり受けた足首の傷が邪魔をしてなかなか前に進めない。家までショートカットして帰るにはどうしても城の裏門を横切る必要があった。けれど、どうしてもあいつにだけは会いたくない。しかしそれと比例するように足首の痛みはどんどん増していく。

「仕方ない…」

俺はため息をつき、城の方へ体の向きを変えた。もしかしたら居ないかも…しれないし、無視すればどうにかやり過ごせるかもしれない。ぷかりと空に浮かぶまんまるい月はとても明るくて、夜なのに俺の影をながくながく道の先へ伸ばしていく。
土を踏む音と、秋の始まりを告げる透明な空気、りりり…りりり…と鈴虫は際限なく羽を鳴らし続ける。足取りはひたすら重い。腹が立つくらい心臓がドキドキしている。なんであいつに遭遇するかもしれないと思うだけでこんなに緊張しなくちゃいけないんだ。意味がわからない。

とうとう門の前に着いた。いや、着いてしまった。まだ目の前に建つ柱でヨルドの姿は確認できない。物音は一切無く、鈴虫がひたすら夜気を揺らしているだけである。あいつの姿が無いという事は仮眠か…?時間が時間だし有り得ない話では無い。なんにせよ今ならいけそうだな、よし。そう意気込んで、俺は一歩門前へ踏み出した。その時。

「考え事は終わったのかな?」

柱の真横、俺の死角に、あいつが、ヨルドが、もたれて、立っていたのだ!
あまりに突然の事だったので、びっくりして思わず「うわっ!」と間抜けな声を上げ、少し飛び上がってしまった。ヨルドは驚く俺をよそに、にこにこしながらこちらを見ている。

俺は息を整え何事もなかったかのようにヨルドの前から去ろうとした。しかしそんなにあっさりコイツが俺を逃すわけない。強く掴まれ引かれた腕が少し痛かった。たたらをふんだ際足首に激痛が走り思わず顔をしかめてしまう。目敏いヨルドは絶好の機会を逃しはしない。

「足、怪我したんだ」

「だったらどうした。俺は疲れてるんだよ、離せ、帰る」

「見せて」

「は?」

拒否するより早く城壁に体を押しつけられる。浮き出た背骨が壁に擦れて鈍く痛む。

ああもうだめだ、諦めるしかない。今幾ら暴れてもどうせ最後には捕まってしまう。悲しいかな体力の差とはそういうもので、それなら足でも何でも見せてさっさと帰宅する方が得策だった。ヨルドは片膝を着き、ズボンを膝上までたくしあげ足に触れる。肌を滑る指先がくすぐったくて身じろぎ。

ぺろ

「っ!!」

な、め、られ、た……??
突然の出来事に頭がついていかず、俺はただ目を見開いて、ひざまずく男の顔を見た。

「はは、可愛いね」

ヨルドは、驚き固まった俺を視線だけで見上げ、赤い舌で自分の唇を舐めた。ああ、予想外だった。いや心の片隅ではなんとなく予想できてたのかもしれない。けれど、コイツは手負いの人間を襲う程鬼畜な奴だったのか。最低だ。最悪だ。しかし俺はそれ以上の馬鹿だ。今世紀最大の大馬鹿野郎だ。
気が動転し硬直していた俺はようやく意識を取り戻し、この場から逃げようと必死にもがいた。しかし何もかも既に手遅れだ。立ち上がったヨルドは恍惚と、欲しい物を手に入れた幼い子供のような顔で俺の肩を掴んで壁に押しつける。


「…は、ぁ、やめっ……やめろ…!」

押しつけられ、擦れた背中がずきずき痛んだ。ヨルドは首筋をしつこく噛んだり舐めたりする。このまま喉を食い破られて死んだ方が楽かもしれない。そんな事をぼんやりした頭で考えていると、俺の事だけ見てろと言わんばかりに歯列を無理矢理割り開き、息もつかない程長いキスをしてくる。
足が痛い。立てない。

「も…むり、…たてな…」

「廿は堪え性が無い子だね。もう立ってられないの?だけど、こうすればまだ楽でしょ」

ぜえぜえと酸素を体に取り込むのに忙しい俺の腕を掴んで、ヨルドは楽しそうに自分の首へそれを回した。なんで俺がお前に抱き着かなきゃいけないんだ。

「座ったらだめだよ。廿はいい子だから、きっとがんばれるよね。俺は知ってるよ」

「…あ」

そう言われ、またクチに舌をねじ込まれる。
犯される気は毛頭無かった。けれど今の俺のその言葉には、説得力のかけらも見当たらない。だから俺は、座らない様必死に力の入らない腕同士を掴んで堪えた。

終われば解放される。逃げられない、抵抗もできないのなら、我慢するしかない。我慢しろ。得意だろ。

頭の奥からぼやぼや白い霞みが生まれて、角度を変え何度も理性をつつく。時折いたずらするみたいに舌先や唇をがぶりと噛まれたり、反対に優しく大きな手で髪をゆっくり撫でられると、その霞みは強くなった。自然と涙が目尻から頬を伝い落ちる。ヨルドの親指は、それを見つけそっと拭う。

「ねえ、好きでしょ?俺の事」

唾液でべちゃべちゃの俺の口元を、ヨルドは犬みたいにぺろりぺろりと舐めた。両手で顔を掴まれ視線すら逸らせない。なにがなんだかわからない。けど、目尻を赤く染め息の荒い目の前の男の瞳は余裕の無さと不安で濡れていた。ひっでえ顔。きっと俺はヨルドより酷い顔をしているのだろうが、笑えて仕方なかった。ずるり、とうとう力尽きて地面に尻餅をついてしまう。壁にもたれ浅い呼吸を繰り返す俺の顔を、しゃがんだヨルドは優しく包む。

「好き?」

「ふざけ、るな…このっ……」

死ねよクズ、そう呟くと、ヨルドは泣きそうな顔で俺を抱きしめた。

「廿…廿の事殺していい?俺も一緒に死ぬから」

「いやだ。お前だけ死んでろ」

「じゃあ好きって言ってよ」

「いやだ」

「俺さ、」

抱き着かれたままなのでヨルドの表情はわからない。首筋にかかる吐息は暖かく、声が少しだけ震えているよう感じるのは気のせいだろうか。

「いつか廿をあの家から助けだして、どこか小さな、誰も知らない場所に住んで一生二人だけで生きていくのが夢なんだ」

「悪趣味だな」

「そうかな」

「そうだろ」

「廿の夢は?」

「俺の…」

「うん、廿の夢」

「…俺の……俺の夢は、」

「うん」

ヨルドの心臓の音が聞こえる。俺の鼓動と重なる。まるで母胎に浮かんでいるような、無邪気な心地よさと安心感に包まれる。足首はもう痛くなかった。

「俺の夢は、お前をなるべく苦しめて殺す事。誰も気づかないような場所に、魚の餌にも草木の栄養にも人の役にも立たないような場所に棄ててみんなの記憶から消し去る事」

「素敵な夢だ、いつか叶えられるといいね」

「………ああ」

俺達のすぐ隣で、鈴虫が二匹潰れて死んでいる。陽が昇る頃には乾燥して、風に吹かれどこかで塵になってしまうんだろうか。

俺は冷えた手の平で、ケラケラ笑うヨルドの髪を撫でようとした。
けれど、痩せた青白い手の平は5秒ほど宙をさ迷って、そのまま地面に頽(くずお)れた。





(欺瞞を飲み込んでは、)

真実に見せかけ、取り繕うことしかできないふたりの応酬に、終わりなどなく。
16/67ページ