小話

◎アイレン
◎軽いオ●ニー表現注意



俺の最近のお気に入りは、家の裏のゴミ捨て場に捨てられていたマネキンの足だ。暇さえあれば綺麗に飾られたその足を手に取り眺め、体を蝕む興奮にふわふわと脳みそを侵されていく感覚に酔いしれる。

このマネキンに出会ったのは、つい一月ほど前。俺とロジェがカジノ街に上京してすぐだっただろうか…金のない俺達を心配して、アマ兄ちゃんが、ボロボロだったけれど格安で住める場所を探してくれたのだ。そして俺達は路地を挟んで向かい合うように建つ二棟のアパートへ入居した。

しばらく経ったある日、俺はアマ兄ちゃんに呼ばれラストエンペラーへ初めて仕事をしに行く事になった。実家で何度かお遊び程度に披露したイカサマが兄ちゃんの目に止まったらしい。それに《ディーラーとして、イカサマでうちに利益をもたらしてくれたら日給ははずむぞ》なんて言われたら、嫌でも行くしかあるまい!(勿論嫌じゃないけどね)
幸い昔からディーンさんとアマ兄ちゃんの勝負で何度かディーラーをさせてもらった経験があるので、一通りのゲームならなんなくやり過ごせる自信はあった。そして俺は初めて『店側の人間』として、無害な店にうまく擬態しているラストエンペラーへ足を踏み入れる事となった。



何時間かして、これといった失敗もせずアマ兄ちゃんから日給を受け取った俺は、朝日が昇り白けはじめた空に目を細め帰路についた。

成長して改めてあの店へ来てみると、そのほかのカジノとは明らかに違う異様な空気に、頭から飲み込まれそうになる。けれど俺は臆す事無くディーラーという名の高見に立ち、金と時間を持て余した退屈な客達へ、『今夜は俺がお前達の勝敗を好き勝手に操作するんだよ』と声帯を通さない小さな声で囁くのだ。そして意味不明な快感と興奮を脳内で一緒くたにした麻酔で全身の感覚をマヒさせる。

そんな事を思いながら、爽やかな早朝の冷たい風を頬に受け、終始熱い勝負に脳みそを蕩けさせたまま俺はまだ慣れない帰り道への狭い路地を、夢見心地でヒタヒタと歩く。

その時だった。

家の裏に設置されたゴミ捨て場に、何か白い物体が置かれている。否捨てられている。

「なんだあれ?」

ぼーっとしたままゆっくりとその物体に近づく。

「      」

それは“足”だった。

マネキンの足…いや、傍目から見るとそれはまるで、バラバラ死体の一部品として体から切り離された足首の様な生々しさを放っている。しかし俺はその足から目が離せなかった。胸の中でよくわからない感情がぐるぐると渦巻く。

(どうしても見過ごせない。)

そして俺は躊躇いながらもその足を手に取り、完全に昇った太陽から逃げるよう背を向け、家へ続く錆びた階段を一段飛ばしで駆け上がった。



部屋に戻って、風呂にはいったり飯を食ったりして、少し体を落ち着かせる。一通りくつろぐ体勢になったので、俺は改めてさっき拾ってきたマネキンの足を手に取りじっと眺めた。

高い素材で作られているのか、手触りは人間のそれとさほど変わらない。少し汚れていたので、丁寧に柔らかい濡れたタオルで、目立つ汚れを拭き取ってやる。

「ん。綺麗になったな」

5分程磨いてやれば、手の中にあるマネキンの足はまるで新品のようにピカピカになった。そして俺は満足げにその足を眺めて、一旦手近にあった小さな三段ボックスの上へそっと置いてやる。

(キレーだ)

美しい足にみとれておもわずため息をついてしまった。しかしそれよりももっと重要な場所を忘れていないだろうか。

「たしか、ここにあったはず…」

俺は狭い部屋の中を少しの動作で移動し、その部屋を更に狭くしている原因の前でペろりと唇を舐めた。

目の前にうずたかく積まれているのは、赤や青や黄色に色の塗られた大きな収納ボックス達である。ひとつの箱の大きさは大体学校の机の板一枚分くらいはあるだろうか。それが何十個も陳列されていると、置いた本人ですらどこか威圧感を感じてしまう。
そして俺は目当ての赤い箱の取っ手に手をかけ、上に重なった青の箱が揺れて落ちないよう慎重にぐいと引っ張った。

カチャカチャとガラスがぶつかり合う音が部屋に響く。なんて心地良い音なんだろう。目をつむり、時折わざと引き出しを揺らしてその音を楽しむ。そして満足した俺はゆっくりと目を開けて棚の中を見た。

半分程引き出した棚の中には、おびただしい数のマニキュアが几帳面に収納されていた。俺の目は僅かな色の違いさえ逃さず、目印のため蓋に貼っていた中身の液と同じ色のシールが、綺麗にグラデーションを描いて胸をくすぐる。

(ラメは入っていない方がいい)

どうしてかはよくわからないが、ラメのはいったその液体を見ると、俺の気持ちも俺の息子もどんどん萎えていってしまうのだ。やはりマニキュアはごてごてにこ洒落た物より、一色で爪を鮮やかに彩る物の方が興奮する。
そして俺は鼻歌を歌いながら迷いの無い手つきでどんどん色を選別していった。何本か赤いマニキュアを棚から抜き取り、今度は重ねられたボックスの一番端にある透明な棚の取っ手を引く。

中にはサイズや薄さ、形や材質の違う様々なネイルチップが数えきれない程収納されていた。俺は即座に5枚のチップを棚の中に置いてあるピンセットで取り上げ、綺麗な布の上へ丁寧に並べていった。

一通り用意ができたので、特に大した距離を移動したわけでもなかったが、俺はマネキンの方へといそいそ体の向きを直していった。マネキンを専用の机の上に固定して、チップと爪の形やサイズが合っているかどうか確認する。

「ぴったりだ」

無性に嬉しくなって口元のにやけが止まらなかった。既に息が荒い。胸が苦しい。こんなに綺麗な足に出会えるなんて…。俺は心を落ち着かせる為一度ゆっくり深呼吸をする。そして目を開いて、瓶の蓋を静かに回し開けた。



何時間経っただろうか。ふとお腹が空いたので時計を見てみると、針はもう昼の12時を指していた。ふう、と息を吐いて目線をマネキンに移す。
机の上に乗ったマネキンの滑らかな足に生える形の良い五本の指先には一点のくもりすらない。今にも爪に反射する光の粒が弾け飛んで、部屋中ミラーボールみたいにきらきら照らしてしまいそうだった。
そして、親指の爪から小指の爪にかけては、まるで赤い果実が徐々に熟してその色を鮮やに変えていく様に絶妙に塗り分けられた赤が、なまめかしい足を美しく彩っている。

自分で作っておいてなんだが、今にも心酔し倒れてしまいそうだった。さっきからどうにも体の熱が冷めやらない。

「やば………ちょ、こいつ、俺と相性良すぎんだろ…はぁ…っ…も、むり」

そして俺は、カジノでバイトをしていた時から作品を完成させるまで体の中に溜めこんできた大量の熱を、ゆっくり時間をかけ吐き出し始めた。



「……つっ!…っはぁ…は…っはあ…………はぁーー…」

一度果てた後、俺は勢いに任せてそのまま床に寝転んだ。荒い息を吐いて手元に転がったティッシュをぼーっと眺めながら、いつもと変わらない全身を襲う怠さや虚しさにため息をつく。

(これ程まで爪に欲情する俺は、多分、きっと、絶対どうにかしてるんだろうなあ。)

なんだかもうどうでもよくなって、俺は母胎に孕まれたままの胎児みたいに膝を抱えきつく目をつむった。そして思い出したように手探りで机の上のマネキンを掴み、胸に抱いてしばらく。


いち、にぃの、さんで、眠りに落ちた。













(ぼくは指先にただ
「愛してる」と繰り返す。)


輝く爪は、俺以外愛さない。
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