小話
◎アマービレ、灰鷹さん宅夜霧ちゃん
◎アマービレ視点
今、目の前で嬉しそうにトランプを撫でる少女の髪の色は、俺の友人であり大切な顧客でありクソみたいなイカサマ師の男の髪の色とよく似ている。そんな事を考えながら、俺は一度少女から目を離して、きしりと軋む事務所の椅子にもたれた。そして茶色い縁のついた眼鏡を片手でかけ、目の前の机へ几帳面に並べられた分厚い来賓のリストを一人ずつ確認していく。
明日はうちを大層ひいきにしてくれている富豪の誕生日らしく、大枚はたいてうちを貸し切り盛大な誕生パーティを開くらしい。
(この世に生まれためでたい日に、こんなヤニ臭い穴蔵でカジノパーティか。俺なら死んでもごめんだな)
十五分くらいは経っただろうか。
ざっと目で人数の確認を取りながら、俺はふぅと一度ため息をつく。指先で眼鏡を少しだけずらし、物音ひとつさせずに熱心にトランプを触る少女に再度視線を戻した。少女は飽きもせず俺のトランプを未だ物珍しそうに指先で愛撫している。
「そのトランプが気に入ったのか?」
声を掛けると、少女は勢いよくこちらを振り向きにっこり笑って頷いた。深い緑の髪がふわりと空調の風にゆらぐ。
「こんなトランプ見たことないです。すごくかっこいい」
少女は両手でそのトランプを握りしめる。
少女のお気に入りのトランプは、世界に二つと存在しない俺だけのトランプだ。黒地のその紙切れは、蛍光灯の鈍い明かりすら優雅に照り返す。裏は周囲を黒で縁取られ、その中はシンプルな赤。表の数字や英語達は複雑な模様で描かれており、ハート・スペード・ダイヤ・クラブ、一枚たりとも同じものは存在しない。
「アマービレさん」
「なんだ」
さっきまで笑顔だったその顔は少し不思議そうなものに変わり、少女はトランプを指差したままこちらを見る。
「どうしてこのトランプは、どれひとつとして同じ模様がないんですか?」
(やっぱり聞いてくると思った)
少女は気になる事があるとすぐにその疑問を容赦なくこちらにぶつけてくる。知りたがりというか探究心か強いというか…。しかし俺は少女のそういう所が好きでもあった。勝負事然り、どんな事であってもうやむやにしてすぐにどこかへ逃げ帰るような奴は気にいらない。
そう思いながら俺は、ずらして掛けていた眼鏡を完全に外し机へ置いた。タバコを箱から取り出し銜えて火をつける。
タバコ美味しいですか?
と聞かれたので、
死ぬほど不味いと答えた
「そのトランプは世界に一つだけしかない」
「世界に一つだけ?」
「ああ」
「特注とか、そういう意味ですか?」
「そう言われるならそうかもしれないな」
一度煙草の煙を肺いっぱいに吸い込んで、したたかにそこへ溜め込んだ紫煙を、淀んだ空中へ吐き出す。相変わらず少女の細い髪を揺らしている空調の風が、今度は俺の吐いた煙を一瞬で視界の端まで吹き消した。
「そのトランプは、俺がまだカジノ街でバイトをしていた頃、何か一つ成功する度に一枚いちまい店で作ってもらって、長い時間をかけて完成させたトランプなんだよ」
少女の視線が手元のカードに落ちる。強くカードに反射した蛍光灯の光が、下を向いて影を落とすその顔を淡く照らした。
「カードの色は毎回黒。裏の赤も同じにしてもらった。」
「ああ本当だ。こっちはみんな一緒」
「そうだろ?でも表の数字や英語だけは、いつも作ってくれる奴の好きにさせてたんだ。」
「どうして?神経衰弱とかやりにくくないですか?」
「俺は一度もそのカードで何かして遊んだ事なんかねえよ。」
「せっかく作ったのに?」
「だからだ。」
少女の頭の上でハテナマークが踊っているような錯覚がした。銜えていた煙草を灰皿に押しつけて、もう一度椅子にもたれる。
「そのカードには俺の血と汗が滲んでる。そしてカードの枚数だけ俺が掴んできた幸運が刻み込まれてるんだ。一枚たりとも同じ幸運なんて存在しないからな。だから数字だって英語だって皆違う。俺なりのジンクスだよ」
はは、と笑って眼鏡を掛けた。随分話し込んでしまったみたいだ、さっさと仕事を終わらせてホールで客の相手をしなくては。
そして更に何十分かして、そろそろ仕事が終わりそうだなと思った頃、「アマービレさん」と、さっきまで閉口していた少女が突然声をあげた。
少女はわざとらしく張りつけた様な笑みで言う。
「このトランプで勝負すれば、アマービレさんにだって勝てますか?私にも、アマービレさんやディーンさんを負かす事ができますか?」
俺は笑った。
少女も笑った。
俺はけだるい体を起こして椅子から立ち上がり、二本目の煙草に火をつけながら事務所のソファに座る少女の隣へ立つ。そして少女の手から黒く輝くトランプの束を抜き取った。
「誰にしも平等な賭博なんて存在しない。ギャンブルは人生だ。生きた人間そのものだ。そいつの経験してきた苦しみや喜び、その上に成り立つ地位こそが、勝敗を左右するんだよ、お嬢ちゃん」
トランプを胸ポケットにしまう。代わりに、どこかで貰ってきた可愛らしい包装紙に包まれた飴玉を、少女の小さな手の平に落とした。
少女は笑っていた。
俺も笑っていた。
そして俺は少女を置いたまま踵をかえして、事務所の古びた扉を開く。
誰もいない。熱を孕む麻薬じみた世界へ続く廊下にふたつ分の靴音が響いて、背後から小さな飴玉をかみ砕く音が、大きく響いた。
(飴玉は、しゅわしゅわはじけるメロンの味がした。)
◎アマービレ視点
今、目の前で嬉しそうにトランプを撫でる少女の髪の色は、俺の友人であり大切な顧客でありクソみたいなイカサマ師の男の髪の色とよく似ている。そんな事を考えながら、俺は一度少女から目を離して、きしりと軋む事務所の椅子にもたれた。そして茶色い縁のついた眼鏡を片手でかけ、目の前の机へ几帳面に並べられた分厚い来賓のリストを一人ずつ確認していく。
明日はうちを大層ひいきにしてくれている富豪の誕生日らしく、大枚はたいてうちを貸し切り盛大な誕生パーティを開くらしい。
(この世に生まれためでたい日に、こんなヤニ臭い穴蔵でカジノパーティか。俺なら死んでもごめんだな)
十五分くらいは経っただろうか。
ざっと目で人数の確認を取りながら、俺はふぅと一度ため息をつく。指先で眼鏡を少しだけずらし、物音ひとつさせずに熱心にトランプを触る少女に再度視線を戻した。少女は飽きもせず俺のトランプを未だ物珍しそうに指先で愛撫している。
「そのトランプが気に入ったのか?」
声を掛けると、少女は勢いよくこちらを振り向きにっこり笑って頷いた。深い緑の髪がふわりと空調の風にゆらぐ。
「こんなトランプ見たことないです。すごくかっこいい」
少女は両手でそのトランプを握りしめる。
少女のお気に入りのトランプは、世界に二つと存在しない俺だけのトランプだ。黒地のその紙切れは、蛍光灯の鈍い明かりすら優雅に照り返す。裏は周囲を黒で縁取られ、その中はシンプルな赤。表の数字や英語達は複雑な模様で描かれており、ハート・スペード・ダイヤ・クラブ、一枚たりとも同じものは存在しない。
「アマービレさん」
「なんだ」
さっきまで笑顔だったその顔は少し不思議そうなものに変わり、少女はトランプを指差したままこちらを見る。
「どうしてこのトランプは、どれひとつとして同じ模様がないんですか?」
(やっぱり聞いてくると思った)
少女は気になる事があるとすぐにその疑問を容赦なくこちらにぶつけてくる。知りたがりというか探究心か強いというか…。しかし俺は少女のそういう所が好きでもあった。勝負事然り、どんな事であってもうやむやにしてすぐにどこかへ逃げ帰るような奴は気にいらない。
そう思いながら俺は、ずらして掛けていた眼鏡を完全に外し机へ置いた。タバコを箱から取り出し銜えて火をつける。
タバコ美味しいですか?
と聞かれたので、
死ぬほど不味いと答えた
「そのトランプは世界に一つだけしかない」
「世界に一つだけ?」
「ああ」
「特注とか、そういう意味ですか?」
「そう言われるならそうかもしれないな」
一度煙草の煙を肺いっぱいに吸い込んで、したたかにそこへ溜め込んだ紫煙を、淀んだ空中へ吐き出す。相変わらず少女の細い髪を揺らしている空調の風が、今度は俺の吐いた煙を一瞬で視界の端まで吹き消した。
「そのトランプは、俺がまだカジノ街でバイトをしていた頃、何か一つ成功する度に一枚いちまい店で作ってもらって、長い時間をかけて完成させたトランプなんだよ」
少女の視線が手元のカードに落ちる。強くカードに反射した蛍光灯の光が、下を向いて影を落とすその顔を淡く照らした。
「カードの色は毎回黒。裏の赤も同じにしてもらった。」
「ああ本当だ。こっちはみんな一緒」
「そうだろ?でも表の数字や英語だけは、いつも作ってくれる奴の好きにさせてたんだ。」
「どうして?神経衰弱とかやりにくくないですか?」
「俺は一度もそのカードで何かして遊んだ事なんかねえよ。」
「せっかく作ったのに?」
「だからだ。」
少女の頭の上でハテナマークが踊っているような錯覚がした。銜えていた煙草を灰皿に押しつけて、もう一度椅子にもたれる。
「そのカードには俺の血と汗が滲んでる。そしてカードの枚数だけ俺が掴んできた幸運が刻み込まれてるんだ。一枚たりとも同じ幸運なんて存在しないからな。だから数字だって英語だって皆違う。俺なりのジンクスだよ」
はは、と笑って眼鏡を掛けた。随分話し込んでしまったみたいだ、さっさと仕事を終わらせてホールで客の相手をしなくては。
そして更に何十分かして、そろそろ仕事が終わりそうだなと思った頃、「アマービレさん」と、さっきまで閉口していた少女が突然声をあげた。
少女はわざとらしく張りつけた様な笑みで言う。
「このトランプで勝負すれば、アマービレさんにだって勝てますか?私にも、アマービレさんやディーンさんを負かす事ができますか?」
俺は笑った。
少女も笑った。
俺はけだるい体を起こして椅子から立ち上がり、二本目の煙草に火をつけながら事務所のソファに座る少女の隣へ立つ。そして少女の手から黒く輝くトランプの束を抜き取った。
「誰にしも平等な賭博なんて存在しない。ギャンブルは人生だ。生きた人間そのものだ。そいつの経験してきた苦しみや喜び、その上に成り立つ地位こそが、勝敗を左右するんだよ、お嬢ちゃん」
トランプを胸ポケットにしまう。代わりに、どこかで貰ってきた可愛らしい包装紙に包まれた飴玉を、少女の小さな手の平に落とした。
少女は笑っていた。
俺も笑っていた。
そして俺は少女を置いたまま踵をかえして、事務所の古びた扉を開く。
誰もいない。熱を孕む麻薬じみた世界へ続く廊下にふたつ分の靴音が響いて、背後から小さな飴玉をかみ砕く音が、大きく響いた。
(飴玉は、しゅわしゅわはじけるメロンの味がした。)