小話

◎ヨルド、廿、ログナル
◎ヨルド視点

今日は豪雨だった。

それはもう酷い豪雨だった。

雨は横殴りに降り注ぎ、何もかも吹き飛ばすような風は、ただの雨粒を堅い礫(つぶて)に変えて俺の体を打つ。

「ああ…最悪だ」

だけれど俺は今城の外を歩いている。一応形だけは…と傘をさしてはいるけれど、この天候だ。正直全くこの傘は『雨を避ける』機能を果たしていないような気がした。

さて、どうして俺がこんな最高の引き籠もり日和に、これ程雨風に全身煽られながら城下町を歩いているのかというと、理由は簡単。


ただ単に『仕事』だから。

それも単独で。


「ああ…最悪だ」

雨が目に入らないよう薄目を開けながら、俺は今日何度目かのため息をついた。



仕事はごく単純で、簡単な物だった。ここまで歩いて来るまでの苦労を思い返すと、それが余計に俺の気分を鬱々とさせる。
そして5分もかからない内に仕事は終わり、また長い時間をかけこの雨の中を歩いて帰らなくてはならないのか…、そう、ため息をつき眉根を寄せた時だった。

「ん」

「…あ」

見覚えのある黄色く癖のある髪の毛。

「廿」

名前を呼ぶと、その人物はとても嫌そうな表情になった。
仕事に行くのかそれとも帰るのか、服は簡素で、上には一枚暖かそうなコートを羽織っていたが、そのコートは今ではぐっしょり水を吸って随分重そうに見える。
傘は…

「あらら、壊れちゃったんだ」

そう笑って言うと、廿の表情は更に険しくなる。それに比例する様に雨脚も少しだけ強くなった気がした。

「大丈夫?」

若干だが、雨避けになっている建物の屋根の下に小さく収まっている廿の隣へ、俺は歩み寄る。優しい廿は嫌そうだけれど、無言で少しスペースを開けてくれた。

「凄い雨だね」

びしょびしょになった髪を、犬がするように振るって水気を飛ばす。閉じた傘の先端から滴った水滴は、既に足元の渇いた石畳に水溜まりを作っていた。
そして、湿ってはいるけれどまだ完全に濡れてはいない服の袖で、顔を拭う。

「廿どうしたの?傘壊れて帰れないの?」

完璧に骨の折れた傘を片手で抱きながら、視線は決してこちらに寄越さず、廿はふて腐れた様に呟いた。

「…濡れたら困るんだよ」

ふと、言われてから傘を持っていない片方の手の先を見ると、重そうな紙袋が2つ。持ち手の部分が細い指先に食い込んで傍目から見ても痛々しかった。

「どうしたのその荷物」

「……仕事道具」

濡れたら困るって事は、弾薬か何かかな。それにしても随分重そうだ。

「……………」

少し考えた俺は、突然「そうだ」と呟いた。隣の廿は不審そうな目で俺を見上げる。ああとても可愛い。

「じゃあ傘を貸してあげるから、その代わりその荷物、持たせてくれる?」

「はあ?」

いかにも意味がわからないという風に素頓狂な声を上げた廿だけれど、普通の人間ならまず彼と同じ反応をするだろう。
だって何一つ俺に利の無い提案なんだから。
けれど俺は気にせず笑って言う。

「良い提案じゃない?」

「良い提案って…」

「廿が拒否する理由が見当たらないんだけどな」

「それは……そうだけど…」

どこか悔しそうに目線を下げて廿は渋る。傘へ視線を移す。

ああ、もうほら、バキバキに折れた傘は元の形には戻らないよ。だからほら、早く俺に甘えなよ。

「考えてる間に、雨、どんどん強くなってきてるよ」

ハッとした顔で屋根の外の景色を見た廿は、もう一度俯いて、そうして覚悟を決めたように折れた傘を地面に置き、荷物を俺に手渡した。

「俺が…頼んだんじゃないんだからな」

「わかってるよ」

口では拒絶ばかりする癖に、耳が少し赤らんでるよ?ねぇ、なんで君はそんなに可愛いの?

「はい」

「ん」

真っ白くて細い手から重い紙袋を受け取って、代わりに傘を手渡す。廿は傘を開いて俺の顔を見て、そして顎でクイッと傘の中を指した。“入れ”という合図らしい。
まさかここまで来て廿と相合い傘ができるなんて思ってもみなかったから、自然と口許が綻ぶ。

でも、お互い細身と言えど、大の大人の男二人が一つの傘に収まるには流石に無理があるのか、かなり窮屈だ。

(せめて廿と荷物は濡れないようにしなくちゃ)

思い、隣を歩く廿へチラリと視線を向けると、遠慮しているのかただ単に俺に近づくのが嫌なだけなのか、若干中心から距離をとっているせいで肩がカナリ濡れている。
それが気になった俺は、何気なく廿の腰元へ腕を回して、こちらへ細い腰をグイっと引き寄せた。

「っ…!」

「濡れる。あと、俺が寒い」

目を見開いたまま硬直している廿に有無を言わせぬまま、更に引き寄せ無理矢理前に進ませた。顔を真っ赤にして、そしてもっと深く廿は俯く。

「…離せよ」

どうして小声なのか。

「…なあ!」

「え?」

「誰かに見られたらどうすんだよ…!」

「大丈夫だって、こんな嵐の中出かける人なんか滅多に居ないし。それにほんとに寒いからお願い我慢して。」

明らかに寒そうな、辛そうな、それでいて申し訳なさそうな演技をしてみる。…バレてないよね。すると廿は真っ赤な顔のまま唇をもごもごさせ、そして観念したのか、また黙ったまま俯いた。

「…………」

「…………」

地面に打ち付ける雨の音と、石畳に所々出来た水溜まりを踏む音だけが二人の耳を侵す。

前にもこんな事があった気がするなあ。

濃い雨の匂いを鼻に感じながら、ふつふつと遠い記憶の断片を頼りに、ぼやけた頭の中で思考を呼び起こしてゆく。

「着いた」

ぽつりと呟いた声に頭がハッと覚醒して、惚けていた分今を繕うよう周りを見渡すと、目の前には廿の住む屋敷が広がっていた。

「着いたってば」

ぼうっとしている俺を不思議そうな目で見つめて、廿は片手を俺に差し出した。

ああ、荷物か。

「はい、どうぞ」

「ん」

手渡すと、重いのか廿は少しふらつく。傘を返してもらい、いよいよお別れだ。

相変わらず俺の前では無表情な廿に、笑顔でじゃあねと手を振り踵を返した。返事なんてもらえないのは始めからわかってるから特に何も思わない。

一人になって余裕を取り戻した傘の下がやけに広く感じる。

「…肩がびしょびしょだ」

笑って小さく呟いた。

すると

「……ありがと」

驚いて俺は傘を足元に下ろし、後ろを振り向く。
ごうごうと鳴る雨と風の音に掻き消えそうな程に小さな声が、後ろから確かに聞こえた気がしたから。
でも屋敷の扉は閉まっていて、声の主の姿さえそこには無い。


幻聴?

ねぇ、そんな訳ない。

俺が廿の声を

聞き間違える筈がない。


立ちすくんだまま、しばらく俺は雨に濡れていた。もう傘なんて差す気にはなれなかった。



「うわ!ヨルドお前びしょびしょじゃないか!」

「うん」

「…なんでそんなに笑顔なんだよ気持ち悪いな」

「今日は豪雨だった」

「はい?」

「最高の豪雨だった」

「……風邪引いたか?」





今日は豪雨だった。

だけど

素晴らしい日だった。
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