小話

◎黒姫、柩
◎黒姫視点


ここは誰も寄り付かない、荒廃した洋館。常に雨が降り、光が差す事は無い暗闇の森。
わたくしは生きていた時も、死んでからもずっと、ここに住み続けている。

「黒姫ー、いるのかー?」

「あら、いらっしゃい」

「黒姫!」

彼女は、唯一この洋館に嫌がりもせず足を運んできてくれる少女。彼女も既に死んでいるようだった。わたくしによく懐いてとても可愛い。

「黒姫っ!」

「どうしたの?」

「柩、ずっと聞きたかったんだけどな…」

「えぇ」

「なんで黒姫はずっとここに住んでいるんだ?」

「………気に入っているからですわ」

(どうして時たまこんな質問を突然してくるのかしら。困っちゃうわ)

「じゃあなんでそんな悲しそうな顔するんだ?」

「…………」

(悲しそうな顔?どうして、わたくしが?)

「柩知ってるぞ、黒姫は一日たりともこの洋館から離れて辺りを徘徊するのを忘れた事ないって」

「…………」

「だけど、一年に1度だけ、ずっと洋館にとどまって誰にも会おうとしない」

「…偶然じゃないんですの?」

「違う。辛うじて昼や夜はまだ会ってくれるけど、深夜になると黒姫は絶対に洋館に誰も入れないようにする」

「……………」

「何か、あるのか?」

「柩さんには…関係のない事ですわ」

「関係ある、黒姫が辛い顔してたら柩も何故か辛くなる。ずっとずっと聞きたかったんだ、なあ、今日がその日だろ?柩に話したら少しは楽になるかもしれない…」

「……………」

「黒姫には、ずっと笑っててほしい」

わたくしの笑顔なんて、人間を脅かす為にしか利用価値がないのに、この子は…。

「分かりましたわ、それでは、わたくしが死んだ日のお話をしましょう」

「え………ぅ…ん」

「どうなさいましたの?」

「いや…、そ…そんな重大な内容と絡んでるとは思わなくて…その、い…いいのか?柩に話しても」

「くすくす…いいですわ、むしろ柩さんだから、わたくしはこの話をするんですよ?」

そしてわたくしは、彼女をわたくしの寝室に呼んで、話始めた。『あの日』の事を。





ここは美しい洋館。
洋館の周りには綺麗な花が咲き乱れ、その周りの森には可愛らしい動物達がたくさん住んでいた。

洋館の持ち主は、成金の夫と金目当てに結婚をし、現在、亡くなった夫の遺産金と商いを一人で仕切っている強欲な女だった。
その女には、一人の娘と息子がいた。
その娘の名前は×××、暗闇や黒い色をよく好み、纏うドレスも全て黒、部屋は常に遮光カーテンが引かれ、唯一の光源といえばベットの隅に置かれた小さな蝋燭くらい。

それが、生前の私。その性格や出で立ちから気味の悪い存在として『黒姫』と呼ばれていた。

私は元々体が弱く、四六時中ベットに寝て薬を飲んでそれだけを繰り返す日々を送っていた。

母は健康で頭の良い弟を溺愛し、滅多に私の所へは来てくれなかった。
だけど私はそれでよかった、別に今更彼女に愛される必要も無かったし、自分は死ぬまでこの部屋で一人で過ごすのだろうと、心に決めていたから。

だけど、だけどある日
普段より私の調子が悪かった日、母が私の部屋にやってきてくれたのだ。
本当に嬉しかった
久しぶりに目にする母の姿は目に眩しく、そして私の胸を締め付けた。
きらびやかに飾られた派手な色のドレスや、彼女にはあまり似合わない濃い化粧。綺麗に纏められた、金色にゆらめく髪、その全てが心をひたすら痛くさせる。
だけどそんな私を安心させるかのように、母は私の前でニコリと微笑んだ。

「×××久しぶりね」

私の名前を呼ぶ懐かしい声
何年ぶりの音程が、鼓膜を優しく響かせる。

「あ…はい、久しぶりです」

上手く言葉が出てこない。
『私は彼女に嫌われていなかったのか、まだ彼女は私を愛していたのか』
疑問が脳味噌の中を駆け回り、酷く混乱した。

敬語を使った事がおかしかったのか、母はクスクス笑い、またその美しい顔で微笑んだ。

「どうしたの?敬語なんか使って」

「あ…」

「お母様って、呼んでくれていいのよ?」

「はい、えっと…お…お母……様?」

どうしてこんなに緊張するんだろう。そんな風にドギマギする私を尻目に、彼女は懐から何かを取り出した。

「…カプセル?」

彼女の手には、赤く光るカプセルと、薄い桃色をした水の入ったコップが握られていた。
それを私に手渡し、彼女は言う。

「新しい薬よ、お医者様に頼んで作ってもらったの、今日はコレを渡しにね」

「わたくしの…為に?」

「えぇ、早く×××に元気になってほしいから…」

「お母様…っ」

私は嬉しさでどうにかなってしまいそうだった。

(お母様が、わたくしの為に)
(お母様が、わたくしの為に)

それだけが自分の思考を侵し、正常な判断を許さなかった。全てが『異常』なこの光景に警笛を鳴らす回路は、既に私の中には存在しなかったのだ。

「一気に飲みなさい、じゃないと効きませんからね」

「はい」


そして

私は

カプセルを口に放り込み

水を

全て

赤いカプセルごと

飲み干した


「全部…飲んだ?」

「はい、これで良く…」

『ソレ』はすぐに私の体に異変を起こした。

「な…体が…熱……ッ」

体が燃えるように熱い。
そして頭に血が上っていくような感覚に絶えきれず、私は毛布をキツく握り締め、母親の方を向いた。

途端体に衝撃が走った

さっきまで私の事を心配していた母が、さっきまで優しく微笑んでいた母が

汚物でも見るような瞳で
私を見ていた。

全身の血が一気に冷めていく…
―頭痛と吐き気が酷い―

「ゴホッ…ゴホ…お母ゲホッ!」

咳が止まらない
体調がどんどん悪化していく

「…?」

何か、鼻から水みたいな物が…

「――――――――ッツ!」

手で確認するまでもなく、明らかに大量の血が鼻から伝い、高速で毛布やパジャマに染みを作っていった。
それに、涙が…
指先で目元を少し擦ってから、自分の指先を見て、また戦慄した。

それは明らかな
『鮮血』だった。

私は今、"全身"から
"血液"を流している

「ーーっつーゴボッ!!」

とうとう吐血してしまった
既に赤に染まっているシーツを更に赤く染めながら、私は訳が分からないまま血を流し続けた。

「ねぇ…」

「ゴボッ…ゴホゴホッ」

返事も出来ない
胸が痛い
頭が痛い
目が熱い
体が熱い
痛い熱い
痛い熱い
痛い熱い
痛い熱い
誰か…誰か助けて…
お母様…お母様…

「おがぁざまッ…ゴボ…だずげ…「汚らわしいゴミの癖に軽々しく私の名前を呼ばないでくれる?」

……え?
いま…なんて…

「私、早くパーティーに行きたいの、ねぇ、もう死ぬわよね?ほら、なんとか言いなさいよ、死ぬの?死なないの?」

体中の血を体外に出し尽くしたくらい、私の周りは血で染まっていた。だけどまだ血は止まらない。
薄れていく意識の中で私は全てを悟った。これは全て母親が仕組んだ事だったのか

嗚呼

私は愛されていなかった

嗚呼

私は必要とされていなかった

嗚呼 嗚呼

そうか

そうか私は―――――



ここで私の意識は完全に途切れた。










目が覚めるとそこには、荒れ果てた洋館があった。
もう人が住まなくなって、何十年も経ち、手入れも何もされていない私の家。
私の居た部屋は私の吐き出した血がそのまま真っ黒い染みになって残っていた。

勿論私『だった』死体も、白骨化してベットに横たわっている。

扉は頑丈に封をされていて、きっと私が死んでから、誰一人としてこの部屋には入っていないんだろうという事実を痛感させられた。

(私が死んでからどれだけ時間が経ったんだろう。)

キラキラと輝いていた洋館は、今ではシトシトと雨が降る、とても不気味な世界に様変わりしていた。この寂れた洋館には私の薄汚れた死体しかもう残っていないみたいだ。

この世界で私の事を知っている人はいるんだろうか?なら私はこれからどう生きていけばいいんだろうか?

置いてけぼりにされた子供みたいに、ただ不安で不安で、誰かに縋って泣きたくなった。だけど縋れる相手なんて、私にはいない。

私は幽霊、いつ死ぬかなんて考える必要なんかない。だけど何か行動しなくちゃ、ずっとずっとこのままだ。

「その後わたくしは洋館を少しは住める程度に掃除して、自分の死体を近くの森に埋めました。始めは森の周りを徘徊して、道行く人を驚かしては楽しんでいましたの。それしかわたくしに生きる意味を与えてくれるものはなかったから…。だけど、わたくしに全く驚かない方もいて、その内の何人かは友達になってくれたりもしました。今では仲良くなった友人の家へ遊びに行くのが楽しみになったり、それなりに昔よりはこの生活を楽しんでいますわ」

「そうか…」

「そして、わたくしが一年に一度だけ洋館から出ない理由…でしたわね」

「うん…」

「わたくしが亡くなったあの日のあの惨劇がこの洋館で…起こるんです」

「…?」

「わたくしの部屋に、生きていた頃の自分が寝ているんです」

「…………」

「母が…優しい母がやってきて…カプセルを渡して…わたくしが、血を………」

「どうしてそんな…」

「洋館が…洋館が覚えているんです…わたくしがあの日の惨劇を忘れないように、母に対する憎しみを…無くさないように…みせてくるんです…ずっと…夜が明けるまで…何度も…何度も…」

「誰にも見られたくないから、扉を閉めていたのか…なら、扉だけ閉めて黒姫だけ洋館から逃げれば良いのに」

「一度やろうとしたんです…でも気付くとあの部屋に…」

「…………そうか」

わたくしは久しぶりに泣きました。死んでからそう経っていないであろう、柩に優しく優しく頭を撫でられ。


『私は誰にこうされたかったんだろう』


その問いに答える者は
どこにもいなくて

(わかっている癖に)

懐かしい痛みが
ひたすら胸を襲う


目が霞んで

ぼんやりしていく景色に

あれ程憎んでいた母の顔が

浮かんで

消えた。

1/67ページ