世界観、その他設定

ある貧しい村に、雷霆と少し歳の離れた妹の小町は産まれた。しかしそれからすぐに二人の両親は事故で亡くなってしまい、幼くして二人は頼る者を失ってしまう。
しかし村で雷霆のような子供達は決して珍しいわけではなかった。時代は自国の勝利のみを求め、容赦なく弱者を切り捨てる。二人の住む村も例外ではなかった。大人一人ですら徴兵として働きにでても満足に食べてはゆけない状態、誰が見知らぬ汚い子供などに気をくばってやれるだろうか。結局頼る者も助けてくれる者も居ない二人は、お互いの存在のみを生きる糧にして自力で生きていくしかなかった。
しかしまだ自分より幾らも幼い小町がこの世界で働けるような場所などあるわけがない。この周辺では、生活苦により痩せ細った数人の大人達が、涙を流しながら我が子とはした金とを交換している姿もしばしば見受けられる。雷霆はそんな大人達に酷く嫌悪感を覚えた。痩せた大人達が優しく手を引く子供達の一部は、実は愛する我が子などではなく、どこか知らない場所からさってきた子供達だったから。しかしあんな一日二日も食べてゆけないような銭と交換でどこかへ売り飛ばされてゆくのに、一切抵抗しようとしない子供達にも、雷霆は同じ様な嫌悪感を覚えた。
そして理由はわからないが早く小町の元へ帰りたくなった。屋根もなにもない冷たい瓦礫の上で、大切な妹が自分の帰りを待っている。そう考えるだけで働く手に力がこもった。
自分達はあんな大人や子供とは違う。誰の手にも互いの命は委ねない。固いロープで繋がれた二人を断ち切るすべはきっとこの世界中を探し回ったって見つからないはずだった。頼れる者は血の繋がった肉親だけ。信じる事ができるのも、今こうして必死に働いて生きていく意味さえも、互いの命へ触れられる距離にある、それだけが全ての証明だった。



そして雷霆は18歳になった。
妹の小町は雷霆が初めて働きはじめたくらいの年頃になっていて、貧しい生活のおかげか、とても明るく兄想いの働き者に育ってくれた。しかし十分に栄養がとれなかったせいで、同じ年頃の少女達よりは一回りも二回りも体が小さい。雷霆はそんな小町の体を見るたび、自分のふがいなさに胸が痛んだ。しかしそれと同時に、空腹の癖自分を気遣って「お腹なんてすいてないよ」と笑う妹をいつまでも守ってやりたい衝動にも激しくかられた。
今日より少し前、小町の誕生日に、一室しかないが屋根と壁のある小さな家を買った。小町は雷霆が今まで一度も見たことがないくらいはしゃぎまわって、狭い部屋の中を駆け回った。存在を確かめるように、冷たい石の壁に頬をくっつけて目をつむったりもした。雷霆の方を振り向いて見せた小町の笑顔は、幼く無防備で安心しきった花のような。
『お兄ちゃんありがとう!!』
小さな手の平と細い腕が雷霆を捕らえる。その体をひょいと抱き上げてやると、無性に声をあげて泣たくなった。(きっと俺の方が依存してる。今までだって小町がそこに居たから俺は生きてこれたんだ。ああ、俺お前の為だけに頑張ってきたよ?褒めてくれよ。『えらいね、がんばったね』って、頭なでて、笑ってくれよ)

『お兄ちゃん泣いてるの?』

雷霆は抱きしめる小町の小さな肩に頭を押し付けて嗚咽を漏らす。ばれないように頑張ったけれど、もう無理だった。
小町が優しくそっと兄の頭を撫でる。
(今日だけは、今日だけは)

『いいこいいこ』

立っている事すら。



雷霆は小町の為に毎日お土産を買ってきた。(買ってきたというよりは、勤め先でもらってきたと言った方が正しい)小町はそれが楽しみで、いつも雷霆が帰宅して家の扉を開けた瞬間『おかえりなさい!』と飛びついてくるのだ。それが習慣だった。日常だった。

けれど、別れは突然訪れる物。
あの夜の事である。



怨まれる要素の無い大切な唯一の肉親が、鬥(とうが)という存在によって世界から唐突に消された。雷霆の世界が死んだ、生きる意味が死んだ全てが死んだ、なにもかもが死んだ。涙と慟哭だけが後から後からあふれてくる。声が枯れて喉が切れて血がでても泣いた。朝日が昇り陽が沈んで月が浮かんでも泣いた。(もうこのまま枯れて死んでしまうんじゃないか)朦朧とした意識で雷霆は思う。血だまりに寝転び死んだ妹を抱きしめたまま雷霆はただ思う。



気づかないうちに雷霆は眠っていたようだった。目を覚ますと、隣に居る死んだ妹の体はわずかに腐り異臭を放っていた。腕にうまく力が入らなかったが、雷霆は時間をかけ家の近くに小さな墓を立てた。小町が好きだった赤い花を供えて。まだ腐ってはいない妹の青白い頬に一度口づけをし、そっと土に埋める。家に置いていた全ての物は叩き壊して二度と使えないようにした。『もうこの村には戻らない』、自分にそう言い聞かせるように。



それからずっと雷霆は、鬥を殺す為だけに一人で世界中を歩き回って、時折妹の好きだった赤い花を摘んでは空に放った。鬥が突然目の前に現れて、戦闘になる事もあった。大抵は雷霆が苦戦を強いられ深手を負うか、鬥がそのままどこかへ消えてしまうかの二つだったが、鬥自身に深手を負わせ逃げるしか方法がないという状態にさせた事もあった。
そんないたちごっこを繰り返していたある日の事、たまたま雷霆と鬥が鉢合わせして迷わず雷霆が鬥へ切り掛かりにいった時。鬥の後ろに小柄な女の子が居るのが見え、雷霆は刃が届く直前でその手を下ろした。彼女を庇おうとする鬥の表情には過去の余裕などひとつもなく、ただ敵意だけが鋭く両目から放たれている。まるであの日の自分のように。

「その子が大切なのか」

冷たく問うと、鬥はこくりと小さく頷いた。雷霆は、あの日小町を殺された時と同じくらいの怒りが静かに胸の奥から湧き出てくるのを感じ、剣を握る手が激しく震えた。

《何故》《なぜ》《ナゼ》

「何故!何故今身を呈してその女を守ろうとしている癖に、小町を殺した!なあ!?どうして今なんだ!!答えろよ!おい!!!」

二年ぶりに感情のまま叫び涙を流した。歯止めがきかず息が詰まって苦しい。まるで体が酸素の求め方を忘れてしまったみたいに。

「もし俺がその女を殺したらお前は俺を憎み俺と同じように俺を追いかけて仇を取るか?はは…滑稽だな。お前は『どうしてあいつを殺したんだ』と俺に理由を求めるのか。泣きながら切り掛かるのか。なぁ、どうするんだよ。苦しいだろうなぁ、なんせ二年たっても小町の死は俺に纏わりついて離れないんだから。幸せになるのが怖いって気持ちがお前にわかるか?過ぎていく時間はこの気持ちを一度だって中和してくれた事なんかない。忘れる事が恐ろしいんだよ。なぁ、黙ってないでなんか言えよ、今のお前はあの日の俺とそっくりそのまま同じだ。自分が死ぬ事よりその女が殺される方が辛く苦しい。なあおい、言ってる意味くらい…わかんだろ?」

「やめろ!この子は関係ない!!お前の妹を殺した事は謝る、仕方なかったんだ…だから…」

「…仕方ない?」

鬥は目を伏せたまましきりに後ろの女を気にしている。……ああ、彼女はこいつが《殺し屋》なのを知らないのか。

「悪いがそんな理由で復讐を止めてやれる程俺は偽善的じゃないんだ、顔は覚えた、覚悟しとけよ」

雷霆はそう言って、来た道を戻る。鬥と同じ立場に立つのは死ぬほど不快だった。(あの女を殺して鬥を死ぬより辛い目に合わす事ができたなら、すぐに咽を掻ききって死んでやろう。俺が死んだ後に残るのは永遠の虚無感と孤独だ。女の為にある自分の命と、生きる為に生まれる復讐のどちらもあっさり無くしてしまうんだから)
自己嫌悪と脱力感に襲われて、林の中にある木に背中を預けた。小町の方が俺達の何億倍も苦しかったんだ。どうして俺が苦しむ資格などあるのだろう。



『幸せになってはいけない。』



見えない妹の無言の枷が、あの夜と寸分変わらず、また俺の喉を強く締めつける。
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