世界観、その他設定

鬥は小さい頃から周りの子供達と少し感性が違っていた。友達が車やヒーローのオモチャに夢中になっている時、鬥はそのオモチャをバラバラにしては土へ埋める。母親が手足のちぎれたぬいぐるみの体を元通りに縫い合わせれば、鬥は笑ってまた前とおなじようにバラバラにしてしまう。

成長してもその『異常さ』は無くなるどころか、より激しさを増していった。母親も父親も親戚も隣人もそんな鬥を気味悪がった。だが関わると面倒な事になりそうだった為話し掛ける事も相手をする事もせず、時折鬥と歳の近い自分の子供や孫に『あの家の子とは仲良くしては駄目よ』と教えるだけ。両親も両親でお互い別々に浮気相手がいて、気が違いかけた息子に割く時間など最初から無いというように毎晩幼い鬥を置いてどこかへ出掛けてしまうのだ。



そんな環境で育っていった鬥は、ある日"対象"を『人形』から『生き物』に変える。はじめは蟻やバッタなどを靴底で何匹も踏み付けたり、カマキリをなみなみ水が入ったバケツにほうり込み溺れ死ぬのを笑って眺めたりしていただけだった。両親や近所の住民はそんな鬥を以前にも増して気味悪がった。けれど誰ひとり鬥を止めることなどせず見て見ぬふりをした。もしそうやって自分より弱いモノを痛ぶり殺す事が、だれからも愛情を貰わず育った鬥の『愛されたい』というサインだったとしたなら…。
そうして日を追うごとに、鬥の加虐性はどんどん増していった。



ある日、鬥は『痛ぶると鳴き声をあげる動物』に出会う事となる。それは隣の家に住む、村一番の美少女が飼う猫だった。真っ白くてほわほわしていて、その上とても人に慣れていたので村中の人達に可愛がられていた。無論鬥も隣の家だけあって、猫にはよく懐かれていた。晩ご飯の時分に家へ上がり込んで来た時には、どうしても苦手で食べられなかった母の焼く焦げたししゃもを、こっそり猫に分け与えたものである。そうしてある日、日課の虫殺しを家の裏で黙々執り行っていた時…にゃあと、右側に生える生垣の先から、聞き慣れた猫の声がした。がさがさと葉と葉の間を進む音が響く。

「×××」

わかりきった見えない相手の名前を優しく呼んでやる。そうするといつもと変わらず嬉しそうに、真っ白くてほわほわした生き物は鬥の土塗れの両腕に飛び込んで来るのだ。「にゃあ」なでて!なでて!しきりに喉をごろごろと鳴らしてすり寄ってくる、白い毛玉。鬥の片手には、蟻の巣を守る固い土を掘り起こすのには十分鋭利なスコップ。ふと、考えた。「にゃあ」毛玉の声は頭にうまく響かない。

『もしこの毛玉にスコップを突き刺したら、どうなるんだろうか』

昨日、調子に乗って割ってしまったグラスで怪我をした右手の甲を、鬥はちらりと見やる。

『何色の血が出てたっけ』

にゃ、ぎゅ、子供ながらに強い力で猫をしめつける。猫は空気を入れた袋を無理矢理踏み潰したみたいな酷い声をあげて鳴く。
ぎゅうぎゅう。
次の日、隣の女の子が泣いていた。なんでも大切にしていたあの白い猫が居なくなってしまったらしい。「大丈夫だよ、きっとすぐに帰ってくるよ」村一番の美少女は、泣きながら鬥の体に抱きつきひたすら嗚咽を漏らす。
(酷い顔)
(庭に埋めた赤い毛玉とそっくりだ)



この日を境に、鬥はまたひとつ道を踏み外した。『殺しても鳴かない生き物』『苦しまない生き物』から、『殺すと鳴く生き物』『散々苦しむ生き物』ばかり殺すようになったのだ。もう両親は家に帰ってこなくなった。隣人は鬥を避けるようになった。鬥はひとりぼっちになった。
すると鬥の中にもう一つの人格が生まれた。彼は鬥に似ていたが背が高くて今より髪も少しだけ長い。彼はいつだって鬥の側に居てくれて、生き物を殺す時だってたくさんアドバイスをくれた、寂しいと泣くと抱きしめて頭を撫でてくれた、彼だけは"鬥から離れて行かなかった"そして彼は鬥にまるで秘密を打ち明けるよう耳元で囁く。

『けれど君は僕を完全にここから出してはくれないようだ』



人を殺すのは少し怖かった。他の生き物とは違って体がとても大きいし、たくさん暴れるだろうから。けれど彼はそんな鬥に優しく微笑み言う。

『安心して。殺した生き物は決して君から離れていかない』

(ひとつ生き物を殺すとまわりのみんなはすぐに離れていってしまう。けど死んだ生き物は、なにをしようと僕から離れていかない。殺せばみんな僕から離れていかない。そうだ、殺せば誰も僕から離れていかないんだ。お父さんもお母さんも隣のおばさんも友達だってみんなきっとずっとずっとずっと離れていかない。ずっと一緒ずっと一緒ずっと一緒)

そして鬥は両親を殺した。鬥の様子を見に帰ってきた所を、彼が教えてくれたやり方で殺したのだ。殺せばずっと一緒だと思ったから。

「これでいいの?」
『これでいいんだよ』
「これで君もお父さんもお母さんももうどこにも行かない?」
『行かないよ。ずっとずっと僕もお父さんもお母さんも君と一緒だよ』
「嘘じゃない?」
『嘘じゃないよ』

確かに彼の言った通り死んだ両親は一歩も鬥から離れる事はなかった、両親が腐っていく姿をずっと見ているのも楽しかった。床を変色させていく二人分の血液の上に寝転ぶと、まるで両親の暖かい腕に優しく抱かれているような気持ちがして幼い鬥は幸せだった。
そして彼は以前にも増して鬥の側に居るようになった。立っている時も座っている時も手を繋いだり抱きしめたり、そして鬥が時折激しく不安がると、求めている一番欲しい言葉で一瞬のうちに鬥を安心の海へと引きずり込んでしまう。彼は鬥にとって無くてはならない存在だった。隣の女の子や家族を殺した時も、家へ様子を見にやってきた親戚を殺した時も、一番効率のいいやり方を教えてくれた。彼が側に居ないと呼吸もままならない。まるで精神安定剤のように。



ある日家へ見たことも無いような男がやって来た。その男はまだ若く、しかし掴み所の無い雰囲気を醸し出している。その姿はどことなく彼に似ているような気がした。怖くはなかった、言葉を交わさなくてもなんとなくわかったから。

「僕はこの人についていけばいいのかな」
『わからないけれど、僕が一緒だからきっと大丈夫だよ』
「そうだね、お母さんとお父さんはもういらないや」
『…ねぇ、もう閉じ込めたりしないでね。僕は君とずっと離れたくないんだ。約束だよ?』
「うん、約束。ずっと一緒」

彼はあどけない笑顔で嬉しそうに僕を抱きしめる。



その男はキントキと言う名前で、大陸に幾つもある殺し屋協会内部でも上位にはいる腕前の持ち主だった。そして幼いながらも殺しの技術では卓越した才能を持つ鬥の存在が協会のリストに上がり、協会内に引き入れるようキントキへと指令が下ったらしい。
キントキは今まで出会った人間の中でも見たことがない程気さくで明るい男だった。両親より鬥の事を気遣い、子供扱いしてくれる。気づけば鬥は夢中でキントキの大きな手を握り返し、楽しい話の続きを催促していた。そしてキントキの所属する協会へはいり、15歳になるまでずっとキントキと共に生活し、鬥はあっという間に殺し屋としての技術を洗練させていった。

そして15歳になった鬥は協会から離れて、初めて単独で仕事をする事になった。その仕事の早さと手際の良さは、鬥が「父さん」と呼び慕う育ての親のキントキにそっくりだった。性格も人前ではキントキに負けない位明るく、しかしどこか計り知れない程深い影を背負っている。いつも側にいたはずの彼は知らない間に鬥が一人になる時だけ現れるようになっていた。勿論見た目は一切変わっていない。彼は突然目の前に現れると、いつでも同じセリフを優しい笑顔のまま鬥に囁いた。

『ねぇ、殺しちゃおうよ』

彼の声を聞くと幼い頃とおなじように鬥は酷く安心した。罪の無い人間を幾らも手にかけたとして、ただ一人彼にさえ全てを肯定してもらえれば、何をしたって気持ちは一切揺るぐ事は無い。

『おつかれさま、今日は上出来だったね』
『ああ鬥は本当にいい子だ、次もたくさんがんばろうね』

彼は彼と同じ顔で彼を愛しげに抱きしめる。彼は彼だけを求めて彼だけに優しい言葉を投げかける。



そうして鬥は18歳を迎えた。18歳とはこの大陸ではもう大人だ。3年の月日を経て鬥は協会やキントキから完全に独立する力を手に入れた。加虐性は変わらず勢いを留めなかったが、成長した鬥には少しばかりの理性が生まれていた。殺す前に少しだけ考えるようになったのだ。
『コレは殺していいのか』
基本、協会から依頼された仕事に関係無い殺害を行った場合、それに伴う危険やリスクは殺害を行った本人が100%背負う事になっている。鬥は仕事と仕事外の殺害の比率を大体半分ずつに保っていた。カッとなると無意識に殺してしまう癖のある鬥にはこの比率が限界だったのだ。下手をすれば仕事の殺害より個人で行う殺害の方が圧倒的に上回ってしまう。あまりそんなことばかり繰り返せば、キントキが教えてくれた《殺し屋殺し》に狙われて面倒な事になってしまうかもしれない。それに今の鬥の心には《死》を通さないと埋める事ができない穴が沢山あった。だから鬥は見知らぬ相手の死を通してその隙間をひたすら埋めようとしたのだ。

あの日母親を殺した自分を、あの日父親を殺した自分を、今まで沢山他人を殺してきた自分を、ただただ肯定するように。もう彼の肯定だけではどうにもならない程の死が、痩せこけた鬥の上には降り積もっていたのだ。ひたすら誰かを殺す自分を肯定する為に鬥はまた誰かを殺す。どうしようもなかった。全てが完全に遅すぎた。

殺した死体に執着するのは触れて愛された記憶が無いから。溢れる血に愛しさを覚えるのは、両親の胸にいだかれ胸の内に脈打つ心臓の熱を感じなかったから。殺せばそれに触れる事ができる。感じる事ができる。結局鬥は、触れる誰かに愛されたかったのだ。必要とされたかったのだ。全ては仕方の無い事。鬥にはもう、どうあがいても人を殺し続ける道しか残されていなかった。



ある日鬥は赤い花の咲く小さな村へ仕事にやってきた。飢餓と差別の波に揉まれながらもひっそりと大陸の中生き続ける村。夜中に目的のターゲットとその家族を片づけた後、何気なく村の外れに建つ小さな家が気になり、鬥はその家へ歩いていった。
(ずいぶんと小さな家だ)そう思い、吹きさらしの窓から気配を消して中を伺う。中には小さな女の子が居た。少し癖のある黄色い髪に、所々黒い毛が混じっている。栄養が足りないのか少女の体は小さくやせ細っていた。床に座りながら本を読む少女は時間が気になるらしく、壁にかかった掛け時計に何度も視線を移す。
少女が誰かを待っているのは一目瞭然だった。
鬥は面白くなり、外壁と同じ色の薄い扉の前へ立つ。数回扉をノックすると、先程の少女がゆっくり扉を開きこちらの様子を伺ってきた。不審がられてもいけないので、昔彼がしていた時と何一つ変わらない微笑みを浮かべ少女へ挨拶する。

「こんばんは、すみませんが少しだけ休ませていただけませんか?道に迷ってしまいまして」

鬥の舌は巧みに酸素を掻き、次々とリアルにまみれた嘘ばかり生産してゆく。



少女は小町と言った。雷霆(らいてい)という兄が居て、兄は少女の為に毎晩遅くまで仕事をしているのだ。少女の話す内容や口ぶりからして、二人は相当強い絆で結ばれているらしい。聞いていると胃袋の辺りがむしゃくしゃした。すると、どこからともなく彼が現れて耳に囁く。

『試してみたくない?』
『これだけ強い絆で結ばれた二人が』
『引き裂かれて絶望の淵に立たされたら』
『どんな気持ちになるのか』

確かに試してみたかった。
罪悪感はみじんも感じなかった。



「俺は雷霆に幾つか嘘をついた。ひとつ、雷霆の妹はターゲットでもなんでもない。ふたつ、きっと雷霆の妹は誰にも嫌われてなんてなかった。みっつ、雷霆は弱くない。きっといつか俺はアイツに殺される」



鬥は19歳になった冬にある一人の少女と出会う。とある国で仕事をしてきた帰り道だった。
国の近くにある小さな村で酷い弾圧があったらしい。沢山の人が死に、殺され、さらしものにされた。その少女《ドロシー》は、弾圧を受け村から命からがら逃げきった一人のようだった。全身に打撲や裂傷や火傷、更に強姦されたような痕もあり、放っておけば数日もせず息絶えてしまいそうだった。
鬥ですらそこまで弱り切った人間をいたぶり殺すような感性は持ち合わせていない。せいぜい死なない程度に苦しめる位だ。しかし、道に倒れたままの少女を見て鬥はひとつ思いつく。

(助けてやった相手に殺される時、人はどんな反応をするのだろう)

そんな興味にかられた鬥は、話かけても反応の無い少女を背中に担ぎ、来た道を引き返す。



大きな国で治療を受けさせ、宿を借り看病してやった。すると少女の傷はみるみるうちに治っていった。鬥は早く少女を殺したくてたまらなかったが、隣で笑う彼に制止され我慢を繰り返す。数日もしないうちに少女は目を覚ました。ゆっくりと起き上がり部屋を見回す、そして最後に鬥へ視線を固定させたまま小さく首を傾げた。

『ここは?あなたは?私は…』

鬥は少女の様子がおかしい事に気づき、もう一度医者に見せに行った。少女は記憶喪失だった。過去にあった嬉しい記憶も悲しい記憶も、全て纏めて忘れてしまっているらしく、少女はいつまでも不安そうな表情を崩さない。鬥はどうすればいいのかわからなくなった。自分だって少女の事は知らない。けれど今少女が頼れるのは自分しか居ないのだ。少女は、何も関係無い自分の一言でいちいち安心し、目覚めたあの日からひとつずつ記憶を刻む。その記憶の中にはまだ鬥しかいない。なにもない。

どこかで感じた感覚だった

そうそれはまるで自分と彼の様な。



鬥は彼と同じように少女へ接した。少女が不安そうなら、必死に頭を巡らせ少女が安心する為に必要な言葉を探してくる。いつでも側に居て手をとり、抱きしめ合い言葉を交わした。時折発作の様にフラッシュバックしては消失する過去の記憶には「思い出さなくていい」とそっと蓋をした。(過去の記憶なんか要らない。そんなものがあれば人なんて皆俺のように汚れてしまうじゃないか)今の鬥にとって、記憶の無い少女は少し羨ましかった。過去が今をどれだけ縛りつけているか、鬥は痛いほど知っていたから。そして人を殺す以外に自分を肯定する道を見つけてしまった事も事実だった。
少女を愛する自分が胸の奥のどこかに確かに存在している。少女が鬥を愛せば、今まで生きた中で一度も手にする事のできなかった《まっすぐな愛情》を鬥は一心に受ける事ができるのだ。少女の真っさらな記憶の中には今だって鬥一人しか存在していない。少女は終わりから始まりまで鬥しか求めない。
そして鬥は人になった。



少女に気持ちを伝えてから、彼は鬥の前に現れなくなった。鬥は20歳になった。今の鬥は居なくなってしまった彼とうりふたつだった。彼は誰だったのか、今の鬥にはよくわかる。
少女は鬥と二人で生活していく中で少しだけ記憶が蘇り、ドロシーという名前を手に入れた。ドロシーは本当に心の優しい子だ。殺し屋という職業は教えていないが、いつでも鬥の事を心配し、帰りを待ってくれている。ドロシーの存在は鬥の全てを変えた。
鬥は仕事の依頼をこなす際、余計な人間を殺さなくなった。逆に必要以上の感情を手に入れてしまった為か手際がだいぶ甘くなってしまっているようで、それが発端となり、現在殺し屋殺しに狙われている。しかしもうドロシーが居てくれたらどうだってよかった。彼女を守る事ができたなら自分はどうなっても構わない。20年生きてきてようやく手にした愛情を鬥は手放したくなかった。この愛情を手放す事は、今の彼にとって死ぬより恐ろしかったのだ。



だが、今まで今日の愛情を求めて兵器として生きてきた鬥が、簡単に幸せになれるわけがない。雷霆は今鬥が手にしているものと同じ愛情を、鬥により破壊されたのだ。初めてドロシーと居る時に雷霆と鉢合わせた日、鬥は恐怖に陥った。

(ドロシーが殺されてしまう)

「その子が大切なのか」

冷たい眼差しで目の前に立つ雷霆は鬥に問う。余計な事は言えない。ドロシーだけには知られたくない。彼女だけは、彼女だけはどうか俺から奪わないでくれ。俺なら幾らでもいたぶって殺してしまっていいから。だからどうか、どうか、どうかどうかどうかどうか。

雷霆は激昂した。涙を流し叫ぶ彼に俺は何も言うことができない。反論する余地もない。俺は俺の為だけにこいつの妹を殺したんだから。けれどもう後戻りはできない。これが全て過去に俺がやって来たことの皺寄せだとしても、ドロシーだけは守りたい。雷霆には、殺させない。



雷霆は二人の目の前から去って行った。ドロシーは後ろで泣きながら鬥の背に抱き着き震えている。
「大丈夫?ごめんな、怖かったな」
『違うの…』



『きっとこれからずっと、私のせいで二人は傷ついていく』







ドロシーは俺と同じなんかじゃない。







俺は、どうして人を殺す事しか
できないんだ。
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