世界観、その他設定

とある約束
(とあるやくそく)


廿はまだ幼い頃、父の行っている人殺しの技術を体に染み込ませるため、外の世界と隔絶(かくぜつ)された生活を送っていました。

ある日幼い廿は、好奇心に駆られて、お付きの目を盗み広大なお庭へと逃げ込みました。広い広いお庭の端っこ、自分の生きている世界の角っこ。廿は、長い蔦(つた)に囲まれた壁を目指し、綺麗にととのえられた芝生の上を走ります。

そしてようやくたどり着いた世界の隅。その壁のすき間から見える知らない世界は、幼い廿の心を掴んで離しませんでした。
(ずっとずっと見ていたいな)そんなことを考えながら、お付きに見つかるまでここで息をひそめていよう。もう一度、足が痛くならないようにきちんと座って、目を凝らした時です。

「きみはだれ?」

突然目の前に、見知らぬ男の子が現れました。廿は驚き、ただ目をまるくするばかりです。そんな廿を不思議そうな顔で眺めて、男の子はもう一度言います。

「きみはだれ?このお屋敷のひとなの?」







男の子はヨルドと言いました。すこし遠い場所に住んでいる、四人兄弟の末っ子です。パパもママも、お兄ちゃんたちにつきっきりで、ヨルドの相手をしてくれないので、たまにはすこし遠い場所まで探検しようと思って、ここまでたったひとりで歩いてきたのでした。

ヨルドは壁の向こうから廿に問い掛けます。

「きみは一体なにをしているの?」

廿はさも当たり前のように答えます。

「ひとを殺しているの」

「…え?」

「おい、廿、どこだ!でてこい!」

ヨルドは驚いて聞き返しましたが、遠くから酷い怒鳴り声がして、廿もヨルドもびくりと肩を震わせました。

「パパがぼくを探してる。戻らなくちゃ」

怯えたように立ち上がった廿に、ヨルドは声をかけます。

「ぼく、毎日ここにくるから」

「また同じ場所で会えたら、たくさん外のお話を聞かせてあげる」

「だからぼく、毎日ここにくるよ!」







それからまた時間は過ぎました。廿は上手に部屋を抜け出す方法を見つけ、ヨルドと会っては外のお話を聞かせてもらいました。このお屋敷以外のひろいひろい世界のお話。見たこともない動物や草木のお話。果てはいろんなお伽話まで。

ヨルドはいつのまにか廿のことが好きになっていました。もちろん廿も同じです。
明るくて優しい、大好きなお友達。たったひとりの大切なひと。

ある日ヨルドは廿に言いました。

「ねえ廿。ぼくがきっと、きみをそこから助けだしてあげる。自由にしてあげる」

「なにがあっても。誰がじゃまをしても」







けれど永遠に思えた楽しい時間は、唐突に終わりを告げました。廿のお父さんに、ばれてしまったのです。

ヨルドは家に連れ帰られ、散々罰を受けました。そのうえ廿に会わせないため、廿のお父さんはヨルドの家に圧力をかけ、ヨルドを自宅から一歩も出させないよう監視させたのです。

何度も廿に会うため家を出ようとしましたが、時に命まで狙われ、そのうち食事や排泄まで自室以外ではできないような、独房に似た場所に監禁されるようになってしまいました。

そして廿は外国の学校に移され完全に会う手だてはなくなり、ようやくヨルドは自由の身になりました。しかし、大好きなひとと会うことは、もう二度とできませんでした。







ヨルドと廿は高校生になりました。
高校生になっても、ヨルドはまだ廿を諦めておらず、高校を卒業したら第3都市をでて、外国にいった廿を探すため、語学の勉強をしていました。

そんなある日、ヨルドの通う学校に転入生がやってきたという知らせがありました。風の噂で耳にした転入生の名前に、ヨルドは狂喜乱舞します。

信じられないことに、廿が第3都市へと舞い戻り、同じ学校に転入してきたのです!

廿の父親の考えが甘かったのか、ヨルドの執着心が優ったのか、はてさてはっきりとは決めかねますが、廿が戻って来たのは事実。ヨルドは必死に廿を探しました。
そしてようやくヨルドは、誰もいない中庭で、大好きだったあの人を見つけます。

「廿!廿、会いたかったよ!あの家から解放されたんだね!」

声をあげ、近づきます。久しぶりに見た廿の顔は一段ときれいで、青白く、まるでそこにいないようなはかなさをまとっていました。目が合います。笑顔のヨルドとは違い、廿の感情のない瞳や口許はぴくりとも動きません。

「誰だよお前」

「俺だよ、ヨルドだよ」

名前を聞いた廿は、ああ、と、鼻で笑って椅子から立ち上がりました。背は、ヨルドよりほんの数センチ低いくらいです。

「あの、裏切り者の、ヨルド」

「裏切り者…?」

「もういいだろ。俺、次の授業に出なくちゃいけないんだ」

「ちょっと待っ…」

「さわるなよ!」

ヨルドは意味がわかりませんでした。裏切り者?どうして自分が?ヨルドは今まで一度たりとも廿のことを忘れた日などありません。いまだって廿に会うために、語学の勉強をしていたのに。

廿はヨルドを睨みます。あまり見えていない左目も精一杯細めて、憎悪の限りを込めながら、廿はヨルドを睨みます。

しかし廿がヨルドを恨むのは仕方のないことでした。なぜなら廿には、なにひとつ真実など知らされていなかったからです。
廿にとっては、今まで通り屋敷を抜け出しあの場所へと足を運んでいたのに、そこからぱたりとヨルドの姿だけが消え、自分ひとりが約束を信じてあの庭に取り残されたようなものだったから。
ヨルドが来なくなってからも、廿はヨルドの約束を信じて待ちました。「きっと助けにきてくれる」「ヨルドがぼくをこの世界から連れ出してくれる」。けれど、何日経っても、何ヶ月経っても、何年経っても、ヨルドはあの場所に現れませんでした。

カモフラージュのために、貿易商の息子として第1都市の小学校に入学することになった時、ようやく廿は気がつきました。

『あいつは自分を裏切ったんだ』と。







「俺…ずっと信じて待っていたのに、お前は…いつまで経っても迎えに来てくれなかった…」

「廿…なにを言っているんだ?」

ヨルドは廿にすべて話しました。廿のお父さんにばれていたことも。監禁されていたことも。廿を探すために語学の勉強をしていたことも。
けれど廿の表情はよいほうに変わるどころか、更に辛く、険しくなってゆきます。

「もう…遅いんだよ、なにもかも…」

「どうして…」


「俺はもう、あの家に頭まで取り込まれた、人殺しの機械だ…!

お前が今までどう頑張ってきたかなんか知らない、関係ない

お前みたいなただの一般人じゃ、指一本でさえ触れられない深みに、俺はいま、いるんだよ…」

廿は笑いました。昔とは違う、とても悲しそうな笑顔でした。うるんだように見えた瞳を陰らせて、廿はヨルドの横を過ぎ去ろうとしました。ヨルドは声をあげました。

「それでも」

「………」

「それでも俺は、廿を助けるよ

廿を、あの、呪われた家から。必ず」







ふたりの気持ちは確かに同じでした。いますぐにでも一緒になって、この世界から逃げ出したかったのに。会えてうれしいはずなのに。どうしてこんなにつらいのかよくわかりませんでした。

それからしばらく、廿はヨルドから逃げるよう、再び別の学校へと転校していきました。
その先で廿は、ヨルドの代わりに依存するかのように、仲良くなったオスカーとたぐむへと心を寄せていきました。それはヨルドにとってあまりに酷い仕打ちでしたが、ヨルドは諦めませんでした。

ヨルドの廿に対する執着心は、次第に淫靡(いんび)なものへと変容していきました。廿が自分を避けるほど、廿を自分だけのものにしたくなりました。全部捨てて、自分だけを愛してほしくなりました。

反対に廿は逃げました。あの家の殺人鬼としてしか生きる価値のない自分が、その価値すら捨ててヨルドに傾斜してしまうのが恐ろしかったのです。なにもなくなってしまうのが怖かったのです。またヨルドに裏切られたら?なにもなくなった自分を、誰がわざわざ必要としてくれるのでしょう?

こうしてヨルドは廿を追い掛けるように裏門の門番をはじめ、廿は過剰にヨルドを嫌い避けるようになったのでした。

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