Bigleaf periwinkle 2
翌日の昼休み。
飯も食い終わって、窓際でボーっとしていた。いつもならヤツデに色々話しかけてるのに、今日は全然話す気分になれなかった。
「アリス。お前さ、機嫌悪いの?」
「んー?何で」
「口数がすごい少ないから」
「おれだって、そういう時もあるよ」
「珍しい…」
ヤツデが前の席で雑誌を読んでいるのを見て、おれは机に突っ伏していたら、外が騒がしいことに気づいた。
「外、騒がしくない?」
「ああ、あれだろ?今日からしばらくドラマの撮影が入るんだって。先生が朝言ってたじゃん」
「そうだっけ?聞いてなかった…」
いつもなら芸能人が来たら、真っ先に見に行ってたけど、気分じゃないし。
「ところでやっちゃん、誰が来てんの?」
「あの子だよ。今一番売れてる女の子。顔はわかんだけど、名前が思い出せない…」
「やっちゃん、芸能人に疎すぎじゃない?」
「うるせーぞ、あっちゃん。そんな気になるなら、窓から見てみたらいいだろ?今はグラウンドで撮影してるみたいだし」
ヤツデから名前を待つよりは早いか。おれはすぐ横の窓を開けた。窓を開けると、歓声は更に大きい。でも、その歓声で誰がいるのかがわかった。
「ナナちゃーん」
「ナナちゃん!」
呼ばれたナナちゃんが笑顔で手を振ると、更に歓声や悲鳴は上がる。すごい人気だな…。
「すげーな、あの人だかり…」
おれ、声に出したっけ?と思ったら、ハルクだった。
「ハルクは見に行かなかったの?」
「見に行くわけねぇだろ。芸能人なんて興味ねーし」
「だよね…」
きみはそういうタイプだよね。前に一緒に街を歩いていた時も何人かにスカウトされても「興味ねぇから」で終わらせてたし。
でも、うちの教室、おれ達以外は誰もいないし。皆、ナナちゃんを見に行ってるんだろうな。リゼルも行くタイプじゃないけど、今日は学校自体に来てない。メッセ送ってみても、既読にならない。
「あれ?うちの制服、着てる」
「漫画原作のドラマらしいけど、それの制服がうちの制服と同じだったから、うちの学園で撮ることになったらしいぞ」
雑誌に目を向けながら、ヤツデが教えてくれた。耳だけは聞いてるんだね、ヤツデ。
「芸能人に疎いのに、よく知ってるねー」
「俺じゃない。さっき、ツクシが言ってた」
「そこはやっぱツクシか。ツクシは……って、あそこにいたわ」
人混みの中にツクシの姿を見つけた。てか、あいつ、一番前にいるな。
「あいつ、ナナちゃんの大ファンだからな」
「そうなの?」
「待ち受けにしてるぞ、あいつ」
「そうなんだ」
それは知らなかった。ちょっと前まで違うアイドルを好きになってなかったか?
すると、黙って外を見ていたハルクが呟く。
「てか、そこまで可愛いか?あの女…」
「ハルクよりは可愛いよ……っ痛てて!」
「…悪かったな」
「暴力反対!」
ハルクがおれの耳を引っ張ってきた。きみ、本当におれに対して容赦ないよね。
「お前が悪い」
「本当のことじゃん……って、冗談です!!ハルちゃん、落ちついて!」
「お前がハルちゃん、呼ぶな!」
「母さんにはそう呼ばれてんじゃん」
母さん、昔から女の子も欲しかったのよねーって、言ってたからな。リクのことも可愛いがってたけど、ハルクやセツナまで可愛いがってんだよね。「おれも可愛いがって」って冗談言ったら、「あんたは女の子じゃない」って真顔で言われた。なんてノリが悪いんだ!
「ったく、飲みもんでも買ってこよ」
そう言って、ハルクは教室を出て行った。教室にはおれとヤツデだけ。
「ハルクさんって、おばさんと仲いいの?」
「母さんは気に入ってるね。ハルクの作る飯を一番楽しみに食べてるのは母さんだし。そういえば、昨日、母さんがハルクにおれをもらってくれって言ってたよ。すぐに話はなくなったけど」
ラセンの存在に気づいて、話はなくなったんだよな。じゃなかったら、絶対にしつこく頼んでたよ。母さん。今度はセツナに言ってそうで怖い。母さん、ハルクよりセツナとの方が仲が良いから。
「おばさん公認の仲かよ。てか、結婚したら、ハルクさんの尻に敷かれそうだよな、アリスは」
「やだよー。ハルク、鬼嫁になるのが目に見えてるし。おれは可愛い女の子をお嫁さんにするんだから!」
「似合ってると思うけどな、お前ら…」
そんな話をしていたら、昼休みが終わるチャイムが鳴った。グラウンドにいた生徒達も次々に教室へと戻ってきた。なかなか生で見れない芸能人に皆が興奮していた。
それは見に行っていた友人も同様で、最前列で見ていたツクシも大興奮で帰って来た。
「アリス、ヤッツー。聞いてくれよ!」
「ツクシ。どうだった?生のナナちゃんは」
「やばい!マジで可愛いかったー!」
「良かったな…」
3人でしばしその話をしているところで、先生が入って来た。皆が慌てて席につく。
「5限目の授業だが、授業が始まる前に話がある。いきなりだが彼女もここで一緒に授業を受けてもらうことになった。…入って来ていいぞー」
そうして、ドアが開くと、ナナちゃんが教室に入って来た。クラス中は喜びの悲鳴を上げる。特にツクシ、喜び過ぎだろう。確かにナナちゃん、可愛いけどさ。
「騒ぐな!他のクラスから怒られんだろ。喜びたくなる気持ちはわかるが」
ナナちゃんを見ていたら、ふと目が合った。最初は気のせいかと思っていたけど、何かジーと見られてる気がする。
すると、何を思ったのか、ナナちゃんがこちらに向かってくる。そして、おれの前で止まる。何で?
「もしかして、アリス君?」
何でナナちゃんがおれの名前を知ってんの?どこにも名前書いてないし。
「そうだけど、何で知っ…」
「覚えてないかな?昔、同じ保育園でお母さん達が迎えに来るまで、よく一緒に遊んでたことあるんだけど…」
遊んだ女の子は覚えてる。でも、名前が思い出せない。なんだっけ?うーん…。
━━━わたしとおなじなまえのおはな!だから、むらさきいろがだいすき。あとね、こっちのなまえだったら、“リス”がついてたんだよ!ア“リス”くんとおんなじ。
紫の花、リスがつく花……アイリス。和名が確か…
「アヤメ?…アヤメちゃん!」
「そう!思い出してくれた!?リス君!!」
「うん!久しぶりだね!」
「久しぶり。こんなところで会えると思わなかったよ!」
そう話していたら、クラス中の視線がこちらに向いていた。特に男子、その殺すみたいな目、やめてくんない?ツクシまで同じ目で見てくるし。
幼なじみと再会しただけじゃん。まさか、その子が女優になってるとは思わなかったけどさ。
「そんじゃあ、アリスの隣でいいか。丁度隣は空いてるし。ナナはそこに座って、教科書はアリスに見せてもらってくれ」
「はい」
隣はリゼルだけど、今日はいないからな。ナナちゃんが隣の席に座り、席をこちらにくっつけて来た。
「リス君、教科書見せてもらっていい?」
「うん、いいよ」
その後、男子はほとんどおれ達の方を見ていて、先生に何度も注意されていた。ナナちゃんがいるから集中出来ないのもあるんだろうけどさ。授業くらいはちゃんと受けなよ。てか、前の席にいるヤツデくらいよ。こっちに振り向かないのは。
「リス君、ここに絵を描いてる」
「あー、これ。つい描いて遊んじゃってさ」
ナナちゃんがノートの端っこに描いていた絵に気づいて、それを見て、小さく笑う。
「ふふっ、可愛いね。この猫」
「違うよ。これ、虎だよ!」
「えー。猫じゃないの?」
授業そっちのけで、そんな話をして、先生に怒られてしまった。だけど、そんなことすらも二人で思わず笑ってしまった。
しばらくして、ナナちゃんが突然、「ペン借りていい?」と聞くから貸した。すると、ノートの空いたところに小さく何か文字を書く。それを見てみると。
‘リス君、これは口に出さないで。ペンで書いて答えてね?’
‘わかった’
‘携帯番号を教えて。あとメッセも’
思わずナナちゃんを見た。え?何でおれの番号とメッセを知りたいの?だって、おれじゃなくてもナナちゃんなら…。
ナナちゃんは無言で人差し指を自分の唇に当てる。それからまたノートに書き出す。
‘久しぶりに会えたんだから、もっとリス君と話がしたいんだ。人目あるとなかなか話せないから。ダメかな?’
‘いいよ’
おれもナナちゃんとなら話したいし。おれはノートに番号とメッセのIDを書く。すると、ナナちゃんも自分の番号とメッセIDを書いてくれた。
‘ありがとう’
ナナちゃんが笑っていた。
その笑顔は確かに昔、絵を褒めた時に笑ってくれた顔と同じだった。
5限目が終わる10分前に授業が終わった。おそらくナナちゃんを帰すためだろう。席を立ち上がり、教壇にナナちゃんが立って、挨拶をした。
「一時間だけですが、皆と授業を受けられて楽しかったです。これを生かして、ドラマの撮影も頑張ります。完成したら、是非観てください!今日はありがとうございました!!」
そう言って、ナナちゃんが迎えに来たマネージャーさんと教室を出て行く。笑顔で手を振る姿は、女優のナナちゃんに戻っていた。
さて、その後にナナちゃんが教室から去った後、おれはクラス中からの質問攻めにあい、大変だった。もう本当に怖かった…。
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