1章
あなたの名前
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
パタン、と扉を閉めるとキンブリーはコートとハットを掛ける為自分の席へと歩いて行く。
俺は、動かずただ扉に寄りかかった。
「…。早く書かないと、いつまでも帰れませんよ。」
『…』
返事を返す気にならず何も言わないでいると、キンブリーがこちらに歩いてくる。
顔を逸らす。
失礼な態度だとは分かっている。
だが、今はキンブリーの顔を見るのは耐えられない。
「…そんなに、辛いんですか。」
『え…?』
小さなその声に、思わずキンブリーを見る。
その顔は少しだけ、悲しそうに見えた。
『…。』
はあ、と溜め息をつくキンブリー。
ちろりと睨まれた。
「クライスラー」
『…』
キンブリーの右手が、俺の頭の横を抜け壁に着く。
驚いているとキンブリーの顔が近付いてくる。
「…彼女と笑い合っているのを見るのは辛い?」
『、』
まるで俺の心を見抜かれた様で、身体がピクッと反応してしまう。
この男は、どこまで俺を苦しめるのだろう。
顔をまた背けると、キンブリーの左手が俺の髪を優しく撫でた。
驚いて、はねのける事も出来ずにキンブリーに目を向ける。
『…少佐は、俺をどうする気です?』
俺はキンブリーにとって、自分の好きな女に近付く邪魔な男。
自分で言うのもなんだが、こんな軟派な奴が近くにいるのは絶対に嫌だと思う。
するとキンブリーは薄く笑った。
「どうされたいですか?」
背筋がゾクリとする。
キンブリーの金色の瞳が、俺を真っ直ぐと見てくる。
『お…れは…』
続く言葉が浮かばず黙ってしまう。
飛ばされるのなら、それも構わない。
ローザンヌにもキンブリーにも会わずに済むし、時間が経てば忘れる事も出来るだろう。
だけど、この場所は居心地が良くて、手放すのは心惜しい。
そう思っている自分もいた。
「…泣かすのはつまらない。」
『え…』
そう言ってサラリと頭を一撫でし離れて行くキンブリー。
生憎俺は泣いていない。
その証拠にサッと目元に手をやるが、手は濡れなかった。
「貴方がしている勘違いは随分一方的で、全く…驚きですよ。」
『へ…?』
キンブリーの言葉の意味が分からず聞き返そうとしたが変な声がでた。
一つ咳払いし、もう一度聞き直す。
『…どういう事ですか?』
「そう仕向けた私も私ですが。」
『…えーと』
話が読めず首を傾げる。
そんな俺にキンブリーは目線だけ動かし、席に着くよう促してくるので黙って自分の席に座る。
目の前にキンブリー。
…ん?出る前より椅子が近い気がする。
「私は彼女に興味なんてありませんよ」
『…彼女って…』
ローザンヌ?そう開きかけた口が続きを紡ぐことは無かった。
口に何かが当たる感触。
ふわりと香る、優しい香り。
何が起きたのか分からず、理解するまでに何十秒も何分もかかった気がした。
『…なっ…!!?』
勢い良く立ち上がった事で大きな音を立て倒れる椅子。
目の前にはいつもと変わらぬ表情のキンブリーが座っている。
自分の震える唇に、震える手を被せた。
「顔、赤いですよ。」
『ーっ!!』
ニコリと笑うキンブリー。
その顔と言葉で頭に血が上る。
『一体何の冗談ですか…!』
「冗談?失礼な。」
『笑えませんよ、少佐…!俺をコケにして…そんなに楽しいですか!?』
立ち上がるキンブリー。
距離を取ろうと後ろに下がる。
トン、と背中が壁にぶつかった。
拳を固める。
クビになろうと左遷させられようと構わない。
これ以上コケにされる位なら、殴ってやる。
そう思っていると殺気に気付いたのかキンブリーが肩を竦めた。
「コケにするつもりはありませんよ。」
『…じゃあなんです?なんのつもりですか?』
「なんでしょうね?」
『っ』
目は冷たいままで笑っていないのに、口元は至極楽しそうに歪む。
そんなキンブリーに固まって動けずにいると先程と同じように右手が俺の頭の横を通り壁に着く。
逃がさない。そう言うかの様に。
「前に訊きましたよね、クライスラー。」
『…何を、ですか…』
「私に。好意に思っている者は居るのかと」
『…』
こく、と小さく頷く。
キンブリーはあの時肯定した。
だから、俺は始末書を書かされる程に暴走し今ここにいるのだ。
「貴方はいつも最後のツメが甘い。」
『…なんの、事です?』
「どうして名前を訊かなかった」
鼻と鼻が当たるのではないかという距離に近付いてくるキンブリー。
その目は冷たく、怒っている様にも見えた。
動けず、ただキンブリーの言葉を聞く。
話が読めない。
迂闊なことを言えば本当に物質的な意味で首が飛びそうだった。
『……』
「…意味が分かりませんか?」
『…はい』
声を振り絞るがかすれた小さな声しか出なかった。
だがキンブリーには聞こえており、小さく溜め息をつかれた。
「教えてあげましょう」
『え、むぐっ』
今度はキンブリーの手で口を押さえられる。
喋るなということか。
耳元に顔を近づけるキンブリー。
まるでひそひそ話をするかの様に小さな声で紡がれた筈の言葉は、まるで叫んだかの様に頭の中で大きく響いた。
「貴方ですよ。ショスナト。私が愛しているのは。」