1章
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玄関の方から扉の閉まる音がして目が覚めた。
『…寝ちまってたか』
変な姿勢で寝たせいか、微かに痛む身体を起こすと何か上に掛けられている事に気付いた。
見慣れた黒いコート。
顔をうずめ匂いを嗅ぐと俺のではない香りがした。
もう忘れることはない。
これはキンブリーのものだ。
どうやらあのセクハラ魔人は眠ってしまった俺に襲いかからず仕事へ行った様だ。
ありがとう。セクハラ魔人。の理性。
『…少佐のコート、ローザンヌとかに売れそうだな』
これで三着目だし。
「人から借りた物を売り払うとは中々良い度胸をしてらっしゃる。」
『別に同じモンだし、俺のを何とか言って少佐に返せばバレないだろ』
「バレると思いますが」
『………………………………………ん?』
ゆっくり部屋の入り口へと顔を向ければ顎に手を当て立っているキンブリーと目が合った。
『…冗談に決まってるじゃないですかあ、ハ、ハハ』
「それなら良いんですが」
表情筋が上手く機能しない俺とは違い、にこりと優しく微笑むと隣に座るキンブリー。
汗が滝の様に流れだした。
『えぇーと…お、お帰りになられたのかとばかり…』
「一件明日までの仕事があったのでそれを片してきた所です」
『ワオ…』
つまりさっきの扉の閉まる音はキンブリーが出て行った音ではなく、帰って来た音だったという事だ。
そんなに眠っていたのかと時計を見れば二時間程経っていた。
『ワァオ……』
「…仕事から帰って一番に聞くのが貴方の声というのは良いものですね」
そう言ってまだ寝起きで頭が追い付いてない俺の頭をくしゃりと撫でてくる。
その表情はとても優しく、あまりに嬉しそうに見えて何故か俺の方が恥ずかしくなってくる。
この人はこんな風に人を愛すのか。なんて考えながら無性に恥ずかしくて顔を逸らす。
すると急に髪を引かれた。
『いでっ?』
「まぁ内容はとても穏やかなものではありませんでしたが」
顔を見ると変わらず優しい笑顔のキンブリー。
もしかして怒ってる?
いや怒ってるのにこんなに優しい顔になる奴いる?
『す、すみません、三着目だったんで思わず』
「私が困るとは考えないんですか?返しなさい。」
『そ、その通りですすみません』
尚も引かれる髪が抜けそうで怖いし痛い。
これは上官からの暴力として労災下りるだろうか。
ハゲ保険とかないのか?
「…全く」
ふう、と満足したのかやっと手を離すキンブリー。
髪が乱れてもカッコイイ自信はあるが、抜けてる可能性を考え手ぐしで髪を整える。
「心配せずとも抜けてません。」
『あ、本当ですか?良かった…』
「全く…わざわざ戻ってくる必要はありませんでしたね」
『え?』
小さく呟くキンブリーに顔を向けると睨まれた。
「コートが売られるのは防げましたが」
『スミマセン。』
多分これ暫く言われるんだろうな。
今度から周りを確認して喋るようにしよう。
「では私はそろそろ帰ります」
『え、もうお帰りになるんですか?』
「少し寄っただけなので」
そう言って身なりを整えだすキンブリー。
外を見ると夕日が眩しかった。
『少佐が良ければ飯、食べていきません?』
「はい?」
キンブリーが少し驚いた顔を俺に向けてくる。
視線が少し気恥ずかしくて、もう整っている髪をもう一度といた。
『その、えーと…コートのお礼もしてないんで』
「…是非。」
どこか嬉しそうな声で答えるキンブリーを見上げると思いの外近くに顔があって驚いた。
反射的に目を瞑る。
いやもう反射だ。次にくるものは分かってる。
『っ』
久しぶりの柔らかな感触。
温かく、口腔内へと滑り込みヌルヌルと動くそれ。
キンブリーの手が耳に触れる。
首や耳を優しく撫でられ、ぞくぞくと身体が反応する。
触れ方も場所も直接的ではないのに妙に官能的で、目を薄く開ければキンブリーと目が合った。
微かに離れた唇がニヤリと弧を描く。
「…嫌がらないんですね」
『っ!』
咄嗟に肩を押してキンブリーから離れる。
心臓が物凄い音を立てていた。
俺は何をしてるんだ?
『………』
「ショスナト…貴方は本当に可愛らしい」
『可愛い訳ねぇでしょ…っ』
確実に赤くなっている顔を見られない様に立ち上がって背を向ける。
背後からはキンブリーの笑い声が聞こえ、急いで唇を拭った。
「気を付けなさい。自分を好きだと言う男を引き留めるなんて、誘っているとしか思えませんよ?」
『……そうですね』
「もう少し貴方は警戒心を持った方がいい」
『…はい…』
言ってる事はごもっともだが俺は何故今自分を襲った男に説教されなきゃならないんだ?
そりゃ女の子に「ご飯食べてって」とか「お茶飲んでく?」とか言われたらやっぱりそういう事だと思うよ。
でも俺は傷心の男の部下で、キンブリーは男の上官。
そんな事想像しなくない?
警戒心っていうけど、そんな事言ったらヒューズとロイなんて俺と何回ヤッた?って事になる。
おえ、想像しただけで気持ちわるい。
『…すみません。…って俺が謝るのも変ですけど』
「構いませんよ」
釈然としないまま振り向いて謝ると、今度こそ身支度を整えたキンブリーが立っていた。
『…本当に帰るんですか?』
「えぇ。………」
頷いた後ピタリと動きを止めるキンブリー。
少しおかしくて笑いそうになるのを抑える。
「ショスナト?それはまさか…」
『はい?………………いや!それは駄目です!!』
違います、と大きく身体の前に×を作る。
子供の頃は鬼ごっこでよく「バリア!」とか言って遊んだものだ。
まさか大人になってもするなんて思わなかった。
でもこの貞操の危機にはあの頃の安全な鬼ごっこよりよっぽどバリアが必要だ。
「随分大胆に誘われたものだとばかり」
『誘いません!』
「つまらない…」
『つまらないで結構!』
はあ、とわざとらしく溜め息をつくキンブリー。
この男はこっちが少しでも気を許すとすぐに手を出そうとしてくる。
折角あの時の恩人だと気付けたのに、おちおち信頼関係も築けない。
俺の美しい大切な思い出は崩れ落ちたと言っても過言ではない。
そう思い、同様に溜め息を吐いた。
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2024/03/26添削
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